人間そのものを見つめることを忘れ、人間絶対という時代のなかで、様々な問題が生じているのが現代の状況であり、そのことがあらわとなったのが昨年の3.11(大地震とそれに伴う原発事故)でした。

人間絶対が、科学絶対、経済絶対を生み出しました。科学、経済の恩恵があるからこそ、益々問題の本質が見えなくなり、眼が常に外に向き、「真宗教団は『報恩講』教団と呼ばれている所以は、真宗の仏事(聞法会)のあらゆる精神は報恩講精神にある」ということが風化しつつあるのではないでしょうか。

あらためて「報恩講」の「報恩」(恩に報いる、恩を知る)ということにふれてみると、安田理深先生は「自分が自分になった背景を知ることである」と押えられています。それは、今、ここに自分が生きてあることに何の不足もなしと、どんな自分も受け止めて生きることです。しかし、それは容易なことではない上に、まったく自分を見失ってしまったのが現代の状況ではないでしょうか。

今もっとも大切なことは、人間そのものを問い直すことです。原発にかぎらず、家族、職場、経済、政治、あらゆる「問題」の根源は、問題そのものにあるのではなく、すべて人間にあります。

宗祖親鸞聖人はどこまでも人間存在の愚かさを自覚することが、人間回復の道であると証してくださいました。救いには自覚が伴います。

状況によって、自分を受け止めることができないのが人間として生まれた悲しみです。しかし人間はいたずらに苦悩しているのではありません。苦悩するということは、誰もが、自分ではない感覚を破って、自分に帰れるような、これでよしと言えるものがほしいと願っているからではないでしょうか。

ですから、教えと自分は別々ではないのです。教えに聞くということは、実は本当の自分に出遇っていくということなのです。そのことを一人ひとりの課題としつつ、「報恩講」を勤めてまいりたいと思います。