蓮光寺報恩講ニュース 2021年

報恩講についてのお知らせ
11月6日(土)~7日(日)

2021年10月18日公開

昨年に引き続き規模縮小の報恩講ですが、しっかり厳修いたします。

報恩講清掃奉仕

10月23日(土) 午後2時~4時30分
(住職が月末に帯広別院報恩講に出講の為、1週間早く行います)

早いもので報恩講の季節ですね。今年も新型コロナの猛威の1年でした。そのなかで、どう生きてきたのか。阿弥陀さんと親鸞聖人の前で清掃しながら、個々にふり返っていきたいと思います。昨年もコロナ下(禍)のなかで27名の門徒さんたちが参加され、報恩講に向けて心をこめて清掃してくださいました。普段、法要や聞法会で座る本堂の清掃をしてみませんか? ただコロナの状況をよくよく鑑み、体調に不安のある方はけっして無理をしないでください。

真宗門徒にとって一番大切な報恩講です。蓮光寺役員会の皆様が、本堂の濡れ縁に張る五色幕をご寄附くださいました。報恩講への深い願いに感謝いたします。清掃奉仕では、予行練習として五色幕も張りますので、ぜひご覧ください。

報恩講

11月6日(土)~7日(日)
安心して迷うことができる道を訪ねよう!

新型コロナウィルス感染拡大防止を徹底し、昨年に引き続き報恩講の規模を縮小して厳修いたします。

  • 対面による参詣は、人数に限りがありますので、申し込み順とし、今回は、ハガキではなく、電話かFAXにての申し込みとなります。本堂での参詣は、申し込み先着順とさせていただきます。
    電話:03-3601-2034  FAX:03-5650-7023
  • 「大逮夜法要」と「日中法要」(ご満座)はZoom(ズーム)配信いたします。ご希望の方は、 CBE07907@nifty.com にメールください。URL等を送信いたします。
  • Zoom(ズーム)で視聴いただくご門徒は、ご懇志をお送りいただければ幸甚です。
11月6日(土)
午後2時〜3時30分ごろ 大逮夜法要
  • 勤行: 正信偈、同朋奉讃(弥陀大悲の誓願の)、御文(大坂建立)
  • 法話: 「聖徳太子と親鸞聖人」(蓮光寺住職)
  • お斎 お持ち帰りのお弁当をご用意しています。
  • ★「報恩講の夕べ」は中止いたします。
11月7日(日)
午前8時〜9時ごろ 晨朝法要
  • 勤行: 正信偈、同朋奉讃(弥陀成仏のこのかたは)、御文(鸞聖人)
  • 感話: 門徒2名
  • *朝食はありません。持参して召し上がるのは自由です。
午前11時〜午後12時30分ごろ 日中法要〈御満座〉
  • 勤行: 正信偈、同朋奉讃(弥陀大悲の誓願の)、御俗姓御文
  • 法話: 「聴聞 ─聴こうとする 聞こえる─」(藤浪遊先生)
  • 御礼言上
  • *手作り精進料理に代わって、お持ち帰りのお弁当をご用意いたします。

講師紹介

11月6日(土)

大逮夜法要
法話: 「聖徳太子と親鸞聖人」(蓮光寺住職 61歳)
〈住職からのメッセージ〉
今年の2月22日は聖徳太子の1400回忌でした。親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主(お釈迦様)」と仰がれています。聖徳太子は仏法をよりどころとして在家生活をされた方です。聖徳太子と親鸞聖人の関係にふれながら、真宗の教えをいただいていきたいと思います。

11月7日(日)

日中法要〈御満座〉
法話: 「聴聞 ─聴こうとする 聞こえる─」(藤浪遊先生 島根県浜田市・浄慶寺住職 53歳)
〈藤浪先生からのメッセージ〉
とてもとても緊張しています。よろしくお願いいたします。

【ブロフィール】
1968年生まれ。真宗大谷派 島根県浜田市・浄慶寺住職 東本願寺同朋会館教導として、本山に上山される全国のご門徒(奉仕団)に法話をされ、ふれあいを大切にしている。また大谷派教師資格を取るための教師修練にも関わり、これから住職になる僧侶の育成にも努めている。 蓮光寺住職とは、求道の方向性で深い信頼関係を持ち、藤浪先生の属する京都教区に2年間にまたがる伝道研修会や、ご自坊の報恩講、奉仕団にも住職を招聘されている。今回は蓮光寺住職が報恩講で待望の藤浪先生の招聘が実現した。

報恩講「清掃奉仕」を実施

2021年10月26日公開

10月23日(土)、報恩講に向けて「清掃奉仕」を実施し20名のご門徒が参加されました。

「清掃奉仕」は報恩講1週間前に行いますが、今年は住職が帯広別院報恩講に出講中ということで、2週間前に行いました。初参加のご門徒もおりましたが、みな和気あいあいと清掃を楽しんでいました。

そして、今年の報恩講から「五色幕」を張ることになり、「五色幕」を張る練習もしました。皆「五色幕」を手にとってとてもうれしそうでした。

感染者が激減したとはいえ大人数での法要はできませんが、今の現状でも、一人ひとりが親鸞聖人が明らかにされた阿弥陀さんの教えを聞き開いていくことが何よりも大切なことだと「五色幕」を見ながら感じたことでした。

蓮光寺報恩講は11月6日(土)~7日(日)に厳修されます。

蓮光寺報恩講2021 大逮夜法要法話 11月6日(土)

2022年3月4日公開

「聖徳太子と親鸞聖人」 蓮光寺住職

倭(わ)国の教主

今日は、ご案内の通り、「聖徳太子と親鸞聖人」というテーマで法話をさせていただきます。どうして聖徳太子なのかというと、622年(推古30年)2月22日が太子の命日とされており、今年の2月22日が太子の千四百回忌だったのです。その上、親鸞聖人にとって、聖徳太子の存在は計り知れないものがありまして、親鸞聖人が苦悩の中で、生活を通して本願念仏の教えを顕かにしていくうえで、聖徳太子はなくてはならない存在だからです。今年は親鸞聖人の報恩講でありますけれども、聖徳太子の報恩講ということも含めてお二人の関係から、阿弥陀さんの教えを聞いていきたいと思っております。

聖徳太子(574~622年)には決定的な伝記はありませんが、最も古い資料は『日本書紀』(720年)に見ることができ(それ以前に伝記があったという説もある)、その後、日本仏教の開祖とする伝記、絵伝が作られ、太子信仰が広まりました。親鸞聖人も、聖徳太子を「倭国の教主」(日本の釈尊)として仰がれています。教主といったら、釈尊(お釈迦さま)のことを指します。それから救主、これは教えそのもののことですから、阿弥陀さんですね。阿弥陀さんという人はいません。阿弥陀さんといっても教えそのもので、方便(真実に導く手立て)として形となって私たちに呼びかけられているのです。阿弥陀さんの教えを聞いた方が釈尊ですね。だから私たちは釈尊の仏弟子として、釈尊に続いて、阿弥陀さんの教えを聞く者として、法名には必ず「釋」(釈)の字がつきます。ただ釈尊の時代はまだ出家修行という形でしたが、釈尊の修行の真似をするのではなく、阿弥陀さんの教えを聞かれた釈尊の精神を、生活を修行の場、苦悩の生活を縁として教えに出遇っていく道を開いたのが親鸞聖人です。親鸞聖人の法名も「釋親鸞」です。ですから、私たちは救主としての阿弥陀さん、教主としての釈尊、釈迦弥陀二尊教と言いますけれども、こういう形で私たちは教えをいただいているわけです。そして、親鸞聖人は聖徳太子を「倭国の教主」、日本の釈尊だとまで言い切っておられるわけです。

『正像末和讃』のなかに収められている『皇太子聖徳和讃』に

「和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ」(真宗聖典 508頁)

とあります。

(現代語訳)「日本に初めて仏教を説き広めてくださった『日本の釈尊』である聖徳太子の広大な恩徳はどれほど報謝しても尽くせるものではありません。一心に弥陀の本願に帰命し、ほめたたえ続けるがよろしいでしょう。」

親鸞聖人は、政治家という厳しい世界にありながらも、仏法をよりどころとして在家生活をされた最初の方として、聖徳太子を篤く敬っておられただけではなく、本願念仏の教えに導く方として太子に深く頭を下げられていたのです。

仏教伝来は欽明天皇の時の538年が一番有力な説になっています。本当は伝来ではなく、公伝です。当時は、国と国との関係の中で様々なものが伝わるのです。朝鮮半島の百済という国が大和朝廷に仏教を伝えたので公伝なのです。そして仏像とか経典が入って来たのです。

仏教が公に伝わった。ところが、仏教が伝わって来たときに多くの豪族たちは、日本の神々の一つとして仏教を受け入れたのです。つまり、教えに生きたわけではないのです。はじめに教えに生きた人が聖徳太子でした。ですから太子をもって、真に仏教が日本に伝わったということができるでしょう。聖徳太子が、初めて仏教の教えをいただいて在家生活をされたのです。聖徳太子はお坊さんではありません。皆さんのように在家生活をされている。ですから聖徳太子が在家生活をしたということに親鸞聖人は大きな影響を受けたのです。親鸞聖人が本願念仏の教えをいただいていくうえで、必ず重要な場面で聖徳太子が関係してくるのです。それは「夢告」というお告げの形で聖徳太子が現れるのです。後ほど詳しく話しますが、夢のお告げというとちょっと嘘くさく聞こえますけど、夢ということが大事なのです。当時は親鸞聖人に限らず、多くの高僧たちが本当に仏教の問題を真剣に考えた時に必ず夢告という形で、その問題を明らかにしていくんですね。真剣な仏道の歩みが夢にまでなって出てくるのです。例えば、初恋の頃の夢を見たいなと思っても出てきませんね。見たいなあという程度ではなかなか実現しません。しかし、重要な問題を5年も10年も考えていたとしたら、夢にまでなって出てくるではないですか。ずっと自分の問題を、苦悩の問題を、ずっと課題としていたら、夢にまで出てくる。夢にまでなって出てくるというのは非常に大事な事なのです。聖徳太子の夢告によって、親鸞聖人が本願念仏の教えを確固たるものにしていくわけです。

親鸞聖人がお書きになった聖徳太子のご和讃だけで200首もあり、『正像末和讃』の中にそのうちの『皇太子聖徳奉讃』11首が納められています。あとは独立して聖徳太子の和讃があるわけです。『浄土和讃』は118首、『高僧和讃』は117首、『正像末和讃』は116首です。聖徳太子の和讃だけで200首、これは相当な数ですね。それだけ親鸞聖人は聖徳太子を敬っておられたのです。

聖徳太子のイメージ

近年、聖徳太子は実在しなかったのではないかとか、業績が後世の創作ではないかという研究結果もありますが、太子は、古代国家成立に尽力された政治家であり、日本に仏教を広め、今日においても太子信仰が生き続いているのは紛れもない事実です。この事実こそが重要です。

宮内庁蔵

歴史で証明されるのか、されないのかということも大事ですけれども、伝承として伝わってきていることは、実際に太子信仰が時代を貫いて生き生きと根付いていたということです。これは否定できないということです。私は高校で社会科を受け持っていたのですが、主に世界史だったので、日本史を一度も受け持たなかったのです。もし日本史を担当したら、聖徳太子と言わず、厩戸皇子と教えていたかもしれません。馬小屋の前で生まれたので厩戸皇子いう名前がついているわけで、他にも太子の名前はいくつもあります。現在の中学校の教科書は「厩戸皇子(聖徳太子)」となっています。小学校は、確か「聖徳太子(厩戸皇子)」だったと記憶しています。聖徳太子という名前は、実は太子が亡くなってから、そう呼ばれるようになったのです。太子が亡くなって太子信仰が広まる中で、聖徳太子と呼ばれるようになったのです。そして太子信仰は今日まで広く信仰されているのです。

聖徳太子というと、一般的には、1万円札の聖徳太子のイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。まずこの聖徳太子の絵像を見てください。これどなたかに似ていませんか。明治天皇です。聖徳太子が政治家にとして注目されたのは、特に近代に入ってからなのです。聖徳太子は、十七条憲法を作り、遣隋使を派遣し、中国の隋という大国にも対等に付き合った素晴らしい政治家だと。大日本帝国のなかで聖徳太子が利用されていくということもおこります。政治家としての聖徳太子が脚を浴びるのは近代になってからでしょうね。それ以降、学校では政治家としての聖徳太子を学ぶことが主となっていますが、やはり太子信仰の伝統がありますから、法隆寺を建てたとか、仏教を篤く取り入れたということも教えているようです。

【1】南無像

ところが、私たち真宗門徒に限らず仏教徒のイメージは、やはり在家仏教者たる聖徳太子です。次の写真【1】を見てください。これは「南無像」と呼ばれていますが、うちのお寺にはありませんけれども、色々なお寺に安置されております。この像南池袋の顕真寺様の像です。2歳の太子が、釈尊の入滅された2月15日に赤い袴姿で東に向かって合掌し「南無仏」と称えたという伝承があり、それだけ仏教に深く身を捧げていた太子の姿があります。歴史的に見ても、仏教を取り入れた蘇我氏と非常に深い関係がありましたから、仏教の世界の中で聖徳太子は育っていったわけです。ですからこういうような伝承が作られるのもまったく不思議ではないのです。本当に手を合わせていたのか、合わせていないのか、証明できるかが問題ではなくて、聖徳太子はいかに子どものころから仏教の世界で育ってきたのかということを示す大切な像なのです。

【2】

次の写真【2】を見てください。うちのお寺の内陣の左側(本尊・阿弥陀如来から見て左)に軸がかかっていますね。それを写して、ここに掲載したものです。これは16歳(14歳の説あり)の聖徳太子が柄香炉を持って、病に倒れた父親の用明天皇を憶う姿を示したものであり、多くの真宗寺院に安置されています。だから仏教に帰依しながら青年の聖徳太子は「お父さん、どうか病気が治ってください」と心配し、父親のことを憶っている姿だと言われています。用明天皇は即位して2年で亡くなってしまいますけれども、この太子孝養像を見ても常に仏教とともにあったということです。

【3】

蓮光寺には、もうひとつ太子像があります。見えますか? 見えにくい方は、写真【3】をご覧ください。笏(しゃく)をもっているのです。柄香炉が笏に代わった像で、おそらく政治に携わりながらも、お念珠を持ち仏教の教えを大切にしていることを示しているのではないでしょうか。いずれにしても、お念珠を持っているのが特徴ですね。太子は、二十歳の時に推古天皇の摂政になっています。その頃の太子の姿かどうかはわかりませんが、太子孝養像の太子と年はたいして変わらないかと思います。不思議なことに蓮光寺には2つの太子像があるのです。純粋な仏教者たる聖徳太子の孝養像と、政治を行なう上でも、つまり在家生活をしながら仏教の精神を絶対に生きる中心にしていた聖徳太子の像。こういただいているわけです。太子像のとなりに七高僧の軸が掛かっているのですが、『正信偈』に登場する7人の高僧です。阿弥陀さんの教えが、釈尊に続いて、龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空に継承され深められていくわけです。源空というのは法然上人のことですね。そして親鸞聖人に伝わって来たと。これは教えの系譜、教学の系譜といっていいと思いますが、聖徳太子は、生活、信心生活の系譜として親鸞聖人は七高僧とは別に信心(安心・あんじん)の系譜として聖徳太子を敬っておられたのです。

聖徳太子のお言葉

時間にかぎりがありますので、聖徳太子の言葉に少し触れながら、いかに深い仏教者であったかということを皆さんといただいていきたいと思います。

まず十七条憲法に少しふれてみます。この憲法は、政治に関わる官僚の規範や道徳を示したものですが、内容は仏教精神がちりばまれています。その代表たる条文は、「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・宝・僧なり」(963頁)です。法話の前に「三帰依文」を唱和しましたが、聖徳太子は、本当の「和」が成り立つのは、仏教の教えに帰依することだと了解していたのです。真宗聖典に十七条憲法が載っていることは注目に値します。聖典には、『浄土三部経』、『教行信証』(『正信偈』もここに収められている)、『和讃』、『歎異抄』とか、様々な聖教(しょうぎょう)が載っています。そのなかに十七条憲法が加えられている。それは、今でも通じる普遍的な内容があるからです。ですから、官僚に書いたものあるけど、今の私たちに呼びかけているものと読むべきだと思います。仏法僧の三宝に帰依するということが教えに遇う要なのです。

十七条憲法をもう一つとりあげます。

「彼是(よみ)すれば、我は非(あしみ)す。我是(よみ)すれば彼は非(あしみ)す。我必ず聖に非(あら)ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫(ただびと)ならくのみ。」(965頁)

(現代語訳)「相手が良いと思うことを自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても相手がそれをよくないと思うことがあるものです。(だからなかなか和というのは成り立たない)自分が聖人で相手が愚人だと言えるわけなどありません。皆ともに凡夫なのです。」

と聖徳太子は呼びかけています。私もあなたも愚かな凡夫だなという平等の地平が開かれるのです。私は正しい、私に正義があるという時は必ず争いが起きるのです。正義のために戦争をするではないですか。その正義を振りかざしているのが政治の世界ですから、聖徳太子は仏教の教えこそが政治の世界でも核となることを身に染みて感じていたと思います。現在も、台湾、ウクライナ、イランあたりで戦争が起こりかねない状況にあります。凡夫の地平の大切さを感じずにはおれません。

聖徳太子は人間の愚かさを自覚されていたのです。そのことをお言葉にされています。

「世間虚仮、唯仏是真(せけんこけ ゆいぶつぜしん)」
世間は虚仮なり。唯仏のみ是れ真なり。

太子の死後、妃の橘大郎女(たちばな の おおいらつめ)は太子を偲んで天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)を作りました。この言葉は、大郎女が太子から直接聞いたものとして繍帳に織り込ませたものです。後に太子の伝記である『上宮聖徳法王帝説』(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)に記録されたものと伝えられています。

『日本書紀』よりも『上宮聖徳法王帝説』のほうが一番聖徳太子のことを語っている書とも言われています。世間虚仮、「虚仮」とはどういうことかというと虚しいということです。虚というのは本当ではないということです。仮のものです。例えば現代で言えば、経済を一番大事にしていくうちに、生産性のある人が価値ある人間だという風潮を作り出しました。だから社会の中で役割を果たすことで生きる意味を感じていくわけです。それは社会から評価される自己でする。外のものを自分として生きているけれども、それは続くものではありません。老病死の問題を考えれば容易にわかることです。それに生産性のある人間でも、大きな経済システムに閉じ込められて何で生きているのかわからなく生きづらさを感じているのではないでしょうか。むしろ人間疎外という問題が生じているわけです。経済は大事だけれども、それだけでしか世界を持ってないと自分を見失ってしまう。そこで「世間虚仮」を考えてみると、そんなに難しくないと思います。それに対して仏様の世界のみが真実を私に呼びかけてくれるんだとおさえることができると思います。だから「唯仏是真」というのは自分の思い、人間は不確かなものだということを自覚させる言葉です。自我分別をよりどころとするのではなくて、唯仏是真というのは仏様の教えを生きるよりどころとしていくんだと。こういうふうにいただいたらどうでしょうか。

聖徳太子は仏教の教えを中心としながら自分が目指している理想の政治を行なおうとしたら、その政治を批判する者がかなりいたようです。政治の世界は争い、陰謀とか消えませんから、聖徳太子は「私は正しいことをやっている」と主張すればするほど政治の世界が荒れるわけです。太子は自分は正しいという根深い「我執」の問題に目覚めるのです。だから我を張っていてはだめだということを政治の世界のなかで、気がつかれたのです。だから愚かな凡夫ということの大切さを自覚されたのです。一人ひとりが凡夫(ただびと)の自覚を持つことが出発点なのですね。「世間虚仮、唯仏是真」どこまでも私は愚かな凡夫であり、自己執着から離れていかなければならん。こういうことを生活の苦悩、政治の世界に身をおいた太子が仏教の教えにふれて、この言葉を噛みしめられたのです。

親鸞聖人も同じことをおっしゃっています。『歎異抄』を学んだ方はご存知だと思いますが、『歎異抄』後序に「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(640~641)とあります。

(現代語訳)「あらゆる煩悩が具わっている私たち、そして、まるで燃えさかる家のように激しく移ろいやすいこの世界は、すべてが嘘偽りや絵空事であって何ひとつ真実はありません。ただ南無阿弥陀仏だけが真実なのです」

どうですか? 聖徳太子のお言葉に通底していますね。私たちは業縁存在なのです。縁があればどんなことを考え行為するかわからない存在です。人間には自由意志があるようなことを言われているけれども、縁に遇う存在の人間が、ゼロから始まる自由意志など実は持っていないのです。私たちは縁に遇う存在なのです。例えば、年老いた認知症の母親を独身の息子が家で大切に面倒を見ながら生活をしていたけれども、自分が介護に疲れてきてしまったら、最愛の母親を殺してしまったというような事件って結構あるのではないでしょうか。そんなことはしないと思っていても、縁次第ではわからないのです。やはり凡夫なのです。また逆に、ぐうたらおやじにしか見えない人が、駅のホームから小さい子供が落っこちた時、思わず助けたということもありますね。ですから、すべて縁次第なのです。今日ここに座っているのも縁ですね。今日はいい晴れて暖かい。でも冷たい雨が降っていたら「休もうかな」という気持ちになったりしますね。そういう存在なのです。だから火宅無常の世界であって、状況によってコロコロ変わるから、あやふやな人間がこれは正しい、これは間違っているっていうことは決して言えないんだと思わされます。そのことを知らしてくれるお念仏の呼びかけだけが本当だと。親鸞聖人と聖徳太子は深く繋がっているなという感じますね。

聖徳太子の夢告

親鸞聖人が本願念仏の教えを顕かにしていくうえで、聖徳太子からいくつかの夢告を受けるのですが、そのうちの代表的な夢告を2つだけ挙げておきます。

親鸞聖人が本願念仏の教えに出遇う上での大切な出来事は2つあります。一つは法然上人に出遇ったということです。その法然上人に出遇えたのは、聖徳太子の夢告なのです。もう一つは、信心の問題です。

まず法然上人との出遇いについてです。親鸞聖人は9歳の時に出家得度してお坊さんになります。当時はまだ出家の形をとったのです。親鸞聖人がお坊さんになった動機は、当時は源氏と平家の戦いで世の中が乱れていましたし、今と同じように感染症、疫病が流行ったり、飢饉が起こったりして、非常に不安定な世の中だった。混迷する世の中にあって仏法を求めたということもあるでしょう。しかし、一番大きな動機は、親鸞聖人のご両親の問題だと思うのです。お父さんは、親鸞聖人が四歳の時、お母さんは、8歳の時に亡くなっているのです。両親を失って寂しさに苛まれていたことでしょう。そういう悲しみのなかで、親鸞聖人は、ご両親が死んでいくのを見て、自分も死ぬのだなと痛感されたのですね。「死んでいくのになぜ生きるのか」ということが、両親の死を縁にして、親鸞聖人が問われたのだと思います。この問いを顕かにするために仏法を求められたのです。真宗の法事の要を思い出してください。「亡き人を偲びつつ、如来のみ教えに遇いたてまつる」ということですね。亡くなった人を偲びながら、死んでいく身をどう生きるか、なぜ生きるかを、教えに訪ねていくことが真宗の仏事の要ですね。真宗の仏事は、親鸞聖人のご両親の死に原点を見ることができます。親鸞聖人は、常にご両親と出遇い直しをしながら、教えを求めていかれたのです。

親鸞聖人は、20年間比叡山で修行を積みました。常行三昧堂で堂僧をしていたと伝えられています。ところが、20年間どんな行を積んでも救われなかったのです。親鸞聖人が怠け者だったということではありません。むしろ、これが本当ではないかと思います。皆さん、自分のこととして考えてください。迷いの構造を持つ自我分別をもった人間が、自分の力で自我分別を破ることはできるのでしょうか。できるという人は、それでいいでしょう。しかし、親鸞聖人は人間をごまかさなかったのです。それは凡夫という問題にもつながっていくのですが、けっして自分の力で覚ることはできなかったのです。親鸞聖人は、法然上人の噂は聞いていたと思います。法然上人のもとに、生活に追われている様々な民衆が集まって、お念仏の教えを聞いている。その法然上人のもとへ訪ねて行こうと考えるようになっていったのです。そして29歳の時、親鸞聖人は比叡山を去ることになったのです。

しかし、そのことで非常に悩まれていたのです。山を下りるということは、戒律を破ってしまう破戒僧になってしまうのではないかという問題です。聖徳太子信仰の拠点であった六角堂に百日間籠り、聖徳太子に進むべき道を仰ぐわけです。そのことが『恵信尼消息』に書かれています。

恵信尼さんは親鸞聖人の奥さんです。この『恵信尼消息』というお手紙が大正10年に西本願寺の宝物館から発見されたのです。このお手紙が発見されたので、親鸞聖人は実在しなかったという説が覆されたのです。近代は、何でも証明されなければ存在を否定するのです。親鸞聖人は、自分のことをほとんど書物に書いたりしないので、実在しなかったのではないかと言われていたのです。恵信尼さんは、親鸞聖人から聞いたことを書き綴ったことから、親鸞聖人は実在していたことが証明されたわけです。

「山を出でて、六角堂に百日こもらせ給いて、後世を祈らせ給いけるに、九十五日のあか月、聖徳太子の文をむすびて、示現にあずからせ給いて候いければ、やがてそのあか月、出でさせ給いて、後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、たずねまいらせて、法然上人にあいまいらせて、」(『恵信尼消息』(616頁)

とあります。

(現代語訳)「親鸞聖人は比叡山を下りて、六角堂に100日間お籠りに入られ、これからの生きる道を求めて祈っておられたところ、95日目の明け方に、夢の中に聖徳太子が偈文をもって現れて、お告げを授けてくださいました。やがてまだ暗いうちに六角堂を出て、これからの人生において、救われる教えに遇いたいと、法然上人のもとを訪ね、上人と遇われたのです。」

六角堂は、太子信仰の拠点です。聖徳太子は救世観音菩薩の形で現れた。太子信仰のなかで救世観音菩薩の化身、生まれ変わりと讃えられていたのです。恵信尼さんも、親鸞聖人を観音菩薩の生まれ変わり、法然上人を勢至菩薩の生まれ変わりだと敬意を表しておられます。

95日目の明け方、聖徳太子(救世観音)の夢告を受けて、それから5日間夢告をくり返し確認しながら、本願念仏の教えを説く法然上人の吉水の草庵を訪ね、そこでもまた100日間慎重に受け止めながら、法然上人から念仏の教えを聞き続け、ついに門弟となったのです。破戒の問題で言えば、破壊ではなく、お念仏の教えは無戒であるとうなずけたのでしょう。つまり本願念仏からの呼びかけ、阿弥陀さんからの呼びかけ、真実からの呼びかけを聞かせていただき、自己を明らかにするという教えですから、無戒なのです。法然上人との出遇いも、聖徳太子のお導きだと親鸞聖人は喜ばれておられるのです。

ところで、聖徳太子の夢告で『女犯偈』(にょぼんげ)という偈文を親鸞聖人を授かるのです。これはそのまま女を犯すと読んではならないのです。では、どういうことか。まず『女犯偈』を読んでみましょう

「行者宿報設女犯(ぎょうじゃしゃくほうせつにょぼん) 我成玉女身被犯(がじょうぎょくにょしんぴぼん) 一生之間能荘厳(いっしょうしけんのうしょうごん) 臨終引導生極楽(りんじゅういんどうしょうごくらく)」 (『御伝鈔』 725七二五頁)

(現代語訳)「行者(親鸞聖人)よ、はるか昔からの業の報いによって、僧侶は妻をめとってはならないとされていた戒律を破って女犯するならば、私は玉のような美しい女性となり、あなたの妻になりましょう。そして、一生涯、(生活のなかで)仏道をともに歩み、いのち終わる時、私の生涯はこれで十分であったと深いうなずきをいただいて、浄土にともに参りましょう。」

ここにも戒律の問題が出てきます。親鸞聖人が破戒について悩まれていたことが夢にまでなっている。それを聖徳太子が丁寧に説かれ、法然上人のもとに訪ねる決心をし、法然上人の教えは「無戒」であったとうなずかされるわけです。

「女犯するならば」という言葉は、いやらしいように聞こえるかもしれませんが、これは、要するに誰かを好きになって結婚生活をするということを表現しているわけです。結婚生活をするのが悪かったら、ここにも悪い人がいっぱいいるじゃないですか(笑)。僧侶と言っても、愚かな凡夫だということを親鸞聖人は感じておられた。ですから、縁があれば人を好きになることもある。まさしく業縁存在ですね。生き物を食べなければ生きていけないではないですか。だから「いのちをいただきます」と言ってから食事をしますね。コロナ下で食料が手に入らない人たちがいる中で、〇〇委員会は選手用の弁当の大量破棄をしています。こういうことは問題ですが、生き物を食べなければ生きていけない。人を好きになることもある。そういうことを親鸞聖人はごまかさなかったのです。こうして親鸞聖人は在家生活者として阿弥陀さんの教えを聞き続けられたのです。

「あなたの妻になりましょう。そして一生涯、生活のなかで仏道をともに歩み、いのち終わる時、私の生涯はこれで十分であったと深いうなずきを今ここにいただいて、浄土にともに参りましょう。」まさしく在家仏教ですね。誰もが生活を通して、お念仏を聞き開く道を開いたといただく偈文です。くり返しますが、破戒ではなく、無戒です。生活を通して、本願から出発する仏道に目覚めていくわけです。

人間の欲というと、例えば、食欲がある、睡眠欲がある。それから性欲、これは愛欲と表現しておきます。それで愛欲というのは、食欲とか睡眠欲とはちょっと違うのです。どう違うのかというと、相手がいるということです。これは人間関係のことです。別に恋愛だけを指しているわけではないのです。あの人は良い人と思っていたけれども、あの人とは付き合い切れないという人はたくさんいるじゃないですか。だから「女犯」という言葉に代表されるのは人間関係のことです。その中で愛憎という問題がはっきりするのは男女関係ですよね。それを表に出しているということは、そのことも含めてあらゆる人間関係の中で、いつも私たちは煩悩生活をしているということを自覚させられる言葉なのですね。女を犯してもいいよ。私がその女になってあげる。そんな話ではないのです。そうではなくて本当に私たちは煩悩の塊、凡夫なんだと。その凡夫が救われる道は何なんだと。だから聖徳太子が在家生活をしなさいと、法然上人のところに行かせてくれたわけですね。

法然上人の本願念仏の教えに出遇って、親鸞聖人は「雑行(ぞうぎょう)を棄てて、本願に帰す。」(『教行信証』 309頁)と言い切られたのです。雑行というのは言葉が難しいですが、自分の力で何でもできると思っている人が様々な行を積むことを雑行とおさえたらいいかなと思います。「雑行を棄てて本願に帰す」ということは、自分たちは自分の思い(自我分別)で生きるしかないけれども、その思いをよりどころにするのではなくて、迷い多き私を照らす本願をよりどころにする。本願が南無阿弥陀仏と呼びかけになってはたらく世界が浄土ですね。親鸞聖人は、そこに帰依していきますとはっきり宣言しました。29歳の時です。罪悪深重、私はそんな悪いことしてないのになぁという人がいるかもしれませんけれども、私イコール煩悩なのです。私イコール罪なのです。これははっきりしないといけません。つまり罪悪深重という言葉は、悪いことをしたということがあるかもしれないけれども、行為を問題にしているのではないのです。仏教は存在を問題にしているのです。つまり、自我分別を持っていることが罪悪なのです。さっきも話したように、一生懸命母の介護をしていたら、疲れてきてしまって、愛する母を殺して自分も死のうというように変わってしまう。そういうことは人間に起こるのです。何度も言いますが、業縁存在なのです。罪悪深重の凡夫とは、阿弥陀さんが私たちにつけてくれた名前なのです。ところが自分が凡夫であることすら気づかない。まさしく罪悪深重の凡夫なのです。

信心の問題と聖徳太子の夢告

信心について確認しておきましょう。信心が足りないとか、信心深いとかいいますが、それは自分が教えを信じているのです。自分の尺度で信じるか、信じないかという話です。自力の信です。常に自分がという視点ですから、状況によって変わっていってしまうのです。あなたを信じているといっても、状況によっては信じられなくなりますね。親鸞聖人が明らかにした信心は、教えが聞こえてくる、教えに頭が下がる、身に響くという形で、自分のあり方が破られることをいうのです。そこには自分の意識が入らないのです。教えが聞こえてきて、頭が下がることを信心と言うのです。この信心が法然門下の中ではっきりしていなかった。法然門下でも、信心の問題で諍論がおきています。親鸞聖人が「法然上人と自分の信心は同じだ」と言うと、そこにいたお弟子さんたちは「とんでもない思い上がりだ」と言うわけです。法然上人は「信心が違うというのは、自分の努力で何かを信じるという自力の信なら言えることだが、源空(法然)の信心も、善信(親鸞)の信心も、阿弥陀さんからいただいた信心だから、まったくひとつなのだ」と答えられた。これについては『御伝鈔』や『歎異抄』に取り上げられています。この信心の問題を深めていく上で、聖徳太子の夢告が出てくるわけです。

ところで、法然上人は『選択本願念仏集』で、「三経一論」といって、『大無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の三経と、天親菩薩の『浄土論』一論を教えの要としているわけですが、実は『浄土論』の内容については一切書かれていないのです。『浄土論』に注釈をつけたのが曇鸞大師の『浄土論註』ですが、「回向」を問題にしているのです。信心は阿弥陀さんからいただいたということは、回向されたわけですね。法然上人は、こちらから回向するものは何もないと「不回向」とおっしゃったけれども、親鸞聖人は『浄土論』『浄土論註』を通じて、回向の教学をはっきりさせたいと。私は、法然上人と親鸞聖人のお二人によって、浄土の真宗が顕かになったと思っています。法然さんは、回向の問題を親鸞聖人に託されたのです。それで、当時「綽空」という法名であった名前を法然上人は、天親菩薩と曇鸞大師の名をとって「親鸞」という法名を付けてくださったのです。実は、このことも聖徳太子の夢告が関係しているのです。親鸞、これは天親菩薩の「親」と曇鸞大師の「鸞」を組み合わせた名前です。親鸞聖人は、他力といっても如来からの本願力だと。他人任せということとはまったくちがうと。如来の本願力回向ということをはっきりさせたのが親鸞聖人なのです。

聖徳太子の夢告を受けたことについて、『教行信証』化身土巻に「夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢りぬ。」(399~400頁)とあります。

(現代語訳)「また、私は、夢のお告げをいただいて、綽空という名を改めて「親鸞」という(法)名を、同じ日に法然上人は自らその名を書いてくださいました。」

この「名の字」については、今まで「善信」説が有力でしたが、「善信」は房号であると思います。私は、本多弘之先生の「親鸞」説をいただいています。何歳になっても親鸞聖人は自分のことを善信と言ってみたり、親鸞と言ってみたりしていましたが、法名をふたつ持って、使い分けることなどしないでしょう。それに、もしここで親鸞という名前をいただかなかったらどこでもらったのでしょう。今までの説では越後です。「法然上人に騙されても私は後悔しない」とまで言った親鸞聖人が越後に流された時、善信という名前をいとも簡単に捨てて、自分で勝手に親鸞と名前をつけることなどあり得ないことですし、第一、法名は自分でつけるものではありませんからね。法然門下になってすぐに、親鸞聖人は信心を問題にしていたわけですよね。それで法然上人が親鸞聖人に回向の問題を明らかにせよと託したのでしょう。ですから、本多弘之先生がおっしゃるように「名の字」は「親鸞」だと思っております。

さらに、『皇太子聖徳和讃』に、

「聖徳皇のおあわれみに 護持養育たえずして 如来二種の回向に すすめいれしめおわします」(508頁)

とあります

(現代語訳)「聖徳太子は、ずっと私たちをあわれみ、絶えず私たちを護り育ててくださいました。そして如来の二種の本願力回向(往相<おうそう>回向・還相<げんそう>回向)によって、念仏申す身となり、信心をいただくことをおすすめになられました。」

往相と還相の二種の回向が出てきまして、定例の聞法会ではよくお話しいたしておりますが、今日はあれもこれもということになるので、ごく簡単にお話しします。如来の二種の本願力回向、往相回向と還相回向といっても、ふたつあるわけではありません。曇鸞大師が敢えてふたつにお開きになったわけです。辞書を見ると浄土に往く姿が往相、往くわけですから、浄土に往って戻ってきて人々を教化するのが還相とありますが、よくわかりませんね。誰が教化するというのでしょうか。往相も還相も如来の本願力回向であることは声を大に言っておきたいと思います。

安田理深先生は、「如来の還相の心に生きる、それが我々の往相である。」と端的に述べられておられます。そうですね、例えば、法然上人を慕われている親鸞聖人、なぜ慕っているか、それは法然上人の性格を慕っているのではありません。法然上人を法然上人たらしめるはたらきが本願ですね。本願に生きる法然上人を慕っているわけで、その本願が還相回向のはたらきなのです。それをいただいた親鸞聖人は往相の歩みをはじめるわけです。だから往相回向も還相回向も、如来の本願力回向なのです。また法然上人自体は往相の歩みをしているけれど、それを受け取る親鸞聖人は還相として受け取られるのです。その本願を親鸞聖人がいただいているわけです。

明日の結願日中でご法話をいただく藤浪先生ですが、藤波先生を慕うのは、もちろん先生の性格もあるかもしれないけれども、やはり先生の中にはたらいている本願を私が感じさせてもらった時に、これは藤浪先生のなかにはたらく本願から私への還相回向なのです。だけど藤波先生の姿は往相のかたちをとります。まあ。またゆっくり話します。とにかく本願に生きている人に出遇うことが大事ですね。

『教行信証』の「夢の告に依って」と『皇太子聖徳和讃』の「如来二種の回向に すすめいれしめおわします」ということで、親鸞聖人が回向の教学を確立される上で、聖徳太子の存在はあまりにも大きかったと言えるのではないでしょうか。

聖徳太子と親鸞聖人

最後に『皇太子聖徳和讃』2首にふれて終わりにしたいと思います。親鸞聖人は、聖徳太子を両親のように感じ取られ、また本願念仏の教えに導いた方として敬われていたことを深く感じる和讃2首を紹介いたします。

「救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して 多多のごとくすてずして 阿摩のごとくにそいたまう」(507頁)

(現代語訳)「救世観音菩薩は、聖徳太子としてこの世に現われて、慈父のように慈しみ、悲母のようにあわれみ護ってくださいます。」

「多多」はお父さん、「阿摩」はお母さんのことです。親鸞聖人が4歳の時に父親、8歳の時に母親を亡くして寂しい思いをしたけれども、親鸞聖人は聖徳太子をまるで両親のように見ていらっしゃったのですね。在家の生活者たる親鸞聖人の表現だと思いますね。

そして、本願念仏の教えに導いてくださった。在家生活の苦悩の上に本願がはたらきでるのですね。

「聖徳皇のあわれみて 仏智不思議の誓願に すすめいれしめたまいてぞ 住正定聚」(じゅうしょうじょうじゅ)の身となれる」((508頁)

(現代語訳)「聖徳太子が私たちを哀愍(れんみん・悲しみあわれむ)なされ、仏智不思議の誓願(本願)をすすめてくださったおかげで、正定聚不退の位にはいらせていただく身となったのです。」

また、「正定聚」という難しい言葉で出てきましたが、これも定例の聞法会ではよくお話をしますが、簡潔に言えば、信心をいただいた人は、阿弥陀さんの教えによって、必ず浄土に往生して、仏となる身とさせていただくのです。でも間違わないでください。私たちは、一生迷いの身ですから、仏になったわけではないです。なったわけではないけれど、私たちの迷いの在り方が、阿弥陀さんによって翻されて、罪悪深重の凡夫という自覚を通して、現実と真向かいになって生きていくことができる、そういう世界をたまわるのですね。いつも私が言っている「安心して、迷うことができる生活」ということでしょう。迷いの上に本願がはたらくのです。如来の眼から人生を見つめ直すといってもいい。私たちはどこまでも凡夫の身です。その凡夫が、信心をいただくことで、仏となる方向性をいただく、「因」をいただくのです。そのことも聖徳太子が本願の教えをすすめてくださったからだと、親鸞聖人は頭を下げられるのです。

そういうことで長々と話してきましたけれども、聖徳太子が歴史的に実在したか、しいないかということは、専門家に任せればいいことであって、聖徳太子の信仰がずっと続いてきたことは間違いありません。親鸞聖人は聖徳太子の夢告によって本願念仏の教えをいただいていったわけです。他にも聖徳太子の夢告は19歳の時にも受けているし(磯長の夢告)、また、『正像末和讃』の冒頭の「弥陀の本願信ずべし」の和讃は夢告によって書かれていますが、そこまでは話す時間がありませんからここまでにしておきます。今日は特に法然上人との出遇い、それから信心、本願力回向を明らかにしていくという真宗の教えの要のところでも聖徳太子の夢告が大きな影響をもたらしている。このことを大事にしていただけたらと思います。

親鸞聖人にとって、聖徳太子の存在がいかに大きかったかが感じられたらありがたいことです。大逮夜法要では、親鸞聖人と聖徳太子の報恩講として法話させていただいたことでございます。

どうもご清聴ありがとうございました。

蓮光寺報恩講2021 晨朝法要・門徒感話 11月7日(日)

2022年4月17日公開

西川雅孝世話人(釋真敬)

私は、お内仏の前で寝起きをしていますが、朝起きると、ご本尊にお参りをしてから、両親の写真を見るのですが、本当によく育ててくれたなということを毎日感じさせていただいています。

子どものころは、名古屋に住んでいましたが、祖母に「悩んで悩み続けないと、お浄土にふれることはできないよ。そしてはじめて人間は無明であることを自覚するのだよ」といつも教えられてきました。子どもでしたから、「無明ってなんだろう」と思いつつ、それが成長してから様々な問題にぶつかっていくと、その祖母の言葉が聞法の道に入るきっかけになりました。

その後、蓮光寺さんをはじめとして、縁ある人々によって導かれました。今、76歳ですが、様々な問題を抱えています。人間は一生問題を抱え続けるのです。無明がいいとか悪いとかではなく、無明である私が照らされることによって、私が翻させられる阿弥陀さんのはたらきを感じながら、現実に真向かいになって生きていきたいと思います。

谷口裕教化委員(釋裕遊)

今回の報恩講は、はじめて五色幕を張り、報恩講をお迎えしました。ホームページの背景にまずその画像が出てきますので、ご覧いただけたらと思います。

私事ですが、去年車を替えました。それまでは車なんて走ればいいと思い、7万円のボロ車だったのですが、今回たまたま古いながらきれいな車が安く手に入 りました。ボロ車は洗車などしなかったのですが、きれいな車になると洗車をしなければと考えるようになり、でも洗車も大変だからコーティングをしたのです。コーティングできれいになると、錆びたホイールも替えないといけない。屋根の塗装が傷みだしましたが、修理見積もりは10万円以上なのであきらめまし た。

車は走ればいいと思っていた私が、きれいな車を持つと細かいことが気になる。教えに照らすとまさに業縁存在、そして煩悩には際限がないことを感じ、阿弥陀さんの教えが車の形をとって私の姿を照らしてくれました。

原惠子総代(釋尼惠真)

ここ数年、蓮光寺さんを支えてくださったご門徒さんたちが次々と亡くなり、また教化事業の中心となってくださっている門徒倶楽部の方も、遠方に出張されたり、体調をくずされている人も出て来たりで、大きな聞法会等は、一人で何役もやらないとならない状況にありますが、お寺を支える役員さんを新たに増やしていく時期に来ているなと感じます。

その上、コロナ下にあって、大きな行事でのお斎(食事)は中止、またお斎を作る楽しみもなくなっていくなかで、今まで通り続けていくことの難しさも感じています。

共に聞法をして、皆さんとお斎(お食事)をいただいて気ままに語り合う、これぞお寺ですね。様々な困難を皆で乗り越えていき、今まで通り、開かれたお寺として、多くの人たちに集まっていただけたらと願うばかりです。

亡き夫も蓮光寺さんをとても大切にしていましたので、夫の気持ちとひとつになって、聞法精進し、より活気あるお寺作りに関わっていきたいと思います。


門徒倶楽部機関誌『あなかしこ』の画は原惠子さんの作です。72号(1月1日発行)は「五色幕の張られた本堂」を描いてくださいました。『あなかしこ』は来寺の時にお持ちください。

蓮光寺報恩講2021 結願日中法要法話 11月7日(日)

2022年4月17日公開

「聴聞 ─聴こうとする、聞こえる─」
藤浪遊先生(浄慶寺住職)

自己紹介

こんにちは。ただいま紹介をいただきました島根県の浜田から参りました藤浪遊と申します。最初に少しだけ自己紹介をいたします。今、53歳で、浄慶寺というお寺の住職をしております。

島根県、位置はわかりますか。うなずいてくださる方が多いのでホッとしているのですが、島根と鳥取は並んでいますが、「どっちがどっちだったか分からん」とか、「ああ、鳥取砂丘があるところでしょう」と言う人もいます。島根に鳥取の砂丘はありませんね。はい、そんな間違えやすい島根から来ました(笑)。

藤浪遊先生

私は京都の東本願寺に、お仕事をいただいて行くことがあるのですが、京都に行くよりもこちらの蓮光寺さんに行く方が時間的には早いです。飛行機は早いです。やはり東京は、日本全国どこから行くのにも近いところだなと感じました。

蓮光寺さんにお参りさせていただくのは、2回目になります。一度、「成人の日法話会」に参加者として来させていただいて、皆さんが本当に熱心に聴聞されているお姿を拝見して、「すごくすてきなお寺だな」と思ったことです。そして今、法話をさせていただくご縁をいただいて、本当にとても緊張しております。それこそ本多先生は、普段、本多さんと呼ぶことも多いのですが、私にとっては先生です。その先生のお寺に来させていただくというのも、身が縮む思いです。

私、「遊」という名前です。「遊ぶ」と書きます。本当に名前の通り、勉強が足らんものでして、雑な話になろうかと思いますが、補って聞いていただけたらありがたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

浄土を真(まこと)の宗(むね)とする

本当にコロナ下の中、よくお参りされました。最初に責役さんからもお話がありましたが、報恩講は、親鸞聖人のご命日である11月28日、これは本山で勤まる日ですが、祥月のご命日をご縁に、1年に1回の親鸞聖人のご法事を勤めさせていただいて、そのご恩をたずねていくということがあります。

親鸞聖人の主な著作であります『教行信証』(『顕浄土真実教行証文類』)の「総序」に「大無量寿経 真実之教 浄土真宗」(『真宗聖典』150頁)と書かれております。私たちのご宗旨は、皆さんご存じのように、浄土真宗です。ですから、このお浄土ということを大事にいただいていくのが、私たちのご宗旨にかなったかたちになります。

真宗の「真」は、本当ということです。「宗」というのは、中心ということです。人間の体の真ん中は「胸」ですね。あと「棟」もありますね。棟上げ。棟が上がると家が建つからおめでたい、ということでお餅をまいたり、棟上げ式をしたりします。だから、「むね」というのは中心です。それが一番大事ということを表します。宗教の「宗」というのは、これがないと生きていけないということです。それが「宗」というものの内容です。浄土真宗は浄土を宗とする。お浄土をいただいていく。これが基本で、とても大事なことになってくるわけです。皆さん、お浄土をいただいておられますか。どうでしょうか。

「とてもとてもお浄土をいただくなんて」と、おっしゃるかもしれませんが、今日、皆さんは蓮光寺さんへ出てこられる前に、お家のお内仏(仏壇)にもお参りして来られましたよね。「はい」という反応がありましたが、反応していただくと話しやすいです(笑)。ありがとうございます。お参りされて、お仏飯をお供えされて来られたと思います。何でお参りされるのですか。質問はしても当てたりしませんから大丈夫ですよ(笑)。

何かお願いするわけではないですよね。「今日も一日、無事でありますように」。まあ、時にはお願いもしてしまいますけれども、別に適えられると思ってお参りはされていないのではないかと思います。本堂のお内陣の真ん中におられるのが阿弥陀如来です。阿弥陀さんは、何でも聞いてくださるけれども、適えられるかどうかは別です。阿弥陀さんは、昨日の大逮夜法要でも本多先生からお話がありましたけれど、ああいうお姿の方がおられるわけではありません。私たちは、色も形もないものに手を合わすことができませんので、ああいう形になってくださっているのです。阿弥陀と言っても、色も形もない「はたらき」です。その色も形もないものに助けてもらうとか、色も形もないものを大事にしていくとか、色も形もないものをご本尊としていくというのは、なかなか難しいので、ああいうお姿をかたどっている。だから、よく方便(真実に導く手立て)と言われますけど、本来の形でないものをかたどっているお姿が、阿弥陀さんのお姿です。それはお浄土を表しているのです。

だから、阿弥陀さんにお参りするということは、もうすでにお浄土をいただいておられるというか、毎日お浄土と向き合っておられるということです。むしろ、阿弥陀さんにお浄土をいただくお稽古をつけてもらっているのですね。

しかも、お名前を呼ぶということがあります。名前を呼ぶというのは、はたらきにまでなった名前を呼んでいくというのは、とても大事なことです。はたらきがあるものには名前があるわけです。阿弥陀と。阿弥陀というはたらきです。それが私たちの本当の依り処になっているのかということですね。

今日も「御俗姓御文」という、親鸞聖人が9歳で得度をしてからのことが語られた御文があがりました。毎年の例時として、毎年同じことを聞かせてもらう。「そんなことはもう知っている」と思っても、同じことを聞かせてもらう。聞かせてもらうことで、いただき直し続けていくということがあります。それだけなかなかいただけないのです。「浄土をいただいた」と一回思っても、またすぐ、いただけない状態に戻ってしまう。そのことを私たちは1年に1回、それこそ溝をさらうように、阿弥陀さんの教えに出遇わせていただくご縁をいただいている、ということがあるのではないでしょうか。

お浄土をいただいていくということが、私たちの生活を貫き通す大きな支えになっているということがあるのだろうと思います。お浄土は、亡くなってから行くところと聞いておられる方も多いと思いますが、それはそうです。では、生きている間に行けないのかというと、行くことはできませんが、昨日もご法話の中でありましたが、ふれることはできます。お浄土のはたらきにふれさせていただく。ふれさせてもらうということは、要するにはたらきに出遇うということです。そういうことがあるわけです。ですから、ただ死んだら浄土ではなく、今、浄土にふれさせていただいているから、人生が完結するときに、つまり亡くなるときに浄土に還ると言えるのですね。それが実はお話を聞いていく、昨日のお話でいえば、本願を聞いていくということです。本願というのは、阿弥陀さんのこころのことです。

仏教は「如」から始まる

仏教は、何から始まったかご存じですか。質問が悪いですかね。仏教がどなたから始まったかはご存じですよね。お釈迦さまですね。皆さんうなずいておられますね。では、何から始まったか。これは、もちろんお浄土と関係があるわけですが、「如」(にょ)から始まったのです。この如というのは、真実とか真理ということです。如がはたらくのです。

真宗のご本尊は南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏というのは、もともとインドの言葉です。それに漢字を当てているのです。「南」や「無」という字に意味はありません。音です。南無阿弥陀、ここに阿弥陀さんが入ってくるわけですね。阿弥陀と入ってきます。名号は、実際には3つに分かれていると思ってください。「南無」と「阿弥陀」と「仏」に分かれていると。阿弥陀と仏はいっしょでもいいのですが、「仏」は、漢訳したら「如来」になりますから同じことです。だから、「阿弥陀仏」と言ったり「阿弥陀如来」と言ったりします。全部、阿弥陀さんのことです。

仏教が「如」から始まった、真実から始まったという、そのはたらきが「正信偈」の最初の2行に記されています。最初に「帰命無量寿如来」、2行目に「南無不可思議光」とありますね。無量寿、この無量ということが阿弥陀ということなのです。量(はか)らないということです。私たちは量ってばかりいるわけです。自分の都合に合うか合わないか、好きか嫌いか、いいか悪いか、それを量ります。私たちは、「ものさし」を持っているのです。そして、その「ものさし」を持ってしか生きられないのです。阿弥陀さんの教えを聞いても、量ることをやめられないのです。ものさしを握ったまま、量り続けているのです。

でも、教えに出遇うと、本願を聞くと、阿弥陀さんのこころを聞くと、つかんでいたものが何かがわかりますし、つかんでいたものを手放すこともできる。一瞬ですが。これが大事なのです。しかし知らない間に、またつかみにいってしまいます。つかんでは離し、つかんでは離しのくり返しです。「そんなくり返していても何も変わらないじゃないか」と思うかもしれませんが、くり返すことで、私たちはいわば深くなります。それを、「お育てをいただく」と言ってきたのだろうと思います。

「不可思議光」というのが出てきます。それは「無量光」ということです。「無量寿」も「無量光(不可思議光)」もどちらもはたらきを表します。「無量寿」はいつの時代でも、ということです。「無量光」は、量らない光がいろんなところに行き渡るということです。暗い所が明るくなるのは、光で照らされるからです。「私たちを照らしてくださる」ということをよく聞くでしょう。「お浄土に照らされて、自分を教えてもらえるのです」という話になりますけれども、それは、「無量光」によって照らされているということです。「如」とは、私を照らすはたらきです。

本当に「自分がかわいい」しかないのですね。法話もうまくやろうとか、そればっかりです。だから正直に言うと、蓮光寺さんに来るのは、本当に緊張しっぱなしでした。まあ、それしかないんですが。何とかうまくやろうと思っている自分を照らしてくれるはたらきに、私たちは出遇っていかないといけないと思います。

それが「如」なのです。インドの言葉で言うと、「アミターユス(無量寿)」、「アミターバ(無量光)」と言います。これまで、聴聞してこられた中で聞かれたことがあるかもしれませんが、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」です。光というのはどこにでも届くわけです。遮(さえぎ)られることがありません。必ず、どこまでも照らしてくれるのです。阿弥陀さまのはたらきになぞらえて、よく「光」が使われますが、真実というものは、隠そうと思っても隠れないのです。

だから、いつでもどこでも、どんな時代であっても真実というものは、ちゃんとはたらくということが、この「正信偈」の2行に出てくるのです。お浄土のはたらきは、「如」のはたらきです。

真実が向こうからやってくるから「如来」と言うのです。仏というのは、動く真実のことを言うのです。真実というのは、ちゃんと動いているのです。インドで起こった仏教が、時代を超えて、日本まで伝わってきているのです。真実が動いて、私たちのところまで届いてきたのです。

私を照らし出す教え

真宗の教えも同じです。在家の生活の中で、面白くないことはいっぱいあります。その面白くないことが起こってくる人生を経験した人しか、おそらく証明できないことがあるのです。それが真宗の系譜です。本当に思うままにならない、嫌なこととかがいっぱい起こる。できるだけ嫌なことがないようにと思って、一生懸命考えて生きているけど、それでもやってくる。そういう人生を送っていく中で、苦悩と共にあるような人生だけれども、その苦悩と共にある人生を送っている者だけが証明できる教えがあるのです。本当にこの教えに出遇ってよかったと。やっぱり、はたらきにあずかるしかないと。

実際にそうなのです。先ほども申しましたが、私たちは自分で握りしめているものさしがあります。もっと言えば、自分の考えとか、自分の経験とか、自分の価値観とか、そういったものが一番上なのです。その自分よりも大きいものがあるということに、どこかで出遇っていかないといけない。それが、教えに遇うということですし、浄土をいただくということなのです。自分よりも大きいものをいただいていく。阿弥陀さんの教えに私を聞いていくのです。阿弥陀さんの教えを私が聞くのではないのです。教えは自分に取り込めないのです。自分の中に取り込んだり、頭で理解できるような、そんな小さいものではありません。ものすごく大きいのです。私たちよりもずっとずっと大きいから、私を教えてくれ、私を照らしてくれ、私を映してくれるのです。

だから、阿弥陀さんの教えに聞いていくということが、実は自分を顕かにしていくということになります。自分のことは自分が一番よく知っていると思うのですが、違うのです。違うから、いろんな思いもよらないことが、「まさか」みたいなことが身に起こってくるのです。そのたびに、うろたえたり、慌てたりするのですが、これからも、どれだけ備えを持っていても、慌てたり、うろたえたり、驚いたりしていくと思います。でも、驚かないことが大事なのではなくて、驚くけれども、そのことをご縁に、それこそ我が身をいただき直し続けることができる。それがやっぱり大きな御利益だろうと思います。

本当に年代を超えて、場所を超えて、世界中に真実というものが届く。如が来る、真実が向こうからやってくるのです。阿弥陀仏の「仏」というのは、動く真実のことです。そして、その阿弥陀のこころを本願といい、それを48通りにあらわしたものを四十八願といいます。

仏教というのは、物事を実体的に捉えません。なぜかというと、実体的に捉えると執着が生まれるからです。皆さん、何かお好きなものはありますか。女性の方だったら、お洋服が好きだとか、宝石が好きだとか、そういう物に対する執着。男性でもそうですね。カメラがとか、時計がとか、車がとか、物に対する執着が生まれるので、仏教は、物事を実体的には捉えないのです。

本願には「願い」という字が書かれていますが、物事を願いで捉えます。例えば時計というものを仏教的に説明すると、今言った「願い」で説明するということになると、「時計というものは何ですか」と言われたら、「時計は、時を正確に刻むことを願って作られたものです」というのが、時計の言い方になります。針が三つあって、一秒ごとに動いてとか、中にいろんな歯車が入っていてとか、そんなふうに実体的には捉えないのです。

阿弥陀の四十八願は、真実のはたらきです。

私たちは、その阿弥陀さんの名前を称える。名前を知っているというのは大事なのです。私と蓮光寺さんの衆徒の櫻橋さんとは、教師修練という場でいっしょに1週間寝泊まりした関係です。その時、会話はそれほどしませんでしたが、お名前は知っています。名前を知っているということは、話しかけられるのです。当てずっぽうで、山本さんとか言っても返事は返ってきません。名前を知っているということは、その人と関係性があるということです。だから、「南無阿弥陀仏」と念仏を申すということは、阿弥陀さんと関係があるということです。だからぜひぜひ、自分の耳に聞こえる程度でいいですから、お念仏を申してください。阿弥陀さんと関係があるということは、阿弥陀さんのこころを聞かせていただくという、そのはたらきにあずかるということがあるのです。それがお浄土をいただいていくことにつながっていきます。浄土、本願ということがここにあるわけです。

浄土 ─濁りなく、見返りを求めない世界─

お浄土は、たくさんの先生方がいろいろな言葉で表現してくださっています。例えば、「お浄土というのは、濁りがない世界です」と言われます。浄土というのは「清浄国土」の略です。とても清らかで、清らかなはたらきの世界を浄土と言う。だから、濁りがないわけです。濁りがないもののはたらきに出遇うと、濁っている自分が照らし出されるわけです。どれだけ濁っているか、どれだけずるいことを考えているか、ということがわかるわけです。それが清浄国土、お浄土のはたらきです。

先ほども言いましたが、阿弥陀さんにお願いしたくなることもありますね。それはそれでいいのです。お願いをすれば、依頼心がある自分が照らされるのです。阿弥陀さんは私を写し出す鏡です。

お浄土は、濁りがない世界であり、見返りを求めない世界だとも言われます。お願いをしないというのは、見返りを求めないということです。

何度も言いますが、私たちは「自分の考えが一番上」です。これはもう子どものときからそうなのです。だから、急にやめようと思ってもやめられません。

私のお寺では、一周忌までは毎月、月命日のお勤めをします。だから、亡くなった方を通して、そのお家の方と仲良くさせていただくということがあります。今年の6月に、あるおじいちゃんの一周忌のご法事を勤めました。そのご法事に小学校3年生のお孫さんが座っておりました。その子とも1年間よく顔を合わせましたので、ご法事の休憩時間にその子が話しかけてきたのです。「お寺さん、僕、スポ少に入ったよ」って。スポ少ってわかりますか。島根県には、スポーツ少年団というのがあります。サッカーだったり、野球だったり、いろんなスポーツがあります。その子は野球に入ったのです。私は野球が好きなので「それはよかったね、ポジションどこ」と聞いたら、「まだ入ったばかりだから、ポジションとかないけど、内野手になりたい」と言っていました。

島根県は、広島県の真北にありますから、プロ野球と言えば、私たちは広島カープです。その子に「プロ野球は見るの?」と聞いたら、「見るよ。カープを応援している」と。カープの監督は佐々岡監督です。でも、その6月の時は、カープは最下位だったのです。最終的に4位でしたけど、6月は最下位だったのです。その子に「残念だね、今年はちょっと弱いね」と言ったら、「そうだよ。佐々岡は何も野球がわかっていないよ。特に投手交代がわかっていない」と、野球を始めたばかりの9歳の男の子が言うのです。

佐々岡監督は、私と同じ島根県の浜田市出身です。NTT中国からドラフト1位で広島に入って、最多勝も最優秀防御率も最多セーブもMVPも沢村賞も取っています。およそピッチャーで取れる賞は全部取った。二軍の監督を長くやっていて、若い選手ともうまくコミュニケーションを取って、力を発揮させる力があって、そこを見込まれて一軍の監督になったわけです。いわば野球をよく知っているわけです。ところが、その9歳の子は「佐々岡は何も野球のこと知らん」と、呼び捨てで言い切っていました。

別にその9歳の子を馬鹿にしている話ではないです。その9歳の子は、私たちと同じだ、ということです。私たちといっしょでしょう。私たちも自分では覚えていないけど、小さいころから自分の考えが一番上できているのです。自分の価値観、自分の経験こそ間違いがないと。それを握りしめて、一番上に置いているのです。これが苦しみの「もと」なのです。それが正しいと思って生きていますが、逆なのです。それによって苦しめられているのです。まさに自縄自縛(じじょうじばく)です。自分の縄で自分を縛るようなものです。

でも、そのことがやっぱりわからないのです。自分の考えこそ間違いがないと、子どもの時からやってきていますからね。磨きに磨いていますから。ご法話を聞いても「ああ、そうですか」とはなかなかならないです。そんな簡単には聞けないです。

だから、昨日、本多先生がおっしゃいましたけど、本当に大事なのは、生活の場において聞いていくことなのです。そこしかないのです。阿弥陀さんの教えを聞くといっても、頭を使う必要はありません。大事なのは、今まで自分に起こったことを全部持ってくるということになります。それこそ自分の経験、全部持ってきて、ここに座るのです。墓場案件という言い方がありますが、墓場まで絶対に誰にもしゃべらないということですね。皆さんにはありますか。私はあります(笑)。もちろん言いませんし、誰かに話す必要はないです。だけど、そういうものを抱えて、阿弥陀さんの教えの前に座るということが大事なのです。「人生に何一つ無駄なし」という言い方がありますけど、「そんなことは嘘だ」と思ったことはないですか。無駄なこと、いっぱいあるでしょう。ないですか。私はいっぱいあります。私、一度すごいスピード違反をしたことがあって、4万円くらい払ったことがあるのです。もちろん、国庫に入るわけですし、無駄だとは思いませんけど、私自身はとても痛かった思いがあるし、無駄だったなと。そんなスピード出して、そんな急がんでもと思うし。無駄なことはいっぱいありますよ。

「人生に何一つ無駄なし」というのは、阿弥陀さんの教えを通すことで、初めて言えるのです。あのことがあったから、このことに気づけた、と。阿弥陀さんの教えを聞く、阿弥陀さんの教えを通せば、無駄なことはないのです。自分のものさしで量れば、これは無駄だ、これは有効だというだけの話です。でも、本当にそうなのか、ということです。人生に何一つ無駄がないと言えるのは、阿弥陀さんの教えを通せばこそ、「ああ、無駄なことってないな。あのことがあったから」と思えるわけです。

ですから、自分のこととして聞くということです。知識とか理屈を覚えるという話ではなくて、今までの自分の過去の一切合切を持ち込んで聞くのです。それこそ忘れたいこともあります。でも、忘れたら駄目なのです。忘れたいことを抱えたまま、法話を聞かせてもらう。そうすると、「あっ、何か思い当たる節があるな」とか、「あっ、それは何か自分のことを言われているような気がするな」とか、理屈を超えて、うなずくということがおこります。実はそれが大事なのです。

それを「ご信心」と言ってきたのです。自分のことを言い当てられて、その通りだなとうなずくこと。理屈でうなずくのとは違うのです。そのまま、ああ、そうだなと体が先に反応するようなことが、実は「ご信心」と言われる内容なのだろうと思います。

「信心なんて、とても私は持っていません」と言われるかもしれませんが、そんな難しいことではないのです。自分のこれまでのいろんな経験をそのまま持ってきて、素直にまな板の上に載せて、阿弥陀さんの教えに出遇っていく。聞かせてもらう。自分のこととして聞くのです。そのことがとても大事なのです。お隣さんの話ではないのです。

そして、そのことに何度も何度も立ち帰らせてもらうために、お念仏を称えていく。だから、本当に浄土と本願と信心と念仏、この四つは、もう「素数」みたいなものです。「浄土」「本願」「信心」「念仏」、こう書いたら、すごく難しく聞こえますけれども、この四つは、数学的な概念ですけど、もうこれ以上割り切れない素数のようなものだと思います。これは、他の言葉に置き換えない方がいい。むしろ、このことを何度も何度も聞かせてもらう。念仏を申しながら、念仏のいわれを聞いていく。本願を信じながら、本願のいわれを何度も何度も繰り返し聞いていく。それでうなずいたことを信心と言うのならば、本当にそれがお浄土をいただく、お浄土にふれるということになっていくのだろうと思います。

ちなみに、この「浄土」「本願」「信心」「念仏」というのは、私の預かっているお寺に、本多先生が来ていただいて、ご法話していただいたときの講題です。私、そのとき、本当に目から鱗が落ちました。本当にこの4つだなと。だから、その後も、私自身も聞いていく中で、やっぱりこのことに立ち帰っています。実際、この4つが複雑に絡み合っているのです。だから、この4つを聞いていくということが大事です。

聴聞 ─聴こうとして、初めて聞こえてくる─

講題の「聴聞」がやっと出てくるのですが、「聴」も「聞」も「きく」という字です。それこそ、コロナになって、「前はよかったな」と思うことがありますね。コロナがなければって思うことがあると思うのですが、たとえコロナがなくても、別のことをまた言い訳にするのです。何々さえなければって。コロナさえなければって。ですから、コロナによって、私たちがいただいておる日常というものがどういうものなのかを、実は教えてもらったのだと、思います。

コロナによって、大変な生活が始まったのではなくて、日常を問うことがないから、そういう生活になった、コロナに振り回される生活になってしまった、ということがあります。聴聞というのは、日常を問うていくということです。自分の日常、自分の在りよう。自分を教えてもらう。このコロナウイルスは、そう簡単に収束もしないと思うし、またぶり返してくることもあると思いますが、このことからいろんなことを教えられるということがあります。決して、排除したりするものではなくて、コロナウイルスがある日常を問うていくという眼が必要になってくると思うのです。

その問うていくという具体的な歩みが、実は聴聞ということになってくるかと思うのです。この聴聞というのは、どっちも「きく」という字ですが、「聴」は「聞こうとする」。耳をそばだてて聞こうとする。耳偏が外についていますが、耳をそばだてて聞こうとすることを、この聴覚の「聴」で表すそうです。「聞」は、門構えの中に耳が入っています。「聞こえてくる」です。昨日のお話の中でもありましたが、「聞こえてくる」ということを表すそうです。

大事なのは、「聴(聞)こうとしないと、聞こえてくることはない」ということです。だから、まずは聞こうとすることです。聞こうとして、初めて聞こえてくるということがあります。繰り返しますが、阿弥陀さんの教えを自分のこととして、自分の過去の一切合切を持ってきて聞いていくということが、聴聞ということの具体的な内容になります。

お浄土は、見返りを求めない世界と言いましたが、私が20年近く、月命日のお参りに行っているご門徒宅があり、奥さんを亡くされた旦那さんがいらっしゃいます。そのお宅では、お勤めが終わった後、お茶をいただきながらいろいろお話しをします。それが私にとっても楽しい時間なのですが、あまり世間話はしないです。その方は、仏法の話が大好きなのです。お寺でいろんな法座があるのですが、その法座で私が話すこともありますし、先生に来ていただくこともあります。その法話の内容について2人で話すことが多いです。

今から10年ぐらい前の話です。お浄土について、ある先生が「お浄土というのは見返りを求めない世界です。見返りを求めないということは、無償ということです。無償の愛という言い方がありますが、無償ということは、私たちには成り立ちません。成り立ちませんと言いましたが、『無償』の期間はあります。例えばお父さんでもお母さんでも、子どもさんを育てられたことがある方だったらわかる話だと思いますが、子どもを育てる期間というものは、本当に無償だと思います。自分を全部投げ出して、子どもを育てる期間があると思います。眠たくても泣けば心配し、そうやって、子どもを一生懸命、それこそ無償の愛で包むような期間はあるでしょう。でも、それは末通りません。長続きしません。そういう時期もあるだろうけれども、そうではない時期もあるでしょう。『この子に老後の面倒を見てもらいたいから、ちょっと今日は言うことを聞いておこう』とかですね。そうなったらもう無償ではないわけです。見返りを求めるし、駆け引きもする。お浄土に照らしてもらって、自分に無償なんてことは一切ないということを教えてもらうしかない」というご法話をされて、皆さん、うなずかれて帰られたことがありました。

私はその法座が終わった後、先程のご門徒宅に行って、おじさんと一緒にお勤めをし、おじさんと話しはじめました。おじさんは「ご院家(住職)さん、この間の先生だが、私は、あれは違うと思う。子どもは確かに先生が言うとおり、無償ではない。でも孫は無償やで」と言われました。その方にはお孫さんが一人おられます。広島におられる息子さん夫婦の一人娘が、そのお孫さんです。もうそれこそ、目の中に入れても痛くないぐらいのかわいがりようです。夏休みとか冬休みに、息子さん夫婦とお孫さんが帰ってくると、ずっと孫の話です。本当に大好きなのだなと思って、いつもほほ笑ましく聞いておりました。おじさんは「孫に対しては無償だ。わしはもう本当に全財産やるし、何だって全部やる」と言われました。それは駄目ですとは言えないですし、「そうなんですね」と言って、その日私は帰りました。

それから6年ぐらいたった時の話です。10年前に「孫に対しては無償やで」と話していたそのおじさんの状況がいろいろ変わったのです。まず、その孫娘さんが、浜田の県立大学に合格しました。孫娘さんもおじいちゃんのことが大好きなので、「おじいちゃんといっしょに住む」ということになって、おじさんも張り切って、家もリフォームして、1階にしかなかったトイレを2階にも作って、2階を孫娘さんの部屋にしたりとか、いろいろ頑張り、いっしょに住むことを最高に楽しみにしておられたのです。

いっしょに住み始めたのですけど、住み始める直前に、おじさんは脳梗塞になるのです。発見が早くてよかったのですが、後遺症が残りました。排泄と歩行に問題が出たのです。

ある日、お参りに行ったら、本当にとても元気がなく憔悴したような感じで、「あの先生の言うとおりやった。見返りを求めんとか、無償とかいう話があったでしょう。私の中に無償なんてものはない。見返りしか求めん。浅ましい自分しかおらん」と言われたのです。

実は、排泄のことが問題になって、おむつを着けられるようになって、孫娘さんとの関係がちょっとぎくしゃくしたのです。いくらおじいちゃんのことが好きでも、できることとできないことがあります。私も詳しくは聞いていませんが、ぎくしゃくしたことは確かです。

ぎくしゃくしたときに、おじさんが、孫娘に向かって言ったそうです。「これまでおまえのことを、どれだけかわいがってきたと思っているのだ」と。まさに、見返りを求めたわけです。ちょっと自分の体が悪くなったら、孫娘は冷たくなったとでも言いたかったのでしょうか。

でも、6年たって聞こえてきたのです。お話を聞いて、「孫に対しても無償ということは成り立たない」と。まさに、生活の中で、他の誰でもない自分のことですから本当に身につまされたのでしょう。さきほども聞こうとすることが大事だと言いましたが、聞いたからといって、聞こえてくるとは限らないのです。でも、聞いていたら、いつか聞こえてくるのです。聞こえてくるためには、何度も聞くということもありますけど、ご縁が大事になってきます。ご縁まかせですね。不確かですけれども、でも生活の中で本当に聞こえてくることがあるのです。

私がいいなと思ったのは、それから、また孫娘さんとの関係が良くなったことです。でも前と同じではありません。お互いに丁寧に気を使うようになられて、またいい関係になったのです。今は、孫娘さんも大学を卒業されて、もう就職しておられて、広島に戻られたのですけど、関係は良くなったのです。まぁ悪かったのも一時だったと思うのですけどね。

何がすごいって、やっぱり聴聞したら、そうやって気づけるのです。普通はこうならないです。普通はどうなるかといったら、孫娘さんとそうやって仲たがいしたら、近所の人に言いまくりです。「孫が本当に薄情なんだ。わしはこれまでどれだけ時間とお金を使って孫をかわいがったかわからんけど、薄情な孫にしか恵まれんで、わしは不幸だ」と。愚痴と恨みで終わりです。

ただでさえ、私たちは老病死の問題を抱えています。必ず老いる、必ず病む、そしていつかいのちが終わっていかねばならない。私も、目が本当に悪くなりました。こんなはずじゃなかったと思います。左の肩も五十肩で上がらんし、頭も薄くなってきたなと思います。本当に確実に忍び寄ってくるわけです。老病死に押しつぶされんばかりです。

人生に何ひとつ無駄はない

ただでさえ老病死がやってくるのに、自分で量って、自分の価値観で生きていますから、それは当てが外れます。「これこそ間違いない」と当てにしていたものが、どんどん外れて、昨日の大逮夜法要でもふれておられましたが、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまこと」(『真宗聖典』640頁)と、親鸞聖人が言ってくださったのは、本当にそれしかないからですね。本当に念仏のいわれを聞いていく。本願のいわれを聞いていく。念仏を申しながら、阿弥陀さんの声にふれながら、そのいわれをひたすら聞いていくことでしかないです。

しかも聞いていくことで、先程のおじさんは、孫娘さんに「ごめんね」と言えたんです。「ごめんね」と言えるから、「ありがとう」があるのです。目の前の人と出遇うと言いますけど、「ごめんなさい」がなかったら出遇えないです。自分の愚かさ、浅ましさに気付かせてもらって、「ごめんなさい」とうなずけたときに、それをご信心と申しましたが、自分の身の事実というものに、「ああ、そうだった。本当、浅ましい、言われるとおりやった。見返り求めていた」とうなずけた瞬間に謝れるのです。自分の悪人性というか、自分の罪業性に目が覚めて、初めて、目の前の人と出遇えるのではないでしょうか。「ごめんなさい」があるから、「ありがとう」があるのです。

拝むということは、そういうことです。阿弥陀さんに手が合わさる、頭が下がる。これは一般的には感謝の姿です。もちろん、真宗においては、合掌、礼拝は感謝だけにはとどまりませんが、そのお姿というものが表すものがあります。

私たちは、自分の考えが一番上ですし、自分より大きな世界をいただけていないということが、課題としてあるのですが、プラス、容赦なく老病死がやってくるわけです。だから、二重三重に苦しいわけです。人間関係のトラブルに巻き込まれなくても、金銭関係のトラブルに巻き込まれなくても、それでも老病死はやってきます。

苦労が絶えない人生だけれども、その苦労が絶えない人生を通して聞いていった者しか証明できない、真宗の本当の大事なところが私はあると思うのです。実は、それを一人ひとりが皆、証明していくことができる。親鸞聖人は、本当にそこだったのですね。何が欲しかったかって、助かりたかったのでしょう。昨日もお話がありましたけれども、何故、親鸞聖人は比叡山を下りられたのか。比叡山に教えはあったのです。教えはあったけれど、それでは救われなかった。もっと言えば道がなかったのでしょう。道がないから山を下りたのです。聖徳太子の夢告もあって、法然上人の教えに出遇っていく。ここに道を見い出されたのです。

自分の一切の過去が、墓場案件も含めて一切の過去が道になっていくのが、実はこの仏法聴聞のありがたいところです。何一つ無駄にならないのです。「あんなことをしなければよかった」、「あんなことやめておったらよかった」、ということさえも「あのことがあればこそ」というふうに転じていくのです。だから、本当に自分の今までのいろんな経験を全部持ったまま、自分の生き方を気にかけていく。本当に自分の生き方はこれでいいのかな、と。愚痴が口をついて出るということも、阿弥陀さんがはたらいている証拠です。

本当に聴聞を通して、日常を問うていくしかないのだろうと思います。本当に自分を教えてもらうしかないのだろうと思います。そのことが、とても大事だと思います。

南無阿弥陀仏を申しながら、南無阿弥陀仏のいわれを聞いていく。本願、阿弥陀さんのおこころを聞いていく。そして、その教えられたことにうなずいていく。それが信心ですし、そして、一番は保ちやすい行としての念仏です。忘れようがないです、南無阿弥陀仏は。南無阿弥陀仏を忘れた人はいないでしょう。忘れようがない、保ちやすい行です。その保ちやすい行が私たちに与えられていることで、私たちは、せっかく聞いて手放せたのに、またつかむことになったとしても、大丈夫になります。つかんで良いのです。くり返し南無阿弥陀仏の教えに聞いていくことで、また手放すご縁をいただきます。同じことのくり返しにはなりません。必ずそういうかたちで、いのちが深くなります。それがお育てにあずかるということの内容だと思います。

私たちは現実生活の中で、お育てにあずかるのです。いろんな嫌な出来事も含めて、全部お育てにあずかるご縁なのだろうと思います。まさに業縁存在、業縁の中を生きている私たちは、最初から、この教えによって、ちゃんと支えられています。

報恩講の「恩」とはそういうことです。私たちは、目に見えないものに支えられて生きているのです。目に見えるものが全てではないです。目に見えない、色も形もないものがちゃんとはたらいて、私たちの人生というものに一本、しっかりした背骨を入れてくれるというか、筋を通してくれるというか、そういう頼もしさがあるのかなということを思ったりいたします。

最後まで聞いてくださって本当にありがとうございました。どうもありがとうございました。

「報恩講」厳修

2021年11月12日公開

真宗門徒にとって一番大切な法要である「報恩講」が11月6日(土)~7日(日)の一昼夜にわたって厳修されました。今後も報恩講が盛大に厳修されることを願い、蓮光寺役員会が寄付してくださいました五色幕が掛けられました。

昨年に引き続き、コロナ下の為、規模を縮小しての報恩講となり、6日の「報恩講の夕べ」は中止とし、2日目の手作り精進料理は初日と同じようにお持ち帰りのお弁当をご用意しての報恩講でした。

参詣人数については、大逮夜および結願日中(ご満座)は40人を目安とし(大逮夜法要、日中法要ともに42名参詣)、参詣できない方にはZoom配信を行いました。Zoom配信はコロナが終息しても、お寺に足を運ぶことができない方々には配信する必要性を強く感じるとともに、安易にZoomを利用した場合、お寺に足を運ばなくなるという問題も生じかねないので、その見極めが大切だと感じました。本堂に身を置くことが基本であることをあらためて感じた報恩講でした。

寒さ対策のため、カイロも用意して臨みましたが、両日ともに20度を超える暖かさで、さわやかな外の空気を十分取り入れながら、また強力な換気扇も活躍し、徹底した換気を行うことができました。

お勤めはすべて「正信偈・同朋奉讃」の同朋唱和とし、大逮夜と晨朝は『御文』、結願日中は『御俗姓御文』の拝読がありました。

大逮夜法要は、蓮光寺住職が「聖徳太子と親鸞聖人」をテーマに法話。晨朝法要では、西川雅孝世話人(法名:釋真敬)、原惠子総代(法名:釋尼惠真)、谷口裕教化委員(法名:釋裕遊)が感話。結願日中法要(ご満座)では、藤浪遊先生(島根県浜田市 浄慶寺住職)が「聴聞 ─聴こうとする、聞こえる─」をテーマに法話をしていただきました。勤行、法話も報恩講独特の空気が伝わってきました。またご門徒同士がなごやかに談笑する姿こそ真宗寺院だと感じた報恩講でした。

最後の「御礼言上」で広島県庄原市よりご挨拶くださった河村和也総代(県立広島大学准教授、法名:釋和誠)の言葉に凝縮されています。河村総代は、毎年、蓮光寺を代表してご挨拶していただいておりますが、昨年から東京に戻ることができない状況の中で、報恩講のすべてをZoomで視聴されての御礼言上となりました。

報恩講の様子を写真でご案内しながら、最後に御礼言上を掲載いたします。法話等はまた後日掲載いたします。

11月6日(土)

五色幕の設置

紫幕は正面玄関へ

大逮夜法要

勤行の様子
御文拝読/ 
蓮光寺衆徒・櫻橋淳さん(釋淳心)
法話/蓮光寺住職

11月7日(日)

晨朝法要

勤行
御文拝読/蓮光寺住職
感話
感話 
西川雅孝世話人(釋真敬)
感話 
原惠子総代(釋尼惠真)
感話 
谷口裕教化委員(

結願日中法要(ご満座)

受付
草間文雄責任役員(釋眞文)挨拶
勤行の様子
「御俗姓」拝読/蓮光寺住職
藤浪遊先生の紹介/蓮光寺住職
法話/藤浪遊先生

御礼言上 
広島より河村和也総代(釋和誠)が門徒を代表して、出仕のご僧侶、講師の先生に御礼を述べました。

御礼言上

河村総代(広島よりリモートでの御礼言上)

感染の拡大は落ち着きを見せているとは申せ、いわゆるコロナ禍のもと、わたくしたちはさまざまな面での対応を迫られております。

そのような状況にありながら、2021年の報恩講が、新調なった五色幕の彩りも鮮やかに、昨日・本日の一昼夜にわたり厳修されましたことは、わたくしども蓮光寺門徒一同、大きな喜びとするところでございます。

如来の御尊前、宗祖の御影前に、御満座の結願いたしましたことをご報告するにあたり、ご出仕・ご出講くださいましたみなさまに一言御礼を申し上げます。

ご法中のみなさまにおかれましては、懇ろなるお勤めを賜りまことにありがとうございました。昨年に続き、馴染み深い同朋奉讃式による勤行となりましたが、一言一言を噛みしめる思いでお勤めさせていただいたことでございます。

昨日の大逮夜法要では、聖徳太子1400回御忌御正当の年にちなみ「聖徳太子と親鸞聖人」の講題で当山住職の法話を聴聞いたしました。

太子の導きによって法然上人に出遇われた親鸞聖人。聖人を聖人たらしめた存在が太子であったことに触れ、太子のことばは歴史に埋もれるべきものではなく、現在のわたくしたちに直に訴えかけるものであることを学んだことでございます。

本日、晨朝のお勤めではお三方の蓮光寺門徒に感話をいただきました。日々の暮らしの中にあって、その折々にみ教えに照らされる瞬間のあることをあらためて思いました。

また、満日中の法要では、島根県浜田市より藤浪遊先生にご出講いただき「聴聞−聴こうとする、聞こえる−」の講題でご法話をたまわりました。

常に自分の考えをいちばん上に置いて生きているわたくしたちが、過去のすべてを抱えたままに法座に連なることの大切さをあらためて思わせていただいたことでございます。浄土・本願・信心・念仏の4つは「素数」であるとのおことばを忘れることなく、聴き続ける日々、聞こえてくるであろうものに出遇い直す日々を過ごしてまいりたく存じます。

さて、今年の報恩講も、対面とオンラインのハイブリッド形式でお勤めすることとなりました。

ご出講くださいました藤浪先生のお寺様から、わたくしが現在おります広島県庄原市までは自動車で1時間半強の距離でございますが、先生には亀有の寺にお出ましいただき、わたくしはこの地にある小さな大学の研究室で聴聞させていただきました。このようなことがあたりまえのように起きてしまうのが、現代というものなのだと思います。

昨年のこの機会に、オンラインによるお勤めは「わたくしのように遠く離れて暮らす者ばかりではなく、お歳をお召しの方、あるいは病の床に伏していらっしゃる方にも、一筋の光を射し得たもの」だと申しました。

昨日の住職の話にもありました通り、この先、すべてが元通りに戻るとは限りませんが、たとえ以前のように満堂のご門徒とともに報恩講をお勤めできるようになったとしても、オンラインによるお勤めの持つ意味や、その果たす役割は変わることがないのではないかとも思われます。

オンラインを、代替手段としてではなく、み教えを伝え広めるための極めて今日的なツールのひとつとしてとらえ直し、心配りを前提とし、技術の改善・向上に努めていく必要を感じております。

蓮光寺が、この困難な状況のもとにあっても、親鸞聖人の説き開かれたみ教えの息づく寺として存続できるよう、この法灯を未来の人々に繋ぐことができるよう、住職、坊守を先頭に、門徒一同、今後とも念仏三昧・聞法精進の道を歩んでまいります。

ご出仕・ご出講のみなさま方には、今後とも変わらぬご指導とご鞭撻をたまわりたく、伏してお願い申し上げる次第でございます。

2021年の蓮光寺報恩講のご満座結願にあたり、コロナ禍のもとで身体と心・仕事と暮らしに困難や不安を抱えておいでのみなさまに心よりお見舞いを申し上げますとともに、ご出仕・ご出講くださいましたみなみなさまに重ねて御礼申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。

このたびはまことにありがとうございました。

(2021年11月7日)

© 蓮光寺