報恩講を厳修
2025年11月5日公開
11月1日(土)~2日(日)、報恩講が厳修されました。両日ともにうす曇りながら23℃前後の気温で、暖かい報恩講でした。2日間のべ200人弱の御参詣がありました。
1日(土)の「大逮夜法要」は蓮光寺住職が「南無阿弥陀仏があるから 誰もが自分が自分のままで生きていける」という講題で法話。
続いて「報恩講の夕べ」では、住職が1年間京都教区山城2組の真宗入門講座(京都常盤会館5回・東本願寺同朋会館2泊3日)で講師を勤めたときの受講者の圓重寺のご門徒でジャズシンガーの中村由香さんと、講座のスタッフであった超徳寺ご住職の仁科洸さんに「阿弥陀さんといっしょにコンサート」と題して、念仏を通して、蓮光寺門徒に出遇えた喜びの中、「真宗宗歌」ほかおなじみの歌の数々を、会話を交えて、歌っていただきました。蓮光寺住職も何曲か歌いました。
2日(日)の「晨朝法話」は門徒感話2名で、衆徒の本多聡さんとご門徒の笠原重夫さんに、報恩講に身を置いた喜び、つながりの大切さを語っていただきました。
そして、結願日中(御満座)では、畠中光享先生(京都市、日本画家・インド美術研究者・元京都造形大学教授・真宗大谷派僧侶)に「生死を超える」という講題でご法話をいただきました。先生のインドでの生活や美術を通して、釈尊や念仏の教えを、ご自分の人生を語られました。そこには先生の生きた深さと、かといって私たちにも共通する人間の問題を語っていただきました。
それぞれ順をおって、ホームページにアップしますが、今回は、写真で見る報恩講の物語を見ていただき、最後に、河村和也総代が代表となって「御礼言上」の内容も公開させていただきますので、報恩講の大切さ、念仏相続の大切さを感じていただければと思います。
(1) お斎作り
数日前から準備を始め、1日朝8時から2日の10時にかけて本格的なお斎作りが始まりました。
(2) 準備とリハーサル
報恩講資料の袋詰め、本堂椅子の設置、なんといっても五色幕とむらさき幕の設置が大変でした。
また、報恩講の夕べのリハが行われました。
(3) 大逮夜法要
熱気ムンムンの法要と住職の熱い法話でした。
(4) 報恩講の夕べ 阿弥陀さんといっしょにコンサート
(5) 晨朝法要
住職の弟と、最近すべての聞法会に出席している笠原重夫さんの感話。自分の言葉で語られ、響くものがありました。
(6) 結願日中法要(御満座)
法要は内陣は6人出仕、余間に2人で、迫力ある勤行でしたがスタッフの仕事が多くなり、勤行の写真がなく申し訳ありません。かろうじて、気づいたスタッフが「御俗姓」の写真をとってくれました。また、司会の谷口さん、責役挨拶の草間さんの写真もなく、残念でした。
畠中先生の78年の怒涛の人生、その中に生きる念仏のご法話は圧巻でした。
畠中光享先生
責役の草間文雄氏(挨拶の写真ではありませんが──)
法話の様子
今年は、先生の大きな展示会がありました
(7) 御礼言上
責役・総代・住職・坊守・衆徒の顔が見えず残念でしたが、雰囲気は感じられるでしょう。
御礼言上
2025年の報恩講が昨日・本日の一昼夜にわたり厳修されましたことは、わたくしども蓮光寺門徒一同、大きな喜びとするところでございます。
如来の御尊前、宗祖の御影前に、御満座の結願いたしましたことをご報告するにあたり、ご出仕・ご出講くださいましたみなさまに一言御礼を申し上げます。
ご法中のみなさまにおかれましては、懇ろなるお勤めを賜りまことにありがとうございました。昨日・本日と、拙いながらお勤めをご一緒させていただき、当派に伝わる声明の伝統の重みをあらためて感じたことでございます。
昨日の大逮夜法要では、「南無阿弥陀仏があるから誰もが自分が自分のままで生きていける」の講題で当山住職の法話を聴聞いたしました。
住職は、分別することから離れられないわたしたちこそが弥陀の願いに包まれているということを丁寧に解き明かされました。奉仕団に参加した小学生のことば、オリンピアンのことば、ドラマのセリフ、アンパンマンの原作者のことば。それらがいずれもお聖教のことばと繋がり、わたしたちの思いを揺さぶったことでございます。
法要後の報恩講の夕べでは、「阿弥陀さんといっしょにコンサート」と題し、京都より圓重寺(えんじゅうじ)のご門徒でジャズシンガーの中村由香(なかむらゆか)さんと長徳寺(ちょうとくじ)ご住職の仁科洸(にしなこう)さんに数々の歌をご披露いただきました。当山住職もマイクを持ち、満堂の参加者も懐かしい歌をともに歌い、阿弥陀さんの願いに包まれながらほのぼのとした思いで楽しい時を過ごしたことでございます。
本日、晨朝のお勤めでは、当山衆徒(しゅと)とご門徒の感話を聞きました。報恩講を迎えた喜びや寺との縁の尊さが飾らないことばで語られ、その時間を共有することのありがたさをしみじみと思った次第です。
また、満日中の法要では、京都より畠中光享(はたなかこうきょう)先生にご出講いただき「生死(しょうじ)を超えること」の講題でご法話をたまわりました。
先生はご自身について、日本画家、インド美術の研究者、仏教者・念仏者の3つの顔をお持ちとおっしゃいましたが、まさに先生が歩んで来られた道筋・道のりのすべてがあってこそのお話をいただいたものと存じております。
仏教の教えの基本、すなわち「一切皆苦」「諸行無常」をやさしいことばで押さえられ、世界的な視野と歴史的な視座から、仏教的世界観の発露(ほつろ)とその背景についてお話しくださいました。まことに壮大なスケールのご法話をうかがうことが叶い、心より感謝申し上げる次第です。
さて、先生がおっしゃいましたように、この報恩講をもって蓮光寺の今年一年を締めくくろうとしていることに、まことに感慨深いものを感じております。
今年の報恩講も、のべで200人弱のご門徒におまいりいただきましたが、いわゆる「寺離れ」の問題はいよいよ深刻の度を増しており、わたくしども蓮光寺もけっして例外ではございません。
寺の実状を正しく受け止め、いたずらにおまいりの数のみに拘泥するのではなく、この寺を南無阿弥陀仏の法灯を繋ぐ真の聞法の道場として相続していくため、不断の努力を惜しんではならないものと考えております。
願いは形を持つものでございます。寺を未来に引き継いでまいりたいとのわたくしどもの願いは、ひとえに弥陀の呼びかけに訪ね聞いていくという形を取るべきものと存じます。
この先も、蓮光寺門徒一同、住職、坊守を先頭に、念仏三昧・聞法精進の歩みを進めてまいります。ご出仕・ご出講のみなさま方には、変わらぬご指導とご鞭撻をたまわりたく、伏してお願い申し上げる次第でございます。
2025年の蓮光寺報恩講のご満座結願にあたり、ご出仕・ご出講くださいましたみなみなさまに重ねて御礼申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。
このたびはまことにありがとうございました。
蓮光寺報恩講2025 大逮夜法要 11月1日(土)
2026年2月18日公開
南無阿弥陀仏があるから、誰もが「自分が自分のまま」に生きていける
蓮光寺住職 2025.11.1(土)
初事として教えに自分を聞く
今回の法話のテーマは『南無阿弥陀仏があるから、誰もが「自分が自分のまま」に生きていける』です。これは今年の6月、真宗光明団東京支部70周年記念法座でたまたま法話を依頼されまして、その時スタッフの方が「念仏の教えを初めて聞く若い人たちにも声をかけており、その若い人たちにも、また私たちのように今まで聞いてきたものにも、何か心に沁みるお話をお願いします」と言われ、かなりの難題だと思い、とっさに思いついたのがこのテーマでした。でもスタッフの方は、「誰にでもわかりやすい話をしてください」とおっしゃったわけではないことに気づきました。初めての人も、何回聞いている人も、その法座は初事なのです。
『ご俗姓』の中に「報恩謝徳のために、無二の勤行をいたすところなり」とありますね。「無二の勤行」、去年の報恩講も今年の報恩講も同じ勤行ですが、同じことを繰り返しているのではないのです。その都度、初事として報恩講の場に座らせていただいているのです。初事ということが、自分を抜きにしないで教えに自分を聞く大切な姿勢だということをスタッフの方がおっしゃりたかったのだろうといただくことができました。
賢善精進の相とは私たちのこと
いつも法話で、私たちは「愚かな凡夫と目覚めよ」ということをくりかえし教えられてきたと思います。親鸞聖人が「愚禿(ぐとく)釋親鸞」と名のった「愚禿」の内実は、『歎異抄』第13章からも、うかがい知ることができます。
ひとえに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。
(真宗聖典 旧p.634 新p.777)
〈現代語訳〉 外見には真面目な念仏の行者を装って、内心には虚偽をいだいている。
これは念仏者としてふるまうだけの問題ではなく、私たちの日常のあり方そのものではないでしょうか。私たちの自我分別は、どこまでも自己中心性を持ち、比較心から一歩も出られず、深い迷いを抱えています。それなのに、その自分を深く見つめることがなく、自分を置き去りにして、外に対してわかっているように振る舞っている、それを「愚」というのです。
私たちは、日常さまざまな縁に遇い、そこには苦悩を抱えずには生きておられないという問題を抱えています。内にさまざまな問題を抱えながら、表向きは何ら問題がないかのようにして、自分を問うこともなく、他の人たちに、仮面をかぶって自分を良く見せて、何か社会から評価されたいということに目がいってしまう。それが「愚」そのものなのです。
何ができるか、できないかという価値観が蔓延していて、できる自分でなければならない、勝たなければならないということが経済システムのなかで植え付けられているのが私たちのすがたではないでしょうか。
そんな私たちに阿弥陀さんは、どんな自分であろうとも『生まれてきて本当によかった』といえる存在根拠を与えてくれるのです。私たちの思いからすれば、何を言っているのかわからない。どんな自分であろうとこれでよかったと思えますか? 自分の思う通りにならない、自分に都合の合わないことが起こってくると取り乱しませんか。うまくいっている時の自分は受け止められるけど、うまくいっていない自分は自分で自分を捨ててしまうということが起こります。
阿弥陀さんの教えは私たちの思いからすればわからない。でも阿弥陀さんは摂取不捨(せっしゅふしゃ)、誰一人として救わずにおられないという願いをもって呼びかけてくるのです。これは自分の思いがひっくり返らないといただけないことです。自我で受け止めることは絶対にできないのです。
よく話をしますが、田口君ね、目が見えないままで「生まれてきて本当によかった」と深い頷きをもって生き、人生を全うした彼のことを知らない人はいないと思います。彼は目が治って救われたのではないのです。目が治らないままに、目が見えないままに今ある自分をそのまま大事にして生き抜いたのです。そういう人が近くにいたということが、私たちにとって仏法をいただける最短の道なのです。
私たちの思い通りにしたい分別心は必ず壊れていくということがあります。今年は倒産が多かったですね。いっしょうけんめい働いてきたのに倒産したり、リストラされたりすると、自分がなくなってしまうように思いますよね。でも倒産して失業した自分というのはちゃんと残るのです。健康もそうです。いくら健康に気をつけていても、縁さえあれば病気になるのです。長生きがいいと思っていても、結局老病死につかまるのです。
だから自分の思いを存在根拠(よりどころ)としていたら、自分が全く見えなくなるということです。自分の思いはいつも崩れていくのです。
ところが阿弥陀の世界は無分別なのです。何があっても分別しない。ということは思い通りになってもならなくても、現実を受け止めていくということですね。そのままの自分を生き抜くそういう意欲、力を与えてくれる。それが阿弥陀さんの願心なのです。阿弥陀さんによって、阿弥陀さんの鏡によって、自分が照らされたときに、「愚かな凡夫」という気づきがあたえられるのでしょう。自分の思いがひっくり返るということが起こって初めて教えが聞こえてくるのです。自分の頭で教えを分析しているうちは全然聞こえない。聞こえてくるということは自分がそうだと思っていたあり方がひっくり返ること一点です。
ですから阿弥陀さんは皆さん全員に共通した名前をつけて下さり呼びかけるのです。「凡夫よ」と。
前も話しましたが覚えていますか。私たちの自我分別は思い通りに人生が運べばいいというピンポイントしかない。リストラは×、不評は×、病気×、老い×、死は×──×が多いけど、阿弥陀さんの無分別にふれれば、すべてが〇になるのです。そんなこと本当にありうるのだろうかと思ってしまいます。これは難中の難ですね。だから聞法ひとつに極まるのです。わかってもわからなくても教えを聞かせていただく以外ないのです。
なぜなら私たちの心の奥底には本当に私が私でありたいという願いを持っているということを阿弥陀さんは見抜いているのです。だからそこに目が開かれるかどうかなのです。阿弥陀さん(南無阿弥陀仏)にふれて初めて、私たちの奥底にある仏性に気づかされると言ってもいいでしょう。「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)と言われますが、どこで証するのですか。それは阿弥陀さんによって自分がひっくり返って成り立つことです。仏性とは「法蔵願心」といってもいいでしょう。
他郷・魔郷の世界で生きる私たち
苦悩があってどうにもならんというところに本願が顔を出して私たちに呼びかけてきてそれが響いてくる。自分では間に合わんのです。そういう時に一番阿弥陀さんの教えが響いてくるのだけれども、そういう話をすると、「思い通りになっているときはこれでいいのですね」という質問を時々受けるのです。実は思い通りになっている時も人間は問題を抱えているのです。善導大師のお言葉を引用してみます。逆境の世界を「他郷」、順境の世界を「魔郷」という言葉でおさえられておられます。
「帰去来(いざいなん)、他郷には停(とど)まるべからず」
(『教行信証』化身土巻 旧p.355 新p.417)。
〈現代語訳〉 さあ、そのままの世界に帰ろう、思う通りにならない世界(逆境の世界・迷いの世界)にとどまるべきではありません。
「他郷」というのは、思い通りにならない世界、逆境と言ってもいいでしょう。そのあり方をひっくり返して、どんな自分も受け止めていける本願がはたらく浄土を真のよりどころとしましょうといただいていいでしょう。
さて、今、問題にしているのは、思い通りになっている場合ですね。それも善導大師がおっしゃっています。
帰去来(いざいなん)、魔郷には停(とど)まるべからず。
(『教行信証』証巻 旧p.284 新p.334)
〈現代語訳〉 さあ、そのままの無分別の世界(浄土)に帰ろう、自己満足の世界(順境の世界・迷いの世界)にとどまるべきではありません。
「魔郷」というのは、思い通りになる世界、自己満足に満ちた世界といっていいかと思うのです。思い通りになっているようで自己満足にすぎないわけです。有頂天という言葉あるでしょう。天に上がる。天の世界も迷いの世界です。六道のひとつです。自己満足は必ず崩れていきます。楽しいといっても、自分を失っていることに変わりはないわけです。それを「不楽本座」と表現します。そのときに酔いがさめて振り返って、自分の人生はいったい何だったのかということになれば、ほんとうに愕然としてしまうのが私たちにはあるのではないでしょうか。人生には楽しいこともあるといいますが、分別の世界から一歩の出ていないのであれば、楽しいことも崩れていくのです。
行為の前に存在そのものの問題がある
「東本願寺に来ると、学校で教えてくれないことを教えてくれる」
これは東本願寺の子ども奉仕団に参加した子の言葉と聞いています。毎年参加する子どももいるそうです。この言葉は、行為を優先する現代において、存在に重きをおいた言葉だと直感しました。
スタッフの皆さんは、子どもたちに「みんな、ほとけの子」だと話します。すべての子どもたちは、阿弥陀さんに平等にまるごと包まれているということでしょう。何ができるか、できないかより、みんなちがってみんないいのだということを子どもたちに伝えているのでしょう。「ばらばらでいっしょ念珠」を子どもたちに配っています。念珠は、まるの形で糸を通してできあがっていますね。ところがこの念珠は、〇△□のかたちで糸を通してできているのです。〇△□はみなちがっていいということを表し、糸はちがいを認めながら、深い願いによってみんなつながっているということを表しています。
こういう世界にふれると、子どもたちは「ここにいていいんだ!」という気持ちになるようです。「ここにいていいんだ」ということは、自分が無条件に受け止められているということです。皆さんは「ここにいていいんだ」という世界を持っていますか? 存在をまるごとつつむ世界を見失って、行為だけに目を注がれているのが現代ではありませんか。人間は、孤独・むなしさ・不安を抱えて生きていると言われますが、特に現代における孤独は、状況の孤独ではなく「存在の孤独」を抱えて生きていると言えるのではないでしょうか。これで人生が成り立つのでしょうか。
さらに言うと、子ども奉仕団には押し付けというものがないのです。例えば、掃除が嫌いというか、苦手な子どもがいた時、普通だったら「きちんと掃除をしなさい」と言いますね。あたり前のようですが、実はここに落とし穴があるのです。まずその子の掃除に対する姿勢を受け止めることです。それができるのが阿弥陀さんだけです。私も学校の教員だった時は「きちんと掃除をしなさい」と言っていました。けれども、東本願寺では「掃除をしましょう」と言っても「掃除をしなさい!」とは強制的なことは言わないようです。それは「掃除が嫌いなのがあなただから、何も問題ない」ということではないでしょうか。何かができるようになる、成長する、向上するということに侵されている人たちには、この言葉がまったく理解できないでしょう。多分こういう反発があるでしょう。「掃除をしなければいけないのに、しないのはおかしい。そういうことを許すのが東本願寺ですか」と一般常識を是とした人は言うのではないかと想像できます。
でもその子には通じたのです。掃除を嫌いな子どもを阿弥陀さんが受け止めてくれたことで、その子は自分と向き合うようになるのです。そうすると、なかには掃除が嫌いだった子どもが自らすすんで掃除をするということが起こるようです。掃除をしなくていいと言っているのではなく、そのことを受け止めるということがまず大切なのではないでしょうか。
完璧な人間はいません。嫌いなものがあり、好きなものがあります。なにか現代は、みな完璧にならないといけないような風潮があります。掃除のできない人間は切り捨てられる社会ではないでしょうか。佐野明弘さんが「横並びの人権」とよく言っておられますが、まさにその通りだと思います。だから生きづらいのです。これは、向上心を持ってはいけないと、否定しているわけでも何でもないのです。
どんな自分でも、丸ごと包み込んでくれたなら、掃除が苦手な自分に向かい合い、自分を受け止めていく眼をいただくのです。そこに掃除の嫌いな子が掃除をするという反転が起こるのだと思います。そういう存在の大切さを忘れて、みんな完璧な人間になりなさいというのは同調圧力にもつながります。戦争はその最たることです。人間の自我は迷いの塊です。自我をじっと見つめている阿弥陀さんの眼が現代人にとって一番大切なことではないかと思うのです。
現代の人間は、ちょっとでも失敗すると誹謗中傷を受けます。だから本当に自己肯定感が弱いのです。私は私でいいのだという自己肯定感が弱く、他人と比較してどうであるかとかということに意識がいってしまっています。
この話は自分の問題として聞いてほしいのです。そうでないと「注意していいのか、いけないのか」という問題に陥ってしまうのです。
例えば、組織には組織のルールがあり、仕事が遅いと注意されるのは当然かもしれません。しかし、上に立つ人がただ注意するだけなら上下関係から一歩も出ていない。その時「君は仕事が遅い。でも私は若い頃、仕事が雑だと言われてきた。そんな完璧な人間なんていないけど、もう少し仕事が早くやってくれたらありがたい」と言ったならば、どうでしょうか。仕事が遅いと言われた人は、何か受け止められた気持ちになるのではないでしょうか。ここに「凡夫は、すなわち、われらなり」(『一念多念文意』)という親鸞聖人の御言葉が思い起こされます。「凡夫の自覚」が関係性を開いていく証となっているではないでしょうか。
「他力本願」というのは、他人任せでもなんでもないのです。私たちを超えた大きな阿弥陀さんの智慧と慈悲が私の中に入り込んでくることによって、「自分は間違っていたな。本当に愚かな凡夫だと呼び覚まされた」と頂いて、今の自分を引き受けて立ち上がっていくのです。だから他人に任せどころか、引き受けられない現実を引き受けていくのですから真逆です。他力というのは阿弥陀さんの本願力・仏力なのです。だから、このような社会の中で、煩悩・迷いを抱えた人間の力でが、人間がどんな現実でも引き受けていけると思うなら、それは傲慢だと思わざるを得ません。人間の知恵を超えた阿弥陀さんの呼びかけである南無阿弥陀仏がいよいよ待望されている時代ではないでしょうか。私(機)の上に「時」が開かれるのです。
「そのままの私である」ことが人間の根源的願い
私はNHKの連続テレビ小説「あんぱん」を毎日見ては感激していました。9月いっぱいで終わってしまい、非常に残念です。8月22日の放送の中で、やなせたかしさん(のちのアンパンマンの作者)と妻、のぶさんとの心にしみる会話がありました。「そのままの君が最高だ」という、今日の話に関連する会話です。その会話をご紹介します。みなさん何を感じられるでしょうか。
のぶ 「無我夢中で走ってきたつもりでやった。でもうちは何にも成れなかった。教師、代議士の秘書、会社勤め、何一つやり遂げれんかった。たかしさんの赤ちゃんを産む こともできんかった(涙)」
たかし 「そんなこと誰のせいでもないよ。ぼくたち夫婦はこれでいいんだよ」
のぶ 「けど、ときどき思うがよ。うちは何のために生まれてきたのだろうって。精いっぱいがんばったつもりやったけど、何ものにも成れんかった。そんな自分が情けなくて、世の中に忘れられたような、置き去りにされたような気持になるよ。」
たかし 「のぶちゃんは、ずっと誰かのために走っていた。いつもいつも全速力で。のぶちゃんがいなかったら今の僕はいないよ。のぶちゃんは、そのままで最高だよ。」
のぶ 「ありがとう・・・」(号泣)
のぶが「無我夢中で走ってきたつもりやった」と言いました。よくわかりますね。私たちと同じ感覚ですよね。みなさんもそうでしょう。みんな一生懸命生きているのですよ。「でもうちは何にもなれなかった」と言っています。のぶが教師を辞めたのは子どもたちを戦争に駆り出したことへの責任から、というより教師を続けられなくなったのですね。当時は大政翼賛会のもとで、彼女も軍国主義者だったのです。それが戦後、大きなまちがいだと気づいたわけです。それまでは同調圧力の中でみんな戦争に向かっていくのです。だから同調圧力は非常に危ないですね。今、日本が殺傷能力ある武器をすでに輸出しているらしいですね。台湾有事が起こったら大変なことにもなります。その時に同調圧力がはたらいて、みな戦争に協力するのがあたりまえとなったら、また歴史が繰り返されてしまうのです。
次にのぶは代議士の秘書になりました。その代議士は戦後、敗戦後の混乱のなかの不正を正し、身寄りのない子どもたちに寄り添っていたのですが、だんだん国が復興方向になっていくと、当選するための代議士に変貌していくのです。それで代議士は純粋無垢であったのぶが邪魔になって、のぶはクビにされるのです。会社も勤めたけどクビになりました。当時、女性が働くということは大変な時代だったのです。そして「何一つやり遂げれんかった」と泣くのですね。これはやはり、何か行為をすることによって、それが達成できたら、そこに自分を意味づけて生きていこうという、現代人の感覚と全く共通しています。でも達成できないのも自分なのです。
たかしに励まされながらも、のぶは「そんな自分が情けなくて、世の中に忘れられたような、置き去りにされたような気持になる」と言っていますね。あの時代でもそうなのです。今はさらにそういう感覚を持つ人が多いように思います。
外国人排斥ということが急に言われ出しましたが、外国人が犯罪を起こすと目立つだけで、日本人のほうがはるかに人殺しをしています。でも犯罪を起こす人の行為はもちろんよくありませんが、どんな環境(縁)で育ってきたのか、昼間から毎日酒を飲みながら暴力をふるう父親と、勉強しろと尻をたたく母親に育てられたとしたら、まともに育たない可能性が高いですから、社会についていけないということもあると思います。両親に大切に育てられたら犯罪をしなかったかもしれません。
ですから、そういう人は社会に見捨てられた気持ちになるのでしょう。だったら一人で死ねばいいと言う人も多いでしょう。もちろん人を巻き込むのはよくないことです。ただ心の底では関係を求めているということがあるから、「殺すならだれでもよかった」ということになるのかなと色々考えさせられます。ただ行為としての罪には服さなければならないけど、存在そのものを消してはならないと思います。
だから善導大師は修業ができる人というのも縁だし、修業ができない人も縁だけれども根本はみんな縁によるのであるから、みな凡夫だとおっしゃるわけです。人間は縁に遇う存在です。業縁存在です。ですから事件を傍観するのではなく、自分のなかにも同じようなものを持っているということに気づかされることが大切です。
また、たかしとのぶの会話にもどりますが、たかしが「のぶちゃんは、ずっと誰かのために走っていた。いつもいつも全速力で。のぶちゃんがいなかったら今の僕はいないよ。のぶちゃんは、そのままで最高だよ。」と。これは阿弥陀さんがたかしに言わせたのではないかと思ったのです。「そのままで最高」だと。私たちは分別心をもっているから、そのままになれないのです。その言葉にのぶの分別心がひっくり返り、そのままの自分に帰った時「ありがとう…」と言って号泣したのです。「この私でいいのだ」と受け止めたのでしょう。これはお念仏の世界の中の会話に相違ないと感じました。
もし、たかしの言葉がなかったら、のぶは「私は今まで何をやって生きてきたのだろう」という思いに沈んで、他郷・魔郷の世界で一生が終わっていったかもしれません。ところが南無阿弥陀仏に触れたならば、こうして生きてきたことすべてが私だと。誰にもかわることができない私なだとうなずけるのではないでしょうか。すべて何一つ無駄のない私の人生でしたということがのぶが受け止めることできたから「ありがとう」と号泣したのだといただいていることです。
やなせたかしさんは戦争に行くことにより、「正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい」ということに気づかされ、ぶれない正義はあるのかということを、のぶと一緒に語り合う生活が続くのです。それでぶれない正義ということで「アンパンマン」を生み出したのですね。やなせさんはクリスチャンと聞いていますが、親鸞聖人と共通点をもっていると思いますね。
「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」
(『歎異抄』真宗聖典 旧p.604 新p.784)
〈現代語訳〉 何が善であり、何が悪であるのか、私はまったく知りません。
と、親鸞聖人はおっしゃっています。何が善で何が悪であるか私はまったく知りません。まったく知りませんと言えた背景には阿弥陀さんがいるのです。阿弥陀さんの真実信心を親鸞聖人が賜ったから、「私はまったく知らない」ということが言えたのです。だから分別がある人間になりなさいとか、善悪を見分けられる人間になりなさいという前にそう言っている人間そのものが問われているのでしょう。ぶれない正義とは、阿弥陀さんの世界のことなのです。
さらに親鸞聖人は、
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。
(『歎異抄』後序 旧p.641 新p.784)
〈現代語訳〉 煩悩100%の私たち、そしてまるで燃えさかる家のように移ろやすいこの世界はすべて嘘偽り、絵空事であって、真実など何一つありません。ただ念仏だけが真実なのです。
とおっしゃっています。
このお言葉を他人事に読むと「念仏が正しくて、あとはみんな間違っている。だから宗教はこわい」となるのです。自分のこことしていただけるかどうかのことなのです。
なぜ「念仏のみぞまこと」だと言えたかというと、私自身の正体は常にそらごと、たわごと、まことがないという、そういうことを阿弥陀さんが私を鏡で照らしてくれたからでしょう。「凡夫」であると気づかされることが実は救いなのです。
阿弥陀さんは「思う通りになってもならなくても、そのままのあなたが尊い」と重ねて呼びかけ続け、そのことを見失っている私たちに、愚かな凡夫と気づかせ、どんな状況にあっても生きる意欲(本願からの意欲)を与えてくださるのです。思い通りにならなかったら、その人生はよくなかったということではけっしてありません。どの人生も尊いのです。それが「誰もが自分が自分のままで生きていける」という本当の救いの内実です。阿弥陀さんの大悲の心とは、えらばず、嫌わず、見捨てずという「摂取不捨」の心です。一人残らず救うのです。「人生における苦しみは、すべて如来の激励」(曽我量深)なのです。
そのことを、自分の身に響いてくるまで、阿弥陀さんの呼びかけに訪ね聞いていきましょう。同じ話を何度も何度も聞いてください。ただ聞かせていただくことに尽きると思います。ご清聴ありがとうございました。
蓮光寺報恩講2025 結願日中法要(御満座) 11月2日(日)
2026年3月15日公開
生死を超える
畠中光享先生
(日本画家〔元京都造形芸術大学教授〕、インド美術研究者、真宗大谷派僧侶)
畠中光享先生
自己紹介 3つの顔
京都から参りました畠中光享と申します。僕は3つの顔を持っています。日本画家であり、大学でも長く教鞭をとりました。それからインド美術の研究者です。そして何よりも仏教徒であり念仏者であります。その中でも誰もやってこなかったことは「インド宮廷絵画」の研究です。実は東京国立博物館にも関わっているのですが、東南アジアからインドについてのことは、本当に知られていません。
僕は年賀状も仏暦で書きます。今はもう本山でも西暦が当たり前になっていますが、西暦はキリストが生まれてからの年号なので、あまり使いたくないのです。日本にも「令和」という年号がありますね。でも、わかりにくいですね。いずれにしても、私は仏教徒ですから仏暦を使っているのです。
報恩講とは
親鸞聖人のご命日を機縁として仏法をいただくことが報恩講です。お寺は報恩講が終われば次の一年が始まるという感じです。正月よりも報恩講です。11月28日が親鸞聖人のご命日。本山では11月21日から28日まで報恩講が勤まります。お寺によって報恩講を務める時期は違います。だいたいは本山の報恩講の時期を外すということが基本ですけれども、北海道などはすぐに寒くなりますから8月にするところも多いです。そのときに合わせて親鸞聖人のご縁を結ぼうということで、報恩講を勤めています。
ご家族のご法事があるでしょう。それも死んだ人のためにすると思わないでください。仏教というものは生きている人のためにあるのです。「死んだら四十九日間は成仏しない」とか「四十九日間は魂が迷っている」とか、そういうことを言う仏教の宗派がありますが、そうではありません。浄土教では亡くなれば、即もといた処、浄土に還るんです。法事は決して亡くなった人のためではなく、亡くなった方をご縁として、私が生きさせていただいているありがたさを知るためのものだと思ってください。それから仏教に「たたり」などありません。物事はなるようにしかならないのです。どんなにやったって、なるようにしかなりません。そしていつか死んでいくのです。
親鸞聖人も「死ぬ」ということを書いておられますね。『歎異抄』の中の第九条に、「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。娑婆の縁つきて、踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々」(真宗聖典 旧p.630 新p.771)とあります。
〈現代語訳〉「どんなに名残り惜しく思えても、この世の縁が尽きて、なすすべなくいのちの終焉を迎えるときに(そのご縁にまかせて)、阿弥陀の浄土へまいることができるのです。喜び勇んで浄土へまいりたいという心のないものを、ことに哀れんでくださるのです。このようなわけですから、いよいよ阿弥陀の大いなる悲願は頼もしく感じられ、弥陀の浄土への往生は間違いないと思われます。おどり上がるような喜びの心も起こり、また喜び勇んで浄土へまいりたいという心があるならば、それではかえって、煩悩がないのではないかと怪しく思われましょう」とおおせになりました」
娑婆の縁がつきて力なくして死んでいくのです。ですがその時に、怖いとかではなく「ああ、そういうものだな」と思えるのと思えないのとでは大きく違うのです。気をつけていても病気になるときにはなるのです。そして生まれる前のところに帰っていくのです。それがお浄土ではないかと思うのです。
親鸞聖人は法然上人を本当に慕っておられたのです。念仏に対する法難があって、法然上人は四国、親鸞聖人は一番遠い越後まで流されるのです。越後で親鸞聖人は何をされていたか。1年目はお米と味噌と塩を支給され、最低限の食べ物は保証してもらえたのです。ところが2年目からはそれがなくなるわけです。だから次の年の種を撒いて、育ててということになるのですが、親鸞聖人はやはりお釈迦さまの教えを大切にされ、そういうところでお念仏の話をしておられました。でも、人々はすぐには聞いてくれません。
越後は新潟、新発田、新津、みんな新しいところです。新しく水田開発をしていったところ、鎌倉幕府が田畑を拡げていったところなのです。だからそこでは罪人や身分の低い人などが土地を開墾していくのです。そうなるとやはり問題ごとが起こるでしょう。それに対して親鸞聖人は、読み書きが優れていらしたので、役人に対して訴えるとか、比叡山で培った傷の手当てをするとか、そういったことで少しずつ人々の信用を得ていかれたのではないでしょうか。最初からお念仏のありがたさを言ったってわかるわけがありません。そういう親鸞聖人の御苦労があって、私たちに南無阿弥陀仏が届けられているのです。その御恩に報謝するのが報恩講だと思っています。
仏教の基本 ─苦しみと無常─
仏教の基本は「苦しみ」です。楽しいときは一瞬です。人生ほとんど苦しいことばかりです。「四苦八苦」と言うでしょう。「四苦」とは生老病死です。生まれたときから差別されていますから生も苦しみなのです。
今は生徒、学生である時期に生き方の勉強が足りないのです。そういうことが日本の教育で一番抜けているのではないでしょうか。老病死、これをはっきりと知っていることと知らないこととでは大きく違うと思います。頭でわかっていても「ああ、病気になってかわいそうに」と言う場合、自分が病気ではないと思っているのです。「年がいって、よれよれになったな」と言ったら、私の方がまだ元気だなと思っているのです。でも自分もそうなる身だということを知らなければなりませんね。
死ということを除いた宗教はないのです。お釈迦さまは必ず死ぬことを問題になさり、いろいろな譬えでお話をされています。「熟した果実は必ず腐って落ちる」とか、「素焼きの壺はいつか必ず壊れるように、人の身も壊れてゆくものだ」とおっしゃっています。
それから「苦」。生老病死だけではなく、あとの4つを合わせて「八苦」というのは、全てこころの問題です。大きく言えば「欲」です。愛欲もあれば、物欲もあり、ちょっとしたことでも欲があるのです。でもそれを否定なさいません。それが人間にとっては当たり前だと。だからもっと欲を出せというのとは違います。欲は死ぬまで消えませんがそれが人間です。こころの欲というものも、これはもう治りません。嬉しいことも悲しいことも来るのです。人生は一人になったら寂しい。でもこれは当たり前だと思って生きていかないといけない。
もう一つ、仏教は「無常」ということを問題にします。無常というのは常でないと。だから「今が一番大事」と言うでしょう。こうしてお寺に来てくださって、ここに立たせていただくことだって、ちょっと縁が違ったら立てないのです。
蓮光寺さんの寺報をいつも読ませていただいていますけれども、以前、ある講師が「コロナで来られなかった」ということを書いておられました。僕もコロナで来られなくなったら困るなと思って、今日に照準を合わせて、ここの場に立てる事を一番の目標にして過ごしてきました。コロナに罹るときは、罹るのです。そして死ぬときは死ぬのです。でもお釈迦さまは、いつも気をつけて生きなさいとおっしゃっています。
ところで、今も戦争が行われています。戦争は絶対に美化してはいけません。戦争は人殺しです。一人でやれば殺人になって、集団でやったら殺人にならないなんて、そんなおかしなことはないです。戦争ほど悲惨なことはないです。
そのことを、わが身にかえて考えるのが仏教なのです。集団心理は怖いのです。もう国が戦争になったら、みんな戦争に行かなければ村八分になるようなところがあったのです。戦争を起こした張本人は戦場で戦っていないのです。上の人は戦争があったら金もうけをしている人が多かった。戦争さえも商売にしているのです。戦争反対は当たり前のことです。
インドのこと
インドとの関わりは本当に長く、もう半世紀を超えています。僕は今78歳です。亡くなったり、仕事をしなくなったりする友人が多くなりました。でも、生きさせていただいている間は、なんとかできる限りのやれるだけのことをしていこうと思っています。
初めてインドへ行った時に、「あなたの宗教は何ですか」ということをよく聞かれました。もちろん、私は仏教徒ですと申していましたけれども、当時、日本の同世代の若い人たちのほとんどは、「無宗教」と答えていました。無宗教というと、インドの人にすごく嫌われます。それは「私しかない」という考え方だからです。空気や水や火、自然のものがあって、みんなの全てのいのちのおかげで生きさせてもらっているというのが、インドの宗教(ヒンドゥー教)なのです。だから「無宗教」というと、「私だけが」ということになってしまうのです。この人には「おかげさまで」という考えがないのだ、ということで嫌われてしまうのです。
日本には宗教教育がありません。本来はやるべきです。いろいろな宗教、外国の宗教を慕うのだっていいのです。そうやって自分にとっての宗教を選んでいくということがないと、信教の自由といいながら、何をしてよいかもわからないのです。だから自分は「無宗教」だと簡単に言ったり、迷信的な新興宗教に引っかかりやすくなるのです。
『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』)というお経があります。それによると、お釈迦さまが一番長くおられたところは、ラージャグリハ(王舎城)という場所です。王舎城の中の鷲の峰の近くに住まいされていました。
出家の人の住まいというのは町に遠からず近からずという、これが基本です。食べるものだけは、皆さまにいただくのです。托鉢して回るのですからそういうことになります。
東南アジアの国々に行ったら暗いうちに歩いてください。必ずお坊さんが托鉢で回っています。お寺の中では草履を履いて生活していても、托鉢へ行くときは、雨でも裸足で歩きます。そして鉄鉢の鉢がいっぱいになり、それより多くなったら、途中でもっと食べられない人にあげて帰る人が多いです。自分の食べる分だけでよいのです。食べるのは托鉢をした後と、お昼までです。午後はお茶と軽食ぐらいしか食べないのです。どうしてかというと、インドもそうですが、暑いところでしょう。腐りやすいので、午後は食事をしないのです。
お仏跡へ行くときには、人をお連れすることがあります。やはりそこの場へ行かないと、お釈迦さまが本当にいらしたのか、ということも実感できないです。親鸞聖人のことも、大正時代に『恵信尼消息』が西本願寺の蔵から出てくるまでは、実在しなかったという説もあったほどでした。ですから2600年近く前のお釈迦さまのことは、実在していたかどうかわからないと思われているわけです。ですが田舎の仏跡に行きますと、ああ、本当にここにお釈迦さまがおられたという感じが、もう2600年以上の時を経て実感できるのです。それが仏跡にお参りをする喜びでした。
上座部仏教(出家仏教)は、小乗仏教と言われていたことがあります。小乗というのは大乗仏教の人が言った言葉で、もともとはない言葉です。大乗仏教というのは、お釈迦さまの教えは出家の人だけではなくて、誰もが救われる教えだということです。浄土真宗もその中の一つだと思ってください。
インドの仏教を世界に広めたのはマウリヤ王朝3代目のアショカ王でしたが、初代のチャンドラグプタ王は皇帝の位についたらすぐに出家し、一人の出家者として遊行生活をし、最後は南インドで野垂れ死んだと言われています。中国の場合ですと、秦の始皇帝は死にたくないので必死で不老不死の薬を探します。そんなことしても必ず死ぬでしょう。死んだら、食べるもの、生き物、従者まで埋めて、そして土器でつくった軍隊を何千と守りにつかせるわけです。私は死にたくない。私はいつまでも生きたい。中国の始皇帝を見ていると、インドの考えとは対象的だなと思いますね。
日本の仏教も非常にわかりにくいところがありますが、一番よくわかるのは浄土真宗です。一番お釈迦さまの教えに近いからです。お釈迦さまの仏教は、日本ではなかなか浸透していません。日本に仏教が伝わった時には既に密教化した仏教でしたから、日本の仏教は密教から始まっているのです。インドから中国へ仏教が伝わり、朝鮮経由で日本に仏教が入った時から密教だったのです。このことをあまり皆、知らないのです。密教というのは、伝教大師や弘法大師が平安時代の初期に伝えた仏教だと思っているのです。
インドでは、5世紀には、お釈迦さまが亡くなって千年が経っているのです。千年も経てば、もうお釈迦さまの教えはなかなか広まらないのです。在家仏教や出家仏教がある。仏教自体が変わっていくのです。どのように変わったかというと、ヒンドゥー教を取り入れていくのです。もともとは、インドにはバラモン教という宗教があって、自然のものが全て神さまでした。仏教は、それを否定するところは否定するのです。例えばヒンドゥー教、密教の儀礼は水や火を使います。護摩をたくとか。ですがお釈迦さまはそういうことを一切否定されます。水や火で身が清められるものではないと。清められるのは火葬することだけです。ただし現代のお清めとは違います。
仏像のこと
仏さまと菩薩さまの衣裳はどう違うか。お釈迦さまの格好は衣を着て、下に腰巻きをしているだけなのです。大衣といって大きな衣を巻いているだけです。それは出家の人の衣裳です。今では衣と袈裟は別になっています。今日は五条袈裟でお勤めをなされていましたね。
もともと出家の人たちはどういう衣類を着ていたかというと、インドでは人が亡くなったら、その人の着ていた衣類を脱がせて新しい布に巻き替えて、水に漬けてから荼毘に付すのです。だから死体捨て場に行けば、いっぱいボロ布があったのです。それを拾って、いいところを集めて、お坊さんが裁縫をしてつないでつくるのです。五つつなぎのものを五条というのです。七つの場合は七条というわけです。それが時代を経て、立派な形に変わっていったのですけれども、みんな小さいものをつないでいるのです。だから五条袈裟でも、すり切れて何かに使おうと思っても、本当に小さな断片ばかりなのです。お坊さんは基本的に、食べるものはいただく。着るものは自分で縫っていたのです。
仏さま(仏像)をつくるときの基本は、出家した人のお姿です。だからボロ布を巻いているのです。冬の寒い時は通肩といって両肩を隠しています。暑い時は片方の肩を出しているのです。偏袒右肩といって、だいたい右側を出します。
菩薩さまはお釈迦さまの宮廷生活の姿です。暑いからたいてい上半身は裸です。そして豪華なスカートのような腰巻きを垂らし、ネックレスやイヤリング、腕輪やアンクレットのような装飾品をいっぱい付けているのです。それはお釈迦さまの宮廷生活の姿だと思ってください。
それからもともとは一尊です。最初はお釈迦さまだけです。菩薩はこの先、仏に成ると言われている弥勒菩薩だけです。次に阿弥陀如来がつくられました。それが後になってくると、釈迦三尊などといって三尊像ができるでしょう。一般的には文殊・普賢菩薩が脇侍に付くわけです。でも浄土真宗は違うのです。東本願寺の釈迦堂は御影堂門の上にあります。脇侍はお釈迦さまのお弟子さんの阿難尊者(アーナンダ)と弥勒さんです。脇侍は後でできたものだから、宗派によって違うのです。真宗は『大無量寿経』から三尊様式でつくられています。
仏像ができるまでに、実はお釈迦さまが亡くなって500年の時間がかかっているのです。教科書にはギリシアやローマの影響で仏像ができたと書いてありますが、そんなことからだけではありません。一番大きな理由は大乗仏教が普及したからです。やはり西暦がないとわかりにくいから西暦を使いますが、2世紀ぐらいになってから、誰でもが救われる大乗仏教がすごく広がっていくのです。七高僧の最初の龍樹や天親(世親)が、誰もが救われる大乗仏教を体系化していかれました。そして形があるものを求めるのです。そのためには沢山の仏像をつくるだけのスポンサー、つまり王様の経済力が必要でした。
お釈迦さまの一番のスポンサーになったビンバシャラ王の統治するマガダ国は、鉄がたくさん産出されたところです。今でも場所によって鉄の塊が出ます。銅より鉄の方が硬い、強いでしょう。それで国がすごく富むのです。場所によっては、今でもその車の轍(わだち)の跡で石がへこんだところがあります。
お釈迦さまが亡くなって間もなくの頃は、どんなものがお祀りされていたかというと、土まんじゅう形です。お釈迦さまが亡くなった時、8つの国があって、遺骨を8つに分けるのです。各国の王さまが少しずつもらって、それで土まんじゅうをつくる。それは決してお墓ではないのです。それをお釈迦さまとして礼拝していたのが仏像の始まりです。
紀元前3世紀半ばにアショカ王が出たときに、その8つの国の土まんじゅうを暴くのです。そして八万四千の仏塔をつくったと言われています。これは数が多い譬えであって、沢山の仏塔がつくられたのは間違いありません。古いもののいくつかは見つかっているのです。
一般の人にとっても礼拝の対象が欲しかったのです。最初は仏塔だけでよかったものを、だんだんとお釈迦さまの生きている間の事跡を象徴化したもので表現するようになります。お生まれになったことの象徴を蓮の花にするとか、お悟りの象徴を、その時に樹の下に座られたので菩提樹にしたり、その樹の下にあった石、金剛宝座というのですけれども、それを彫刻したりして、お釈迦さまとして礼拝するのです。四大事蹟のあとの2つは、初めての説法(初転法輪)と涅槃です。初転法輪は輪、涅槃は仏塔で表わされました。
コルコタでのこと
もともとお葬儀は荼毘葬送の儀というのです。火葬をする儀式です。貧しい場合、薪を燃やす木もないから土葬にするのであって、本来、仏教は火葬なのです。どうしてかというと、病気が広がらないようにするためにです。
初めてにインドに行った時は本当にびっくりすることの連続でした。今はコルカタといいますけれども、当時はカルカッタです。そこでは千百万人の人口のところに、百万人の難民が流れて来ていました。本当に鎌倉時代の『餓鬼草紙』を見るようでした。骨に皮が付いただけのガリガリで、お腹だけが出ていて、行き倒れて死ぬ人を一日に30人は見たでしょうか。それでも犬やリス、いろいろな動物がいても、それを捕って食べる人はいませんでしたね。そのまま死んでいく。それで死んだら、通りすがりの人が少しずつお金を置いていくのです。そしてある程度たまったら焼き人さんが遺体を運んで行って荼毘に付すのです。もうそれが強烈でした。そしてその時に10日間ほどマザー・テレサのところでボランティアをさせてもらいました。何をするかというと、オムツの替えと洗濯です。少しでも何かできたらと思ってやっていましたが、ほとんどがいつ亡くなるかわからないような人ばかりでした。
僕が、絵を描いてやっていけるかなと思ったのは、この光景を目の当たりにしたからでした。元気な限り働けば日本では生きていける。なんとかなると思ってね。それが自分の中での一つの覚悟でした。
死んでいく身を生きる
僕はお寺の子に生まれたのですが、6歳の時に母が亡くなっています。母のお姉さんは21歳で亡くなっているのです。その後、しばらくして後妻さんが来たのですが、連れ子があって、随分とありがたくいじめてもらいました。本当に「おしん」そのものでした。
小学校から高校まで、よくわからん生活をしていましたね。ガキ大将でしたね。浪人をしている時に、親父に「ただの坊主になってくれる方が尊い」と、まともなことを初めて言われたのです。それで大谷大学へ行ったのですが、本当によかったです。大谷大学でいろいろな友だちができました。大寺の、「殿」と言われるような学生もいれば、お檀家からの学費で来ている生徒もいた。でも、差別はなかった。みんな同じでした。その後、卒業してインドへ行って、それからまた京都市立芸術大学へ行ったのです。そこでもうガキ大将になっていました。ただ芸大へ行った途端に、みな同じではなく比べるのです。そこが大谷大学と大きく違いました。しかし絵を描くことは、ずっと続けて懸命にやるしかないのです。
僕のある友だちはお寺に生まれたものの、お寺が嫌で、20年間ネパールにいました。そこでネパール仏教を一生懸命に学んだのです。そしてその時期、1年ほど、今で言うシェアハウスのようなところで一緒に生活をしました。そして2年前に、その人も含めた数人の友人達と一緒に、インドのみんなが知らない仏跡にお参りをしようということになりました。でもどこの仏跡も整備されてきれいになり過ぎて、車で行けて、何も面白くなかったです。
35年ぐらい前には「仏陀最後の旅」の途中の辺りから歩いたのです。バイシャリーというところからクシナガラというところまで。8日間歩いたのです。3時ぐらいになったら、どこか農家に頼んで、泊まるところを決めて、それでまた歩く。昔のままの名称のところも残っているのです。途中に大きな川があって、そのときは渡し船で渡りました。そんな旅をした場所も、今や高速道路の橋がついて、すぐ行けます。発掘されていない大きなストゥーパがいくつもあった場所も、きれいに整備されて、何の面白味もなく、歩く気がしません。公園化してしまって、逆に寂しい思いがしました。
どんなにきれい整備されても、私たちはいつだって、何かがあれば死にゆく身なのです。ちょっとしたことで不自由になることがあります。自分が気をつけていたって、交通事故に遭うかもわかりません。それを、不幸だとかではなくて、それはそういうふうになるためにあったのだと思わないとね。
仏教では、実は自殺を否定も肯定もしません。普通は自死すると悪と思うでしょう。お釈迦さまのお弟子さんでアーナンダ(阿難)という人がいます。お釈迦さまのいとこにあたる人で、お釈迦さまより25歳ぐらい若いのです。お釈迦さまは60歳を過ぎると、体がしんどいからアーナンダを付き人になさるのです。どこへ行くのも一緒に行かれていた。ところがお釈迦さまは説法の時、人によって難しい言葉を使ったり、わかりやすくしたりされるわけです。対機説法といいますね。それで、あまりにもいろいろなことを聞き過ぎて、アーナンダはなかなか悟れなかったのです。
灘の酒に「多聞」という酒があります。「多く聞く」と書く。「多聞第一」といわれたアーナンダ(阿難)から取っているのですけれども、彼はあまり聞き過ぎて、何が何だか、なかなか整理がつかなかった人です。でもその人が最後は、自死をしているのです。「仏法が広まらない」ことを苦にして自死しているのです。このことも、仏教では、そういう縁によってそうしたと、そういうことだけです。
2025年は畠中先生の大きな展示会が2つありました(京都・相国寺)
自分の研究もそうですけれども、切りがないのです。同じところに3回は行かないと、行ったことにならないと思っています。お話でも、同じことを何度も聞かないと身につかないのです。私は死ぬべき存在であるということを、もっとしっかりと思って欲しいです。いつまでも生きていない。今日、お会いできたことが最高です。明日はまた明日が最高になるように、できるだけ努力をしましょう。でも努力をしても無理なことは無理です。
仏教徒は、死ぬも生きるもないのです。生きていることも死んでいることも同じ。死んだ人を供養するのは、私のためです。そういうことで法事をするのです。介護をすることだって、やってあげているのではなくて、やらせていただくと。いつか自分もそうなりますよね。
草鞋を3つも履いてやっていますけれども、どれもこれも、みんな一つです。私はどうして生きていきましょうか。全てはそれにかかっています。答えはありません。いい絵を描きたい。いい絵とは何か。そういうことの問い。毎日がそんな感じです。いつか、その内くたばります。それまでなんとか気をつけて生きていきたいと思います。
お釈迦さまの最後の言葉です。「怠らず、努力をしなさい」と。物事は移りゆく。全て移っていくのです。無常です。同じことなんか絶対にない。それをしっかりと胸に生きて、生きている間は、怠らず、努力したいと思っております。(了)
御礼言上
2025年の報恩講が昨日・本日の一昼夜にわたり厳修されましたことは、わたくしども蓮光寺門徒一同、大きな喜びとするところでございます。
如来の御尊前、宗祖の御影前に、御満座の結願いたしましたことをご報告するにあたり、ご出仕・ご出講くださいましたみなさまに一言御礼を申し上げます。
ご法中のみなさまにおかれましては、懇ろなるお勤めを賜りまことにありがとうございました。昨日・本日と、拙いながらお勤めをご一緒させていただき、当派に伝わる声明の伝統の重みをあらためて感じたことでございます。
昨日の大逮夜法要では、「南無阿弥陀仏があるから誰もが自分が自分のままで生きていける」の講題で当山住職の法話を聴聞いたしました。
住職は、分別することから離れられないわたしたちこそが弥陀の願いに包まれているということを丁寧に解き明かされました。奉仕団に参加した小学生のことば、オリンピアンのことば、ドラマのセリフ、アンパンマンの原作者のことば。それらがいずれもお聖教のことばと繋がり、わたしたちの思いを揺さぶったことでございます。
法要後の報恩講の夕べでは、「阿弥陀さんといっしょにコンサート」と題し、京都より圓重寺(えんじゅうじ)のご門徒でジャズシンガーの中村由香(なかむらゆか)さんと長徳寺(ちょうとくじ)ご住職の仁科洸(にしなこう)さんに数々の歌をご披露いただきました。当山住職もマイクを持ち、満堂の参加者も懐かしい歌をともに歌い、阿弥陀さんの願いに包まれながらほのぼのとした思いで楽しい時を過ごしたことでございます。
本日、晨朝のお勤めでは、当山衆徒(しゅと)とご門徒の感話を聞きました。報恩講を迎えた喜びや寺との縁の尊さが飾らないことばで語られ、その時間を共有することのありがたさをしみじみと思った次第です。
また、満日中の法要では、京都より畠中光享(はたなかこうきょう)先生にご出講いただき「生死(しょうじ)を超えること」の講題でご法話をたまわりました。
先生はご自身について、日本画家、インド美術の研究者、仏教者・念仏者の3つの顔をお持ちとおっしゃいましたが、まさに先生が歩んで来られた道筋・道のりのすべてがあってこそのお話をいただいたものと存じております。
仏教の教えの基本、すなわち「一切皆苦」「諸行無常」をやさしいことばで押さえられ、世界的な視野と歴史的な視座から、仏教的世界観の発露(ほつろ)とその背景についてお話しくださいました。まことに壮大なスケールのご法話をうかがうことが叶い、心より感謝申し上げる次第です。
さて、先生がおっしゃいましたように、この報恩講をもって蓮光寺の今年一年を締めくくろうとしていることに、まことに感慨深いものを感じております。
今年の報恩講も、のべで200人弱のご門徒におまいりいただきましたが、いわゆる「寺離れ」の問題はいよいよ深刻の度を増しており、わたくしども蓮光寺もけっして例外ではございません。
寺の実状を正しく受け止め、いたずらにおまいりの数のみに拘泥するのではなく、この寺を南無阿弥陀仏の法灯を繋ぐ真の聞法の道場として相続していくため、不断の努力を惜しんではならないものと考えております。
願いは形を持つものでございます。寺を未来に引き継いでまいりたいとのわたくしどもの願いは、ひとえに弥陀の呼びかけに訪ね聞いていくという形を取るべきものと存じます。
この先も、蓮光寺門徒一同、住職、坊守を先頭に、念仏三昧・聞法精進の歩みを進めてまいります。ご出仕・ご出講のみなさま方には、変わらぬご指導とご鞭撻をたまわりたく、伏してお願い申し上げる次第でございます。
2025年の蓮光寺報恩講のご満座結願にあたり、ご出仕・ご出講くださいましたみなみなさまに重ねて御礼申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。
このたびはまことにありがとうございました。