宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌関連ニュース

2006年2月26日掲載

住職ラジオ出演 5回目の放送内容

おはようございます。前回は、人間をそのまま丸ごと捉えるホリスティック医学を提唱し、実践されているある先生のお話をいたしました。医師であるこの先生は、死ぬということと向かい合うことは、生きる意欲が与えられることだと言われていましたが、とても大切な視点であると思います。

私たちは死に向かって生きています。ところが、現代の大きな問題は、生きることの明るみだけを追いかけ、死ぬことは最も暗く見たくないこととして遠ざけてきたことにあるといっていいでしょう。死が見えなくなってしまったのです。

ところで、仏教の世界では、亡くなった日を「命日」と呼びます。一般用語となってしまって、その意味を問うことがないのですが、死を受け止めて、本当のいのちの事実に立って生きよという教えが、「命日」、つまり「いのちの日」と呼ばれるようになったと私はいただいています。大切な方が亡くなっていくことは、悲しく、つらいことですが、そこには悲しみを縁として、いのちについて教えられる場が開かれているということなのでしょう。

あるご門徒のお子さんが3歳で亡くなりました。お腹を痛めて産んだお母さんのショックは大きく、一体、子どもはどこへ行ってしまったのか、子どもの居場所がわからないと言って泣き続け、四十九日に納骨することを拒み続けました。ところが、そのお母さんが、ある日納骨を決心されたのです。なぜ、決心したのでしょうか。それはけっしてあきらめからではありませんでした。泣いて暮らすお母さんに「ママはどうして、泣いてばかりいるの。僕は大切な三年間を生き抜いたのに、どうしてママは自分のいのちを無駄にすごすの?」というお子さんのよび声がふと聞こえた時、納骨を決心したのでした。お母さんは、お子さんが3年しか生きなかったことを悔やみ続けていたのですが、悔やめば悔やむほど、お子さんのいのちを軽んじていることに気づかれたのです。そして、お子さんからいのちの尊さを教えられたのです。お子さんは、このお母さんの子であることはまちがいないけれど、お母さんにも両親がいて、その両親にも両親がいるというように遡っていくと、お子さんのいのちは、太古の昔から、不思議としか言いようのないあらゆるいのちの営みがあってはじめて成り立っていたのです。計り知れない無量のいのち、無量寿がお子さんになっているのですから、お子さんのいのちは、いわば3歳プラス無量寿だったのです。そういう無量寿が背景にあって、お子さんは誰にもかわってもらうことができないかけがえのない3年間を生き抜いたことをお母さんは身にしみて感じたのです。

それは、単にお子さんのいのちの事実に留まらず、自分のいのちもあらゆるいのちの営みによって成り立っている、すべてが自分を支えていることに気づかされたのです。大きないのちの営みが、お子さんになり、自分になっているということは、お子さんもお母さんも、同じようにはかり知れないいのちから生まれ、同じいのちに還っていく存在だったのです。死とは消えてなくなることではなく、無量寿の世界である浄土に還っていくことだったのです。同じいのちを生き、同じいのちに還っていく者として、与えられたこのいのちを生き切ることが、無量寿から、そしてお子さんから願われていたのです。そのことに本当に頷かれたとき、お母さんはお子さんを諸仏、仏さまとして尊ばれることになったのです。

お母さんは、お子さんが通うはずだった幼稚園の前を通り、園児が楽しそうに遊んでいる姿を見ると、もしわが子が生きていたら、このなかにいただろうにと思うと涙が止まらないそうです。でも、悲しみはなくならなくても、お母さんのなかに、お子さんが同じいのちを生きるものとして生きていることを感じられているそうです。はかり知れない無量のいのち、浄土に帰られたお子さんですが、同時にお子さんがお母さんのいのちとなって、お母さんを支え続けるのです。これからもお母さんは、深い悲しみの中から出遇うことのできた浄土を生きるよりどころとして、お子さんとともに歩み続けていかれるでしょう。

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