宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌関連ニュース

2006年2月26日掲載

住職ラジオ出演 4回目の放送内容

おはようございます。先週は私が住職をさせていただいている寺のご門徒の篠崎一朗さんが闘病生活を通して、親鸞聖人の教えに立ち返っていかれたお話をいたしました。その篠崎さんに多大な影響を与えたのがホリスティック医学を提唱するある先生でした。私自身、篠崎さんを通じて、その先生とお付き合いをさせていただいており、先生の医療に対する姿勢と生き方について深い感銘を持っています。

ホリスティック医学というのは人間をそのまま丸ごと捉える医学です。これは従来の西洋医学が、胃なら胃という部分だけを見るあまり、全体を見ることを怠り始めたことに対する反省、あるいは批判から出てきた考え方です。人間は、「からだ、こころ、いのち」と3つからなるものだとすると、ホリスティック医学は、体に働き掛ける方法と、心に働き掛ける方法と、いのちに働き掛ける方法を重ね合わせて、一人の人の治療にあたっていくわけです。ホリスティック医学は人間丸ごとですから、病というステージだけではなくて、生老病死の全部に及ぶわけです。生まれたばかりの赤ちゃんも、ご年配の方も、これから死に逝かれようとしている人も、みんな対象になるのがホリスティック医学だそうです。

先生は、「一人ひとりのいのちは、もともとは宇宙のはるか虚空の場の一部であったのに、ビッグバン以来、宇宙の場の一部として150億年の旅を経て、肉体という衣服を与えられて、地球に下り立ったのです。地球に下り立ったのは、150億年の旅の道中で失ったエネルギーを、地球上の何十年間かで回復し、ふたたび虚空に帰って来なさいという、虚空の意志がはたらいているからです」と言われます。このように、医療現場を通して、確固たる死生観をもっていのちを捉えている先生は、「私が考えていることは、すでに仏教が説いていたことにびっくりしています」と語られています。いのちは単なる生物学的いのちではなく、あらゆるもののはたらきによって、この私が成り立っている、そういう見方をしながら治療をされるお医者さんがおられることにとても救われた気持ちになりました。まさに、“今、いのちがあなたを生きている”ということを医療現場で実践されているのです。

さらに先生は、「人間とは悲しくて寂しいということを思います。しかし、この生きる悲しみと向き合って生きる人が多くなると、絶対にいのちの場のエネルギーが上がります。私たちの医療者でも生きる悲しみが全く分かっていない人がいるのです。こういう人が多いと、いのちの場のエネルギーが上がってこないのです。明るく前向きということに溺れることなく、やはり人生は悲しい、生きることは悲しいということを時には思い出しながらやっていく、それが大事だと思うのです。地球は人間の修行の場です。安楽など願ってはならないのです。人生を生きるということは、旅人の寂寥、寂しさが加わります。だから人はもともと悲しくてさびしいものなのでしょう。それから、私たちの未来にあることで確かなことは、死ぬことだけです。だから一回死に目を向けるということです。それによって希望や生き甲斐が生きてくる。死からこちらを見てくると、生がよく見えてくる。そういうことがあると思うのです。そういうことで、癌の患者さんと話をしながら、実は病気であろうとなかろうと、われわれが生きているというのはこういうことをやっているのだということを、私はいつも感じています」と語られます。死ときちんと向き合い、どんな苦悩、悲しみからも逃げるのではなく、すべて自分のこととして受け止めて生き、最後は虚空、つまりいのちの故郷に帰っていくのだという大きな世界観をもって医療に当たられる先生にいつも励ましをいただいております。医療と仏教というまるで分野がちがうようでも、根底においては、仏教が問い続けてきた問題と深い関係があることを教えられました。

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