東京教区東京2組
東京二組C班 
遠藤秀賢先生法話「今、いのちがあなたを生きている」抜粋

【'14年7月28日掲載】

※この法話の文章は、東京二組C班スタッフが起こしてくださったものを、ご許可を得て抜粋し使わせていただきました。

法話抜粋

〈思い〉に生きたらすべてが苦になる

自分の中での仏教って何だろうというところから、改めて確認し直して、みなさんと歩んでいこうかなと、こんなふうに思っているんです。

世間の価値観で満足できないといいますか、そういうところから仏教を求めているということがあるんです。世間の価値観とは、勝他、名聞、利養ということですね。

ほかの者に勝ってゆく、これが世間の価値観なんですね。勝ち続けて進むとどうなるかというと、名前が聞こえるんですよ。有名になる。有名になった人はどういう活動をしているかというと、呼ばれた所で何かお話をすればお金もいただけるということになるんですね。そのお金によって自分や自分の子供を養うことができるんです。名前が世に売れて、お金も稼げて、社会的な地位もできたということになれば、一応世間的には成功だということになるんです。

だけど、有名になってお金を稼いでそれでどうするのかと改めて問うたとき、さてどうなのかなと。有り余るほどのお金を稼いだとしても、死んでまで持っていけません。どうするんだということになったときに、どうも世間の価値観では間に合いません。

そういうときに、仏教が改めて、世間の価値観ではない価値観というものを教えてくれるということがあろうかと思います。

『大無量寿経』のお話ですが、お釈迦さまが教えを説こうとされたときに、阿難(アーナンダ)が、どうしてお釈迦さまはそんなに生き生きとしていらっしゃるんですか、と問うんです。阿難は器用な人なんですけれども、お釈迦さまの弟子である間に、生きて在るということが喜べなかったという問題を持っているのです。

親鸞聖人の「和讃」にこうあります。「如来の光瑞希有にして/阿難はなはだこころよく/如是之義ととえりしに/出世の本意あらわせり」(『真宗聖典』483頁)とあります。阿難が問うたおかげで、仏がこの世に出てきた本意というものを現してゆくということが始まったんです。ということは、仏教は人間の苦悩から始まっているんですね。

お釈迦さま自身がそうなんじゃないですか。お釈迦さまは釈迦族の王子さまですね。王子さまというのは、その時代、その社会の中で一番恵まれた人ですね。だけどもそのお釈迦さまは暗い顔をしていたんですね。だから両親の王様とお妃さまが心配して、春には春の館を建て、夏には夏の館を建てて、そこできれいな女の子を集めて音楽を奏でたり、遊びをいっぱいやらせてみたりするんだけど、お釈迦さまは喜ばない。一体自分は何のために生まれたのかと言って、家出しちゃうんです。求めたんですよ、自分が存在しているということの意味を。本当にその意味を納得したいと。

そして苦行があって、お覚りを開くという時に、女の子の作ったミルク粥をすすって苦行をやめた。苦行をしているほかの人たちは、あいつは堕落したというふうに見るわけですね。だけど覚られたんです。

お釈迦さまがお覚りを開いたという一番の根本には、一体自分がこの世に生まれてきたというのは何であるのかという問い、苦悩があって、そこから開かれてくるということがあるわけです。お釈迦さまの隣にずっと付き添っていた阿難という方も、やっぱり同じ問題を抱えていたんです。

私も人生を生き生きと生きたいと思うんですけれど、なかなかそうはならないんですね。この「いのちのふれあいゼミナール」でも、宮戸先生の言葉がありましたね。きれいに生き生きと清く生きたいけれども、濁りに染まって生きていますね、ということが表現されているんですよ。

「クチ(口)が濁るとグチ(愚痴)になると言っていましたね。「トク(徳)が濁るとドク(毒)になる」とね。濁りに染まりながら生きているなという実感がありますね。

お釈迦さまがお覚りになってからずっと一貫しておっしゃっていたのは、人生は苦だということだと思います。四苦八苦、生老病死と言われているんですね。

「生まれる」という言葉は「れる」という受身で表されていますね。ところが受身の表現じゃなくなっちゃっているんですね、自分の中で。受身の表現はだいたい、被害を受けているというような感じがあるんです。

すると、私が生まれたというのは、私は何も父母に頼んで、この時代に男として産んでほしいと言って生まれてきたんじゃない、という怨みまで持っているということなんです。

阿闍世にはやはり怨みがあるんです、自分が生まれたことについて。これは人間はみんな持つ問題なんですよ。今たまたまこの時代のこの日本に生まれているから、恵まれたということがありますけど。

生老病死が4つの苦しみだと聞いた時に、老病死については苦だということは何となくすぐ分かったんです。でも、生まれるということについては、苦だとはちっとも思いませんでしたね。老病死が苦だということは感覚的にすぐ分かるんです。

いのちの事実を生きよ

でも何となく、どうしてそのことが苦だと分かるのかと、改めて問うたことがあるんですね。だいたいこういうことじゃないでしょうか。老いたくはないけれども老いてゆく。病気にはなりたくないけれども、なるときはなる。最後は、死にたくはないけれども死んでゆく。

「けれども」というのが付いているんですよ。この「けれども」とは何だろうかと思った時に、これは〈私の思い〉を精一杯表している言葉なんです。

私が生きているのは、「けれども」という〈私の思い〉で生きているということですから、この〈私の思い〉に生きれば、全部が苦になる。生きて在ることがすべて苦になると。そういう問題を持っていたということですね。

じゃあ、思いで生きたら苦になるんだから、思い以外にどこに生きたらいいのかという問題です。

今教育の中で、お互いの思いを大切にしましょうと教えているわけですよね。これは大切なんです。大切なんだけれども、危ないところがあるんです。

相手の思いを大切にしようとすると、子供は真面目ですから、一生懸命大切にしようとするんです。大切にしようとすればするほど、できないことがはっきりしてくる。相手の思いを大切にしたいときには、たいてい自分の思いを引っ込めているということになるんです。自分の思いを通してもらったときには、相手の思いを踏みつけにしているということが起こっているんです。

切ないかな、悲しいかな、辛いかな、お互いの思いを本当の意味で大切にすることはできない、という悲嘆を持つんですよ。そのときに、先生と呼ばれる人が「お互いの思いを大切に」とポーンと言っちゃうと、〈お互いの思いを大切にできるかのような思い〉に生きろということになっちゃう。

つまり、またもう一回、思いに生きたら苦なんですから、苦の中でウロウロ迷っていなさい、と教えちゃうということになるわけですよ。

だから私は、思い以外にどこに立つのか、というところからが仏教かなというふうに思うんです。

そのときにヒントになるのが、お釈迦さまの晩年の言葉です。あとしばらくすると亡くなるという時に、自分が生まれ育った所まで遊化しながら戻ってゆく時につぶやかれるんです。瀬戸内寂聴さんの『釈迦』という小説に詳しいんです。

人生は苦だとずっと言い続けてきたお釈迦さまが、最後には人の世は美しいと人間を礼賛している。それに続いた「命は甘美なものだ」─こういう言葉があるんですね。

この「甘美」という言葉が、私の中で翻訳できないんで困っているんです。ニュアンスとしては分かるんですね。

ある時「甘い」の反対語は何だろう、「おいしい」の反対語は何だろうと思ったんです。

「甘い」の反対語は「にがい」なんです。びっくりしましたね。「にがい」は「苦」って書くんですよ。「甘い」の反対は「苦」なんです。

「おいしい」の反対は「からい」だそうです。「辛」という字なんです。

「艱難辛苦」という熟語がありますよね。この〈辛くて苦しい〉の意味は何かというと人間が引き受けたくない事柄です。引き受けたくないことの反対が「甘美」です。だから「甘美」というのは、喜んで引き受けているという意味になります。

そうすると、いのちは喜んで引き受けている、という意味の翻訳・超訳ができるんじゃないですか。いのちは何を喜んで引き受けているのかというと、現実、事実ですよ。今、ここの、この私として存在しているということ、そしてその環境を、全部引き受けている。

私の〈思い〉は、この世に生きて在ることの、自分の存在の意味を見出だそうとするんです。人間の持つ価値観で、いのちの意味、価値を見出だそうと、決めようとするんです。みんなそれは思春期を通して苦労するんです。ところが、人間の価値観というのは狭いですから、その価値観にもとづいて探そうとしたとたんに、意味がない、価値がないとならざるを得ないんですよ。

そういう私の〈思い〉までも、いのちは全部引き受けているんです。

私たちのこの〈思い〉に生きたとたんに、人間は〈思い〉でしか生きていないということだけになってしまうので、それ以外の立場というものが見えなくなってしまう。だけどそうではなくて「命は甘美なものだ」とお釈迦さまが言ったという、このヒントは何かと改めて考えてみると、〈思い〉ではなくて〈いのちの事実〉を生きよ、ということをお釈迦さまが言っている。つまり仏教というのは一言でいえば〈いのちの事実を生きてくださいという教え〉だと言っていいかと思いますね。

まことの要求という事実

じゃあ〈いのちの事実〉はどういうことなのか。これを押さえるときに、いのちそのものが持っている根源的な要求ということがあるんですね。

清沢満之という明治の方が「人心の至奥より出づる至誠の要求」と言っています。つまり、いのちの底から湧き出てくるようなまことの要求、人間が持っている根源的な要求というものがある。そういうことが宗教的な要求なんだと、こう教えてくださっているんですね。

お釈迦さまがお亡くなりになると、荼毘に付したお弟子さんたちがそのお骨を拾うんですね。そして、お釈迦さまの骨が世界じゅうに持っていかれて、仏舎利塔というのが建てられるんです。仏舎利塔を建てた所でお釈迦さまのお弟子たちが、お釈迦さまのおっしゃったことは何だろうと反芻して、そしてそばにいる人たちに、お釈迦さまが説いたことを伝えていったという歴史があるわけですね。

そしてお弟子さんが亡くなられると、また荼毘に付して、そのお弟子さんのさらにお弟子さんが骨を拾って、自分に伝えられたお釈迦さまの教えを反芻しながら、またそこで現地にいる人たちに伝え広めていった歴史が、ずっと連綿と今日まで続いて、日本でも仏教が伝わってきたということがあります。

だから、骨を拾ったということが、仏の教えを伝えてきたという歴史でもあったわけじゃないですか。ところが今日、お骨を拾ってそれで終わりになっちゃっているんですね。亡き人はどうか安らかにあの世に行ってくれと祈って、それで終わりにしちゃうんですね。

日本には「あなたの骨は私が拾ってあげる」という言葉がありますね。これはどういう約束かといったら、あなたがもし志半ばでたおれたとしたら、その志は私が継いでちゃんと完成させますから安心してください、というのが、骨を拾うという約束の言葉ですよ。そうすると、現実に火葬場まで行ってお骨を拾ったひとりひとりが、亡き人の骨にまで染み付いた志は何かということまで尋ね当てませんと、本当の意味で骨を拾ったことにはならない、という重さがあるわけですよ。

バブルの頃は会社のお偉いさん、会社に貢献した人が亡くなると、社葬というのがあったんです。弔辞で部下たちが、亡き人がいかに会社に尽くしたかということを述べて、その人に続けと言って、志を継いだというつもりになるんです。でも、その社葬に呼ばれた奥さんやお子さんは、志が仕事なら継げない。趣味でも継げない。男でも女でも、年をとっていても若くても、誰でもということがないと継げないんですよ。

今は個性の時代というんですね。もう小学校から個性的であれという教育なんです。もともとひとりひとりは個性的であるにもかかわらず、個性的であれということを言うとどうなるかというと、とにかくほかの者とは違うということを強調しなければならなくなるのです。ほかの者とは違うということだけが、自分であることの証明みたいなことになっちゃうんです。最後は、誰にも分からない者として生きなきゃならないということですね。

だけど本当は、一番大切なのは何が共通かということじゃないんですかね。共通というと、人間ということになりますが、これは幅が広いのです。素晴らしい意味で「人間だから」という表現をすることもありますけども、「しょうがないじゃない、人間だから」と自分を許すときもそう言います。そうすると、どこを押さえているんだか分からなくなっちゃうんです。

仏教で共通とは何かといったら、凡夫だということですね。これは仏さまのほうから私たちを呼ぶときの言葉だから。人間同士で見ると差をつけて見ちゃうけれど、仏さまから見ればその人も私もともに凡夫。何が共通かというと、凡夫は煩悩を持っているということです。

だけど全部の煩悩は意識できません。意識できるのは激しい煩悩だけです。激しい煩悩が3つあるんですよ。「三毒の煩悩」─〈貪〉〈瞋〉〈痴〉というんです。

〈貪〉というのは〈貪り〉です。貪りの激しさが大きくなると、今世界じゅうの紛争の元は何かというと、だいたい地球の中に埋蔵されている石油だとかダイヤモンドだとか、利権を貪って、血で血を洗うことにまでなっている。本当に貪りは激しいんです。

〈瞋〉というのは自分の心に反するものを怒り怨むことですね。この怒りというのは、カッとするんです。カッとしっぱなしじゃないんですね、冷めるんですよ。冷めたときに人間は反省するんですね。でも反省している人の耳元で「馬鹿野郎」と一言言えば「何を!」ってまた怒っちゃうんです。つまり、御縁がきたなら腹のほうから立ってくるのが怒りなんです。反省が間に合わないという存在なんですよ。

そして、一番深くてドロドロしているのが愚痴です。法然上人は「智慧第一の法然房」と言われているんですけれど、自分で名のるときには「愚痴の法然房」なんです。私には、親鸞聖人のお師匠さんが「愚痴の法然房」と名のられていることに、とても大切な意味があるんだなと思っているんですよ。

愚痴というのは共通するんですよ。深くなるとみんな同じ。「何で私が」と、だいたい深い愚痴の始まりです。その次は同じでしょ、「こんな目に」と続くんですよ。そしてそこに知性が働くんですよ。原因が何かを探しているんですよ。だけど、それを聞いてくれる相手がいない。

じゃあ、どこで愚痴を言うのかというと、真宗に伝わっているのは、お仏壇です。阿弥陀さんの前で言葉に出して言うと、その自分が出した言葉が阿弥陀さんを通して自分の耳にもう一度返ってくるんです。「あいつさえいなきゃ」という言葉の底には、あれを亡き者にまでしてやろうというドス黒い心が動いているということに気づかせてもらえる、ということもあるんです。

気づかせてもらえるけれど、愚痴は止まりませんよ。不平だ、不満だ、納得できないということが、もう次から次に出てくるんです。

繰り返し出てくることの意味を問わないから、本物の知性にならないんです。それに、知性ということを考えると、知性に本当にそんなに力があるなら、愚痴が出てくる前に知性で抑え込んじゃえばいいんです。ところが知性なんて、愚痴のつっかえ棒にもならないんですよ。こういうのを自力無効というんでしょう。

不平だ、不満だ、納得できない、と繰り返すことの意味は、たった一つでしょう。どうしても納得したいことがある。それは何なのかといったら「何で私が」です。だいたい外側に眼が向いているから、あいつさえいなけりゃ、あいつさえ言うことを聞いてくれたらって、外を変革して、環境を変革して、自分が救われようという図々しい考えなんです。

そうじゃなくて「何で私が」です。今ここにいるこの限定されたこの私。この私が存在していることの意味。このこと一つだけを納得したい、ということが、いのちの底から噴出してきているんですよ。これは人間の発想から出てきた要求とは違います。知性的な私の〈思い〉からの要求ではないんです。

人間的な発想は「愚痴は言うまい」でしょ。それとは違って、これは人間が持っているいのちの要求なんですよ。人間が持っている根源的な要求、宗教的な要求です。気がつかない人はいるけれど、そういうものを生きていない者はいないということなんですよ。「人心の至奥より出づる至誠の要求」ということを言っているんじゃないでしょうかね。そこを自覚的に生きる。

そうすると、亡くなった人は愚痴を生きていた。その愚痴を生きていた方のお骨を拾う。ということは、骨にまで染み付いたような志、つまり、宗教的要求を私が完成させますから、安心してください、という約束をしたわけですから、自分自身が今いただいているいのちの、そのいのちの事実の要求を本当に満たすような、そういう生き方をしない限り、お骨を拾ったことにならないということがあるんですよ。

ですから、骨を拾い続けるということの中に、ちゃんと仏教が伝わるはずなんですけれど、途絶えちゃっているという現実が今日あるかと思っているんです。

人間がそうやって、いのちの要求、いのちの事実に生きよ、つまり根源的な要求に生きよと、こう言われているわけです。そこに仏の教えというのが開かれてくるんです。

その教えは本願ですね。阿弥陀さまの願い、それは何かということなんですけれど、その本願を一生懸命説かれても、だいたい人間がその教えを聞く時に全部それを疑うんです。厄介なんです、人間というのは。念仏を称えよって、たったこれだけなんですけど、その念仏が称えられないということですね。

念仏が称えられない理由は何かというと、私はほかの奴とは違う、誰でもできることには意味も価値もない、誰もできないことを私だからできる、そこに意味と価値があるのだと、こう思っているからなんです。誰でもできるような念仏には意味がないという、こういう発想、人間的な発想に立っているという問題を抱えているんです。

いつでも、どこでも、誰でも称えやすく、たもちやすいということが、仏さまの願いなんだけれど、それが聞けない。だから、世間的な要求、つまり、勝他、名聞、利養に足を置いて立っちゃっている。だけどそこで行き詰まっている。そういうときに初めて「あっ、人間的な価値観の中でやっていたら、やっぱりまた溺れてしまう」と気づいて、フッとこうやって聞きに来ようかと、そういうことが大切なんですね。フッと思い出したときに、こういうところが開かれていて、仏の法、教えが聞ける。

そして聞いたときに、もう一回改めて自分が一体どこに立たなければならないのかを確認していく。〈思い〉に立ったら苦なんだから、〈思い〉じゃないところに立つとはどういうことか、いのちの事実だと確認していく。「人心の至奥より出づる至誠の要求」に応えるのが仏教だと、清沢先生は教えてくれているんです。

(文責: 蓮光寺門徒倶楽部)