東京教区東京2組
東京2組&門徒会共同主催「聞法の集い」
ヤ見美智子先生の法話

【'07年3月1日掲載】

2月24日(土)、光明寺(荒川区町屋)において、東京2組&門徒会共同主催「聞法の集い」が開催されました。従来、門徒会主催でしたが、御遠忌に向けて、より血の通った聞法会をつくっていきたいという願いから共同主催となりました。

今回から御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を基本テーマとして、毎回、各講師の先生に法話をいただくことになりました。その第1回目となる今回は、ヤ見美智子先生(横浜組西教寺坊守・アソカ幼稚園、三宝学園和光幼稚園副園長)をお招きし、ご法話をいただきました。現場を通しての御遠忌テーマを語るヤ見先生に、教えを聞く基本姿勢をあらためて教えられました。また、やさしい言葉使いのなかに、現代の大切な問題を提起してくださいました。

ここでは、ヤ見先生のご法話の感想(蓮光寺住職)を掲載いたします。

※「ヤ」は「鶴」の異体字。


蓮光寺住職の感想

ヤ見先生はまず、ご自分の真宗の出遇いについて語られました。子どもの頃から「仏さまに手をあわすことはどういうことだろう」という問いがあったそうです。そして、成長するにつれ、「願いをかなえてくれる仏さまと、そうではない仏さまがいるのはどうしてだろう」という具体的疑問を持つようになられました。願いをかなえてくれるお寺へ行き、そのお寺の僧侶に、「護摩焚きをしてせいいっぱい祈願しなさい。ただしそれがかなうかどうかは仏さましだいです」と言われた時、それはちがうと思ったそうです。その後、ヤ見先生は、他の幼稚園での就職経験を経て、ご自分のお寺の幼稚園に入られました。そこで、願いをかなえてくれない仏さまに手を合わすとはどういうことかということが、いよいよ切実な問題となり、保育を通して、真宗に出遇っていかれました。

さて、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」。その教学的証明も大切ですが、自分の中でかみ砕いていくことが一人ひとりにとって、最も大切だと力説されていました。つまり生活実感を通すことだといただきました。

ヤ見先生にとっての生活実感とはまさしく保育です。子どもたちから多くのことを教えてもらっている日々だそうです。子どもたちを見ていると「いのち感覚」を身につけているのだけれど、成長していくなかで、それが弱まっていくのは、大人の中でつぶされていっているのではないかと言われていました。つまり、「いのち感覚」に対して「自我の洋服」を身にまとうようになっていく問題性を指摘されていました。ヤ見先生は、自我が自分と思いこんでいると指摘されていました。ふと思ったことは、私たちの生き方は、「今、自我があなたを生きている」ということなのでしょう。自我、つまり自分の思いで生きていて、それによって自分自身を見失っているのが、現代の私たちということでしょう。人間の理知の闇を照らすものが、「いのち感覚」という言い方もできるのではないでしょうか。自我拡大の方向と願いをかなえてくれる仏さまということが同質であるように感じてきました。

保育の現場では、例えば『いのちのまつり』という絵本を手がかりにしながら、子どもたちといのちについて話し合うそうです。そして「いのちはいのちのもの」だと共感しあえるそうです。子どもたちにとっては、あらゆるいのちに支えられ自分があるということに気づき、そのことを大切に生きていこうとするのでしょう。そのことは、私たち大人にとっては、いのちはいのちとして生きているのに、それを私のものと思って傷つけあっていることへの懺悔ということなのでしょう。懺悔なくしては「いのちはいのちのもの」とは私たちはなかなか言えないのではないでしょうか。ですから、子どもたちにも無意識的にも「そうだったんだな」という懺悔としてのうなずきがあるのではないかなとも思いました。いのちはいのちのままに尊いのに、そのことに背いて生きている私たちのあり方を照らし出すはたらきこそが、御遠忌テーマでいう「いのち」ということであり、それは私たちに先立って願われて続けていたのだということを、ヤ見先生のお話しから、あらためて了解させていただきました。それを「本願」とか、願が名になったのが「念仏」だとか、一切の宗教専門用語を使わないで話されるところにヤ見先生の個性を感じました。

ヤ見先生は、何かあると自分を捨ててしまうような私たちのあり方に対して、この「いのち」は、けっして自分を捨てないで生きていく方向にはたらきかけると言い切られています。「摂取不捨」ということです。子どもたちには「いのちが心配してくれる」という表現をとられたりしているようです。「いのちの力」とも言われていました。自我まるだしでお願い事を仏さまにするのではなく、そういう自我の闇に苦しんでいる私たちを案じてくださる、願ってくださるのが真宗の仏さまなのですね。なるほどと思いました。この子どもたちの生活の中には、いつも仏さまのほうから願いがかけられている空間、つまりご本尊の生活があるのだなと感動しました。

ヤ見先生のすばらしいところは「自我の洋服」を着ている自分への自覚です。それがいつも保育の現場で子どもたちの交わりを通して教え続けられているところです。ヤ見先生が使われた宗教的用語は「天上天下唯我独尊」というお釈迦さまの言葉です。かけがえのないいのちがすでに、あなたに生き続け、尊いあなたに目覚めよと願われ続けているのでしょう。それはそのことに背いて生きている私の姿があきらかになることだと感じました。

混迷の現代、大人こそ、真宗の教えにふれる機会を持っていかなければならないでしょう。自我の闇に気付いていくことが願われています。皆さんも、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」という呼びかけに生活実感を通して応答してみませんか。