東京教区東京2組
東京2組寺族研修 Vol.28
現代人の苦悩と仏教
―現代における寺院の存在意義―
み仏の存在
 
2005年11月18日 於:蓮光寺

【'06年1月17日掲載】

下田正弘先生

講師: 下田正弘先生(東京大学大学院助教授)

昨年11月18日、蓮光寺において、下田正弘先生(東京大学大学院助教授、47歳)をお招きし、寺族研修を開催しました。「現代人の苦悩と仏教 ─現代における寺院の存在意義─」というテーマに、先生ご自身が「み仏の存在」とサブテーマをつけられ、先生自身が問われ続けている問題を通して、人間知を超えて、真の仏教に出遇うとはどういうことかについてお話しいただきました。その一部を紹介します。

〈注〉 先生には、この文章を読んでいただいておりますが、ご多用のため、校正まではしていただいておりません。よって、この文章の内容および表現についての一切の責任は蓮光寺にあります。御了承ください(ネットに流れている文章はすべて蓮光寺に責任がありますが、下田先生の場合、特に強調させていただきます)。

はじめに

ただいま、ご紹介いただきました東京大学の下田正弘と申します。

本日は28回目の寺族研修とお聞きいたしました。お寺の方々が一緒に学ぶ場にお招きをいただきまして、ありがとうございます。与えられましたテーマが「現代人の苦悩と仏教 ―現代における寺院の存在意義―」ですが、この課題は私自身の立場から見た時に直接はっきり分かるというものでは到底ありませんが、要は私自身の立場から見た世界、そしてそこに立った時に感じられる事柄を正直に皆さんにお聞きいただいて、そしてそこから今度は私の問題提起を皆さんにお尋ねするということであります。そこからリスポンスを頂きたいと心が決まりまして、ようやく少し考えがまとまってまいりました。

今日、私自身の問題提起のサブタイトルといたしましたのは「み仏の存在」ということです。私のこの問題提起は、仏教研究者として仏教を研究していくという姿勢に含まれた問題、それを明らかにしていくということであります。これは、直接研究に携わっていらっしゃらない方々にとっては関係のないことのように思われるかもしれませんが、もちろん細かい点についてはそうですが、しかし自分自身がどういう形であれ、どういう立場からであれ、仏教を相手にしていく時には、同じように問題がそこにはらまれていると感じております。ですから、この仏教研究者として感じた問題も、そういう意味では何か皆さんご自身の問いと結びついていくところがあると考えております。

【1】伝承としての仏教

  1. 歴史的ブッダという危険──近代という時代の捉えがたさ
  2. 釈尊と仏
  3. 釈尊と弟子──仏教の萌芽
  4. 釈尊の入滅──仏教誕生へ、涅槃からはじまる仏教
  5. 弟子と孫弟子──仏教という存在の確立

最初に、「伝承としての仏教」ということでお話を申し上げます。最初に「歴史的ブッダという危険」という言葉で挙げました。釈尊が歴史上の人物であったということ、そしてどういう生まれであり、どういう人生をたどられ、どんな教えを説かれてきたか、ここを明らかにしていくことが実は仏教研究の大本なのです。しかし、ひとりの歴史的人物という理解におさまってしまう、仏教がそこにおさまってしまうと考えるのは、非常に大きな問題があるわけです。この理解がとみに出てきましたのは近代という時代になってからです。近代という時代はどれほどそこから距離を取ろうと思ってみても、どれほど批判をしてみても、私たち自身が巻き込まれていく足元ですから逃れることができないわけです。ここをどう考えていくかという、それがこの最初の項目です。

そして次に「釈尊と仏」です。「人間ブッダ」という言葉がよく語られたりしますけれども、ある意味でこれは語義矛盾でさえある場合があるはずなのですが、そのことが何の疑問もなく通っています。しかし、釈尊は仏として捉えられていた、そう伝承されてきたということを、この伝承の事実として知っておく必要があります。しかし、近現代の研究者、殊にインドの仏教研究者は、ほとんどこの視点が欠けております。ですから、当然のごとく思っていることを一つひとつ照らし返してみることが必要であり、このことはまさしく仏教研究者の責任であると私は思っております。

3番目は「釈尊と弟子」についてです。まだ思考の途上にあるのですが、サブタイトルとして「仏教の萌芽」ということを書きました。

4番目は「釈尊の入滅」です。仏であるはずの釈尊が入滅をされたという出来事です。ここに私は説明として「仏教誕生へ、涅槃から始まる仏教」というタイトルを付けております。

最後5番目は「弟子と孫弟子」です。つまり釈尊にお会いしたことのある弟子と、会ったことのない弟子、この出会いがあるわけです。ここに「仏教という存在の確立」ということ、そういう表現をさせていただきました。

さて、この5つについて考えていくわけですが、基本は、「釈尊がある」と、「弟子がある」と、そして「弟子の弟子がある」と。そこにはこの大きな出来事として、「釈尊の入滅」という出来事がある。このことをしっかりと捉えていくと、「伝承としての仏教」という意義が現れてくると思います。

先ほど申しましたけれども、近代という時代になってヨーロッパから入ってきた研究方法に問題があるわけです。現代ではおそらく書店に行って本を手に取っても、仏というとゴータマ・ブッダであり、ゴータマ・ブッダの生涯という、そういう表し方の仏教しか手にし得ないのではないかと思います。私自身、この数年問題にしてきているのですけれども、例えば学者がやることは、研究室の中で一つの事実を発見していくという、ごくわずかな閉ざされた世界の出来事なのですが、そこで発見されたことというのは、たちまち共有されるようになっていくのです。ひとりの天才であっても、その頭の中にひらめいたことはたちまち事実になって共有されていくわけです。アインシュタインが相対性理論を発見したそのひらめきは個別の出来事ですけれども、そこから原子力が生まれ、原子爆弾というのが事実となっている。この寸分の何か漏れも許さないように現実というのは出来上がっていっているわけです。ですから、学者の研究室の一部で起こったことということでは済まないわけです。そこに仏教でいうところの「共業」という、「業を共にしている」という大きな事実がございます。ですから、こう問い直していくということが、私は現代人の苦悩と仏教ということを問うところにもつながっていくものだと考えております。

それに対峙する形で、2番目に「釈尊と仏」ということを出しました。浄土真宗の伝統的な世界では「釈迦・弥陀二尊」ということが伝承され続けてきております。釈尊だけを人間として捉えて、その生涯に何かを見出していけるという、そういう伝承はあり得なかったと思うのです。ですから釈尊というのは仏との関係において捉えられている。そこに何か人間中心になっていって、「み仏の存在」が消えていってしまう。どれほど人間を分析しても、人間でしかない。この苦悩を共感する、共有するということは大変尊い努力ですし、誠意だと思います。けれども、そこから「み仏」が消えていってしまうと、それは人間同士の苦悩の分かち合いということを超えられないのだろうと思います。伝承としての仏教には「み仏の存在」というのが伝承されてきている。その時、仏が何であるかということは、これは語ることではないのです。語りのおよばない世界というものがなくなってしまって、すべては理解の中に収められていってしまうのです。

次の「釈尊と弟子」というところですが、釈尊は悟りを得られたあとに、この悟りの経験を伝えることを躊躇されるという大きな事件があります。悟りを得られた直後です。「梵天勧請」といわれている一節ですけれども、「自分の悟ったこの体験はあまりにも深すぎる。到底言葉にして通じることはない。あるいは誤解をされてしまう。それよりは語らないでおいたほうがいいだろう」と考えられる。このエピソードは、仏教にとって非常に大切な事実を伝えようとしているものだと思います。そこにインドの最高神であるブラフマン(梵天)という神様が現れてきて、ブッダを説得いたします。「あなたが教えを説かなかったら、仏教は現れてこない。この地上には、真実の教えはついにないものになってしまう」と。その通りですね。お釈迦様がそこで言葉を発されなかったら、経典も教えも一切ないわけですから、仏教は存在しないわけです。そこで、お釈迦様は言葉にすることを決意される。しかし、このことをもう少し一般化して考えますと、言葉を発するというのは誰かに伝えるためですね。ということは、そこには伝わる弟子がいなくてはいけないわけです。伝わる他者です。この他者があって初めて仏教が仏教になっていくわけです。釈尊の教えを聞き遂げる弟子がいなかったら、お釈迦様が最初危惧されたように、努力は徒労に終わってしまうわけです。仏教はどこで仏教になっていくかというと、釈尊と弟子との出遇いですね。この自と他があるところに、仏教が仏教になっていくのです。

これが、教えが明らかに萌芽として現れてくるというか、姿を取ってきた世界だと思います。お釈迦様の体験、ひとりの体験の世界というのは、外から見えないわけです。しかし、それが相手に手渡された時に、それを受け取る人がいた時に、その手渡されたものはしっかりとした存在になり得る。とすると、繰り返しますが、仏教をひとりの人間の生涯、ゴータマ・ブッダという人の生涯に還元しつくせるという理解は事実の観察からずれていると思います。

そして、「釈尊の入滅」についてです。古い経典を見ますと、まさに釈尊のお弟子一人ひとりが全く違った境涯に生まれ、苦悩のただ中にあって立ち上がれない時に釈尊の存在に出会い、その言葉に出会い、そうして気がついてみたら立ち上がっていて、今度は、同じように苦悩していく人たちに手を差し伸べる立場に変わっていると語られています。その事実への驚きと感謝というものが切々とうたわれております。釈尊の存在があって、その言葉があって、今自分の存在があるという明らかな体験をした人たちが仏教をそこで背負ったわけです。

ところが、その釈尊が入滅をされたということは、「この人の後さえついて行けばいい」と決めた人が失われてしまうということです。そういう意味でコミュニケーションが遮断されてしまうわけです。この事実からいえば、仏教はお釈迦様が亡くなるとともについえてもよかったかもしれないですけれども、仏教2500年の歴史は、お釈迦様が亡くなってから始まっているほうが遥かに長く広いのでね。釈尊の入滅によって、仏教自身がそこで仏教たり得ていくということに、むしろ驚きを持つことだと思います。

お釈迦様は姿を消されたけれども、言葉が弟子たちの中に残されていったわけです。記憶、体験の中に残されていったわけです。しかし、釈尊に出遇った人たちは直接記憶がありますね。ですから、その記憶を拠りどころにすればいいわけです。ところが、この5番目ですが、仏教は釈尊に出遇ったことがない人たちが弟子となって、そしてそこを伝承していくということが起こっていったのです。そうすると、直接の記憶もないわけです。しかし、さらにいうならば、ここから仏教が始まっていったのです。そこで、やはり驚くべきことは、ここで伝わっていく仏教というのは一体何かということですね。

伝承というのは、私たちに見えない世界です。私たちは見える世界ばかりを見ようとしていますけれども、実は見えない世界に支えられているのです。それに気がついた時の驚きと、そして自分はわかっていると思った傲慢さに対する反省、懺悔と、さらには、にもかかわらず与えられ続けていたことに対する感謝というものが湧きあがってまいります。釈尊と釈尊の直弟子と釈尊の孫弟子、この間に仏教が仏教となってきたと。実際にそこで教えが整えられ、今度は釈尊の姿を何としても見たい、感じたいという人々の前に仏塔が現れ、さらにはそれを供養する称名とか、音楽、雅楽、雅舞楽というものの祖型が現れてくる。これはいくら見えない世界とはいえ、私たちは姿形になって生まれてきていますので、そこに触れたいという願いがあります。それが実は、この仏教の現在まで伝わってきた基礎です。仏教の特色は、それぞれの願いに応じた姿形となって現れてくる。そうでないと、その固有の歴史、時代、土地に生まれた人は仏に出遇えないことになるのです。ですから私は、釈尊とそれと弟子と孫弟子と、この間の三代、まさに三代伝授なのですけれども、この間に大体この仏教のオリジンといいますか、原型というのは作られていっていると考えています。

【2】「信ずる」時――師匠と弟子

  1. 師と弟子との出会い――過去と未来、自と他の接点
  2. 因と果の交錯
  3. 菩薩の誕生――因としての師、果としての師、親しさと崇高さ

「信ずる」ということを伝承という中に据えて考え直してみますと、「釈尊と弟子との出会い」、ここには何が起こっているかといいますと、ひとつは「師と弟子との出会い」です。そこに説明を加えて「過去と未来、自と他の接点」といたしました。それから2番目が「因と果の交錯」。接点、交錯ですね。3番目が「菩薩の誕生」。そこに説明を加えたものが、「因として師、果としての結果としての師」、これをもっと身近な言葉で表現しますと、「親しさと崇高さ」というこのふたつが同時にあると、こういう角度からお話を申し上げたいと思います。

さきほど「梵天勧請」という説話にふれましたが、お釈迦様の内面の世界から、梵天が出てきたというのはいわゆるひとつの釈尊の内景だろうと思いますけれども、対話が始まったわけですね。そして、目が外に向いていた時にひとつの比喩が出てくるのですけれども、それは蓮池の喩えです。蓮の池に青、黄色、赤、白、それぞれの蓮華がそれぞれの光を、色を発していると。ある蓮華は泥沼の中に入ったまま、ある蓮華は水面にまで出てきている、ある蓮華は水面を越えて伸びぬいていると。この景色が、突然そこに表現されるのです。そして釈尊は、「よし、これで甘露の門は開かれた。説法を決意する」という宣言をなさるわけです。

そして、弟子と初説法の道を歩いていかれるわけです。弟子にとって、釈尊が至られた世界から遠いわけですね。遠いにもかかわらず、釈尊が声をかけ続けられると。弟子はそれが直接聞こえなくても、何とか聞こうとし続ける。その師と弟子の出遇いには過去と未来の接点があると思うのです。弟子にとって釈尊は、自分の未来ですね。これから至る世界ですよね。一方の釈尊にとっては、この弟子は、「苦しみの中にいて自分に気がついていない。真実に気がついていないけれども、しかし必ずここまで来れる」ということを確信される。なぜならば、自分もそうだったからということだと思うのです。そうすると、目の前の弟子は釈尊の過去だと思うのです。そうならないと、師と弟子の出遇いということは成就しないと思います。本当にその人を未来と信じられるか。あるいは迷ってきた人を本当に自分の過去と信じられるか。その迷いに出遇うことによって、気がつかなかった自分の過去が見えてくる、確信されるという、そういう事態にあると思います。ここに「信ずる」ということが起きた時には、師匠と弟子の未来と過去が、現在において重なっているのです。自と他という全く相いれないものであるはずのものが、接点を持っているのです。

さらに、この過去と未来というのは「因と果」です。「そうなっていないけれども、そうなっていくもの」と、「それが実現をしてしまっている」ということ。これが別ではなくなっているわけです。実はここに仏だけでなく、なぜ菩薩が生まれ出てくるのか、あるいはなぜ菩薩でなければならないのかという、非常に大事な問題が生まれてきます。菩薩というのは何かといいますと、修行時代のお釈迦様なのです。悟りを開かれる前、苦悩の中を一つひとつ悟りに向かって道を歩いていくのが菩薩なのです。その釈尊が菩薩なのです。「この釈尊こそが私が歩く道そのものである」ということに気がついていった人々が、釈尊が亡くなった直後から、ブッダの伝記というものを残していく時に、釈尊の前世から残していこうとするわけです。

菩薩は修行時代、苦行をしていかれている。まさに衆生として仏の道に向かっていかれている存在です。これが仏とは別ではないですね。弟子にとっては、本当に「釈尊の後をついて行こう」と、こう決意した時には、その次の一歩から何が問題になるかというと、自分自身がまた迷う、苦悩を抱えるという時に、「あの釈尊だったら、ここでどうされただろう」と、こう考えていきますよね。その時にどの釈尊が出てくるかというと、同じように苦悩を背負われている姿の釈尊ですね。菩薩としての釈尊です。この菩薩、この因としての釈尊が、果としての仏の世界と別ではないのです。だからこそ、到底伝わらないだろうというものに対して声をかけられた。かけ続けられているという事実があるわけです。

そうした菩薩が現れてくる世界について、現代の研究ではほとんど解明されていないと思います。釈尊の前世を説くものは迷信以外の何ものでもないと。だから、ブッダの生涯はカピラバストゥから始まるし、クシナガリーに終わるわけです。人間の一生で終わるわけです。それ以外のものは、すべて研究から排除しております。確固とした人間というものを中心にしてすべてを見ていこうとするところから見ますと、それぞれ個別の伝承の世界にどういう物語がどんな思いで語られてきたのかということが、まるで理解されていないのですね。

仏教の世界にとってはブッダの伝記というのはどの国でも鏡です。東南アジアでもチベットでも東アジアでも日本でも、出家をしていく時の儀式とかさまざまな出来事というのは仏伝に遠い共鳴を持っているのです。例えばスリランカの出家の儀式があります。在家ができるだけいい服をまとって馬に乗って出ていって、ある所でその服をすべて衣に替えるわけです。そして教団に入団していきます。これは釈尊がカピラバストゥを出られて、王子としての衣を脱ぎ捨てて、ボロをまとわれる。そして修行者としてこの苦行に出ていかれるという、その姿に対応しているのです。こうしたものを取り上げていきますと、いろいろなものが見えてまいります。その時に四門出遊という出来事があったのかなかったのか、歴史的事実であるかないかということを学者は議論しようとするし、また、それを聞きたくもなる好奇心があるのですが、四門出遊という出来事は、仏教の世界に変わりなく、どこに伝わっていっても生老病死という世界から始まっているのです。通常でしたら、そこが人生の最後なのでしょうけれども、お釈迦様はその最後であるはずのところが出発になっているわけですね。仏伝の出来事というのはそうした意味を持っております。そこに菩薩として歩まれていく釈尊の姿があります。仏になってしまわれたら絶対ですから、自分の世界とはかけ離れているわけです。ここの自覚がはっきりとあるのですね。関わってもらえるのは、菩薩としての釈尊の姿です。

これは研究の方で一般化して申しますと、聖人の伝記というものを研究していく分野があって最近少しずつ出てきているのですが、聖人の伝記──聖人というのは誰か。キリスト教の研究からきていますので言葉がキリスト教的ですけれども、それは崇高な存在である、絶対的に手の届かない存在である、まさに仏です。それであるとともに、最も親しく苦悩の最中に手を差し伸べてくれる友人である。これは菩薩です。同じ道を歩いて来られている。それは聖人というその伝記が持つ「隔絶した崇高さ」と「これ以上ない親しさ」という2つの属性です。ここに菩薩が仏とともに出てくる。ですから、なぜこのお話を申し上げているかというと、「み仏の存在」という時に、私たちはともかく「ゴータマ・ブッダが仏である」という理解が強すぎて、何が何だか分からなくなってきているところがあるように思います。それで、実は伝承されてきた世界の仏教ではそうではなく、菩薩と仏は分かちがたい存在として、しっかりと伝えられてきているということを申し上げたいわけです。

【3】仏伝の不思議――涅槃へ、そして涅槃から

  1. 現代人がとらえる一代記の狭さ
  2. 仏跡の三側面
       カピラヴァスツ ⇒ ブダガヤ
       ブダガヤ ⇒ クシナガリー
       クシナガリー以降
  3. 菩薩の事跡の意味――カピラヴァストゥ以前

さて、「仏伝の不思議」というところに入りますが、ここでは3点書きました。ひとつは「現代人が捉える一代記の狭さ」、それから2番目が「仏跡の三側面」です。仏跡がこの三つの側面に分けられると思います。カピラバストゥからブッダガヤまで、ブッダガヤからクシナガリー、そしてクシナガリー以降ですね。最後3番目が「菩薩の事跡の意味」ということですが、これは今申し上げたことが、地上にというか、インドの世界に具体的に地理的にどう残っているかということを見てみたいということなのです。その立場から確認をしてみたいということであります。

まず「現代人が捉える一代記の狭さ」ですが、繰り返しますが、私たちは歴史的ブッダという一代の中にすべてが収まっていく仏教の描き方、読み方しかしていないわけです。けれども、仏伝は実はブッダが誕生する前から始まります。なぜかというと、「どうしてここにお釈迦様はこんな姿で生まれてこられたのか。そして、こんな世界で仏に至られたのか。それがなぜ可能だったのか」という問いと連続しているからなのです。結果だけ取っていくという世界ではなく、「なぜこの果が可能だったのか、どういう因があったのか」というところに問いがいきます。それからもう一方、お釈迦様が亡くなったあと、クシナガリーのあと、未来にまた仏伝が広がっていくのです。クシナガリーで入滅をされて仏が終わったと思う仏教徒はおりません。具体的な事跡では、お釈迦様が来られたという仏足跡といいますか、その遺跡が残っているのはスリランカにもタイにもビルマにも、それから中国にも日本にもあります。なぜならば、仏教が誕生する地には必ずお釈迦様が来られているという理解があるからです。ですから仏伝は閉じてしまっているのではなくて、開かれて、未来に開いていっている文学なのです。

歴史的な考え方だけしますと、私たちはお釈迦様に出遇ったことがないですよね。そう考えますと、お釈迦様が2500年前に出てこられたので、この世界にはもう仏は出てこられないのですね。56億7千万年たって弥勒菩薩が如来となられる時まで、仏は出てこられないのです。私たちは仏滅の世界にいるのです。ですから56億7千万年たった時に、本当に恵まれてそこに生まれられれば、仏に出遇えるというのが、一般の仏教の共通の理解なのです。ということは、お釈迦様に出遇った人々というのは、とてつもない世界に出遇っているわけです。それは菩薩時代の釈尊と仏になられた釈尊と、そこで出遇った人々は全くの奇跡的な出来事になるわけです。そうしてそこを経て、それが今現にインドに仏跡として残っているわけですね。その仏跡はまさに菩薩としての跡と、仏としての跡と、このふたつがともに残されている。ですから2500年前のその時というのは、まさに時が成就した時だったわけです。仏になられる時が成就した時だったわけで、このことを仏教の伝承の中に現れてきている仏教の世界から考えた時に、本当に何か思いを絶する場がこの地上に仏跡として残されているという思いを、私は強く持たせていただいています。

実はこの出来事を深く考察するところから、ようやくこの出来事の出来事たることを言葉に表現できるようになっていき始めるのが大乗仏教になってからだと、そう申し上げていいと思います。そこで、仏というのは釈尊だけではなく、過去に仏があり、未来に仏がある。仏というのはまさしく三世にわたる存在であるということが、言葉になって表しだされてきたのです。そして、仏の存在と、仏というのはまさしく名前が仏自身であるということを明らかにしてきた『大無量寿経』『阿弥陀経』などが生まれ出てきて、そこに出遇われた祖師方の伝承が、今、私どもに至りついてきていただいているわけであります。

【4】『御伝鈔』の世界

現代は釈尊だけを語っていこうとする、ゴータマとして語っていこうとするけれども、そこには何か「み仏の存在」はかすんでいってしまっています。人間だけが中心になっていくら苦悩を語っても、人が人とともに語る苦悩は人の世界にすぎません。それは最大の誠意であっても、まず仏に帰依をするということがなければ法に対する帰依も、それから僧に対する帰依もあり得ないわけです。また三宝というのは一つひとつが別ではないわけですし、教えがある中にしか仏はないわけですけれども、ただ言葉がすべてではないし、仲間がすべてではないわけです。

ちょうど今報恩講の時期でございまして、『御伝鈔』を拝読し、それを聞くということは、お寺の最も大切な営み、伝承ではないかという気がいたします。聖人の一代記を書かれているようですが、それを一代記として文章としてすっと読んでしまうと、そこから出てくるのは情報です。何度読んでも情報です。だけれども、師匠と弟子の間で声を限りに一節を称え、「それではまだダメだ、まだダメだ」と言われていった時に、この伝承が言葉ではなくて、本当に覚如上人が親鸞聖人を仏として拝まれている、如来の世界から来られた、まさに釈尊と仏となってこの世界に来られた姿として拝まれているということが感じられてならないわけであります。そうするとやはり決して一代記に終わるのではなくて、三代伝授といわれる全く違った、三代かかるとそこには必ずいろんな問題が起きてきて、すんなりと継承されることはないだろうと思います。このことが、非常に深い「み仏の存在」を確かに継承して、伝承していっていただいてきているという事実があると思います。これはまさに、釈尊と弟子とそれから釈尊に出遇ったことのない弟子たちの間に、仏教がひとつの継承される原型を取ってきたということと重なるように思えてならないわけであります。

大体時間になってまいりましたので、ここまでにさせていただきます。ありがとうございました。