東京教区東京2組
寺族研修27
大内真先生の法話より
2005年7月25日(月) 於:源信寺

【'05年9月4日掲載】

日時 2005年7月25日(月)
会場 源信寺 (足立区)
講師 大内真先生 (茨城1組・聖徳寺副住職、44歳)
テーマ お寺という場を生きるということ

7月25日(月)、源信寺(足立区)において、東京2組寺族研修(Vol.27)が開催され、「お寺という場を生きるということ」というテーマで、大内真先生(茨城1組・聖徳寺副住職、44歳)にお話しいただきました。大内先生は、東京教区の若手リーダーの一人であり、常に自分を問題にして、教えを聞き続けていらっしゃいます。その大内先生の講話のエキスを紹介いたします。

大内真先生の法話ダイジェスト

はじめに

私はどちらかというと消極的な方なので、先輩からの押し出しによって、色々と声をかけていただいて、今日の私があると感じています。私がここで話すことそのものが、そのまま私の課題としてあります。茨城1組の推進員養成講座にも数々の問題がありますし、その原因に私自身があることも感じております。私たちが同じスタートラインにたって関われない問題があります。どういうふうな関係を開いていったらいいか、私自身の課題としてお話しさせていただき、阿弥陀様に聞いてもらいたいと思います。

自分の姿に気づく

私のお寺は筑波郡谷和原村にあります。農村地帯で自然豊かなところですが、人間関係もわかっていますから、私は僧侶を継ぐというふうに周りの人たちに思われていました。でも、けんかなどをすると「坊主丸儲け」と言われてきたりして、何か言いかえせないというか、つらい思いをしたことがありました。

そんなこともあって、僧侶になるかどうか迷いました。「大谷大学に行けば、お前が思っていることとはちがうかたちで親鸞聖人の教えを学べるのではないか」という父の話があって、自分も学んでみようと決意した。私は英語が大の苦手で、授業であたることがいやでお腹が痛くなって大学へ行けなくなったりしました。授業が終わる頃になるとお腹が治っているのです。自分ができないことを受け入れられなくて、大学は2年留年しました。

お寺の息子だからといって、真宗の教えがわかるわけではありません。「自己とは何ぞや」という問いは新鮮でしたが、知識として入ってきても、自分の生活そのものが問われるようなこと形にはなかなかなりませんでした。英語ができない自分、身長が低い自分、それに対して、そういう自分でいいのだということが受け取れませんでした。大学卒業後、このままお寺には帰れないので、全寮制の専修学院へ1年間通いました。そこではじめて知識とはちがった形で「生きる」ということが問われました。全寮制ですから地の自分を出さざるを得ません。寮生活のなかで、建前で生きていることを、先生や仲間から批判されました。「立派なことを言っても、朝きちんと起きてこないじゃないか」と言われれば、そうでない自分になろうと思い込んでいたのです。親鸞聖人の教えを共に学ぶ場に対して「すいませんでした」と言えない自分がいました。そのことに気づけなかったのです。自分自身が願いに立って生きよと呼びかけられていることとして受け取ったのではなく、他の人に批判されないようにという生き方をしていたのだと思います。

専修学院を卒業して、お寺にもどり、法務を勤めたり、草むしりなどをしておりました。お寺を聞法道場にしようという思いがありましたが、実際は自分の都合のいい場にしかしていませんでした。そのような時に、東京で開かれていた西田真因先生の「一人の会」に参加しました。内容は難しかったのですが、私自身はその場で愚痴を聞いてもらって歩んできた。「お寺で隠れるように生活しているのですが」と尋ねると、「本堂で大の字に寝ていてもいいのです。就職してしまったら、問いをほったらかしにして逃げてしまうことだから、お寺の生活をすることが大切でしょう」と先生に言われ、つらい思いをしながら生活しておりました。

このような歩みをしながら、教区や組でも、教化研究室をはじめ様々な聞法会に参加することによって、仏法の場で自分が悩んでいることはどういうことなのかということをを教えられてきたわけです。

結局、「こうあらねばならない」ということにずっとひっかかってきたのです。僧侶としてこうあるべきだということを引きずって生きてきたのですね。先ほどで言えば、専修学院の友人に批判されれば、批判されない人間にならねばならないという形ですね。つまり、努力すれば、そういうものになれるという幻想がありました。そのことをずっと決着つかないまま抱えていました。

問いをもって歩む

去る6月29日の黒田先生に「名に願いあり」というテーマで話していただきました。先生がいらっしゃる前に先生に手紙を書きまして、教区などで自分の言いたいことが言い尽くせないということに限界を感じているけれども、それはどうしてなのか、また、同朋会運動は上からの運動でありましたので限界もありますが、そののなかで自然に聞法者が生まれてきています。そのことがどうちがうのかということを先生からお伺いしたかったのです。この寺族研修会も組織である組の事業ですが、しかし、単に組の事業ならば、27回も続かないのではないでしょうか。やはり、自分のなかに問いがあって、その問いがどういう問題を抱えているのかということがなかったなら、27回も続かなかったと思うのです。2組の教化事業を拝見していると、ただすごいと思うのですが、組で決めた事業だからやるというのと、自分自身がそのことを問わずにおれないということと2通りなければ、とても続かないと思うのです。私自身が東京教区の同朋の会推進部門の幹事として、黒田先生に自分自身が教区で行われる事業のなかで、どうして自分が話しきれないのかということを問うていくことと、2組が27回も寺族研修を続けられてきたこととは根底において共通したものがあるのかどうか。そういうことをむしろ皆さんからお聞きしたいと思っているのです。

教えを語る場を大切にする

お寺の生活の話に戻りますが、私が法事等を勤めるようになったとき、住職は私の法話に対して「愚痴ばかり言って、有難味がまったくない」と言いました。どういうことなのかよくわからなかったのですが、西田先生が「僧侶には二面性というか、二重の意味があります。お勤めをするということは菩薩の代わりなのです。もう一つは聞法者として、人として生きるとはどういうことなのか、自分を見つめ直して、それを言葉にしていくのです。愚痴を言うにしても、仏法を通すと、どうなのかということを語ることが大切です。それが法話ということです」と言われ、気づかされました。教えにふれて自分自身が問われていく、そのことを語っていく場がお寺なのでしょう。

門徒さんのニーズに応えることばかりに奔走し、教えを語らないということは一体どういうことなのでしょうか。教えを聞く場をいかに確保していくのかということを大切にしていきたいと思います。葬儀や法事に参詣される人に、教えを語ることですね。できることをやっていくということであれば、それをしないのは僧侶の怠慢といっていいでしょう。けっして教えを伝える場をつぶしてはならないと思います。

そのことをお寺のなかでなら言い合えても、組ではどうしても遠慮がありますね。言うべきことを言わないという問題がありますね。以前、私は言うべきことを言わなくても、やるべきことをやっていればいいのではないかと思っていました。消極的に生きていたなというのが正直なところです。

黒田先生は若いころ、お寺で門徒さんと一つになっていけないということを藤元正樹先生にお話しされたそうです。すると、藤元先生に「あなたは門徒さんを信用していないのではないか」と言われ、自分の傲慢性に気づかされ、歩む方向性を示唆されたそうです。それは問題を外に見ていたからということです。一つになれないのは、自分がが仏弟子として歩んでいく、そして門徒さんといっしょに歩んでいきましょうと言えないところが問題だったということなのでしょう。

仏法をよりどころとする場ということを自分自身がいただいているかどうかが問題だということを私自身も教えられました。

そのことに気づいていくきっかけとなったのは、3年前に蓮光寺さんの真夏の法話会で法話させていただいたときのことです。その時、私の家庭に大きな問題が起きていました。その問題を抱えて法話をさせていただいたことを通して、それまでの教条主義が壊され、今までいかに当たり前のことを当たり前にしていたかということが知らされました。法話会の語らいの時間のなかで「念仏申すとはどういうことか」ということを参加者の方から問われました。理性でどうしたらいいかを考えるのではなく、現実を受け入れていく、今ここに生きていくことが念仏申すということだと教えられました。お寺にいる者は、仏法以外で問題を解決していくことはできません。私一人がどう生きていくのかを講師の先生に聞いていくことしかありません。聞法してきたことが無駄ではなかったと今は思うようになりました。どう教えを聞く場を開いていくかが本当に大きな問題であろうと思います。