東京教区東京2組
育成員研修会
久萬壽俊雄先生の講話
2005年4月19日(火) 於:源隆寺

【'05年5月10日掲載】

4月19日(火)、源隆寺(台東区東上野)において、東京2組育成員研修会が開催され、「同朋会運動の願いと親鸞聖人750回御遠忌の課題」というテーマのもと、東京2組林光寺のご住職の久萬壽俊雄先生(78歳)をお招きいたしました。

2011年の宗祖・親鸞聖人750回御遠忌に向けて、私たちはどのような姿勢で取り組んでいくのか。同朋会運動の歩みを検証しつつ、先生自身の歩みを通して、その視座をいただきした。ここに先生の講話の一部を掲載いたします。

久萬壽先生の法話ダイジェスト

同朋会運動の願い

昭和37年にはじまった同朋会運動は、 (1)古い宗門体質の克服 (2)現代社会との接点を持つ (3)真宗門徒としての自覚と実践 ──に集約されると思います。一言で言うならば「家の宗教から個の自覚の宗教へ」ということでしょう。具体的には、一カ寺一同朋の会を持つことが目標だったわけです。親鸞聖人の時代から教えを聴聞することが行われてきたのですが、特に蓮如上人の場合には、道場中心の講組織を作ったので、教えが末端にまで広がったわけです。このようなことが新興宗教などの他教団が真似て、座談会を中心にして教えを広めていきまして、真宗の伝統が他教団になかに影響し生きていったということがあって、真宗はあらためて近代的装いをもって講を復活しようと願ったのです。つまり、真宗の本来のかたちを回復していこうとしたわけです。

『現代の聖典』をテキストとしたわけですが、ひとつの具体的な動きとして、特別伝道講習会がありました。1日の講習の時間ですが、食事をはさんで6時間以上の研修をやりました。法話1時間、同朋の会の講話が1時間、協議会が4時間でした。協議会では、「寺と門徒」、「教団の願い」、「同朋の会」についてなどを協議しました。特別伝道講習会が終了すると、本山(京都・東本願寺)にグループに分けて奉仕団として上山しました。そしてまた次の年に第2回目の特別伝道講習会があるのです。その後、推進員教習を前期、後期と2回行って、門徒さんは推進員修了の資格が与えられたのです。2組では50人以上の推進員が生まれたと記憶しています。

特別伝道講習会の実施で、同朋会運動がどのぐらい根付いたかというと、組によっては聞法会を継続したり、寺院では聞法会が生まれたりしました。教えを聞く意欲のある門徒さんもたくさん生まれました。ただ、推進員の資格をもった門徒さんが実際に活躍する場があったかというと、寺院で受け皿になることがなかなかできなかったということもありました。

同朋会運動が大きな曲がり角にきたのは、別院、寺院が宗派から離脱する宗門問題でした。私は、4カ寺で「洗心会」という勉強会をやっていましたが、2カ寺が離脱してしまったので解散してしまいました。そこで別の会(三水会)を立ち上げ、私が体の具合が悪くなるまで継続することができました。

宗門問題の影響は大きく、門徒さんは、本山は関係なく自分たちの寺だけでよければいいという感覚を持つようになり、今でも少なからずその影響が残っています。そういうことで同朋会運動は衰退せざるを得なくなったわけです。そのうちに門徒会研修がはじまって力を入れていったのですが、その点については、皆さんのほうが詳しいのではないかと思います。

御遠忌の課題

宗門、教区、組、寺とそれぞれの課題があるのですが、やはり身近なのは組や寺、そして自分自身の課題でしょう。特に私自身が考えている課題を申し上げてみたいと思います。

以前、二階堂行邦さんから聞いたのですが、若くして住職になった時に、小林勝次郎さんという門徒さんに「住職は、人間ではなく如来(仏)だけを見ていればいい」と言われたそうです。この小林さんの言っている意味があとになってわかってきた(仏との関係を持つことの大切さ)のですが、以前、松原祐善先生の『汝自身を知れ』という本のなかで、重度のリウマチであった息子さんにあてた手紙が4通あります。息子さんはリウマチで生きているのがつらいぐらいの痛みに悩まされていました。松原先生は、その息子さんにたびたび激励の手紙を書かれていたのですが、ある時「住職をゆずりたい」と書かれたそうです。いつ車椅子の生活になるかわからない息子さんはびっくりして固辞したわけです。それに対して、松原先生は「法事とかお経は人を頼めばいい。住職の本分は南無阿弥陀仏のご安心ひとつを確立すればいいのだ」と書かれたそうです。私はそれを読んでとても感動したのです。松原先生の心情が響いたということと、五体満足の自分は何をしているのかと思ったのです。

それから私は朝夕の勤行を大切にしました。もちろんお勤めはしていましたが、如来と向かい合って教えを聞くお勤めにならないかということを自分自身の課題として考えたわけです。若いときですが、「正信偈」をあげた後は、『華厳経』80巻と『涅槃経』40巻を拝読文としてくり読みしたことがあります。だいたい1巻を2日で読んで、読み終わることができました。そのあとは七祖の代表的聖教を読みました。現在では『真宗聖典』をくり読みをしています。『正信偈』もただあげるのではなく、心の中で和訳しながらあげているのです。

それから若い時に読んだ本ですが、カール=バルトとラインホルト=ニーバーの2人の神学者の論争の解説本があります。中世のカトリック教会の甚だしい堕落のなかで宗教改革がおこなわれたのですが、その後も今度はプロテスタントの中にも堕落があったわけです。そうすると今度は、人間の知恵をもって、キリスト教会が批判されるようになりました。18世紀に入って、キリスト教自身が信用を失ったということで、なんとか教会を立ち直らせたいと色々な説が登場しました。例えば、自由主義神学もそのひとつです。もともと人間には敬虔感情があり、それを満たすような対象を求めることが人間には備わっていると、だからキリスト教を求めていく気持ちがあると言い出した神学者がいるわけです。それがキリスト教会を復活させていく中心になっていくのだといわれたのですが、それに対して、カール=バルトが批判したのです。神について人間が弁解するのは、神に対する冒涜だというわけです。私たちでいえば、人間の分別によって如来を弁護するようなものですね。「神のことは神のみに語らしめよ」とバルトは言い、神の超越性と神への懺悔が強調されました。内在的なことと超越的なことははっきり区分しなければならないということです。我々でいえば、分別と回向の問題でしょう。バルトに対して、ラインホルト=ニーバーは、バルトの人間の罪に対する深い懺悔は人間であることを悔いることになってしまって、その深みからみれば、人間社会の相対的な善悪はたいしたちがいがなくなって、独裁とか社会の腐敗、ナショナリズムをそのまま容認してしまい、キリスト教の布教にも大きな打撃となってはね返ってくると主張しました。つまり、社会悪を防ぐのは教会の責任であるということです。私たち宗門にも、安心がありさえすれば人間の問題は根本的に解決するという考え(信心派)と、社会に目を向けていかねば、お寺の存在意義はないという考え(社会派)があるといわれますね。それはバルトとニーバーの論争に刺激を受けたからでしょう。

「神のことは神のみに語らしめよ」というバルトの超越性の言葉を経典のなかに求めるとしたら、どこにあるのか。仏陀の本当の願い、原本願といいますか、それがどこにあるのかというと、『教行信証』行巻のはじめに

『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』に言わく、第四に願ずらく、「それがし作仏せしめん時、我が名字をもって、みな八方上下無央数の仏国に聞こえしめん。みな、諸仏おのおの比丘僧大衆の中にして、我が功徳・国土の善を説かしめん。諸天・人民・〓飛・蠕動[けんぴ・ねんどう=虫けら・動物すべてと理解してよい]の類、我が名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せん者、みな我が国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、終に作仏せじ」と。

とあります。

キリスト教もイスラム教も救済の対象は人間だけなのですが、仏教は、人間だけでなく、生きとし生けるものすべてを救済の対象にしています。これが原本願といえることではないかと思います。釈尊は、すべてのいのちのあるものは幸せであれとおっしゃっておられます。弱肉強食の世にあって、これはあり得ない矛盾することです。あらゆるものを救いたいというのは人間の発想からは出てこないでしょう。しかし、それを願わずにおれないのが如来の大慈悲心です。無量寿でなければできないことです。無量寿はすべて救い取るということです。人間を超えた如来の発想です。しかし、この大悲は逆に、この世界の殺し合い、奪い合いを見る大苦を伴うことになります。

『大無量寿経』の五悪段に

今我この世間において仏に作りて、五悪・五痛・五焼の中に処すること最も劇苦なりとす。

とあります。本願を感じたときの心境は、踊躍歓喜だといわれます。信心は歓びですが、それと逆の表現が善導の『観念法門』のなかに

敬ひてもうす。一切往生人等、若しこの語を聞かば、すなわち声に応じて悲しみて涙を雨らし、連劫累劫身を粉にし骨を砕きて、仏恩の由来を報謝して、本心に稱すべし。

とあります。恩徳讃の典拠になる言葉ですね。歓びだけではなく、悲しんで涙を流す感動もあるのですね。如来の恩徳というのは大変な深さをもっているということをあらためて感じたことです。

それからニーバーの説にも共感するものがあります。我々はできるだけ世界に目を向けていかねばならないでしょう。今何がおこっているかを学んでいくことが大切ですね。

バルトとニーバーを例にお話ししましたが、御遠忌に向けて何をすべきか、お互いの重い課題だと思います。