東京教区東京2組
いのちのふれあいゼミナール
'04年9月5日開催(講師:近田昭夫先生)のご報告

【'04年9月14日掲載】

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日時 '04年9月5日(土)
常福寺 (足立区)
講師 近田昭夫先生 (豊島区・顕真寺住職、72)
テーマ いのちのふれあいを求めて - かろやかに、安らかに -

9月5日(日)、常福寺(足立区)において、東京2組足立・荒川・葛飾ブロック「いのちのふれあいゼミナール」が45名の参加者をもって開催されました。講師には、6月に引き続いて、豊島区顕真寺のご住職でいらっしゃる近田昭夫先生(72)をお招きし、「いのちのふれあいを求めて - かろやかに、安らかに  - 」というテーマでお話しいただきました。そのお話の一部をお伝えいたします。


近田先生の法話(ダイジェスト)

天下の名医

仏さまというのは天下の名医です。親鸞聖人は『教行信証』信巻に、『涅槃経』を数多く引用されまして、「大医」とか「医王」という言葉をとても大切にされておられます。仏さまは、患者の気がつかない病の本当の病根を取り除くので「天下の名医」と喩えられるのです。仏さまのおはたらきというのは、的確な診断をして病根を取り除いてくださるのです。ですから、仏教とは、病める人生を生きるほかない我らにおいて、健やかな人生をどうしたら取り戻すことができるかという教えです。言い換えれば、病める人生を生きているということは、自分の人生が自分の人生ではないということです。その人生をまさしくこれが私の人生でありますと、私の人生を取り返すということを促してくださる呼びかけが仏の教えということです。このことが、「大医」とか「医王」という言葉で見事に表現されているのです。

仏像の主役の変遷

日本人としてはじめて仏教を信仰した方は聖徳太子であると伝えられています。聖徳太子が建立されたのが法隆寺ですが、正式には「仏法興隆の寺」ということです。この法隆寺の大切な建物は金堂、講堂、五重塔の3つです。金堂には釋迦三尊像が安置されていますが、お釈迦さまの脇侍は文殊菩薩、普賢菩薩ではなく、薬上菩薩と薬王菩薩なのです。これは何を意味するかというと、お釈迦さまの教えというのは、病める人生を生きるほかない我らにその病を根本から完治される妙薬であるということです。さらに、金堂には当時(奈良時代)の仏像の主役であった薬師如来が安置されています。薬を持って人々を癒すということを見事に表現しているのが薬師如来です。

ところが平安時代になると、観世音菩薩と大勢至菩薩を脇侍とした阿弥陀如来(弥陀三尊)が主役になってきます。この阿弥陀さまは臨終来迎[りんじゅうらいごう]としての如来です。薬師如来から臨終来迎の阿弥陀如来へ移っていったということはどういうことでしょうか。人間というものは、まず病んでいるものであるというのが仏の眼です。そこで人々は病を治してほしいと薬師如来を信仰したのです。ところが病んでいるということは個人差があります。そこで人間である以上、だれもが病んでいるという問題を考えたときに「臨終」という問題が出てきたのです。つまり、「死」の問題です。平安時代になると、死の問題がクローズアップされてくるのです。

あらゆるものが崩れていくのが死です。死のために用意したものすら間に合いません。努力とか才能とか心の良し悪しとか、全て吹っ飛んでしまうのが死なのです。「臨終」は死に際という意味もありますが、「終わりに臨む」ということです。つまり、ここから先はないということですから、自分の生き方を考えざるを得ないということなのです。そのときに、自分の人生は何だったのか、何のために生まれたのか、それがはっきりしなければ死んでも死にきれんという問題になるわけです。人間の力の限界に臨むのが臨終です。そのときに向こうから迎えに来てくれるのが臨終来迎としての阿弥陀如来なのです。

しかし、死の問題が表に出てくると、「どうせ死ぬのだから」という気持ちになりニヒリズム(虚無主義)に落ちていく問題が出てくるのです。

ですから、人生が病んでいるということは、単に肉体的な病気をたくさん持っているということよりも、誰もが死を恐れ、その死が前面に出てくると、すべてが無化されてくるという病いが出てくるのです。死にいくら蓋をしても、死というものがなくなるわけではありません。いつも、そういうものに脅かされているのです。それが「どうせ」という人生にならざるを得ないというところに人生が病んでいるという問題があるのではないでしょうか。それに対応して、「如来」という向こうからくるはたらきとして、阿弥陀如来が来迎されたのです。

そして、親鸞聖人の鎌倉時代になると、また変化がおこってくるのです。外来宗教であった仏教が本当の意味で日本人の仏教になったのが鎌倉時代です。親鸞聖人が生涯ご本尊として礼拝されたのが「名号」(仏の名のり)です。曽我量深先生は、「仏さまは、“我は南無阿弥陀仏である”と名のっておいでになります」と明快に教えてくださっています。「南無阿弥陀仏」と言葉になってはたらくことを我々に語っておられるというのが「名号」という阿弥陀如来なのです。南無阿弥陀仏が阿弥陀如来そのものなのです。「南無阿弥陀仏」と言葉となったはたらきを親鸞聖人は仰いでおられたのです。仏像ではなくて、自分の口に称えられる南無阿弥陀仏というところに、生きた仏さまが現にましますということになってきたのです。

阿弥陀さまのフルネーム

名号とは仏さまのお名前(仏名)です。そして、名は体を表わすといいます。ですから、南無阿弥陀仏は仏さまのお名前ですが、ただの名前ではありません。仏さまの本質が、徳が、そのまま名前に表われているのです。しかも、それが動かない仏さまではなくて、具体的にはたらきを表わすという、その姿をもって、我々のところに来たり現れているのです。名は体であり、姿であるのです。お念仏申すというのは、仏の御名を称えるというので「称仏名」(称名念仏)というのです。

さて、「仏名」ということですが、南無阿弥陀仏は六字ですから、この六字の名号が阿弥陀さまのフルネームです。その名には「南無」という字がついているのです。このような仏さまはほかにいらっしゃいません。「南無観世音菩薩」といっても、「観世音菩薩に南無する」という意味で、「南無」をくっつけているだけの話であって、観世音菩薩のフルネームでもなんでもないのです。「南無‥‥」をもってフルネームとしているのは、阿弥陀さまだけなのです。これは、仏を信ずる心まで仏さまのお名前のなかに込められているということなのです。我々が向こうにいらっしゃる仏さまを尊敬してお願いしてお助けにあずかりたいと、つまり「南無」は私がするものというのが一般的なパターンです。ところが、すでに仏さまの名前に「南無」まで成就されているのです。

ただ念仏

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「南無」まで成就されているということは、「仏を信じる心は必要ありません」と言われているのです。親鸞聖人は信心について、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」(『歎異抄』第2章)とおっしゃっています。「ただ念仏」の「ただ」とは、私たちの努力とか心がけを超えた世界にあるということなのです。聞法すればするほど、自分の努力や心がけで助かるのではない。南無阿弥陀仏という本願のはたらきによって、あらゆるものが無条件に救われるということなのです。

お内仏のご本尊の両脇には十字名号の「帰命盡十方無碍光如来」[きみょうじんじっぽうむげこうにょらい]と九字名号の「南無不可思議光如来」[なむふかしぎこうにょらい]が掛けられています。「帰命盡十方無碍光如来」は天親菩薩が「南無阿弥陀仏」を自分にいただいたところを披瀝したお言葉です。これを平たく言ったら「無条件のお助けの邪魔がとれました」という頭が下がった世界なのです。ですから、「信心」とは如来の無条件のお助けの邪魔がとれることをいうのです。何が邪魔だてしているかというと、自分がもう少し心を清らかにしなくてはいけないとか、腹がたたないような人間にならなければいけないとか、もっと努力して意味がわかるようにならなければいけないという思いです。それが無条件のお助けの邪魔になっているのです。それがとれて、南無阿弥陀仏という本願のはたらきにゆだねきることができましたということが「信心」なのです。「南無不可思議光如来」は曇鸞大師のお言葉です。これは「南無阿弥陀仏という本願をいただいてみれば、私の考えや言葉のおよぶ世界ではありませんでした」とやはり頭がさがった世界です。

ですから、なぜ仏さまに「南無」という信ずる心までが名になっているかというと、どんなに人間がまことを尽くそうとしても、まことの信心は成り立たないということなのです。どうしても自分の都合というものから出ることはできないのです。どんなにまじめでも、いっしょうけんめいでも、徹底した意味でまことの信心は成り立たないという事実を悲しまれたはたらきが、「南無」の二字までご成就されたのです。そして「南無阿弥陀仏」という言葉になって、私のなかにはたらいてくださるのです。こういう誓いをたてられたのが弥陀の本願なのです。

私が私であること

今から5年ほど前の朝日新聞に「ぞうさんからの贈り物」という題の社説がありました。そのなかで印象に残っていることをお話しいたします。「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね そうよ かあさんも長いのよ」という「ぞうさん」の歌はどなたも知っていると思います。この歌は母子の仲良しこよしの歌ではなく、子どものぞうさんの鼻が長くてみっともないとけなされている場面の歌なのだそうです。口ずさんでみると確かにそうでした。「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」とはだれが言っているのでしょう。ぞう以外の動物が集まって「君みたいに鼻の長い動物はほかにいるか?」と言っていたぶっているのです。子どもの象は負けずに「そうよ かあさんも長いのよ」と切り返しているのです。それは「だってぼくたち、象だもん」ということなのです。この歌は、「自分が自分である」ことに満たされているということを象に託して表現したのです。しかし、万物の霊長とえばっている私たち人間は、果たして「自分が自分である」ことに満たされているのでしょうか。実は人間が一番やっかいなのです。

相田みつをさんの詩に「花には人間のようなかけひきがないからいい ただ咲いて ただ散っていくからいい ただになれない人間の私」というのがあります。今ここにいる私そのものに本当に安んじて立てるということ、このことひとつが成り立たないのです。

懺悔 -「さんげ」と「ざんげ」-

人類のことをホモ=サピエンスといいますが、これは「知の人」という意味です。知的水準の高い生きものということです。確かにそうですが、あまり幸せではありません。自分自身に満たされていないからです。知的水準が高いのに、満足自体しない、言い換えれば、「私が私であること」になれないのです。

人間ははじめ四足だったのが、二足で立てるようになったわけですが、これは頭が高くなったということです。頭が高くなって遠くを見渡せるようになって、観察、分析する能力が自ずと身についたということです。そして、ここまで科学が発達してきたのです。しかし、その反面、自覚症状のない病気にかかったのです。二本足で立つことによって、足が大地から遊離してしまったのです。足が地についていないのです。つまり、自分の存在の根拠に立っていない、頭でっかちになったのです。いつしか母なる大地から頭が高くなってしまったのです。

宗教では礼拝を大切にしますが、インドやチベットの仏教徒は五体投地をします。あれが礼拝の原形だと思います。体全体を大地にひれ伏すということは、いつのまにか頭の高い人間になってしまったことへ懺悔[さんげ]なのです。イスラム教もキリスト教もやはりそうです。

「懺悔」とは、一般に「ざんげ」と発音しますが、仏教では「さんげ」と読みます。「ざんげ」と「さんげ」は一味ちがうのです。「ざんげ」というのは、自分の行為を反省して許しを請うことです。「さんげ」は、行為についてではなく、私はなんという人間なのかということに頭がさがってしまうことをいうのです。存在そのもののあり方に無条件降伏してしまうことを「さんげ」というのです。

亡くなった母親が入院しているときのことですが、私は見舞いに通う日々のなかで、ある時風が吹き上げてくるような実感を覚えたことがあります。それはどういうことかというと、「母親を心配してきているのだろうが、本当に母親を心配して来ているのか」という問いが出てきたのです。はじめから母親のことを考えていなかったら来ませんね。考えているから来ているのですが、本当に母親を心配してのことかということです。これは人に言われたのではなく、自分の行為から問われたのです。自分のなかから問われたことなので逃げ場がありません。母親のことを考えないのではないけれども、私の行動の原理は何かというと、行かなければ気がすまないということだったのです。私の気がすむか、すまないかで動いている、そのことが何よりも先だということが知らされました。もちろん母親に対して謝罪すべき行為はしておりません。しかし、「私はなんという人間なのなのだろうか」ということは思いました。こういうことが仏教で教えられる「さんげ」ということだといただいております。

そういう私たちの心でありますから、仏さまを尊敬し信じているといっても、尊敬している心、信じている心が、今のような私の心の上乗せなのです。この心の延長線では、絶対に真実になるはずがないのです。阿弥陀さまは、そのことを批判したりするのではなく、実に痛み悲しまれて「そのことに気づけ」と南無阿弥陀仏と言葉になって、私のうえにはたらいているのです。やたらに反省しなくていいと、そのことを承知のうえで、「南無」まで成就して、言葉となってはたらいて、よびかけ続けるのが南無阿弥陀仏という名号です。名号は名のりであり、私たちに向かってさけび続けているといってもいいと思います。そのことを私たちは素通りしてきたのではないでしょうか。念仏はご先祖さまに称えるものであるとか、精神修行のたしになるのではないかというとらえかたをしてきたのではないでしょうか。名号は阿弥陀仏の薬です。といっても阿弥陀の持っている薬ということではありません。私たちのために阿弥陀さまがみずから薬になられたということです。自覚症状のない私に、どうかこの薬を飲んでほしいといういわれを聞き開いたときに、はじめて私の存在のあり方そのものに気づかされ、まさに私のための薬であったと頭がさがるのです。その薬を飲むことを「信心」というのです。その時に頭がさがりましたとお返事申し上げる南無阿弥陀仏を念仏というのです。南無阿弥陀仏の名号は常に私のところにメッセージが送られて、自覚症状のない私を目ざまそうとしてはたらくのです。 名号 → 信心 → 念仏 と、そういうサイクルであり動きです。仏さまはどこかにおさまっている方ではなく、いつも私を目ざまそうとしてはたらいているのです。まさに如来さまなのです。それが如来の大悲、悲しみの心から私のところにはたらきを表されているのです。私たちがどこまでそのことに目覚ませていただけるかどうかにかかるのではないかと思います。

最後にひとつ申し上げておきます。曇鸞大師に「千歳の闇室」[せんざいのあんしつ]という譬喩があります。千年間一度も光が入ったことのない部屋にひとすじの光がさしこんで、闇が破られて明るくなったという喩えです。ただ、ひとすじの光がさしこんだぐらいでは依然として暗いのです。依然として暗いのですが、世界が変わったのです。ですから、この譬喩は、ぱっと明るくなったのではなく、闇であったと気づいたということなのではないでしょうか。闇のなかにいる者には、この部屋が闇であることがわからないのです。そこへひとすじの光がさしこむことによって、「私は闇のなかにいた」ということに気づかされるのです。真昼間のように明るくなるのではなくて、世界が変わるのです。教えを聞いたら何でも昼間のように明るくなるのではないのです。しかし、何も変わらなくても世界が一変するのです。私の生活世界が闇の世界から光明世界に一変するのです。ここが信心という問題の一番大切なところではないでしょうか。