東京教区東京2組
寺族研修21 菅原伸郎先生の講話より

【'03年8月11日掲載】

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7月29日(火)、蓮光寺において、東京2組寺族研修(Vol.21)が開催され、「宗教理解の4段階−オウム事件から親鸞思想へ」というテーマで、元朝日新聞学芸部長の菅原伸郎先生にお話しいただきました。その一部を感想を交えながら述べてみます。


菅原先生は宗教教育の重要性を痛感され、記者時代には「こころ」のページで週1回連載されていた「宗教と教育」や「孤独のレッスン」のなかで、現代教育の行き詰まりに対して、多くの問いと視座を投げかけられてきました。菅原先生によれば、宗教教育とは (1)宗教知識教育 (2)宗派教育 (3)宗教的情操教育 (4)対宗教安全教育 (5)宗教寛容教育 ──に大別でき、とりわけ宗教情操教育については、現代の言葉でいえば、実存的真理、根源的真理と表した方が適切で、「根源的情操教育」という言い方をされていました。そして、宗教の言葉を用いずに、人間の悲しみとか絶望に向かい合うことの大切さを指摘され、現在、非常勤講師を務めておられる東京経済大学、拓殖大学でも様々な試みをされています。

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さて、4つの段階とは真の宗教の必須条件といっていいと思います。

まず第1に、信じることよりも、迷いの中で疑っていくことに意味があり、迷いと疑いが大切だということです。親鸞聖人は『教行信証』信巻の冒頭で「しばらく疑問を至してついに明証を出だす」と述べられていますが、疑いこと、つまり疑うことなく信じていくのではなく、問いをもつことこそが、自分を回復する第一歩になるのでしょう。

第2は、疑っていくなかにあって、気づいていくことの大切さです。西田幾多郎は「仏教において観ずるということは、対象的に外に仏を観ることではなくして、自己の根源を照らすこと、省みることである」と述べられていますが、これからは覚の宗教だということでしょう。宗教知識や安全教育は学校でも可能ですが、気づきとか目覚めの問題は現状では大変むずかしく、どんな試みが可能か、その可能性を見出していくことが急務であると感じられました。

第3に、方便の大切さです。仏教の強みは方便があることだと。実体として説くと危ういのです。実体を破って方便をもって我々に語りかけるところに大きな意味があるのです。だから方便は、あやしげなものではなく、永遠なものでなければならないわけです。阿弥陀仏は無量光・無量寿という無限の方便であることはすばらしいことではないかと言われていました。

そして、第4に、還るということです。行きっぱなしでなく、ふたたび穢土へ還ってくること、つまり還相の問題です。気づいたら、あるいは覚ったらそれで終わりというのではなく、この苦悩の大地に足をつけて、衆生のなかに生きていくこと、そのことこそが本当に生きるということなのではないでしょうか。現実社会にふれ、人々と接しながら聞法していくことの大切さを感じました。


4つの段階について、どう感じられたでしょうか。非常に多岐にわたる問題提起だったので、十分にお伝えすることはできませんでしたが、興味のある方は菅原先生の著作『宗教をどう教えるか』(朝日新聞社)、『教育基本法「改正」批判』(文理閣)をぜひ読んでください。またつい最近『戦争と追悼』(八朔社)をだされましたが、これもおすすめです。

菅原先生は、親鸞仏教センターにも深く関わられ、また真宗大谷派僧侶の自主学習会「『論註』に学ぶ会」にも出席されており、救済としての親鸞思想に大変注目されているので、今後とも色々と視座をいただいていきたいと思います。