『僧侶31人のぽけっと法話集』

著者 共著
出版 東本願寺出版
定価 810円(税込み)

蓮光寺住職、成人の日法話会2017の講師である片山寛隆先生、蓮光寺で法話されたことのある平原晃宗先生、渡邉尚子先生(他にもたくさんいらっしゃいます)をはじめ、真宗大谷派の僧侶31人が、日々の生活での出来事をとおして仏教の教えをバラエティ豊かに語る短編法話集。


『往生の生活』

著者 本多雅人(蓮光寺住職)
出版 真宗大谷派高岡教務所
定価 200円(税込み)

2015年5月30日、井波別院で開催された高岡教区「報恩講」での蓮光寺住職の法話録です。

死んだら浄土に往生するのではなく、苦悩が生きる意欲に転換されることを「往生」というのです。どんな自分も受け止めて、今を生きられるようになることなのです。

凡夫の身に帰って、如来の眼で人生をいただき直して生きることが「往生の生活」なのです。


『大きい字の法話集 2』

著者 共著
出版 東本願寺出版
定価 378円(税込み)

大好評シリーズの第2弾。御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を主題に、当派のラジオ放送『東本願寺の時間』において、放送された法話を加筆・修正した書籍。大きい文字でわかりやすい法話集。記念品やテキストに最適。蓮光寺住職、成人の日法話会2017の講師である片山寛隆先生など12話を掲載しています。


『安心して迷いながら生きられる道』

著者 本多雅人(蓮光寺住職)
出版 真宗大谷派三条教務所
定価 200円(税込み)

2014年11月20日、三条教区・三条別院主催の親鸞聖人750回御遠忌法要「親鸞聖人讃仰講演会」での蓮光寺住職の法話をまとめたものです。

迷いや悩みはけっしてなくなりませんが、その苦悩を抱えたままで、堂々と生きて往ける道を開いた親鸞聖人に学びましょう。

豊かになれば幸せになれるという人間の思いが、逆に人間に生きづらさを与えてしまったのです。人間の思いが人間を苦しめるとは仏教の卓見です。
本文より

『「今を生きる」ということ』

著者 佐野明弘(光闡坊住持)
本多雅人(蓮光寺住職)
出版 真宗大谷派岡崎教区第17組教化委員会
定価 150円(税込み)

2014年7月16日〜17日にかけて、岡崎教区第17組主催の「夏期講座」が行われ、16日は佐野明弘先生、17日は蓮光寺住職が講話をいたしました。午前と午後にわたった講話は4時間近くにおよびましたが、そのダイジェスト版として、昨年末に岡崎第17組より冊子が発刊されました。

今を本当に生きるとはどういうことなのか。佐野先生と蓮光寺住職が語りかけます。

今の自分に何も足さない何も引かない、そのまま頷くということが宿業の自覚ということでしょう。頷くということは、自我のなかからは出てきません。頷かされる教えに出遇うということがなければ、けっして自覚することはできません。
本文より、蓮光寺住職

『誕生と往生』

著者 本多雅人(蓮光寺住職)
出版 一心寺
定価 200円(税込み)

2013年5月3日、埼玉県さいたま市にある一心寺の「第30回宗祖親鸞聖人誕生会(え)」での蓮光寺住職の記念法話を書籍化。仏教において、誕生は「生苦」であると見る。仏教は、その苦悩に満ちた人生を受け止める世界を「往生」という言葉で語ってきた。死んだら「往生」ではなく、苦悩が生きる力に転換されることを内容としていることを語る。


『愚に帰る ─悲しみのままに開かれる世界─』

著者 本多雅人(蓮光寺住職)
〔真宗大谷派名古屋別院報恩講讃仰講演会講話禄〕
出版 名古屋別院同朋叢書
定価 500円(税込み)

3.11(東日本大震災とそれに伴う原発事故)は、人間社会を根底から揺さぶり、「人間絶対」の現代に人間とは何か、生きるとは何かという問いを投げかけました。

人間存在そのものに目を向ける時、つまり愚かさに帰る時、そこには今までとは全くちがった世界が確かに開かれるのです。

review

2011年3月11日(東日本大震災)、日本全体が揺れ、私たちも揺さぶられた。私たちは何とか震災後の状況を立て直そうと対策や対応に力を注いできた。本多氏は対策や対応が緊急の課題ではあるとしながら、「宗教的課題とは、対策や対応に追われる”人間そのもの”を問うているのだ」と言われる。「人間とは根本的に何なのだろう」と。

その本多氏自身は、震災を通し「自分が今まで聞いてきた教えが何だったか、救いとは何であるのか」わからなくなったと言われる。震災という現実の問題を通し、我が身に見えてきたのは、教えをいただいて“わかったつもり”になっている愚かさであると。その愚かさを知らされて、そこに開かれてくるものとは・・・。ぜひ、一読ください。

『名古屋御坊』真宗大谷派名古屋別院

『親鸞ルネサンス ─他力による自立─』

著者 安冨歩(東京大学教授)
本多雅人(蓮光寺住職)
佐野明弘(光闡坊住持)
出版 明石書店
定価 1,600円(税別)
  • はじめに 〔安冨歩〕
  • 第1章 存在の尊さの回復 〔本多雅人〕
  • 第2章 自己を受けとめ、世界を開くために 〔対談: 安冨歩&佐野明弘〕
  • 第3章 親鸞にみる魂の脱植民地化 〔安冨歩〕
  • 第4章 現代と親鸞 〔本多雅人〕 

「はじめに」より 一部抜粋 ──

他力を信ずることは、縁起によって成り立つ私と他者とに等しく依存し、独我的にしてしかも他者に開かれた生き方をもたらします。それは、創造的に学びあい、頼りあう関係を私たちに与え、それによって私たちは自立できるようになるのです。これが迷妄から抜け出して、社会を再生するための鍵ではないでしょうか。〈中略〉

阿弥陀仏の本願に乗っていながら、その本願のことを忘れてしまえば、そこから迷妄が生じます。そうなれば、時々刻々と変化する縁起の流れに沿うことは不可能となってしまうのです。この迷妄から抜け出すこと、それはまさに、私たちにとって、私たちの社会にとって、喫緊の課題です。

私が「親鸞ルネサンス」という研究を開始したのは、そのためです。この試みは、真宗大谷派蓮光寺住職である本多雅人さんをはじめとする、多くの方々の支援によって始まりました。その本多さんが、同派の先鋭的な学僧である佐野明弘さんをご紹介くださいました。本書は、本多さんの企画で、私と佐野さんとの対談が京都・東本願寺で実現し、その対談を中心として、本多さんの導入とまとめ、私の解説で構成されています。本の編成は、私の研究室の特任研究員である山本伸裕博士が担ってくれました。

(安冨歩)

「第1章」より 一部抜粋 ──

親鸞は、結局、山を下りました。二十年間修行して身に沁みたことは、努力して、自分で迷いを翻すのは、徹底的に無理だということだったのです。

これは、修行に耐えきれなくなって挫折したということではありません。人間存在の救われ難い現実を誤魔化さないで見つめる眼が、徹底して開かれたということだと思います。つまり、人間というのは、理念とか法則とか、宗教的答えとか、そういったもので動いているのではない。常に縁によって何かに出遇っていくものなのだと。特に、苦しみの中から、それまで気づかなかったことを言い当てられていく真実、そうした真実に出遇っていくことが、何より大事だということに、気づかされていったということです。

これこそまさに「他力」です。自我意識で真実を立てていくものではないという視点は、安冨さんと佐野さんと私の三者に、明らかに共通する点ということができます。〈中略〉

この宗教的課題は個人的なことではなく、全人類的課題です。もちろん受け取るのは私一人ですが、個人的苦悩や迷いのように見えても、全人類的課題を担った問いかけがなされているから歴史的存在として自己が見いだされてくるのです。「五劫思惟ごこうしゆいの願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人いちにんがためなりけり」(『歎異抄』現代語訳:阿弥陀如来が五劫という長い時間をかけて、すべての存在を救おうという深い思いから建てられた誓願〈本願〉を、よくよく我が身に引き当ててみると、それはひとえにこの親鸞一人を救うためであった。)という言葉がそれを物語っています。時を超えた本願が自己の上に成り立つ、時を超えたものが時となる。それは「信心」によって成り立つ。本願が自己の上に成り立つ「時」、本願の仏道が人間の歴史の上に具体的に仏道を伝承しうるのです。「われ」の上に開かれた信心は「われら」に通底するものであり歴史的普遍的永遠的なものなのです。つまり、私に先立って、「私一人」の救いを自覚した人たちの歴史があり、その歴史の上にこの私一人にも開かれているのです。それは私一人が受けとめる問題であると同時に、すべての人たちの救いの問題であったとのうなずきです。

(本多雅人)

「第2章」より 一部抜粋 ──

自分自身というものが、「私は何々である」というのではなく、自己を超えた何かに呼ばれたとき、「それは私である」といったかたちで、私自身がそこに見いだされるようなことが起きる。自己を確立していくのではなくて、徹底して見いだされてくるかたちで、「私」とか、あるいは「われら」とかいうものが浮かび上がってくる。それは、呼び覚まされて目覚めた自分自身であると。そういった自己は、もはや何かによって価値づけされる必要がないような自己である。

そうした自己との出遇いを逆にしてしまうと、同じ宗教でも、宗教を使って自己確定するという方向に落ち込んでいってしまうんじゃないでしょうか。「魂の植民地化」という言葉でおっしゃっておられるのは、そんな問題なのかなと。

(佐野明弘)


『今を生きる親鸞』

著者 安冨歩(東京大学教授)
本多雅人(蓮光寺住職)
出版 樹心社
定価 1,800円(税別)
  • はじめに 〔安冨歩〕
  • 第1章 人知の闇があらわになった!
    〔対談: 安冨歩 & 本多雅人〕
  • 第2章 方便と回向
    〔対談: 安冨歩 & 本多雅人、 司会: 山本伸裕〕
  • 第3章 親鸞との出遇いと学び
    ─「親鸞ルネサンス」の試み─
    〔安冨歩〕
  • 第4章 愚に帰る ─安心して迷える道─
    〔本多雅人〕
  • おわりに 〔本多雅人〕

「おわりに」より──

アメリカの同時多発テロの九・一一になぞらえて、東日本大震災とそれに伴う原発事故は三・一一と言われるようになりました。しかし、九・一一と三・一一の共通点は論じられていても、そこから見えてくる問題について深く掘り下げて論じられてはいないのではないでしょうか。

双方ともに、人類にとって衝撃的な大惨事であり、それはあってはならないという「状況」への深い悲しみをもたらしたことは共通しています。

問題は、その悲しみがどの方向に向けられていくかということではないかと思っています。九・一一は、その悲しみが怨念になり、その怨念が正義となり、新たな憎しみの連鎖を生み出しました。そこには問題が対象化され、外に向けられていて、人間そのものを深く見つめ直すということがなかったからだと言っても過言ではないと思います。

三・一一は、どこまでも人間の知恵(人知)の闇の問題に目を向けていかねばならないでしょう。原発に賛成か反対か、そして福島第一原発事故の終息をもって終わる問題ではなく、根源的に人間を深く見つめ、人間のあり方を掘り下げていくことが、あらゆることに向かい合っていく基本的視座を作り出すからです。震災を縁として、どこまでも人知の闇に深く切り込んでいかなければ、人間は再び原発に代わる別の取り返しのつかない問題を作りだしかねないのです。人間の愚かさは、反省ぐらいではけっして変わるものではありません。

三・一一は対象化された人やものへの批判だけで終わることなく、業縁存在としての人間そのものを深く見つめ、「愚」の大地からもう一度立ち上がっていくことが願われているのでしょう。そして、震災の被害を受けた方々は言うまでもなく、東京電力や政府関係者の方々も含め、そして私たち自身も、すべての人たちが救われていくような救いがどこで成り立つのかということが問われているのです。こういう課題こそが宗教的課題と言われるもので、政策とか対策では解決しない問題を問い続けるのです。

そんなことを思うとき、私と同じ課題を持っていた安冨歩さんと出遇い、語り合えたことは私にとって本当にありがたく、様々なことを教えられました。

親鸞仏教センターの大谷一郎嘱託研究員が安冨さんに出した一通の手紙から、親鸞仏教センターと東京大学東洋文化研究所との交流が始まり、山本伸裕嘱託研究員が安冨さんと意気投合し、安冨さんとともに、東京大学の東洋文化研究所内に「親鸞ルネサンス学術拠点」を設立し、既存の学問分野が対象としている問題を、親鸞思想に学びつつ、全く違った角度から論じる試みをされています。山本さんがパイプ役となってくださったおかげで、安冨さんと私が深く語り合うことができました。第二章に山本さんが加わってくださっているのは、第一章でのシンポの内容をもっと深めていきたいという我々の意向を汲んで、自らコーディネーター役を買って出てくださり、我々の考えを引き出してくださったからです。山本さんには深く感謝をする次第です。

また、拙書を発刊するにあたり、全面的に協力をしてくださいました樹心社の亀岡邦生さんには心より御礼申し上げます。

現代において、何よりも人間を深く見つめていくことが、あらゆる問題の基本になると思います。親鸞が明らかにした「愚」に立脚していくこと、つまり愚を自覚することで、自覚する以前とはまったくちがった生き方が開かれてくると確信しています。そのことを一人ひとりの上に明らかにしていくことが求められているのでしょう。

拙書が多くの方々に読まれ、人間の愚かさを自覚し、人間が人間として真に生きていくことへの関心が広がっていくことを願ってやみません。

2011年10月6日 札幌別院円山支院「報恩講」中の教導控室にて
本多雅人

◆安冨歩さんのブログでの紹介記事: 「『今を生きる親鸞』出版のご案内」

review

本書は、二〇一一年五月に真宗本廟で開催された「これからの仏教を考える日「今を生きる親鸞」御遠忌讃仰講演会」(主催:真宗大谷派宗議会議員・参議会議員)での安富歩氏(東京大学東洋文化研究所教授)と本多雅人氏(真宗大谷派東京教区蓮光寺住職)による対談をきっかけに生まれた一冊。大学教授と僧侶という全く異なる分野で活躍する二人が、現代社会における諸問題や西洋哲学などの視座も交え、親鸞聖人の教えに対する思いを語る。

〜目次から〜
第一章 「人知の闇」があらわになった(対談)
第二章 回向と方便(対談)
第三章  親鸞との出遇いと学び「親鸞ルネサンス」の試み(安富歩)
第四章 「愚」に帰る 安心して迷える道(本多雅人)

本書の中で、本多氏は「「人知の闇」の問題は、言うまでもなく、近代以前からの人間の根本問題として仏教がまさに指摘し続けてきましたが、特に原発事故でその問題があらわになったと言えるのではないでしょうか。(中略)原発に賛成か反対かを問う以前に、人間そのものが問われ、人間が根本的に抱える無む明みょう性にまで深く切り込んでいかないと問題の本質が見えなくなってしまうと思うのです。そう考えると、産業革命以降の最も大きな歴史的転換が起こりうる「今」を生きているのだと感じるのです。人知に立脚した善悪の思考に迷う現代人にとって、「善悪のふたつ総じてもって存ぞん知じせざるなり」(『異抄』後序)と言い切る親鸞の「凡夫(愚者)の自覚」が、現代に大きな示し唆さを与えているのではないでしょうか。現代において如来の他力回向による「愚」の自覚こそが、混迷の現代において本当の救いを提示していることを、日常の足元から少しでもお話しできたら」と語る。

3.11の福島第一原発事故によってあらわになった「人知の闇」「人間の愚」。どこまでも人間を深く見つめ「愚」に立ち続けた親鸞の姿勢とその思想にこれからの社会の可能性を示そうとしているのではないか。

『真宗』2012年1月号

『本当に生きるとは、どこで成り立つのか お内仏のある生活の回復』

著者 本多雅人
出版 北海道教区坊守会連盟
頒布価格 200円(送料別)

2008年9月30日、札幌パークホテルで行われた北海道教区宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け大会「婦人のつどい」での蓮光寺住職の記念講演録。御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」の呼びかけに、住職が応えます。

review

本書は、2008年9月に北海道教区宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け大会として開催された「婦人のつどい」における本多雅人氏の記念講演録。

氏は、本大会の「何を依り処とし、どう現実に向かい合っていくのか。その問いに真向かいにならざるを得ない場所が『お内仏』である」という趣旨に呼応し、「本願の歴史は、人間の悩みや苦しみに寄り添って呼びかけてきた歴史。私たち一人ひとりがお内仏の生活を回復して本願の歴史に参加しようと御遠忌テーマ『今、いのちがあなたを生きている』は呼びかけている」と説いている。

仏智に立脚した「依り処」がなければ本当の意味で生きることは成り立たないと、私たちに問いかける。

『真宗』2009年7月号

『人間といういのちの相[すがた] I 今、いのちがあなたを生きている』

著者 青木新門、本多雅人、他
出版 真宗大谷派宗務所出版部(東本願寺出版部)
定価 1,000円(税別)

『同朋新聞』2、3面連載のインタビュー「人間といういのちの相」が本になりました。第1巻(第1話〜13話)は、葬儀、介護、子育てなどの現場から人間の苦悩の現実を見つめます。記念すべき第1話は作家の青木新門さんと蓮光寺住職の対談です。御遠忌テーマを考える手がかりに。続刊も刊行予定。


『人間といういのちの相[すがた] IV 今、いのちがあなたを生きている』

出版 真宗大谷派宗務所出版部(東本願寺出版部)
定価 1,200円(税別)

宗祖御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を深める手掛かりとなることを願って出された「人間といういのちの相」の第4弾です。

最終巻では、生・老・病・死のそれぞれの苦悩と向き合ってこられた方々のインタビューを収載しています。おのおのが向き合った苦しみの中から、人間の相を見つめる特集となっており、社会評論家の芹沢俊介氏と蓮光寺住職の対談、医師の帯津良一氏と蓮光寺門徒の篠﨑一朗さんの対談、「成人の日法話会」の講師を務めた藤川幸之助さんのインタビュー記事等が掲載されています。


『山をおりた親鸞 都をすてた道元 中世の都市と遁世』

著者 松尾剛次
出版 法蔵館
定価 2,200円(送料別)

第1章「親鸞と中世都市鎌倉」は松尾氏と蓮光寺住職との対談です。

review

本書は、山形大学人文学部教授で、鎌倉新仏教と中世都市鎌倉との関連に着目した研究を行っている松尾剛次氏の講演録・対談記録をまとめたもの。

鎮護国家を祈る「官僧」という身分を捨て、民衆の救済に励んだ「遁世僧」の親鸞、法然、道元、叡尊。鎌倉新仏教の宗祖たちは、なぜ「遁世」し、都市を目指したのか。中世の日本において整備・発展した都市と鎌倉新仏教誕生との関係についてを探っていく。

本書には、本誌2004年9月号掲載の対談「現代に生きる親鸞を求めて 親鸞と中世都市鎌倉」(聞き手・本多雅人氏〈親鸞仏教センター嘱託研究員・東京教区蓮光寺住職〉)も収録。日本の中世史像と鎌倉新仏教の魅力について迫っていく。

『真宗』2009年7月号

『人間といういのちの相[すがた] II 今、いのちがあなたを生きている』

著者 橋口茂、他
出版 真宗大谷派宗務所出版部(東本願寺出版部)
定価 1,000円(税別)

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を深める手掛かりとなることを願って出された「人間といういのちの相」の第2弾です。蓮光寺門徒の橋口茂さんをはじめ、森達也さんや田口ランディさんも登場します。本書では、サラリーマン生活、環境問題、薬物依存症、老い、死刑など様々な角度から人間のすがた・苦悩を見つめていきます。


『人間といういのちの相[すがた] III 今、いのちがあなたを生きている』

著者 田口弘、佐野明弘、他
出版 真宗大谷派宗務所出版部(東本願寺出版部)
定価 1,000円(税別)

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を深める手掛かりとなることを願って出された「人間といういのちの相」の第3弾です。住職の法友で、門徒倶楽部の一員でもある田口弘さんをはじめ、「人間といういのちの相」のインタビューに住職とともに関わっている佐野明弘さんや小説家の高村薫さんも登場します。本書では、競争社会、虐待、信心、自然、宗教、葬儀、自殺など様々な角度から人間のすがた・苦悩を見つめていきます。


『人生に何一つ無駄はない 末期ガンから見えてきた世界』

著者 篠﨑一朗(蓮光寺門徒)
出版 真宗大谷派宗務所出版部(東本願寺出版部)
定価 250円(税別)

人間とは悲しくて寂しいものです。生きる悲しみと向き合って生きる人が多くなると、絶対にいのちの場のエネルギーが上がります。私たち医療者でも生きる悲しみが全く分かっていない医者がいるのです。生を謳歌しているだけ。こういう医療者が多いと、いのちの場のエネルギーが上がってこないのです。「明るく前向き」ということに溺れることなく、やはり人生は悲しい、生きることは悲しいということを時には思い出しながらやっていくことが大事だと思うのです。

それから、私たちの未来にあることで確かなことは、死ぬことだけです。だから「死」に目を向けることです。それによって希望や生き甲斐が生きてくるのです。死からこちらを見てくると、生がよく見えてくるのです。死から目を背けないことがとても大事になってくるわけです。ですから、私たちが生きるということは、実は病気であろうとなかろうと、こういうことなのだといつも感じています。

これは、人間まるごとを見るホリスティック医学に取り組んでおられる帯津三敬病院名誉院長の帯津良一先生の言葉です。ホリスティック医学は人間まるごとですから、病だけではなくて、生老病死を全部扱うわけです。医療と仏教というまるで分野がちがうようでも、根底においては、仏教が問うてきた問題と大いに関係があることを教えられました。

さて、篠﨑一朗さんは、37歳で癌に侵され、余命1年弱の宣告を受けました。その闘病生活中に出遇ったのが帯津良一先生でした。篠﨑さんはお母様を癌で亡くされるという悲しみを通して、親鸞聖人の教えにふれられた経験を持っています。しかし、その後は多忙なサラリーマン生活のなかで、ある意味まったく親鸞聖人から遠ざかっていました。ところが、ご自分が末期癌だと宣告されるなかで、帯津先生との出遇いによって、「病いのままでも自分らしく生きていきたい」という気持ちが高まり、自分自身の問題として、改めて親鸞聖人の教えにふれることになったのです。それは、篠﨑さんがたまたま蓮光寺の門徒であったことに起因していますが、それがどこで開花するかわかりません。そのきっかけをつくってくださったのが帯津先生だったのです。

篠﨑さんはなぜ奇跡の回復を果たしたのでしょうか? 少なくとも親鸞聖人の教えが病気を治したわけではありません。しかし、親鸞聖人の教えに出遇わなかったならば癌という病いを克服できなかったことも事実でしょう。闘病生活では試行錯誤の連続でありましたが、いのちをとりとめた後も再発の不安が抜け切れない中で、ついに親鸞聖人の教えによって「罪悪深重の凡夫」であったことを深く自覚され、等身大の自分を受け入れられるようになったのです。生老病死はいのちの厳粛な事実です。そのなかでどんな状況であろうとも自分が自分として生きていける道があるという、これ以上力強い教えはありません。「本願力にあいぬれば、むなしくすぐる人ぞなき」ということを篠﨑さんは証明してくださったのです。

篠﨑さんは、すでに癌闘病記を自費出版されています。そして、その本を読まれた真宗の教えと無縁であった人たちも、『歎異抄』を通して親鸞聖人の教えに深い関心を持たれたのです。親鸞聖人の教えが現代に待望されている証ではないでしょうか。

自費出版の反響の中から、もっと親鸞聖人について語ってほしいという要望があり、東本願寺出版部の伝道ブックスとして、『人生何一つ無駄はない — 末期癌から見えてきたこと —』を刊行する運びとなりました。癌で苦しむ方々はもちろんのこと、様々な苦しみを持たれている方々が、親鸞聖人の教えに出遇い、生きる意欲を快復していただければ無上の喜びです。

本書「巻頭の言葉」(蓮光寺住職)より

『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』

著者 安冨歩
出版 明石書店
定価 1,600円(税別)

蓮光寺住職との共著『今を生きる親鸞』の執筆者である安冨歩氏が現代に生きる人間の闇を鋭くえぐりだした話題の一冊。

「東大話法」の危険なところは、いかなる問題に対してもあくまで自分を傍観者として安全な場所に置き、自分自身がどう考えているのかといった根源的問いから逃げたまま、自分の社会的立場からのみ物事をと判断し、それを絶対的に正当であるというまったくもって無責任な論理を作り出してしまうところにある。どこまでも他人の目に映る自分にふりまわされているため、自分自身と向き合うことがなく、自分が不在のままなので、とんでもない論理展開が可能になってしまうのである。それを可能にするということは、その問題点や矛盾点を徹底的に隠ぺいしていくのである。それによって生み出されたのが「東大話法」である。「東大話法」は東大で往々にして見られるのでこのような名前がつけられているが、いかなる現場にも存在している現代病理であるといっていい。なぜなら自分でない感覚のままに生きるということは人間が人間でなくなってしまうということだからである。

大切な点は東大話法からの脱却ではなく、東大話法にどっぷりつかった自分のあり方を悲しむ、痛む生き方が与えられることにあるのではないか。なぜなら業縁を生きる人間存在そのものの悲しみがあるからである。悲しみを与えられることにおいて、「愚かさ」を自覚することにおいて新たな世界が開かれくることを我々に先立って証したのが親鸞だったのではないかと思う。

(蓮光寺住職)


『現代語訳 歎異抄 いま、親鸞に聞く』

著者 親鸞仏教センター編
出版 朝日新聞出版社
定価 1,500円(税別)

親鸞仏教センターの嘱託研究員だった蓮光寺住職も本書の編集に関わりました。

本書には、同センターの「歎異抄研究会」で現代語訳作業を行った内容がまとめられています。作業のやりとりを録音したカセットは66本にのぼり、その膨大な議論を約275ページにコンパクト化して発行しました。

本書の大きな特色は、リード、原文、現代語訳、註釈のほか、「教えを読み解く」として、原文を現代の言葉に直すなかで交わされた議論の過程の一部を掲載し、その言葉が生まれた背景を感じ取ることができると同時に、大切なポイントをおさえることができる画期的な構成になっています。

おそらく、ここまで徹底した現代語訳『歎異抄』は今までなかったものではないでしょうか。ぜひ、ご精読いただき、多くの問題を抱える現代を生き抜く意欲をもっていただけたら幸甚です。


『人生を豊かにする「歎異抄」』

著者 高城俊郎
出版 PHP研究所
定価 500円(税別)

蓮光寺の聞法会に参加されている弁護士の高城俊郎先生の執筆です。宗教学的に立場を離れ、40年の弁護士生活の経験を通しての『歎異抄』の受け止めを述べた好著。


『東京レスタウロ 歴史を活かす建築再生』

著者 民岡順朗
出版 ソフトバンク新書
価格 880円(税別)

蓮光寺ご門徒、民岡順朗氏の新刊。

「レスタウロ」とはイタリア語で、都市・建築の「修復・再生」を意味します。

東京駅丸の内駅舎から築40〜50年の民家・ビルまで、古くて、新しい魅力の東京の再生建築探訪です。


『イタリア映画BEST50』

著者 民岡順朗
出版 近代映画社 SCREEN新書
価格 1,000円(税別)

蓮光寺のご門徒である民岡順朗さんの最新刊書。

デ・シーカ、ジェルミ、ロッセリーニらの第二次世界大戦後のネオレアリズモからヴィスコンティ、フェリーニ、パゾリーニを経て、現代のジュゼッペ・トルナトーレやナンニ・モレッティまで、世界をリードしてきたイタリア映画。ホラーやマカロニ・ウェスタンまで含めて、いまDVDで見ておきたい傑作・名作を見どころとともに紹介しています。

建築家の民岡順朗さんは、経済優先型の日本の都市計画に警鐘をならし、イタリアの「修復」の技法をはじめとした都市計画に学び、日本の都市の再生を提案されておられます。親鸞仏教センターの「現代と親鸞の研究会」にも出講されました。

著書に『「絵になる」まちをつくる イタリアに学ぶ都市再生』(NHK出版 生活人新書)など。


掲載書籍一覧

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