あなかしこ 第72号

法話

テーマ 誰とも代われない人生
講師 高濱浩暢先生 中野区・正勧寺住職 51歳

自主聞法会〈真宗入門講座〉
2021年9月4日(土) 於:宗念寺(葛飾区)

「根っこ」の大切さ

  • 高濱浩暢先生

中野区で開教所正勧寺の代表をしております、高濱浩暢と申します。宗念寺様には初めてお参りさせていただきました。「住職」とご紹介していただきましたが、開教所としてこれから宗教法人を取得して正式に寺院となりますので、今の時点では「代表」でございます。蓮光寺のご住職は「代表が正式名でしょうが、私たち、そして門徒さんから見たら、住職に相違ないので、住職と表現させてもらいますよ」といつも言われるので、ありがたいことだと思っております。

私は福岡県福岡市の真宗大谷派の寺の次男坊で、ご縁があって東京で活動し開教所の代表を務めさせていただいています。年齢は51才です。開教所というのは、新たに聞法道場を開いていくということです。開教とは、教えによって私が開かれてくる歩みを言います。私が開かれてくるということは、逆に言えば今現在、私は閉じているということです。閉じているということを教えられることがないと、開かれてきません。私は、親鸞聖人のご生涯もこの開教の歩みであったのだろうといただいています。生涯をかけて、自分自身がお念仏の教えによって立ち上がらせていただくような道を歩まれたのが、親鸞聖人であったのだろうと思っています。

東京に来て10年になりますが、お寺の仕事を勤めている中で教えていただいたことは「根っこ」の大切さです。花が開くためには根っこが大切です。同様に、私たちが生きていくことにおいても、根っこが大切なのです。私たちの人生も根っこがしっかりしていないと踏ん張りがきかないでしょう。阿弥陀さまが立っておられる足元は、蓮台と言いまして、蓮で形作られています。葉であれ花であれ、根があることが大事なのです。根は目には見えないものです。見えないもの、私たちが本来わからないものです。私たちの人生において、気づかないものを教えんがために、立ち上がってくださっているのがご本尊・阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)ではないかと思うのです。

蓮の花は綺麗です。根は蓮根にもなりますし、蓮全体を支える大事なものです。また、葉というものは一見役に立たないもののように思われますが、そういう役に立たないような葉の上に阿弥陀さまは立っておられるのです。お経には「八万四千の葉」とあります。また、百葉華とも表現されます。私自身が一見役に立たないだろうと思っている事がらにも、実は深い関わりがあって、私が今ここにあるのです。私の思いよりももっと大きなはたらきが、この私を今ここに、そのままに存在させているということを教えるために、阿弥陀さまが私たちの前に立っていてくださると思うわけです。

「頭が下がる」ことはあるのか

今回講題は「誰とも代われない人生」としました。私たちは身近な人の死に際して合掌礼拝をします。この手を合わせ、頭を下げるということは、亡くなった方の人生をそのままに丸ごと敬っていることなのだろうと思うのです。その方の人生に合掌し頭を下げるという行いの中に、どの人たちも「誰とも代われない人生」を賜って生きているということを気づかされ、教えられているのではないかと思うのです。

さて、伝道講習会という東京教区の僧侶の方々が聞法研鑚をしていく場があります。蓮光寺のご住職が道場長を、以前この会でもお話しいただいた松井憲一先生が講師を務められており、私はスタッフとして関わっているのですが、今年は2年に1度の本講がございました。本講は1週間、群馬の旅館に泊まり込み、寝食を共にしながら、我が身を問題としながら、念仏の教えを訪ね、語り合い、そのことを通して自分の自覚内容を法話にしていくというハードな講習会です。ある夜の座談会で、松井先生が、私の隣にいた伝講生に対して「頭下げたことあんのか!」と言われたのです。隣の伝講生に言ったのですが、私は「ドキッ」としました。それは、10年くらい前、伝講修了者研修会に参加した時に、松井先生に同じように言われたことがあるからです。私は、福岡のお寺の次男坊とお話ししましたが、兄は実家の寺を継いで住職をやっています。こういった境遇を比較して、自分の愚痴みたいなことを言っていた時に松井先生が「兄貴に頭下げたことあんのか!」と言われ、「ドキッ」とさせられました。

皆さんはどうですか? 本当に私たちは頭が下がったことがあるのでしょうか? 形では合掌礼拝し、その方の人生に頭を下げている姿をとっているけれども、「本当に頭が下がったことがあるのか?」ということを問われているわけです。

このことは『教行信証』行巻の中に

帰命すなわちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、必ずしも帰命ならず。帰命は必ず礼拝なり。
(『真宗聖典』168頁)

とあります。私たちが合掌礼拝するところには、実は「帰命」という心がすでにあるのです。帰命が礼拝という行為に願われていると、私は受け止めているのです。私は帰命できるとか帰命できないとか、そういうことではなくて、南無阿弥陀仏と念仏申すこと、合掌礼拝していくことに帰命という心があるのです。帰命というのは「本願招喚の勅命なり」(177頁)と親鸞聖人はおっしゃっています。「本願」が私たちを招き呼んでいるということです。その招き呼ぶことを本願は本願それ自身の勅命としているのです。私たちが一生懸命、自分の力で頑張ってやっていくことではなくて、本願それ自身が私たちを招き呼んでくださる。これが「帰命」ということではないでしょうか。呼ばれるということは、やはり生きているからでしょう。そこにいるから呼ばれるわけです。向こうから私を呼んでいるのです。そういうことを願いとして建てられたのが「本願」なのです。その本願が私たちに呼びかけていてくださる、与えられている。そういう帰命の心があるのだということです。

『高僧和讃』に

本願力にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
(490頁)

という、とても身に響く和讃がございます。この呼び覚まされ、呼び起こされ、その根っこを知らされる。その本願力に遇うことにおいて、私たちの人生が「むなしくすぐるものなし」となると願い続けていてくださるのです。それは、むなしく生きている私のすがたが照らされるということでしょう。

自分の思いは不確かなもの

身近な方が亡くなると、私たちは合掌礼拝という手を合わせるという生活が始まっていきます。それは死という問題に直面しているということです。今、コロナ下にあって、人と会う機会が少ないのが気がかりです。そして、コロナウイルス感染拡大ということで、私たちも死ぬということと隣合わせであるということが、自分の問題としてはっきりしてきました。最近も俳優さんや有名人の方々が次々と亡くなっています。また救急車がよく大通りで止まっています。受け入れ先がないのです。私も感染したら、死んでしまうかもしれないということが、コロナウイルス感染拡大ということで見えてきたのです。私自身、日ごろは死ぬとは夢にも思っていませんが、コロナによって亡くなっていくとなると、何かやり残したことがあるのではないか…、やはり子どもの成長を見たいなとか考えます。開教寺院なので、なんとか宗教法人を取るまではやりたい気もちが当然あります。今、いのちが終わってしまえば、志半ばで終わっていかなければならない。志半ばなので、ここで終わるというわけにはいきませんから、なんとか回避しようと思うわけです。けれども、それだけでいいのかなという思いもあるわけです。回避するだけの方向、自らのいのちが終わらないような方向に生きているだけで、果たしていいものなのでしょうか…。感染への危険は回避できるかもしれませんが、果たしてそれだけでいいのか…と常に思うわけです。自分の人生が志半ばで終わってしまったら誰だって嫌です。しかし、自分の人生が志半ばで終わってしまったら、自分の人生の意味がなくなってしまうのでしょうか…?

宗教法人を取得しないままに死んでしまったら、私は何のためにこの世に生まれてきたのだろうというようなことを思ってしまうのではないか。そこには何かを成し遂げなければならない、そういう思いや世間の価値観がどこかにあるのです。誰にでも自分の思い通りにしたいという願望があるのです。しかし、その願望が満たされずに途中で終わるということになると、誰もが悩み苦しみを感じるわけです。その背景にあるものは、私の思いが満足すれば、私の願望が成し遂げられれば、私の人生は満足するのだという私たちの人生観というものがあるのでしょう。自分の願いが実現したから満足だ、これで自分の人生を生きることができたと言い切れると思い込んでいるのです。この人生観というのは、欲望と同様に底なしです。宗教法人を取得できたら、そこで満足するかというと、たぶん違うと思うのです。宗教法人が取れたら、次もその次も欲望が出てくるものなのでしょう。大学を卒業したら、次は就職。結婚したら子どもが欲しい、というような。そういう願いというか、欲望が次から次に起こってくるじゃないですか。そういう欲望が叶うことで自分の人生が満足すると思っているのであれば、誰の人生もどのみち中途半端に終わってしまうのではないでしょうか。

そういう点から言えば、私たちはコロナによって、自分の都合が合わなくなる、自分の思いに合わなくなる、そういったことがやはり怖いのです。死ぬこと自体も怖いのだけれど、死によって自分の思いや理想に合わなくなることが耐えられないのです。そういうことで死に怯え、死を恐れるということもあるのではないかなと思うわけです。

私にもそれなりの人生観はありますが、世間一般的なことで言えば、なるべく長生きしたいです。できれば孫の顔が見たいと思います。大分のお寺に勤めていた時のことですが、70代後半ぐらい門徒さんがしんどそうに歩いていらっしゃったのです。「どうしました?」と尋ねたら「明日検査だ」と。食事制限とかがあって「長生きするのも、やおねーわー(辛いものだ)」と言われました。私自身は長生きがいいと思っているのですが、実際長生きしている方は「辛いものだ」と言っているのです。

私の祖母は70代半ばで夫を亡くしましたが、80代になると、たまに「はよ、お迎えこんかな」と言っていました。私たちは長生きがいいと言いますけれども、条件が1つ付いてきます。「健康で、長生きしたい」。そしてその条件は他にもどんどんと付いてきます。でもそれは、長生きをしていない私たちの側が言っているのです。祖母は祖父のことを大好きでしたから、いなくなって寂しかったのでしょうね。そういう寂しいだろな、しんどいだろうな…というようなことには、私たちは目が向かないのです。「長生きするのも辛いものだ」という世界はこちら側からは見えないです。祖母が「はよ、お迎えこんかな」と言うと、私たちはそんなこと言ってはいけないとか、本当は死ぬ気もないのにと思うわけです。「はよ、お迎えこんかな」と言わしめているものがあるのでしょう。「長生きするのも辛いものだ」と、その方の人生の上において、そういうかたちで現れる苦悩がそこにあるのでしょう。そういうものに私たちはなかなか目が向かない。自分の思いだけで、物事をはかり、自分の都合のいいように聞いていく。そういった私たちの思いというものは、本来、不確かなもので、あやしい勝手なものなのです。

正勧寺は3階建てなのですが、2階に私の仕事部屋兼事務所があります。3階が住まいとなっていて義理の父と母が住んでいて、そこに電話の本体があります。私の仕事の電話ならば内線で回してくれれば楽なのですが、電話の度にわざわざ3階からドタドタドタと降りて来るのです。私は毎回降りて来てもらうのも気の毒ですし、内線で回してくれればいいと言っているのですが、あまりにも毎回のことなので「うー」という気持ちになってくるのです。しかし一方で、孫の面倒を見てくれる時はいい爺さん婆さんなのです。私の都合によって見え方がどんどん変わるのです。このように、私たちの日常は自分の思いと自分の都合でたてた人生観なのです。

善悪を超えた「いのちそのもの」の願い

実は、自分の思いと、このいただいているいのちそのものが満足するということが、ごっちゃになってしまっているのではないかと思うのです。どうやったらいのちそのものが満足するのかは私自身もわからないままです。けれども、自分の願いを満足させるという方法でこれまで一生懸命に生きてきましたけれども、それではどこで死んでも志半ばです。このような生き方では、人生そのものが常に不安であったり、志半ばとなり、最後は死んで残念というような人生になってしまうのではないですか。これが私たちの生活において感じている不安なのです。本当にその方向でいいのか…、このままでいいのか…という人生の課題ですね。そういう形を通して実はいのちそのものの願いがはたらいているのではないでしょうか。そういう願いがはたらく世界があるのだということを私たちに教えてきているのではないでしょうか。ここが分からないから、私の願いや欲望が叶えられれば、人生満足するものだと信じて生きているのです。私たちの生活には、自分の思いや都合で人生を見ていくのではなく、日頃の生活の中にいのちそのものの根っこがあるのです。そういう世界を開いてくださるのが、南無阿弥陀仏という阿弥陀さまの願い、本願なのです。

今日、朝日新聞の「折々の言葉」に、アフガニスタンで2019年に攻撃され亡くなった医師・中村哲さんの言葉が紹介されていました。「雪がなくても生きられるが、金がなくては生きられないという思い込みが支配しているように思えてならない」と書いてありました。雪は水の源となり、自然そのものです。これらは私たち人類を生み出し支えている根っこなのでしょう。そういう根っこが見えずに、自然は大事だと言いながら、お金だ、長生きだと自分の思いのままに生きている。そこは「やおねーわー(辛いね)」「はよ、お迎えに来てくれんか」と言わしめるような、そういう世界にはなかなか目が行かないのです。私たちは自分自身がひとりで勝手に生きているわけではありません。それぞれがつながり合っている世界、関係性においてある私、そういった世界を私たちは忘れて、自分の思いや都合において、自分の世界を作り上げてしまう。実はそのことが自分自身を狭めていくことになるのでしょう。そういった自分の思いや都合も日常はそんなに意識して生きているわけではありません。しかし「こうなったら私の人生が満足するのではないか」という思いの善悪という基準が私たちの中にあるのではないでしょうか。

善いことをすることで世の中は安心して暮らしていけるのだという社会秩序があります。みなが悪いことをしだしたら社会が成り立ちません。そのために善悪というものさしが社会生活をおくる上で大切になります。私たちは世間でいう善いことを一生懸命勤めながら暮らしているわけです。人の迷惑にならないように、人を差別しないようにという社会秩序を守りながら生活していることは当然あるわけです。しかしながら、この社会秩序、社会の常識、社会の感覚というものは常に定まらないものなのです。「もうこの歳で役に立たないから、もうお迎え来ないかしら…」という声の背景には、こういった社会的な善悪のものさしがあるのでしょう。身体が動かなくなったら、本当にもう人間は必要ないのでしょうか? 社会のものさしでいう悪を排除していけば、私たちの人生に本当の幸せがやってくるのでしょうか? 必要ないと思われている葉の部分を排除すれば、本当に幸せになれるのでしょうか? 八万四千の葉があって、ひとつの花を咲かせるのではないですか?

善悪によって社会秩序が保たれているという事実はあります。そういった社会に身を置きながらも、念仏し浄土に生まれることを願う願生浄土の歩みを賜るのです。善いことをして浄土に生まれようと私たち人間は捉えていくのです。心を専一にしてとか、真面目に聞法して浄土に生まれようというように捉えがちです。浄土とは本願によって成立した世界なのです。慈悲、つまり如来の大悲よって成立した世界なのです。慈悲によって救われる対象の私たち(衆生)がここにいるのです。浄土は善悪でたてられたのではなく、本願によってたてられた世界なのです。対象者は苦悩する私たちです。善悪に振り回され苦悩する私たちを救わんがためにたてられた世界なのです。私たちは、苦悩がなくなることを願いながら生きているのですけれども、苦悩がなくなれば、私たちの人生は明るく幸せになっていけるのでしょうか…?

亡くなった方に手を合わせるということは、その方の人生を敬っていくことです。ひとりの方が生きるということにおいて、その方の人生の上にはいろいろな出来事があったわけでしょう。身近であればあるほど、亡き人の苦悩にも触れているわけです。亡き人に手を合わせるというのは、その方の人生全てに頭が下がるということなのです。私は自分に都合のよいことにしか頭を下げられません。亡くなった方が苦しんでいたこと、困っていたことを見過ごして、自分の思い通りに生きられたところにだけを見て頭を下げているのではないでしょうか。どこまでいっても自分の都合です。そうではなくて、合掌礼拝するとは、その方の人生全体に頭が下がることなのです。そこにその方自身がいのちをいただいて生きてきた、その苦悩に出遇っていくということが大切だと思うのです。

自分の思いが破られるところに開かれる世界

『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』でお馴染みの蛭子能収さんは現在認知症を患っておられます。その介護をされている奥さまの悠加さんのインタビュー記事なのですが、悠加さんはストレスなどによる急性胃腸炎などで4回も救急搬送されているのです。また悠加さんより30キロも重い能収さんの入浴やトイレの介助などをこれまでひとりでこなされ、3年間は睡眠をろくにとることができず、心身ともにボロボロの状態だったそうです。テレビ番組『主治医が見つかる診療所2時間スペシャル』で蛭子さんが認知症と診断された様子がオンエアされた2日後、要介護認定が下り、介護サービスが受けられるようになって、ようやく自分の睡眠時間を確保できるようになったそうです。こういう記事です。「実は、認知症になる直前まで、2人で連日のように離婚に向けた話し合いをしていました。出会ってから20年近く、私なりに蛭子能収の妻になろうと努力してきました。でも、よっちゃん(夫)の心の中には亡くなった前妻の貴美子さんの存在がいつまでもあり、どんなに私が尽くしても夫婦にはなれない。あるとき、ふと、よっちゃんは私ではなくて貴美子さんと添い遂げたかったんだろうな、と思えることがあり、それで別れようと考えたのです。そのうち認知症の症状がひどくなり、離婚どころの話ではなくなりましたけどね。でも、しっかり睡眠を取れるようになり、ひざの治療にも行けるようになり、心に余裕ができたのかもしれませんね。今なら、よっちゃんのことも理解できます。離別ではなく死別でしたからね…。それに認知症が進行していくにつれて、亡くなった奥さんの存在が主人のなかで薄まってきたのかもしれません…。いずれ、私のことも忘れていくかもしれません。でも、認知症になって、ようやく夫婦になれた気がします」と悠加さんは述べておられます。取材記者のコメントには「悠加さんは前妻をライバル視していたわけではない。(中略)ただ、悠加さんはいない相手と闘っていた。理想の妻になる。いや、ならなくてはいけない―。蛭子さんの認知症は、そんな悠加さんの呪縛を解き放したのかもしれない」と書かれています。私の叔母も認知症を患っていましたが、70代で亡くなりました。叔母は幸せだったのかな、叔父さんも介護大変だっただろうなと思いながら葬儀にお参りし、叔父の挨拶、関係者の弔辞を聞かせていただくなかで、思い違いというか、私の思いで叔父叔母の人生をはかろうとしていることに気づかされました。

悠加さんは蛭子能収の妻になろうと努力してきた。そこにはこんなに一生懸命頑張ってきたのに、なんで妻として認めてくれないのだろうという思いがあったわけです。そこに自分の思い描いた夫婦像があったわけです。常に前妻さんの影に怯え、苦しめられ続けて離婚も考えた。「認知症になってようやく夫婦になれたような気がする」というのは、相手に認められてこの私の想いが満たされることにおいて、私自身も落ち着くはずだった。しかし、落ち着くこともできないで離婚を考えるに至った。そこで蛭子さんが認知症になることで悠加さん自身の認められたいという思いが、認知症という現実そのものに断たれるわけでしょう。自分が妻として認められたいということも、自分の思いなのですね。自分の思いが夫の認知症という現実によって断たれてしまった。そして、心に余裕が生まれてきたことで「離別ではなく死別でしたらからね」と夫の苦悩というものを考えられるようになっていった。これはきっと認知症になった蛭子さんの歩みというものにふれられたのだろうと思うのです。今までは自分の思いが叶うことばかりを考えていて、前妻さんの存在も自分にとって邪魔なものだったけれど、蛭子さんの認知症を通してひとりの人生において悩みや苦しみというものがあるのだということに気づかされたのです。そこを通して「ようやく夫婦になれたような気がする」と感じられたのです。私たち自身が思い描いている、二人元気で手を取り合ってという理想の夫婦像とは違うと思います。一緒に生きるという苦悩を共に抱えて生きていくという「通じ合う世界」を悠加さんはいただかれたのではないかと思うのです。自分自身の思いが破られていく、断たれたところに開かれた世界があったのです。私にとって認知症はなりたくない邪魔なものですが、悠加さんにおいては認知症によって夫婦になれたのです。

人間が生きる上での苦悩を通して、通じ合い、出遇っていける世界が開かれたのでしょう。蛭子さん夫婦において、こういった「通じ合う世界」というのは自分の思いが破られたことによって、開かれてきたものだったのです。南無阿弥陀仏のお念仏の教えにおいて、実は誰とも代わる必要のない人生を賜っていたのだと気づかされることです。親鸞聖人はそういった世界を教えてくださっているのだと思います。

本日はご清聴いただきましてありがとうございました。

Copyright © Renkoji Monto Club.