あなかしこ 第72号

門徒随想

昨年2021年、大きく変わって感じたこと

2021年、新型コロナ下が少し落ち着いてきた中で蓮光寺報恩講も規模縮小は余儀なくされたものの、特段の問題もなく厳修された。というより昨年は新たに本堂の周りに役員一同の支援を得て五色幕が綺麗に張られ、一段と報恩講らしくなってきたものである。

しかし、私にとっては大きく変わった年になってしまった。私事で恐縮だが、体調が昨年に入って少しずつ変調が見られてきて、6月以降急激に低下してしまい酸素吸入の世話になって生活するようになってしまった。62年この方、今まで息をすることは自然の事であり、プールで泳ぐとき以外、何不自由なく呼吸をして生活していたことが、6月以降息苦しさが徐々に進んできてしまったのだ。そして、毎年の報恩講も事前の清掃奉仕から始まって、大逮夜、晨朝法要、日中法要と裏方の仕事やお参りをしていたことが、昨年は裏方などとてもできず、大逮夜の法要にご住職のお計らいでようやくリアル参加でき、翌日の日中法要はZoomでのオンライン参加となってしまった。

そこで感じたことは、今まで当然と思っていたことが、こんなにも有難い事だったんだなあと再認識させられたことである。特にオンラインの日中法要も参加できたことは有難かったが、大逮夜法要や法話のリアル参列の空間というか空気は何にもまして厳かな気にさせられ、1年を振りかえり、自分の置かれた現在の身が不自由を抱えながらも、こうやって蓮光寺の阿弥陀様の前に立つ厳かな空間というか〝場〟が、人間を育てていくのだと実感させていただけたことである。

そして、それはここに参列されている寺族、門徒の方々とのお導きや交流もあって〝場〟からつくられるのだな、とも実感したのである。この空気・感覚は残念ながらオンライン参加では得られないものである。今までほぼ毎月、当たり前の如くお寺に来て皆とお参りさせて頂けたことがなんと有難かったことかと、思わざるを得なかった。

あとどのくらい生きてお参り出来るか分からないが、出来る限りは、この身をこういう〝場〟に置きたいものである。当然〝当たり前〟のことではなく、本当に〝有難い〟こととして。

篠﨑一朗 (釋一道 62歳)
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