あなかしこ 第64号

人と世を学ぶ 安心して迷うことができる生活 ②

本多雅人 (蓮光寺住職)

人間の思いが人間を苦しめる

人間の思いが人間を苦しめていると頷くことは容易なことではありませんが、人間はただ苦悩しているのではなく、苦悩と共に本当の願いがはたらいているのであり、その願いに目覚めることが救いであると教えられます。

8月15日に私の大切な友人である田口弘さんが、肥大性心筋症(推定)で急逝しました。田口さんは、3年近く前、最愛の母親の死を縁として、品川から私の寺のある亀有に引っ越してきました。亀有は生活しやすく知り合いも多いからです。目が見えなくても、家族が一人もいなくなっても、全国に法話に出かけ、「坊主バー」ではお客さんの悩みを聞きながら、聞法生活を続けていました。

目が見えなくなることで人生を放棄しようとした田口さんが、目が見えないままに生きていける方向へと転換するまでの歩みを語ってみようと思います。

田口さんは生まれた時から片目はまったく見えませんでした。そして、もう一つの目もかなりの弱視でした。そのために小・中学校ではいじめられ、物を隠されたり、給食にチョークの粉や絵の具を溶いた汁を入れられたり、背中を上履きで踏まれて足跡がつくなど、そういうことがほとんど毎日続きました。

そこで彼は、悔しい気持ちでいっぱいになり、勉強して、いじめる連中よりいい高校、大学へ、そしていい会社に入ってやろうと思ったのです。相手に勝って、豊かな生活をして、人から評価される(勝他・利養・名聞)という彼の価値観で対抗しようとしたのです。そして一流高校に合格し、彼らを見下していい気分で中学校を卒業したのでした。

ところが一流高校での勉強は大変で、弱視の彼はおいていかれるようになっていきました。教室内では、自分自身が相手にされない存在になっていくように感じるようになり、自我による良しとしてきた価値観に逆に苦しめられるようになっていきました。日に日にその苦しみが募っていく中で、彼は死に場所を探すようになるのです。

師との出遇いの大切さ

田口さんの母親の生家近くに真宗寺院がありました。住職と彼の母親が同級生だったことから、死ぬ前に一度住職を訪ねたのでした。住職は「長川一雄先生(元大谷専修学院院長)に会ってみなさい」と言われました。長川先生の前で、田口さんは「どうして片目が見えないんだ、悲しい。死にたいです。目さえきちんと見えたら、勝つことだってできたのに」と愚痴をこぼしました。長川先生は「君の考え方は寂しいね。目が見えたらと、何度言っても目が見えるようにはなりません。それに勝つために生まれてきたのですか?」と言われました。

今までたくさんの宗教勧誘にあってきた田口さん、そのほとんどは入信すれば目が治るというものでしたから、宗教嫌いになっていました。ところが長川先生の言われることが、それまでの宗教とまったく違うので、わからないままに先生についていこうと決心したのです。聞き続けていくうちに、「あるがままに生きる。自分の今の姿をきちんと受け入れて生きるということが浄土真宗の教えです。君はそう願われているのです。何かをしたらいいことがあると思いたい気持ちはよくわかります。しかし、親鸞聖人はそんなことは言われません。幻を追いかけるのではなくて、幻を追いかけなくてもいいような人生を送ることが本当のご利益なのです」という長川先生の言葉が身に沁みて聞こえてきたのです。その言葉は、まさしく念仏からの呼びかけです。それは自分が愚かな凡夫だったと呼び覚まされることです。田口さんは、その自覚を通して現実の苦悩と真向かいになって生きていく意欲をいただけるようになっていったのでした。

安心して迷うことができる生活

目が見えないことが彼を苦しめているのではなく、それを不幸だと思う彼の自我が彼を苦しめていたのです。真宗の教えに帰依した田口さんは真宗の僧侶になりましたが、28歳の時についに視力を失ったのでした。

田口さんは悩んでいる時に「目が見えたらな」ということを漏らすこともありました。その愚痴も南無阿弥陀仏のなかの出来事として私は受け取ることができたのです。愚痴を言っても、南無阿弥陀仏が彼を包み「かけがえのないいのちを生きてほしい」と願われていることを彼は痛いほどいただいていたからです。まさしく「安心して迷うことができる生活」を貫いたのです。迷いの存在のままに、しかし、その存在に尊さがあたえられてくるのです。

「条件を変えるということで、幸せになれるという錯覚がありますけれども、条件を変えても幸せにはなりません。条件を超えて生きていける、そういうものとの出遇いが、人生ですごく大切です」と田口さんは言われます。かけがえのないいのち、存在の尊さに目覚めて完全燃焼して生き抜かれた田口さん。尊い56年間でした。

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