あなかしこ 第64号

「平成」の時代の終わりとは?

篠﨑一朗 (釋一道 58歳)

この号を皆さんが手に取るときは新年に改まり、また、思いを新たにしている方もいらっしゃると思うが、「平成」は来年2019年(平成31年)4月末が最後となるようだ。そもそも現天皇陛下が2016年8月に、象徴天皇としての務めと退位の気持ちを述べられ、そこから退位に係る有識者間での議論を経て、世論を背景に手続きの検討が始まった。皇室会議も開かれようやく政治がその日程を決めたのだ(元号と天皇制との関係の議論は今回は無しにします。)。

世界では、公用文書で年月日に元号を用いている国は(イスラム歴とかはあるようであるが国として)、もう日本ぐらいのようである。元号法が1979年(昭和54年)に制定されたとき、野党だけでなく自民党からも西暦で一本化すればよいなどの意見もあったようだ。しかし政府や行政に関連する機関は、この法が制定されてから公用文書の基本形は元号使用が慣例となっている。私も昭和から平成に移った当初は、ワープロがようやく会社での文書作成にも個人毎に使用するようになり、書類作成で元号を『平成』と入力するたびに「もう昭和ではないんだ!」とつくづく感じさせられたものであった。また当時は、平成に変わったとき「明治は遠くになりにけり。」などもよく言われたものだった。

これだけグローバルな時代、世界の国々の政府・企業・個人とのやり取りが頻繁になってきているときに年月を表示するのは元号では通用しない。いやグローバルな視点だけでなく、国内だけで生活し標記は元号でもコンピュータの世界はすべて西暦に換算して計算されている。若い人でなくても元号の必要性はあるのか?という主張もわからなくもない。

では、自分にとっての元号とは何か?

それは日本の社会生活においては、良くも悪くも元号が使用されている場面が多く生活に定着していて、人生を振り返る際の一区切りの時代として使用しているのだ。私がちょうど30歳のとき、昭和から平成に変わった。会社では若手と言われた年代から中堅どころとして、それこそ平成の初めは油の乗り切った時代であった。一方、世の中は好景気で湧いており、このあと数年でバブル景気がはじけるなどと認識していた人はどれだけ居たであろうか。

しかしその後、平成の10年間の経済は「失われた10年」と特に言われ、さらにその後の20年間も停滞の時代として言われている。あと数十年も経ってから振り返ったとき多く人は、平成の時代は、経済・社会は停滞と問題先送りの時代だったと言われるのではないだろうか?

そんな平成時代の最初の3分の1の期間、私はガムシャラに仕事し、それもあってか大病を患い、その後社会復帰して平成の後半近くの3分の2は、程々に仕事をセーブしながらも、仕事以外にも生活の柱をもって聞法の生活もこの頃から始まった。この後半3分の2の20年間のサラリーマン生活を経て、2019年にようやく定年を迎え、社会人生活の大きな節目となる。総じていえば、社会が停滞して自分も停滞?の時代のまま平成の時代を終えるということなのだろうか?

いやいや、社会の生産性のことだけをみれば停滞かもしれないが、私にとっては精神的な支えの思考が深まったのはこの時期、お寺での「人生をナラう」生活を得たからだと思っている。それは社会・政治の停滞とは直接関係はなく、また、現天皇の在位とは全く関係はないのだが、そのような区切りと重なっているのだ。これは多くの日本人にも共通した感覚ではなかろうか?

こう見ると、元号とは自分と社会の年史を思い出すために非常に便利なものであるかもしれない。2019年といわれてもピンとこないが、「平成の終わりの年」といわれれば、社会の一時代の終わりと共に、私にとっても一つの時代が終わり新たな時代の始まりでもある、ということになれば良いのであるが…。

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