あなかしこ 第64号

門徒随想

苦脳の生活と「聞」の生活

先日、母の89歳の誕生日であったので、介護施設に面会に行きました。母は10年ほど前から寝たきりで、今では認知症、失語症、胃瘻、大腿部や右肩骨折等、気の毒なほどです。

また娘は現在40代ですが、うつ病がもとで自分で自分の人生にけりをつけようとしたこともあり、精神科に入院して早や3年がすぎました。今では職場に復帰し、一応の回復を見るまでになりました。多くの人から貴重なご意見をいただいたり、病院の先生や職場の方には今でも支えていただいています。

そもそも娘は麻酔をして生まれ、私自身、どうしたらよいかわからなかった時、念仏者であった曾祖母が「この子は生きる力を持っているよ。愛情をもって皆で大事にすれば育っていくよ」と励ましてくれたこととが常に思い出されます。

娘が生まれたことが縁となって、暁烏敏氏の本を読み、私みたいな弱い人間には、如来の本願なくしては生きていけないことを実感いたしました。その後、娘は手足に影響が残っただけで、知能においても言語にも障害は残りませんでしたが、東京医大の先生や、国立医療センターの先生にはお世話になりました。娘は大学を卒業し、自治体職員にも障害者枠で採用され勤務していました。その後、結婚もして2人の女の子にも恵まれました。

私の聞法は、娘が生まれた時から始まりました。その心は障害を克服させ、障害があることの苦脳から救いたいという親の気持ちが一日として、離れたことはありません。障害をそのまま認めることは、現実の社会での差別や誤解を考えると、とても耐え難いものでした。

9年ほど前に父が亡くなったことを縁として、蓮光寺様で聞法をさせていただく生活が始まりました。そういうなかでの娘の発病でした。当時6歳だった、娘の次女(私の孫)はなかなか母親に会えないので「どうして、どうして」と泣いた事や、退院した後も「お母さんが死ぬなら、わたしも死ぬから」と言ったことが今でも思い出されます。

私は72歳になります。私自身の死を考えなくてはならない年齢になっています。なかなか如来のお心のままにというわけにはいきません。だからこそ日々聞法、ひとえに「聞」の生活に尽きると痛感しております。

西川雅孝(釋真教)
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