あなかしこ 第61号

人間の価値

櫻橋淳 (釋淳心 46歳)

「『役に立つ』という言葉が社会を駄目にしている」

2016年度ノーベル医学・生理学賞を受賞された東京工業大学栄誉教授大隅良典氏の記者会見での発言が注目を浴びています。

メディアはこぞってこの発言を取り上げ、短期的な成果に直結しない基礎科学を追究する科学的精神の重要さ、そして、それがなかなか許されなくなっている社会への憂いを示しています。

そんな折、ある聞法会で本多住職のご法話を聞かせていただきました。そのなかで相模原の障がい者施設殺傷事件について触れられたところがありました。

「労働力や生産効率で、人間の価値の『優劣』を決めてしまうという“風潮”があるが、その風潮は誰がつくりだしているのか。我々の心こそがその風潮をつくりだしているのではないか」

大隅栄誉教授の「『役に立つ』という言葉が社会を駄目にしている」という発言が思い出されました。これは自然科学分野における研究の話にとどまらないのではないか。人間を役に立つか役に立たないか、生産性が高いか低いかで価値づけしている我々。人間存在そのものの問題ではないかと気づかされました。

私は経営コンサルタントという職業を生業としています。日本を代表するような大企業から、地方にある中小企業まで、経営者の皆さまの経営上の問題を伺い、ともに解決策を考えるということを仕事としています。

ご相談いただく内容に共通しているのは、「いかに企業の付加価値創出能力を上げていくか、競合優位性を築いていくか」ということです。すなわち、“企業の生産性をいかにあげていくか”ということを問題意識としているといえます。

高度経済成長を経験した日本においては、生産性向上の持つ負の意味が長く問題となりませんでした。企業のなかで人々が忙しく働くというマイナス面がある一方で、それを超えるような利得や自由を享受できるというプラス面があったからです。

しかしその後、90年代のバブル崩壊により状況は一変します。いち早く経済を再生したアメリカから本格的な能力主義、成果主義のマネジメントが輸入されるのです。

企業全体の目標と部門・個人の目標をリンクさせ、その達成度を処遇に反映させるという目標管理制度。高い業績をあげている社員に共通してみられる行動特性を抽出し、それを能力開発や人事の指針に用いる行動評価。個々人の能力や業績に対する毎年の査定で報酬が決まる年俸制などが急激に普及していくこととなります。

本来の成果主義は“成果プロセス主義”であるべきなのですが、それを日本企業では“結果としての成果主義”という形で運用してしまいました。それにより、たくさんの新入社員を採用し、長時間労働を強い、生産性の低い人間は使い捨て、という問題を生んでいくことになります。高度経済成長時代の企業であれば、ビジネスパーソンは終身雇用で、仲間意識を持っていましたが、リストラが当たり前の時代となると、「あいつが失敗するのを待っていた」、「稼げない奴には存在価値がない」、「早く辞めてくれないか」といったことをお互いに考えるようになります。

そんな価値観を根底から覆すような企業があります。神奈川県川崎市にある日本理化学工業です。この会社は昭和12年に設立されたチョークを製造する老舗企業です。

この会社ではいまから50年ほど前、近くにある養護学校の教師が障がいを持つ少女の採用をお願いしに来たそうです。その時、社長は本当に悩みます。その子たちを雇うこととなると、一生に責任を持たなければいけない、幸せにしてあげなければいけない―。悩んだ挙句、社長は断ります。しかし、先生は諦めません。何度も会社にお願いに来ます。そしてついに諦めた先生は、一つだけということで最後のお願いをします。「せめてあの子たちに、“働く経験”だけはさせてやってもらえないか」。深々と頭を下げられる先生の姿に「1週間だけ」ということで、就業体験を引き受けることになります。

就業体験の最中、特に親御さんは大変なご心配をされていたそうです。夕方になると「倒れていないか」「何か迷惑になっていないか」と遠くから見守っていたといいます。

そうして1週間が経ち、就業体験が終わる前日になったとき、全社員が「お話があります」と社長のところにやって来ます。

「あの子たちを正規の社員として採用してください。もしあの子たちにできないことがあるなら、私たちみんなでカバーします。だから、どうか採用してあげてください」

社員みんなの心を動かすほど、その子たちは朝から終業時間まで、何しろ一生懸命働いていたのです。仕事は簡単なラベル貼りでしたが、10時の休み時間、お昼休み、3時の休み時間にも仕事に没頭して、手を休めようとしません。毎日背中を叩いて、「もう今日は終わりだよ」というまで一心不乱だったそうです。本当に幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。

日本理化学工業では、いまでは全社員の7割が知的障がいを持った方で占められています。

徳島駅からJR牟岐線で南下すること2時間、海陽町という町があります。豊かな自然と温暖な気候に恵まれた、ごく普通の田舎町です。

しかしこの町には、“突出して自殺発生率が低い”というもうひとつの顔もあるのです。この町を詳細に調査した岡檀氏によると、その大きな理由には以下のようなものがあるそうです。

(1) 「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい」という価値観
(2) 「職業上の地位や学歴、家柄や財力ではなく、その人そのものが大事」だとする価値観

我々は知らず知らずのうちに人を評価します。自分のことを棚に上げて評価をします。しかし、本当に自分のことを分かっているといえるのでしょうか。鏡に映る自分は“反転した自分”に過ぎません。すなわち、真実の自分の姿は自分では見ることができません。

だからこそ、無明の闇を破ってくださる阿弥陀如来の呼びかけを聞き、決して自分の価値観だけを頼りに、人を評価しないように生きていくことが大事なのだと、強く感じました。

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