あなかしこ 第60号

ローマ・カトリック教徒から真宗門徒へ

櫻橋淳 (釋淳心 45歳) 経営コンサルタント

「父と子と聖霊のみ名によってあなたに洗礼を授けます」

1981年12月24四日、東京都千代田区にある母校、暁星学園の聖堂にてローマ・カトリック教会の洗礼を受けた。小学生の時分であった。

カトリック教会には、“七つの秘跡”と呼ばれるものがある。洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚がそれにあたり、教会にゆだねられた恵みをもたらす“しるし”を表している。

そのなかで洗礼の秘跡は、生涯一度しか受けられない大切なものである。イエスがキリスト(救い主)であることを信じ、その福音に生きようと決心し、受洗の意思を表明した者に授けられる。洗礼によって、イエス・キリストの言葉を受け入れ、神の子として生まれ変わり、教会共同体の一員となる。洗礼は、原罪(人間が本来持っている罪)とそれまでのすべての罪と罰を清め、受洗者を三位一体の神の本性にあずかる神の子とするものである。

弟も同時に受洗し、両親もカトリック教徒であったことから、それからの生活は、朝晩は祈り、日曜日にはミサに出かけるものとなった。信仰を中心とした生活がその後長く続いた。

私のなかではカトリックの信仰こそが“揺るぎなき精神性の支柱”であった。若気の至りで多々羽目も外したが、大きく道を外れずに済んだのは、カトリックの教えを身につけていたからだと思う。

大きな転機が訪れたのは2001年のことである。母校の聖堂で結婚した、同じカトリック教徒である妻と離婚することになったのだ。

ローマ・カトリックにおいては、結婚もひとつの秘跡である。

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マルコによる福音書一〇章九節)とイエスがいわれているように、結婚とは神の初めからの計画によるものであり、不解消のもので、そのため教会は離婚と再婚を認めていないのである。

離婚後、小学生のときに洗礼を授けてくださった神父様を訪ねた。決して敬虔とは言えないまでも価値観の根幹にカトリックの教えをおき、信仰生活を送ってきたつもりである。“救いの言葉”を期待した。

「残念だけれども、いまはどうにもできない。時が経てば変わるのではないか」

それから、カトリック教徒にとってもっとも大切な「聖体の秘跡」を受けられない身となった。聖体の秘跡とは、ミサの際、パンの形をとったイエス自身の体を、信者が分け合うものである。

──いよいよ神に拒絶された身になったか。

私は全知全能の神に見捨てられたのだ。

沸々と湧き上がるような感情をいまでも良く覚えている。絶望感と空虚感、不安、悲しみなどが次から次へと押し寄せては返していった。

それから15年が経った。15年間、自分自身ではカトリック教徒であると思っていた。

疑問もあった。“全知全能の神”がなぜこのような世界をつくったのか? “全知”にも関わらず、なぜ私は結婚をし、離婚をしたのか? すべては神の計画ではなかったのか?

納得のいかぬまま、しかし支えとなるものを欲していた私は、キリスト教以外のさまざまな宗教書、哲学書を手に取るようになっていた。

その中の一冊に『歎異抄』があった。数頁を読み、第一条に入ったところで、私の目は釘づけとなった。

『弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛 の衆生をたすけんがための願にてまします。』

阿弥陀仏は、この罪深いわれらを、あの輝かしき無限の光の中におさめとり、しっかりとわれらを離さないのであります―

そう、私は罪深い。全知全能の神に逆らったのだから。考えるだけで不安に襲われ、哀しい辛い気持ちで心が痛みだす。しかし阿弥陀如来は、異教徒の神に捨てられ、意気消沈している私をもすくい取ってくださるというのか。この私をいてもたってもいられず、自らが立ち上がって迎えに来てくださるというのか。

本当にそんなことがあるのか。ただただ頭が下がる。

蓮光寺の門をくぐり、真宗門徒となり、しばらく経ったころ、道を歩きながら無意識のうちに、声が出ている自分に気がついた。

「南無阿弥陀仏」

阿弥陀如来が私のところにも来てくださっている。

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