あなかしこ 第59号

法話 - 東京二組C班「いのちのふれあいゼミナール」

開催日 2015年10月3日(土)
会場 常福寺 (足立区東伊興)
講題 今、いのちがあなたを生きている 〜一人に立つ〜
講師 白山勝久先生 東京五組 西蓮寺副住職 44歳

「一人がため」ということ

  • 白山勝久先生

東京五組西蓮寺で副住職をしています白山勝久と申します。西蓮寺は世田谷区の北烏山にあります。そこは寺町でして26軒のお寺が集まっていて、関東大震災の被害を受けたお寺さんが今の烏山の土地に移ってきたと聞いています。

今回は「今、いのちがあなたを生きている 〜一人に立つ〜」というテーマです。どういうことかと自分なりに解釈し、現在に至るまでに私がいただいてきた親鸞聖人のお言葉に照らし合わせながら、自分の受け止めを語っていこうと思います。妻からは「明日は、どういうことを話すの?」と言われ、このテーマを見せたところ、「一人に立つっていうと、誰も頼りにしてはいけないことのように聞こえるね」という言葉を妻から投げかけられました。「一人に立つ」ということは、親鸞聖人の教えをいただいて、南無阿弥陀仏を頼りとして念仏申す者となるというようなことだろうとイメージしていました。妻から「誰も頼りにしてはいけないことのように聞こえるね」と言われ、今回のテーマは「頼る」ということが一つ与えられた言葉(キーワード)かと思います。「頼る」あるいは「頼ることができない」ということは、どういうことなのかを根っこに置いて、お話をさせていただきたいと思います。

この「一人に立つ」ということですが、普通は「ひとり」と読みます。しかし、この「いちにん」という読み方で考えると、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(『歎異抄』後序)という言葉がまず浮かびます。阿弥陀如来が五劫という長い間思惟され、どのようにすれば衆生を救えるのか、すべての生きとし生けるものを救うという阿弥陀の願いは、この親鸞一人のためにかけられたものだという喜び、感動に思い至りましたという言葉です。たくさんの業、煩悩を持っている愚かなこの身であるけれども、そういう私、親鸞をも阿弥陀如来は救おうという願いをかけてくださることは、本当にかたじけないことだと。親鸞聖人ご自身が、「この私、親鸞が救われているのであるから、生きとし生けるものすべてがみな救われているのだ」と言われたのです。「ひとえに親鸞一人がためなりけり」とは、私ひとり助かってよかったというのではなく、私が救われているのだからほかの皆も救われているに違いないという親鸞聖人の表明であり、喜びの言葉なのです。

この「一人」という言葉は、聖教にさまざまな形で出てきます。『歎異抄』第6章「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」や、『歎異抄』第13章「おおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしとも、おぼえずそうろう」。親鸞聖人の仰せであろうとも、私の器量ではひとりであろうとも殺すことはできません、という言葉です。親鸞聖人の「正像末和讃」というご和讃の中にも「釈迦の教法ましませど/修すべき有情のなきゆえに/さとりうるもの末法に/一人もあらじとときたまう」。お釈迦さまの教えが、この末法の世に至っては、修めること、覚りを獲る者が誰もいないという言葉なのです。と同時に、末法だからこそ、阿弥陀さまの願いを明らかにしたお釈迦さまの教えに生きてほしいという親鸞聖人の切なる思いが込められているのではないでしょうか。「いちにん」というのはその時代の読み方であったということを私自身、勉強させていただき、気づかされました。

阿弥陀とは

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちけるに身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」。束縛の業を持っている、たくさんの業、煩悩を持っている私たちが阿弥陀さまから南無阿弥陀仏というお念仏をいただきました。皆さんも、南無阿弥陀仏とお念仏を口にすることがあるかと思います。災いを取り除く呪文なのだろうかと受け止めている方もいらっしゃいますし、この言葉ひとつを胸にして生きてまいりますということを誓われている方もいらっしゃるかと思います。

阿弥陀は、インドでアミターユスとか、アミターバという言葉があり、それが中国で阿弥陀と漢字になりました。アミターユスは無量寿、アミターバは無量光であるといわれています。無量寿とは、量り知れない、人知を超えたいのちを表すのです。私たちが自分のいのちを考えてみたとき、私が生まれるためには父と母がいまして、その父と母もまた父と母がいまして、そうやって父と母のご縁をいただいて今の私がいるわけです。例えば、30代さかのぼりますと、そこには十億何千人のいのちが必要であるということを聞いたことがあります。その中の誰ひとりが欠けても、誰ひとり違う人であっても、皆さんそれぞれ今の私となっていないのです。それだけの人数、人がいて、そのご縁があって今の私があるのですから、想像を超えたことだと思うのです。

無量光とは、私たちの思いを超えた光を表します。東日本大震災の時、多くの方が被害を受けました。そこに多くの方が支援の手を差し延べられました。身内が被災された方だけではなくて、日本の多くの方々や世界中の方々、日本に親戚がない方であろうと、日本の裏側の国に住む方々でも支援の物資を届けてくださった。あるいは身をもって、何かできることはありませんかと言ってきてくださる方がいらっしゃいました。とかくニュースで日本と関係が悪いと報道されるような国の人も、「日本なんか知らない」ということではなくて、被災者の方々に手を差し延べてくださる方がたくさんいました。光っていうのは、空間に広がっていくものです。ですから、そういった横のつながり、今をともに生きる人々の横のつながりのことを指していると私はイメージしています。

ここはイメージの世界なのですが、無量寿というのは量り知れないいのちの縦のつながりで、無量光は横のつながりです。私たちはこの縦の糸と横の糸の交差する一点を一人一人生きている、そういったいのちを生きていると思うのです。無量寿、親や先祖の縁をいただいて、かけがえのないいのちをいただいているわけですけれども、そこで先祖に感謝し手を合わせる方もいれば、一方で、この私にはとても許せない親の血が流れているということで悩み苦しんでいる方もいらっしゃると思うのです。やはり感謝するには感謝するけれども父親だけは許せないということで、葛藤している方もいらっしゃいました。そういった苦しみも無量寿というのは抱えていると思うのです。日常気づかなかったそういうことに気がつくということは何かしらつらい出来事があってのことだと思います。そうでなかったら、平生、日常はこのまま気づけないまま生きていきます。

無量寿・無量光ということは、感謝できることだけではなく、自分にとって辛い出来事も含めてということなのです。私たちは、喜べる出来事もあれば、悲しい出来事にも出遇いながら生きています。もし誰ともつながりのない中を生きているのであれば、自分のいのちなのだから自分の好きにしてよいだろうと言う方もいるでしょう。しかし、そうではないのです。つながりを生きているのです。

例えば、自分さえ良ければいいという思いで行ったことが、自分の中で完結することはありません。縦の糸と横の糸が交差している中を生きているのですから、身の周りにいる人たちに、行った物事の振動というものは伝わっていきます。ですから、身近にいる人こそ被害を受けたり、恩恵をこうむったりします。実際に行動を起こした時だけではなくて、自分の心の中で、誰かに相談したいけれども、相談した方を困らせてしまうからといって、ここは自分が我慢すればいいと思うことがあります。そういうときは、やはり周りの人たちに振動が伝わり感づいてくれるものだと思います。自分さえ我慢すれば、あるいは自分のいのちなのだから自分の好きにしていいだろうというのではなくて、そのような思いに立ってなした行動は、周りにいる人たちに伝わっていきます。そういう意味で、私たちはつながりの中を生きているのです。

仏教では「縁をいただいて生きる」という言い方をしますが、私たちは結婚の縁とか子供を授かる縁というときには「良いご縁をいただいた」「ご縁のおかげで」と言います。しかし、わが身に病気や事故が重なったとき、悲しい出来事が重なったときは、縁のおかげとはなかなか言えません。でも、それらも含めてのご縁であります。悲しく辛い出来事は起きてほしくないけれど、無量寿・無量光というたくさんのいのち、たくさんの人とのつながりの中に交差する一点を生きている私は、自分の思いが人に伝わることもあれば、人の思い、行動が私に伝わってくることもあります。そういう意味では、私が苦難を避けたいからといって避けられるものではありませんし、皆のためにと行ったことも、もしかしたら自分が気づかないうちに他者を傷つけているということもあります。わが子がかわいいあまり、よその子を傷つけているということもあるでしょう。

ふだん気にも留めることはないですが、他のおかげをもって私たちの生活が成り立っています。目を向けられないから気づかないからといって、つながりがないわけではありません。そういう中を生きているということが、無量寿・無量光を生きる「阿弥陀」という意味なのではないかといただいております。つまり、そのことを私たちに気づかせるはたらきが「阿弥陀」ということなのでしょう。もう少し言うと、私の思いを超えた無量光によって無量寿を生きていることを気づかせるのです。そのことを縦と横が交差する一点で、私は受け止めるイメージなのです。

中島みゆきさんが作詞作曲された「糸」という歌を知りました。「なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない いつ めぐり逢うのかを わたしたちは いつも知らない」「縦の糸はあなた 横の糸は私」。人と人との出会いを、縦糸と横糸の交差するところで感じられている方がいらっしゃるのだと思いました。最後には「縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます」とあります。「幸せ」ではなく、「仕合わせ」と表記されてあります。仕事の「仕」つまり、この仕事・出来事に出遇えて良かった、この人に出遇えて良かったという意味を含めて「仕合わせ」と書き表します。

縁に遇うということ

真宗では「遇う」という表記をよくご覧になると思います。辞書的な意味でいえば「会う」は日時や場所を決めて約束して会うということ。お互いに関係性がある人との予期できる出会いです。しかし「遇う」の方は、見ず知らずの人との予期しない出遇いです。また、遭難の遭も「遭う」ですが、あいたくないような困難にあうことを「遭う」と表現しますよね。でも「遇う」もこの意味を含むと辞書にありました。私は、自分にとって喜びとなる良い出会いを「遇う」と表しているのだろうと思っていましたが、困難に遭うという意味もあると知った時に、どういうことなのだろう?と考えてしまいました。縦糸と横糸の重なる一点を生きる私にとっては、自分にとって良い出遇いも悪い出遇いも含めて「出遇う」ということなのでしょう。

三帰依文にも「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇(あいあ)うこと難し」。「遭遇う」とあります。「遭」と「遇」がくっついているのです。つまりお互いに両方の意味を持ち合わせているのです。「遇う」は自分にとって喜ばしい出遇いだけではなくて、つらい出来事も含めてのことだと知ると、より言葉の意味が深まるのではないかと思います。私が三帰依文を全文ご唱和いただいているのは、「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」というこの一文も大事だと思っているからです。私として生きること、生を頂戴することは、とても難しいことです。あり得ない事実をいただいて今の私たちがあるのです。お釈迦さまの教えでは、天上から糸を垂らして、地上にある針の穴にその糸を通す。その糸がすうっと通るぐらいのあり得ない縁をいただいて、私たちは人として生まれてきましたと教えられています。それを「人身の針の喩え」といいます。生まれるだけでも有り難い事実なのに、「仏法聞き難し、いますでに聞く」ということ、仏の教えお念仏に遇うということは、より一層困難なことがわが身に起こっているということです。同様に、目の見えない亀が大海を泳いでいる時、そこにプカプカと穴の開いた木片が浮かんでいて、あてもなく泳いでいる亀がその木片に当たって穴から首が出たというたとえ話(「盲亀浮木の喩え」)も、あり得ない事実を意味しています。仏法聞き難しということは、こういうことだろうと思います。

今、自分の身があることも当たり前になってしまいますが、あり得ないご縁をいただいて今私があるということは、なかなか思い至りません。お寺に身を運ぶことも、さらにまれなご縁であると思います。また、人と出遇い難しということもあるでしょう。出会っている人でも本当の真の友達といえるのか、一生を通じるような出遇いとなっているのかという問題もあるのではないかと思います。私たちに先立たれていかれた人とも出遇えるでしょうし、七百五十年以上の時間を経て出遇っているという意味では、私たちは親鸞聖人に出遇っていると思います。「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」。そして「人と遇いがたし、今すでに出遇っている」ということを私は三帰依文を読むときに思わせていただいています。

人生の真の安全基地

「さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』13章)。そうあるべきご縁に出遇ってしまえば、私たちはどんな振る舞いでもしてしまうという言葉です。親鸞聖人と弟子の唯円さんのです。「唯円よ、おまえは私の言うことを信じるか」と親鸞聖人が尋ねたら、唯円さんは「はい、信じます」と答えた。そこで親鸞聖人は「例えば、人を千人殺したら往生は間違いない」と言うと、唯円は「おおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしとも、おぼえずそうろう」(親鸞聖人の仰せであろうとも、私の器量では、ひとりであろうとも殺すことはできません)と。すると、親鸞聖人は「それは唯円、お前の心が善いから、人を殺さないのではなくて、そういった縁に出遇ってないからなのだ」と、逆に私たちは出遇ってしまう縁で何をするか分からない存在なのだということを、人を千人殺すというたとえでもって親鸞聖人は弟子の唯円さんに語られました。

ここの「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」という言葉を聞いて、「そうはいっても、私はやはり人は殺しません」と答える方もいらっしゃると思いますし、あるいは「そうですね。私も出遇う縁によっては、人を殺してしまうこともあるかもしれませんね」と言う人もいらっしゃるでしょう。「してはいけません」という受け止めだと、親鸞聖人の教えを受け止め切れていないように思います。出遇う縁によっては何をしでかしてしまうか分からないということは、多くの縁、さまざまなつながりを生きているからこそです。

「助けてくださいと言えること」という言葉を掲示したことがあります。「自立とは、決して一人で生きることではない。一人で生きるのは自立ではなく孤立」。ご門徒さんがある日、ふと言われたことを書き残し、お寺の掲示板に使わせていただきました。人に頼らずとも助けてくださいと言わずに生きていける、がんばれることを自立と思いがちですが、自立はそうではない。人との縁を生きているわけですから、お互い助け合いながら、生きていくのです。自分が助け、あるいは助けられながら生きている、その中で困ったことがあれば、助けてくださいと言える、そのことが本当の自立ではないか。そのご門徒さんは教えてくださいました。助けてくださいと言えなかった私が、助けてくださいと言える私になるそのことが大事なこと、自分の中の目覚めなのかなと思います。

「一人に立つ」というテーマをいただいたとき、「子供は誰かと一緒のとき、ひとりになれる」というD・W・ウィニコット(イギリスの児童精神分析家)の言葉を思い起こしました。子供は誰かと一緒のとき、ひとりになれるというのだから、一見矛盾した言葉です。近所の公園では、たくさんの子供たちが集まり、お母さんも集まりますが、別々です。子供たちは勝手に遊具で遊んでいますし、お母さん同士は世間話をしている。基本的に親が見ようが見まいが、子供はおかまいなく遊んでいるのですが、喉が渇いたときや、不安になったときは自分の親を探して親元に来ます。親がいてくれるから安心して遊んでいるのです。親のことかまわず遊んでいるようだけど、親がいる安心感のもとで、元気で遊んでいるのだなと、子供の姿を見ると思います。そのことは大人になってからもそうだと思うのです。何か拠って立つことがあるから安心して生きられるのでしょう。

今年「こどもは誰かといっしょのとき、ひとりになれる」を掲示板に掲示しました。その時、寺報(文章)を書いて、子供だけでなく大人だって安心できるものがあって、生きることができるという文章を書きました。書き上げたら妻に文章を見てもらいます。妻から「こういう文章を書くだろうと思った。自分のいいように受け止めてない?」ということを言われました。「南無阿弥陀仏とお念仏申すという、拠って立つところがあるから、楽しいことだけじゃなく、つらいことがあっても生きられるという教えをいただいて生きています」。そのことをこちらからは、言ってはいけないことだと思うのです。そこで話が止まってしまうことだと思うからです。

子供はお母さんを頼りとして赤ちゃんのときから成長していきます。それが人形であったり、毛布であったり、大事にしていくものが移行していく。その人形や毛布を、ウィニコットさんは「安全基地」と言っています。そういう移行があって、人間として成長していく。幼稚園とか小学生の低学年になっても人形とか毛布を大事にする子供に対して、「いつまでも甘えが抜けなくて」と言うお母さんがいるのですが、「甘えが抜けなくて」と言うのではなく、その子にとっての大事な移行期間、頼りにするものを探している期間なので、それはその子の成長する過程として受け止めてほしいものです。

さて、今、大人が大事にしているものは何でしょうか。最近の中学生や高校生はメールとかフェイスブックとかラインとか、すぐに返事をしないと仲間外れにしたり、自分が送ったことに対して返事がないと腹立ちを覚えたりするそうです。電車の中でスマートフォンのバッテリーが切れて、仲間外れにされるのではないかという恐怖心からパニック障害に陥った子がいたとニュースで知りました。そういうところで不安を覚えたり、自分が大切にしているもので不安を覚えてしまうのは、それが本当の意味での拠りどころではないからです。

私が妻から指摘を受けたのは、中高生がスマートフォンを安全基地にしているのと同様に、私も阿弥陀さんを安全基地にしているということなのです。何ごともなく生きているときはそれでうなずけますが、事故に遭ったり、病気になったときにそれでも果たして、安全基地として阿弥陀さまを頼りにできるのか、南無阿弥陀仏と念仏を申すことができるのか、そのときになってみないと分からないと思います。「私たちには安全基地としての阿弥陀さんがいますよ」って言ってしまっては、それははかないもの、もろいものなのです。いったん何かがわが身に起こったら、完全に、すぐに壊れてしまう。私の思いで阿弥陀さまを頼りにするものではなかったのです。事故や病気になって、そのときに初めて気づくことができるのです。そこで初めて阿弥陀さまの存在に気づけると思うのです。私の手の中に収めてしまうものではなくて、私を包むものとして、より大きなものとして、阿弥陀さまがいる。そのことを「こどもは誰かといっしょのとき、ひとりになれる」という言葉から教えていただきました。私の手の中に阿弥陀さまを収めてしまうのでなくて、阿弥陀さまの手の中に私自身がいる、すべてのいのちがある。

「今、いのちがあなたを生きている」という御遠忌テーマですが、私の中で一番しっくりしたのは、東京教区の同朋大会で清水真砂子さんが「このテーマの意味は『阿弥陀さまからの抱っこ 抱っこ ぎゅっ』ですね」とお話しされたのを聞いて、自分の中に御遠忌テーマがストンと落ちてきました。

一人の自覚 ―阿弥陀の願いに生きる―

かつて、私にもつらい思いをした経験があって、京都で、そんなに強くないのに、独りお酒を夜通し飲み続けたことがありました。その当時はつらくて、ふらふらっと四条界隈からご本山の方へ歩いて、夜が明けて、本山の門が開いていたものですから、御影堂の中に入り親鸞聖人の前に座って手を合わせ、これから自分はどうしたらよいのだろうかと思っていました。そうしたら、近くの幼稚園児がわいわい入ってきて、われ先にと親鸞聖人の前に座って、手を合わせて、そして歌い始めたのです。「あたたかに あふれるめぐみ 春の陽を 両手にうけて ああ すみわたる 空のひろさよ おおらかな ひかりのなかに 親鸞さまはおわします」と、子供たちが歌うのです。私たちは少なからず、親鸞聖人はどういう人で、どういう教えを伝えてくださった方だと知っています。しっかり信じてこの教えに生きてという人もいますでしょうし、信じるには至らないけど、大事な気がするという方もいらっしゃると思います。そういうことを経て、親鸞聖人の教えを私たちは聞き続けています。しかし、そこに来た幼稚園児は親鸞聖人のことも分からないし、ましてや信じているか信じていないかといった意味では、そういう意識すらありません。しかし、そういった中でわいわいとわれ先にと、少しでも親鸞聖人の近くに行くのだといって、そして座って、先生が合掌と言わずとも、みんな合掌して歌い始めたのです。その姿を見た時に、「ああ、ここに親鸞聖人がいるのだなぁ。何か生きていけるかもしれない」と思ったことを覚えています。そういった意味で、師に出遇うということは大切な出遇いであるのだと思います。師に出遇うというと、目上の方であったり、年配の方であったりと思いがちになりますが、年少の者、あるいは自分の子供たちから学ばせていただくということもあります。あるいは、生きている人だけでなく、先に逝かれた方から学ばせていただくこともあります。こういった子供たちから学ばせていただくこともあるものだと教えられました。

私の中で、飲めない酒を飲んでごまかそうとした悩みがなくなったわけではありません。しかし、そうであっても、ここに親鸞聖人がいるのだな、生きていけるかなと思うことがありました。皆さんも、お念仏の教え、ご法話を聞くご縁を通して、そういうことがあるのではないでしょうか。

「御臨末の御書」は、親鸞聖人のご遺言だと言われています。実際は親鸞聖人自身が残されたものなのかどうかは定かではありません。「一人居て喜ばば二人と思うべし、二人居て喜ばば三人を思うべし、その一人は親鸞なり」。私が一人でいる時、何か嬉しいと喜びの気持ちが芽生えた時、その時は二人いると思いなさい。二人でいる時、そういった思いになった時には、三人いると思いなさいと。その、もう一人は、私・親鸞です。「ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉が、私一人が阿弥陀さまの救いを得ましたと、親鸞聖人がもし自分一人でその喜びに浸るような方だったら、この「御臨末の御書」のともにいることを喜ぶような言い方は絶対しないでしょう。ともにいるということを通して、一人(いちにん)の自覚が出てくるものなのだと思います。親鸞聖人のご遺言かどうかはっきりしないと言いましたが、親鸞聖人の教えを受けた方があとで作られたとも言われています。もしそうであったとしても、言葉は親鸞聖人のご遺言であったと言って相違ないでしょう。

「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」という小林一茶さんの俳句があります。小林一茶さんも熱心な浄土真宗のご門徒さんでした。「あなたまかせ」とは阿弥陀さまにお任せをするという意味です。「年の暮れ」とは、晩年にご自身の人生を振り返って、生涯を通して、ひとえに阿弥陀さまにお任せの人生だったなぁということを詠まれた俳句です。小林一茶さんは、壮絶な人生を歩まれました。幼い頃に母親を亡くされ、継母ともうまくいかず、奉公に出された。ある程度の年齢になり、奉公から戻ってくると、継母やその子供たちとは折り合いが悪かった。その中で自分の父親を亡くし、遺産相続問題に巻き込まれ、再び家を追い出されてしまうのです。そんな中、結婚をして四人の子供を授かります。しかし、四人とも自分より先に亡くなり、奥さんも亡くされる。自分が亡くなる直前には火事にも遭うのです。そういったことを経て「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」という俳句を詠まれたのです。

この俳句は、私には、親鸞聖人の恩徳讃と重なって聞こえてくるのです。「如来大悲の恩徳は/身を粉にしても報ずべし/師主知識の恩徳も/ほねをくだきても謝すべし」。私が阿弥陀さまを大事に抱えるのではなく、阿弥陀さまに抱えられて「抱っこ 抱っこ ぎゅっ」とされていた。「如来大悲の恩徳は/身を粉にしても報ずべし」。私たちは苦難の人生も歩んでいける。身を粉にしながらも、骨を砕きながらも生きている。阿弥陀さまに包まれているから、その前提があるから生きていける。このことを私は恩徳讃から思うわけです。身を粉にしても報じた結果、何かをもらえるのではなくて、すでに阿弥陀さまからいただいているから「南無阿弥陀仏」と念仏申すことができる。身を粉にしながらも、骨をくだきながらも人生を生きていける。そういうことを言われているのです。お念仏申して何かを手に入れるのではなく、すでにいただいているということを恩徳讃から思わされることであります。

小林一茶さんの俳句も、親鸞聖人のご和讃も、決して投げやりになって言われた言葉ではなく、自分の人生に真向かいになったからこそ生まれ出た言葉だと思います。一茶さんの俳句も、親鸞聖人の恩徳讃も、人生の晩年に書かれたものだといわれています。お二人とも、人生の晩年に阿弥陀如来を感得された作品を作られた。このことは、人生の晩年になって気がついたという意味ではなく、振り返ってみれば、生涯を通して阿弥陀如来の導きの中を生きてきたんだなぁという告白の言葉なのです。

お話の最初に「一人に立つとは誰も頼りにしてはいけないことのように聞こえる」と妻から教えられたと申しましたが、誰も頼りにしてはいけないのではなくて、小林一茶さんと親鸞聖人の恩徳讃をいただいたときに、その阿弥陀さまの御手の中に私が包まれている。だからこそ、安心して生きていけることができるのでしょう。何も頼りにしてはいけないのではなく、そんな中を生きているからこそ、しっかりと大地に足を立てて生きていけるのだと思うわけであります。

私たちは縦と横の糸で生きていると言いました。どう生きているのかということについていろいろとお話ししてきました。いのちと光が交差するということは阿弥陀さまの願いが届けられているということなのです。阿弥陀さまの願いに生きるということが、人生の真の安全基地をいただくということなのです。いのちと光の交差する中を私たちは生きさせていただき、何があってもつらい出来事があっても、生きていけると思えるということは、阿弥陀さまの願いがひとりひとりに生きているから、届いているからなのでしょう。いのちと光の交差するところに願いをいただいて生きている。私の思いで何かを頼りにするのではなく、頼りとすべき中を生きさせていただいている。それが一人に立つ、一人の自覚なのではないでしょうか。

今日、この場に立たせていただくご縁をいただいて、私自身も改めて親鸞聖人の教えに向き合い、たくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。

白山勝久先生法話付記

資料で配らせていただいた、お寺(西蓮寺)の新聞。毎月1日に掲示板の言葉を貼り変えています。それだけですと言葉がうまく伝わらないこともあるので、「こういう思いで、この言葉を掲示板に貼らせていただきました」と新聞を書き始めました。裏面にイラスト付きのページがあります。以前は文章ばかりの新聞だったのですが、読んでくださる方から、「文章ばかりでパッと見て読む気がしない」「読むのに体力がいる」と言われました。そうこうしている中で、娘の幼稚園で、担任の先生と親のやりとりで、今日家庭でこういうことがありました、幼稚園でこういうことがありましたとやりとりするノートがあって、その中である日イラストを描き始めたら、幼稚園の先生から「楽しいので幼稚園の先生で回して読んでいます」と言われました。絵が付いていると喜んで読んでくれる人がいることを教わりました。1年ほど前から、イラストにメッセージを付けて載せていただいています。すると、反応が多く寄せられるようになってきました。そういう意味で、取っ付きやすさも大事なのではないかと思うようになりました。子供の成長記を書いているわけではなくて、やはり子供から教えられることが多々あるわけです。学校に遅刻しそうな娘の手を引いて連れていったのですが、親は「早く、早く」と言いますが、子供の時間・世界は何も急ぐ必要がないわけです。本当に遅刻しそうなのですけれども、パパなに慌てているの? ドングリがあるよ、ヤゴがいるよ、ナメクジがいるよ。パパ、ナメクジとカメって、どっちが遅いのかなぁ? そこで「どっちが遅いのだろうね」と言えばいいのですけれども、「遅いのはあなたです!」と私はつい答えてしまって、これは親の都合ばかりで子供と向き合っていないなと思いました。ですから、一見かわいらしいイラストを描きながらも、私たちはどうなのでしょうか?という問いかけの意味も込めて、新聞を書かせていただいています。先ほど、御影堂の幼稚園児から教えられたということを言いましたが、子供から教えられることが多々あると思います。人との出遇いを通して教えられることがあると思っています。

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