あなかしこ 第58号

お念仏の聞こえる町

田口弘 (釋弘願 54歳)

蓮光寺様のある亀有は、魅力的な町なのだろうか?

時折マスコミを賑わす「住んでみたい町ランキング」に、亀有が登場したという話はついぞ聞いたことがないし、最近はアニメで有名になったものの、相変わらず亀戸と間違われることが多い、影が薄く、ちょっとかわいそうな町だ。

東京23区内のJR線には76の駅があるが、各駅停車しか停まらず、始発・終着となる電車がなく、徒歩圏内に他の鉄道が通っておらず、山手線内の六大ターミナル(東京・上野・品川・渋谷・新宿・池袋)のどこへも直通していないという「四重苦」を背負っているのは、驚くなかれたった1駅──亀有だけである。

その亀有にある賃貸マンションへ、この春私は転居して来た。

足掛け50年近く住んでいた品川区の実家は、とてもよい所だった。庭のある大きな一戸建てや広く静かな街路、それでいて山手線の駅からタクシーで千円程度の距離という環境は、友人達から羨まれたものである。

しかし、そこでの私の生活は、「家事をしてくれる人」「車を運転してくれる人」の存在によって成り立っていた。1月に私を介護してくれていた母親がお浄土に還り、独りで暮らすことを余儀なくされると、たちまち悲鳴を上げる羽目に陥った。視覚障害者にとって、一軒家は持て余すだけのものに過ぎず、静かな高級住宅地に飲食店は皆無。商店街も遠く、出前すら来ない。当然のごとく近所付き合いはゼロに等しく、住民のほとんどが高齢者とあっては、緊急事態が起きても、誰かに助けを求めることなど不可能である。

「視覚障害者が独りで住めない町」からの「逃亡先」として、私は亀有を選んだ。蓮光寺様に聞法のご縁をいただいて18年。何軒かの居酒屋とバーしか知らない町だが、真宗の教えにご縁をいただいた者として、お念仏を発信しているお寺のある土地なら、文字通りの手探り生活でも、何とかやって行けるのでは、との期待を持ってのことである。

亀有に移って早や3ヶ月。予想通り電車のダイヤは不便で、特に土休日の夜間はひどい。白杖を使って歩く身ゆえ、歩道を埋める放置自転車には泣かされている。自宅マンション前の道路は、昼夜を問わず救急車や消防車が駆け抜け、さながら「サイレン街道」だ。

それでも私は、毎日楽しく暮らしている。まだ不慣れな私に、「どこへ行くの?」「大丈夫?」と、声をかけてくれる人の何と多いことか! 初めて入った店では、決まって「また来てね!」と送り出される。マンションやご近所の方、警察官や駅員とはすっかり仲良くなった。ここは、見知らぬ人とも当たり前のように言葉を交わすことが出来る町なのだ。住み続けるうちに、相応のしがらみも背負って行くことになろうが、「共に生きる」という願いが、町全体に満ち溢れているように感じるのは、他人に関わらないことが「善」とされる山の手の住宅街に生まれ育った私だけだろうか?

「南無阿弥陀仏」には、あらゆる衆生が「つながりのいのち」を生きていることを喜べる者になって欲しいという如来の願いがこめられている。お念仏をいただくことは、「共に生きていきましょう」という願いをいただくことである。日々、自分の都合で人とのつながりを深めたり、切ったりしている恥ずかしい私ではあるが、そんな身だからこそ、阿弥陀如来様が「無量寿を生きよ」と、さまざまな場面で呼びかけて下さるのではないだろうか?

私にとって亀有は、「お念仏の聞こえる町」である。

Copyright © Renkoji Monto Club.