あなかしこ 第58号

門徒随想 蓮光寺さんの門徒にさせていただいて

中村譽至雄・四士子 (80歳 / 68歳)

私(譽至雄)は、少年時代、福井県の北潟村(現在あわら市)で育ちました。この村は、蓮如さまゆかりの吉崎御坊に接しており、蓮如さま一色の村です。吉崎御坊の報恩講の期間は、毎年のように北潟湖(長さ四キロメートル)に参詣者を和船で渡す仕事のお手伝いをしておりました。

妻の四士子は、真宗大谷派の札幌大谷高校の出身で、校長先生は真宗のお坊さんでした。入学すると割烹着を購入し、毎日のように清掃をしておりました。勉強も大切ですが、清掃奉仕を通して学校に愛着を持ってもらい、卒業しても学校に来て教えにふれてほしいというのが札幌大谷高校の願いでした。妻は現在、札幌大谷高校同窓会東京支部でお手伝いをさせていただいております。

このように私たちは少なからず真宗の土壌で生活してきた経験を持っているのですが、まさか蓮光寺さんの門徒になろうとは思ってもおりませんでした。蓮光寺さんのご門徒である篠﨑一朗さんとの出遇いが私たちのこれからを決めたのです。

私たちは、六年前に山梨県甲斐市より川越に越してきました。実は二十年ほど前に、夫婦共々癌を患いました。闘病を通して「生きる」ということを真剣に考えるようになりました。そんな時、帯津三敬病院の名誉院長である帯津先生の著書を読み、先生の「人生訓」に強く感動を受けたことから川越に越してきたのです。そして病院の患者の会に入会しました。そこでは、気功も行われ、私たちにとって特に太極拳を学んだことは有り難くよかったと思っております。また、患者同士で色々なことを語り合い、癌とともに生きることのすばらしさを感じとることができました。篠﨑一朗さんは患者の会の創立メンバーであり、同じ創立メンバーで私たちと同じように蓮光寺さんのご門徒になった山崎ご夫妻もいらっしゃいました。

篠﨑さんを通じて山崎ご夫妻のお誘いで、昨年八月に蓮光寺さんの「真夏の法話会」に参加しました。本堂に入ると、阿弥陀さんの両脇に、親鸞さまと蓮如さまの御影が安置されていました。蓮如さま一色の村で育った私は、不思議な御縁を感じ、童心に帰った思いがしました。

私たちより先に山崎さんご夫婦が蓮光寺さんのご門徒になられ、ご夫婦で「無量寿廟」に入られることを大変喜んでおられました。帯津先生、篠﨑さん、山崎ご夫妻とのつながりから、私たちもいっしょに聞法していきたいと、蓮光寺さんのご門徒にさせていただきました。子どもの頃に真宗の土壌で育った私たちがこうして真宗の教えにふれる場を得て、人生これでよしと言い切れるような教えを聞き続けることができるとは御縁の不思議さを噛みしめています。私たちは、末子同士であり、今日まで自分たちが亡くなったらお墓をどうしたらいいかということを真剣に考えてはいませんでしたが、「無量寿廟」に夫婦共々入ることになろうとは本当に感無量です。

蓮光寺さんは何かがちがうと、二人の間に話題がつきません。ご住職と坊守さまのお人柄、明るい門徒の方々、お寺の景観、本堂、庫裏に至るまで、すべてが素晴らしいのです。

蓮光寺さんを人生の故郷としたいので、来年にはお寺の近くに引っ越してきたいと思っております。

蓮光寺さんの門徒として、聞法に励んでまいりたいと思います。お導きのほど、よろしくお願いいたします。

Copyright © Renkoji Monto Club.