あなかしこ 第58号

あとがき

安全保障関連法案が国民の理解を得られぬままに強行採決された。安全保障関連法案は明らかに憲法違反であり、日本が戦争をする国へと変貌するわけだから、小生は断固反対である。憲法学者の多くはこの法案を憲法違反とし、廃案にせよという国民の声が圧倒的である。わが真宗大谷派も宗務総長の名で声明を発表し憲法順守を呼びかけた。大谷派宗議会、参議会では「非戦決議2015」を採択した法案の是非が問われるなかで、自民党国会議員の勉強会で議員の4人が、沖縄の地元の2紙など報道機関に圧力をかけ、また沖縄の県民世論を「ゆがんでいる」と発言するなどして処分される事件もおきている。事件と書いたのは、この発言は単なる発言ではない からだ。治安維持法を思い浮かべたのは小生だけではあるまいただ、反対している私そのものが問われているという視座を見失ってはならないと思う。戦争反対と言い続けても、どうして戦争がなくならないのだろうか。つまり、単に戦争反対を叫ぶのではなく、人間存在が抱えている闇にまで眼差しが届かないとならないのではないか。縁によっては何を考えどんな行動をするかわからないのが人間のすがた、立場がちがえば善悪の基準が変わってしまうのが人間の有りようである。戦争をしようとする人間の醜さというものが自分の中にもあるのだという人間存在そのものの悲しみにまで目を向けなければならないのではないか。戦争を反対することばかりを考えて、自分と向き合う、人間そのものを見つめることがない有り方を「善人」という。人間は善に迷うのである。果たして戦争がなくなるかどうか、それはわからない。しかし、人間は業縁存在であり、無明性を抱えて生きていることの愚かさに気づかされていくことなくして、戦争はけっしてなくならないこともまた事実であろう。(M)

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