あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

東京二組C班「いのちのふれあいゼミナール」

2014年3月29日(土) 於:蓮光寺本堂

講師: 福田大先生 (東本願寺岡崎別院輪番、54歳)

講題: 「ともの同朋にもねんごろのこころ」

はじめに

皆さん初めまして。今日は京都の岡崎別院から参りました。岡崎別院は親鸞聖人が29才から35才までの間と晩年の63〜64才の頃にご縁を結ばれているところでございます。歴史はそのようにしてあるのですが、なかなか貧乏な別院で、毎日困っております。

さて、いのちのふれあいゼミナールのテーマを「ともの同朋にもねんごろのこころ」と付けさせて頂きました。親鸞聖人が35歳の時に岡崎別院から、流罪の地である越後に向かわれました。流罪後しばらくしてから約20年以上にわたって関東で生活をしておられましたが、63〜64才の時に京都に帰って来られるわけです。関東でのたくさんの門弟(親鸞聖人の教えを聞いてきた人)が、京都にお移りになった親鸞聖人にお手紙形式で質問状を送って来られるのです。それについて親鸞聖人がまたお手紙で返される。それが親鸞聖人の御消息として現在も残っていますけれども、そのお言葉の中に「ともの同朋にもねんごろのこころ」(『真宗聖典』563頁)と出てくるところがございます。それをそのままテーマとさせていただいたことです。

わが身を映し出す「鏡」としての、とも・同朋の存在

私たちは毎日生活している中で朝起きて洗面に向かいます。この時、鏡で顔を見ますね。私たちは映っているものを見ているという眼がありましても、自分自身でその自分の姿を見るということはなかなかできないのではないしょうか。「正信偈」の中に「善導独明佛正意」とあります。善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』(観無量寿経の注釈書)の中に「経教はこれを喩ふる鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば智慧を開発す」という言葉があります。私たちは自分で自分のことを見ることが難しいのです。ですから具体的に教えを聞くということは、その教えを鏡として映っていく自分そのものを見るということが、具体的に仏法を聞いていくことではないでしょうか。私たちは普段、自分以上のものを自分と思ってみたり、または自分以下のものを自分と思ってみたり、いっこうに自分というものに出遇えずに、浮いたり沈んだりしているのです。それが要するに私たちの迷いという形をとっている。何に迷っているのかというと、自分の姿に出遇ったことがない、ということに迷っているのです。自分がわからないということに迷っているのです。

私には3人の子がおります。この間、長男が胸が痛いと言うのです。長男は煙草を吸うので、ひょっとすると肺がんかもしれない、と思ったのです。近くの病院へ行って来ました。風邪だというので薬をもらって来たけれども、夜中にまた痛いと言うのです。今度は大きな病院へ行ったのですけれども、原因が分かりません。次の朝、京都の赤十字病院で血液検査やらいろいろ検査が始まって、最後に撮ったのが心臓のエコーでした。検査の結果、風邪のバイ菌が心臓の中に入っていたのです。それでたくさん亡くなる方がおられるということで、緊急救命センターに入れられました。その時に、僕は不思議と、ホッとしたのです。なぜかと言ったら、病名が分かったからです。病名が分かったということは、治療していける目途が立つことでしょう。治療の目途が立たないと不安なのです。子供の状態が分からないから不安なのです。2週間入院しましたけれども、2週間後にはもう職場に復帰していました。原因が分からないというのは、やはりそれだけ不安なのでしょうね。こういう点からいうと、私たちは何に一番不安かといったら、私は私に出遇ったことがないということが根底にあるのではないでしょうか。

私は、54才です。今日初めてお目にかかった人が大半だと思います。こう受け取ってみたらどうでしょう。私は54年間皆さん方に会うために生きて来たのです。そうではないでしょうか。私は、京都から来ましたけれども、何かアクシデントがあったなら今日皆さん方に会えませんでした。皆さまも、お寺に行く予定にしてあっても、悪天候になったら行きたくても行かれません。また、途中で友達に会って別の所へ行こうと誘われたら行ってしまったかもしれません。だから今日こうやって会えているということは、当たり前ではないのです。私たちは、今日ここにいるのは当たり前だと思っているのです。しかし本当の意味で仏法、仏の教えを聞かせてもらうということは、当たり前だと思っていることが当たり前ではないということをいただいていく、知らされていくということではないでしょうか。でもそうは言いながら、私は当たり前のようにしてここに来ています。そういう悲しい現実があるのです。

旭川別院での研修会の折に、「あなたにとってお寺とはどのような所ですか?」と質問しました。法事やお葬式をする所というのが圧倒的に多かったです。次に仏法を聞く所という答えでした。お寺とは実はハッとさせられる所です。ハッとさせられる場所に居ながら、私が逆にハッとさせられました。ハッとできない私がいるということをご門徒さんから知らされた、そういう思いが致しました。仏法を聞くということは、そういうハッとさせられるということが一つあるのでしょう。

レジメには、「わが身を映し出す(鏡)としてのとも・同朋の存在」とあります。東本願寺の同朋会館で補導をさせて頂いた期間がありました。ある時、77才ぐらいのご婦人の方が座談会の時に「私は30年間仏法を聞いて来たので、少しはましな人間になりました」と言われました。その時に教導の先生が「ばあちゃん、少しはましな人間とはどんな人間ですか」と聞かれたのです。「ばあちゃん、30年聞いてましな人間になるのだったら、50年聞いたら、立派な人間になれるのでしょうか。仏法を聞いていくということは、どこまでもどうにもならない自分に出遇ということを聞いていくのでしょう」と言われました。その時に、そうだなと私も思わされたのです。

けれども、どうでしょうか。仏法を聞いてきて何年か積み重ねていったら、「あんた偉いね」と言われる人が多いのではないでしょうか。それを拝まれたい心と言うのです。どうしても何か良いことをしているという拝まれたい心が自分の中にあるのではないでしょうか。これを自負心というのです。私の先生は「拝まれる者になるな、拝める者となれ」と言われました。

皆さん、思っていることと言うことと一つですか。例えばお孫さんを抱いた方がおられたら、この子、不細工な顔しているなと思っても「不細工な顔していますね」と言いますか。私たちは「可愛いお孫さんですね」と言いますね。どこかで思っていることと言うことと違うのです。思っていることと言っていることが違うのにそれを問題としないのが、私たちの現実ではないでしょうか。そこに何の痛みもない。それを金子大栄先生は「私の心の中に拡声器があったならば、私は人の前に出られません」と言われました。どこかで言っていることと思っていることが一つでないという、本当の自分がなかなか明らかになって来ないのではないでしょうか。こういう自分であっても、周りのものが許してくれているということがあります。そういう自分でありながら、支えてくれている人がいます。そういう人たちが見えてくるということが、拝める者になるということです。どこかでわれわれは拝まれたいのです。でも本当に自分自身が見えてきたならば、それが人を拝んでいける心を賜るということなのです。

仏法を聞いていくということで何が大切かといいますと、師がいて友がいる、ということだと思います。私も21年間旭川別院にいさせていただきましたけれども、その時の先生に、今年の岡崎別院の暁天講座で来ていただくことになりました。その先生は、非常に厳しい先生でした。毎月1日学習会というのがありました。それは7時から始まり、9時に終わります。学習会の後には、お酒が出て、終わるのが夜の1時、2時です。この9時以降が地獄でした。「お前はこれについてどう思うのか」と聞かれるのです。答えられても答えられなくても、どっちにしても怒られるのです。その先生が、「お前ご飯何を食べてきたか」と聞くのです。「カツ丼を食べてきました」「それなら聞くけれど、そのブタは俺のこと食べていいよと言ったか。お前は、お前が生きていくために他のものを殺して生きているということがわからんかぎり、何を聞いてもわからんぞ」と教えてくれました。そこに本当の悲しみを伴った聞き方をしていかないと、いくら仏法を聞いていても、人ごとになってしまう。そういう自分であるということが本当にわからない限り、悲しみがない限り、仏法は何遍聞いてもわからないということを教えていただきました。それが私にとって「師」というものです。

それからあと一つは「とも」という存在が必要になってきます。皆さん方にとって「とも」というのは、どういう存在でしょうか。世間体でいうならば、自分が失敗しても、みんな失敗するのだからいいではないかと、同調してくれる人ではないでしょうか。悪いとわかっていても、間違いとわかっていても、今、私が間違っていると言ったら恨まれるのではないかと、或いはこの人からいいように思われないから、これは逆に言わない方がいいなと気を使うのが、私たちの考えるいい「とも」なのではないでしょうか。そして本当の意味で、恨まれようが、このことだけはこの人だけには言っておかなくてはいけないといって言ってくる人は、あの人は好きなこと言ってと世間的には受け入れられない人になるのです。

しかし、自分がどう思われようとそれは違うのだと言うてくれる人、本当のことを言ってくれる存在が、本当の意味での「とも」ではないでしょうか。「とも」がいて、聞法というものがあるのではないでしょうか。本音を言うてくれる存在がそこになかったならば、いくら聞いても聞いたことにならないということがあるのではないでしょうか。「師はともと出遇わしめ、ともは師と出遇わしめる」これが聞法の歩みなのです。「聞法ということは人に出遇うこと、人から人への歩みなのです」と、宮城顗(しずか)という先生が言われていますけど、聞法して私は誰とも遇わなかったという話ではないのです。具体的に言うと、仏法というものが物理的にあって、そこに自分が入っていくことではなく、全部人を通して聞けるのが仏法ではないでしょうか。もっと言うならば、先ほど鏡ということを言いましたけど、私を照らす鏡がなかったら、聞法という歩みはないのではないでしょうか。手厳しい師や、自分のことを本気で批判し注意してくれる人、そういう「とも」があって、初めて歩みとなっていくのではないでしょうか。聞法とは、人に出遇うこと、人から人への歩みだと思います。鏡という存在、それが必要なのではないでしょうか。

冒頭に申し上げたように、私たちはほかの私を追い求め、夢見ます。ああいう私になりたかった、何でこんな私でなくてはならないのかと、いわゆる愚痴をこぼすのです。愚痴というのは、心が身に定まらないということです。どんなに自分の心にとってつらいことであろうと、どんなに自分の心にとって苦しい事であろうとも、それが事実である限り、事実として認める、そういう堪え忍ぶ力が「智慧」です。事実を事実として認め、そこから出発していく力です。仏教でいわれる智慧というのは、頭がいいということではないのです。事実を事実として生きていける力であり、勇気なのです。

岡崎別院でも法座を開いているのですけれども、大概、皆さんが言われるのは、「今日のこの話、うちの嫁に聞かせてやりたい」とか、或いはお嫁さんが来られたら、「今日のこの話姑さんに聞かせてやりたい」ということです。それは仏法を聞きながら、自分不在なのです。自分のことを言われている、自分が鏡に映し出されてくる。そのことが得てして、私たちの聞き方ではないでしょうか。我がこととして聞く、鏡に映し出されたことを我がこととして聞く。そういうことが一つ、聞き方の上で重要ではないでしょうか。

仏の教えの鏡に映し出された私の生活現状

「庶民」という言葉があります。庶民の庶という字は、真ん中の部分は、天井からぶら下がっている囲炉裏を表わします。下の4つの点は、燃え上がる火を表わします。一番上の「まだれ」は屋根を表わしますから、これらが一つの家の中にある、という字です。こういう字が庶民の「庶」と教えられました。昔は、ご飯をみんなで食べると言うことがごく自然なことだったのです。皆さん方どうでしょうか。皆さんでご飯を食べておられますか。だいたい、家の中に、昔は裸電球が多かったですよね。居間に一つぶらんと下がっている。そこで、みんなでご飯を食べたでしょう。昔、テレビが1台のところが多かったです。見たい番組があるのに、親父がテレビを見ていたらチャンネルを回す勇気がなかったです。今、私が見ている番組を後ろで子どもがリモコンでパッと変えていきます。考えてみたら、みんなでご飯を食べて、今日一日こんな事あったんや、あんなことあったんやということが一つの家庭の姿でした。それが庶民といわれる生活の様式だった。皆さん方のご家庭にいくつ照明がありますか。どこのお家でも20個以上あるでしょう。エアコンも各部屋にあります。子供はそれぞれにパソコン、ゲーム、テレビを持っています。温度もすべてリモコンで自在です。つまり、自分の好きな温度の中で、自分の好きなことをして過ごせる空間をそれぞれが持ち始めたのです。ですから子供の部屋で見ているテレビの番組と、居間で見ているテレビの番組が一緒の時があるのです。それぞれがそれぞれの好きな空間のなかで、それぞれがそれぞれの好きなことをしているのです。僕は結婚するときに嫁さんと一つ約束したことは、ご飯はみんなで食べようということでした。ところが、私の父母が夕方六時頃にご飯を食べます。私たちはまだ仕事しているから、帰ってくるのはバラバラです。子供たちと一緒にご飯を食べようと思っているのですけど、バラバラです。それは、家族という名の同居人です。それぞれがバラバラの部屋でバラバラの空間で自分の好きなことをしている。ご飯を食べるのもバラバラ、家族という名の同居人、そういうことが今の私の家庭の中で思うことです。それは、「豊かで快適で迅速な社会が、私にとって幸せといえるのか」という問題です。

「引きこもり したいけれども 部屋がなし」これは新聞に載っていた川柳ですけど、この川柳を読んでどう思いますか。僕が思ったのは、引きこもりしたいけど部屋がなくて可哀想だな、ということです。部屋があって当たり前になっているのです。でも、本当に一人一つの部屋を持つということが幸せなのかどうなのか、わかりません。でも、私の感覚でいうと、部屋がないと可哀想にと思ってしまう感覚なのです。皆さん、どう思いますか。部屋がなくてよかったと思いますか。部屋がなくて可哀想にと思ってしまうほど、もうわがままになってしまっているのです。そういう自分の自我、自分の本当に気ままな空間を作ってしまったという問題があるのではないでしょうか。

この間テレビで、京大と同志社、立命館大学の食堂が取り上げられていました。今の若い人は、朝食を食べないというのです。立命館大学では、朝の百円定食を始めたら、徐々に生徒がご飯を食べるようになってきたというのです。同志社では、学生証を提示して食券を買うと、親許のところまで、今朝何カロリーの何を食べたのか全部情報が届くらしいのです。私は大谷大学でしたが、長いテーブルがあって、前に知らない人間がいても話しかけました。京大では長いテーブルに間仕切りを置いたことで、学生たちが非常に喜んでいるそうです。それは人がそこにいても、人がそこにいないようにして動くということでしょう。影が映っていてもそれが誰だか分からない。その方がいいというのです。それは傍若無人ということです。これは学生だけのことではなく、我々の生活全般がそういう方向へ進んで行っているのを自分で気づかずにいるのではないでしょうか。「便所メシ」と言って、今の子どもたちは一人でご飯を食べていたら「あいつは友達もいないのか」と思われるのが嫌で、便所でご飯を食べるのだそうです。これは現実に起こっていることで、私たちもそういう方向に歩みつつ、そのことをどこかで忘れているのではないでしょうか。

源信僧都『往生要集』には「我いま帰するところもなく、孤独にして同伴なし」という言葉があります。これは、孤独というのは広いところにポツンといることだと私たちは思ってしまいますけれども、本当の意味は、人がたくさんいても自分だけそこで孤立してしまう、他を寄せ付けないでいる、伴う人間がいないということでしょう。人がいても無きこととする。それは、伴う人間が目の前にいてもそこに人がいないようにして生きているということです。そういう実態が、生きている中にあるのではないでしょうか。第一、そういうわがままで気ままな生活が当たり前だと思っていますし、そういう所に生きてしまっているということも、どこかで見失って生きているのではないですか。ですから、人からの助言や苦言が聞けないのです。どこかでシャットアウトしてしまうのです。「ウザイ」という言葉がありますが、耳を塞いで人のことを聞かない。そういうことが現実の中にあるから、自分の姿が映ったとしても、それを自分の姿として認めていけないということが、私たちが気づく、気づかないに関わらずあるのです。

宗教(心)とはどのようなことなのか

廣瀬杲(たかし)師は「人間の要請に応える宗教と、人間そのものを明らかにする宗教との峻別が明瞭にならないと、宗教は曖昧になる」とおっしゃっています。私たちは宗教というものは、私を肯定して、私を癒してくれるものであると心のどこかで思っているのではないでしょうか。わがまま放題をしておいて、わがままでいいよと聞いてくれる人ならどこまでもついていく。そういう自我でありながら、自我を認めてくれるなら、どこまでもついていく。これが宗教だと、どこかで思っていませんか。それを「人間の要請に応える宗教」というのです。親鸞聖人が説かれた宗教、本当の意味でお釈迦さまがとかれた宗教というのは、人間そのものを明らかにするものなのです。このことが、実は鏡に映し出された自分を見ていくということなのです。自分を見せられるということなのです。そして、宗教心というのは安心することだと思っていたら、とんでもない間違いです。人間を自己肯定させないのです。徹底して人間に否定道を歩ませるのです。そういう自分で本当に満足か、そんなもので満足できるはずないだろうと言ってくるものが本当の意味での宗教なのです。それが「人間そのものを明らかにする宗教」という意味なのです。自我肯定、エゴ肯定は、私の都合を通すということです。自分の都合を通すということは、私以外の誰かが不都合になるということです。私の好都合が、他の人の不都合になるということです。そして、それを何とも思わずに生きられる、そういうあなたは一体何なのか、ということを明らかにしてくれるものが、「人間そのものを明かにする宗教」ということです。そして、人間を自己肯定させないのです。徹底して人間に否定道を歩ませるのです。「不都合な人間がいるのに、そのことをあなたは時流に乗って上手に生きている。一体、あなたは何者なのか」ということを明らかにしてくることが本当の意味での宗教・宗教心ということなのでしょう。

「とも」というのは共々に仏法に照らされて聞いていくということであり、それが「同朋」ということなのでしょう。そして「ねんごろのこころ」は丁寧な心と出ていますが、本当の意味は人間を超えた心、私を映し出してくる心です。これが宗教心というものなのでしょう。換言すれば、宗教心とは自我を肯定していこうという人間そのものを問題にすることです。これが「ねんごろのこころ」と言える心なのではないでしょうか。これは決してあなたにねんごろにしてやるというのではなく、本当の意味では、人間を超えた心、それは、人間自身を映し出していく心、それが「ねんごろのこころ」なのです。

「ねんごろのこころ」とはハッとさせられるこころ

「闇に関わるべき仏教者がまず、傍観者であることをやめなければならぬ。教団の組織の上にあぐらをかき、 年中白足袋をはいて、 世間のくらしをよそに生きている人間は、真の仏教者の姿ではないと…。口先だけの説法が、仏の心に背くことだと、身を震わせるものがいないだろうか。」これは松永伍一師の『原初の闇へ』の一節です。この傍観者であることを止めねばならぬ、傍観者とは何か。この傍観者というのは、じっと見ているということではありません。阪神淡路大震災の時に、京都の同朋会館で補導の仕事をしていました。その仲間に石川県の方がいて、京都に来るのに農家のご門徒さんを回ってお米をいっぱい積んできました。大震災の神戸の方で、ライフラインの残ったお寺で炊き出しをしていた。そこで一人ひとりに皿に入れていると、一人の初老の男性が「何で俺の分だけ少ないのだ」と言うのです。それを聞いた時に無性に腹が立ったというのです。何で無性に腹が立ったのかと思ったら「俺は炊き出しをしてやっているのだ」という自分の姿を初老の方から教わった、照らされたと言っていました。自負心です。やっていることはすごくよいことだけれども、やっていることに値打ちをつけている。充分できていないにも関わらず、そのことに値打ちをつけていることが傍観者の一つの意味だと思うのです。

東日本大震災で京都に被災している世帯を対象にお寺でお話した後、会食をしました。1回目は別院で、2回目は東本願寺、3回目は庭で焼肉パーティーをしました。その時に80歳のお爺さんが皆に募金を集めると言い出したのです。私はそういうつもりでやっていないので結構ですと断ったのですが、「これは我々の気持ちだから取っておいてくれ」と言われたのです。これはお賽銭に入れておいてくれと言われたので、「わかりました」と言ってお賽銭として入れておきました。その夜、別の方から苦情の電話がかかってきたのです。「タダだと言っていたのに違うではないか。何でお金を集めたのか」「私は断りましたが、一つの行為として、そのお爺ちゃんが集めてくれましたので、わかりましたと言ってお寺にいただきました。私はくれとも言っていません」と言いながら、私も腹が立ちました。何で一生懸命やっていることが、こういう形で批判されなくてはいけないのか…。実は全部、傍観者ということなのです。社会運動をしてやっているという旗振りしながら心のどこかで腰かけしているのです。ただ何もしないで見ていることが傍観者ではなくて、何かをしながらもそのしていることに腰を下ろしている、俺はやっているのだとそういうところにしか立てないことを傍観者と言われるのではないでしょうか。

「口先だけの説法が、仏の心に背くことだ」と言われておりますが、私が結婚する時ある先生から言われました。「結婚するということは、一番自分の思い通りにならん、どうにもならんものを目の前に据えて生活することだ」と言われました。私は話す時にいつもノートに覚書を書くのです。なぜかと言うと、これを妻に見せるのです。妻が全部わかったら、みんなにもわかるだろうということで妻に見せるのです。妻はこれを読んで「あなた本当にこう思うの」と、話す私が、聞いている妻から問われるのです。ある先生が奥さんに「あなたは嘘つきや。喋っていることを聞いたら嘘ばかりではないか」と言われたそうです。よくまともな顔して喋れるなあと言われたそうです。でも、どこかで一番近くにいて、一番見失っている人間から言われる。そういうことが、この口先だけの説法、別に私は嘘ばっかり話してはいませんけれども、「本当にそう思うか」と聞かれます。そのあたりが一番近くにいる者から照らされて、苦言を受けてハッとする。こういうことが「とも同朋」ということではないかと思うのです。

仏の願いに背く者として、映し出された事実

私には、今年84歳になる母親がおります。この母親が、旭川にいる時に、心臓の弁膜症という病気で僧帽弁という弁が動かなくなりまして急にたおれました。病院に行ったら、医師がすぐ察知して救急車を呼んでもらった時には意識がなかったのです。1週間ほど検査があって手術をして無事に出られたのです。九分九厘もうだめかと思いました。親父は葬式の話をし出すし、僕は「まだ死んでないのに葬式の話なんかするな」と親父と喧嘩したのを覚えています。その時にふっと思ったことですが、何で母親にもっと大事な話をできなかったのだろうかと。それで無事帰って来られたので、その時に母親にこう質問をしました。「お母ちゃん、どういう願いで俺を育ててくれたの」と聞きました。「えらい難しい話するなぁ」と言った後、「お母ちゃんの願いは、お前が生まれてきて良かったなぁと思いながら生きる、その姿を見ることがお母ちゃんの願いやで」と言いました。その時初めて母親の願いが明らかになってきました。ずっと母親に背いて生きている自分がいるなということをわかった時に、初めて母親に出遇った気がしました。母親の願いどおり生きているのではないのです。私は「なんでもうちょっとマシな顔に生まれて来なかったのだろう」「もうちょっとマシな頭で生まれてこなかたんだろう」など、色々な思いがあります。そういう中で私は母親に背き続けて生きてきたと知らされた時に、母親に出遇った気がしたのです。

親鸞聖人は仏とどこで出遇ったのかといったら、仏の願いに背いていると自覚した時に仏に出遇われたのです。「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。」(『真宗聖典』251頁)こう言われているのです。愛欲の広海というのは、人を愛するということではなくて、好きとか嫌いとか、自分の物差しでしか人を見られないということもあると思います。その大海に自分が沈んでしまって、自分が見えないでいるということです。名利の太山とは何かといったら、先生として見られたい、先ほど言いました拝まれる心です。そういう自分の心で生きていて覚りに近づくことを全然喜ばないような私がいる、そのことを親鸞聖人は恥ずべし痛むべしと。ここでひとつに出遇えた、これが仏に出遇えたということを明らかにされているのではないかと思います。親鸞聖人は、仏の意に適うように生きているとは一言も申しておられません。仏に背くものとして映しだされた自分を正直に述べられている。その中で初めて仏と出遇えましたと言えた人でないかと思います。

また「浄土真宗に帰すれども/真実の心はありがたし/虚仮不実のわが身にて/清浄の心もさらになし」(『真宗聖典』508頁)とこう言われています。浄土の真宗に帰すというけれども、本当の真実の心は私にはないと言うのです。嘘と欺瞞の我が身なので、きれいな心というのは更々ないと。これが、親鸞聖人が仏に背いて仏に背いて出遇われたということの事実を、ここに書いておられると思うのです。

とも同朋からの声が聞こえることこそが聞法の歩み

「我々はお念仏をいただくというと、根性が深まるとか、ちょっと心がけが良くなるとか、えてしてそういうことを思いますけれども、根性というものは全然変わらない。全部仏の心に作り直してくださるのではない、根性はそのままで、その根性のど真ん中に仏のこころが宿る、それを信心という。その信心が私を守ってくださる。根性に引きずられようとする自分を守ってくださるのが信心、仏の心です。われわれはうっかりすると信心というものを人間の心だと思う。しかしそうではない、信心は如来のこころなのです。」これは仲野良俊という方の文章です。この「とも同朋」ということを、皆さんは家の外のことと聞いてしまうかもしれませんが、実は皆さん方の目の前におられる家庭の人が、まず同朋として、見い出していけるかどうかということが一番大切なところです。

先ほど母親のたおれた時の話をしましたが、家内の母親が3年ほど前に脳梗塞でたおれました。我々は旭川にいましたので、すぐには帰れません。翌日に休みを取って飛行機で帰ったのですが、その時にもう駄目かもしれないと思って、京都で葬式をするなら誰に頼ったらよいだろうかということばかり頭にあったのです。ところが嫁さんはそんなこと考えていないのです。今どうしたらよいだろうということだけです。もう自分の母親のことで精一杯です。そのことをうちの母親がたおれた時、病院から帰る車中で嫁さんにふと言ったのです。「お前の母親がたおれた時、俺は対岸の火事やったけれども、今日の俺は違う思いでいる。自分の母親やもん。どうしたらいいかわからん」と言ったのです。頭の中で私は嫁さんの答えを用意していて「あんた、そんな水臭いこと言わんときな」と言うと思ったのです。ところが、嫁さんの答えは「私も一緒やで」でした。どういう意味かわかりますか。今日は私の母親がたおれたのです。3年前は、嫁さんの母親がたおれたのです。だから私の母親がたおれた時の嫁さんの思いは、自分の母親ではないということです。嫁さんの母親がたおれた時には、私は私の母親ではないと。どこかでそういう思いをお互い持っているので「私も一緒やで」と言ったのでしょう。続いて、嫁さんが一言「悲しいね」と言ったのです。一緒に子育てをしていながらも一緒に夫婦という間でいながらも「悲しいね」と言ったのです。これは人間の心を超えているのです。別に嫁さんの心がきれいだというのではないのです。これがまことの心というのです。これが親鸞聖人の言われている「ねんごろのこころ」ではないでしょうか。人間の心を超えた心、もっと詳しく言うと先程言った宗教心ということです。人間の要請に応える宗教、人間そのものをあきらかにしていく、それが信心という如来の心です。そういう心が我々のところにちゃんと鏡として映し出されているという現実があるのではないでしょうか。「とも同朋」を見出していくこと、それが嫁さんの「悲しいね」という言葉からあきらかになってきました。

私はいま岡崎別院にいますけれども、山城第二組という組なのです。坊さんばっかりの集まりが、月に1回ありまして、その会が終わってから呑みに出るのですが、一昨年のこと、夜8時ぐらいで僕はショルダーバックを持っていました。京都の町中は人通りが少ないところが多いのです。四条や河原町の目貫通りは違いますが、中の方に入ると急に人が少なくなるのです。街灯もあまり点いていないところもあるのです。10人位で歩いていて僕は後ろの方を付いて行きました。そこに一方通行を逆走して来る無灯火のバイクがありました。何やこいつと思ったら、カバンがなかったのです。あっ、やられたと思いました。カバンには、免許証、財布など全部一式入っていたのです。その後、私が犯人のように警察で夜中の1時ぐらいまで取り調べられました。嫁さんが車で迎えに来てくれて、家まで20分ぐらいかかる道中、だいたいバイクの形やヘルメットの色も覚えているので、信号で横に止まったバイクを見ながら「こいつが取りやがった犯人と違うだろうか」という思いがふつふつと湧いてくるのです。要するに、私の中に泥棒でない人間を泥棒として作り出していく心があるということです。財布を盗られたのは腹が立ちますけど、盗った人間からそういうことを教えられているということでしょう。「とも同朋」というのはお手手つないで仲良くする仲間だけではなくて、そういう人間からも自分自身の有さまを映し出されるということを言われているのではないでしょうか。それが「ねんごろのこころ」ということでしょう。教えの中の言葉として親鸞聖人が言われ続けた大事なことです。

感動したことを伝えずにはいられない、連続無窮の念仏相続

最後に親鸞聖人は教行信証の中に『安楽集』を引かれています。「連続無窮」(れんぞくむぐう)という言葉です。本当にその言葉を見出だしていかれた時に、憎い人も自分にとって都合の悪い人も全部「とも同朋」の存在として見出していけるのです。そこに、私たちの人生は嫌なことが90%で、良かったと思うことが1割程度かもしれません。でもどんなに苦しくて人に言えなくて恥ずかしくて消しゴムで消したいことも、一つひとつが映し出される「本当のこと」として貴重だったのだという、それが親鸞聖人の教えを聞いていく視点ではないかと思います。

感動した時、私だけのものにしておこうと思いますか。感動的なことに出遇ったら言うなと言われても人に言いたくなります。お念仏を相続していくということは、相続していかなければならないということではなくて、これを言わざるをえないという連続無窮的なこととして私に伝わってきていることなのではないでしょうか。どうかお一人おひとりが自分の人生そのものがこれで良かったのだと映し出していく鏡、照らしだしてくださる教えとして聞いていただけたらと思います。時間がまいりました。これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

(文責: 蓮光寺門徒倶楽部)

※この法話の文章は、東京二組C班スタッフによるベタ起こしを、門徒倶楽部が校正し、小見出しをつけて編集したものです。

福田大先生

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