あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

レンタルフレンド

谷口 裕  44歳

近ごろ「レンタルフレンド」というものがあるという。〈友達をレンタル〉するというのだから、例えば、パソコンのトラブルで困っている知人に、パソコンに詳しい別の友人を紹介するとか、そういうことなのかと思ったら、どうも違うらしい。文字通り〈レンタルの友達〉のことだという。いっしょに映画を見に行ったり、食事に行ったり、コンサートに行ったりしてくれる〈レンタルの友達〉を派遣してくれるのだという。

レンタルフレンドについてネットで検索してみると、いわゆる便利屋の業務の一つにレンタルフレンド(友達代行)というのが含まれているようだ。私が見つけた便利屋サイトに載っている料金表では、最初1時間が5,980円から、その後追加1時間ごとに2,980円からとなっている。仮にいっしょにコンサートに行くために〈友達〉を3時間レンタルすると、11,490円が基本になるということか。旅行ガイド/エスコートや介助などと違って、ただ同行してくれるだけのサービスにしては、ずいぶん高いような気がするが。

便利屋に依頼が来る仕事の中には、将棋の相手になるなんてのもあるというのは、前からよく聞く話である。しかし、レンタルフレンドはそういうものとはちょっと違う気がする。将棋などは一人でできないことであり、〈相手〉が必要だから、その〈相手〉になるというのが便利屋の仕事にもなる。けれども、映画を見に行ったり、食事に行ったり、コンサートに行ったりするのに、特に〈相手〉はいらないだろう。一人でもできることだ。私なんかしょっちゅう一人で映画を見に行く。

クラブに行くために女性の〈友達〉2人を3万円でレンタルしたという、20代の男性のことを書いた記事を見つけた(『読売新聞』1月7日付)。どうやら、そういう場所は本来一人で行くべき所ではなく、一人で行くという選択肢はないらしい。〈こんな所に一人で来ている奴〉という目で見られることに堪えられないのだそうだ。

つまり、一人であること、孤独であること自体がつらく寂しくて、友達がほしいというのではないらしい。周りから〈友達のいない奴〉と思われることが堪えがたい苦痛であるというのだ。若者全体からみれば割合は少ないのであろうが、そういう若者が増えていることは確かのようである。私とて人間であるから、周りからの評価を気にしないわけではないけれども、しかし、周囲の評価というものにそこまで縛られなければならない理由が分からない。

そんなことを思っていたら、ツイッターでおもしろい言葉が流れてきた。「友達のいない人は『友達がいないから死にたい』って思って無理に友達を作ろうと自分を変えたりするとストレスになりますが、『友達がいない自分ってかっこいい』と開き直ると何もしなくてもとても楽になります」─。一つの発想の転換ではあるが、しかし〈周りからの評価〉が〈自分自身での評価〉に代わっただけで、根本的な解決ではなさそうだ。自分や他人の評価を破って届いてくる声を聞くのは、なかなか難しい。

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