あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

門徒随想

私の右手の甲には大きなあざがあった。ほくろが寄り集まったもので黒々としており、何本もの毛が生えていた。周囲に気味悪がられもしたが、不思議な愛着もあった。幼稚園に上がる頃だったろうか、買い物に連れて行ってもらったスーパーでうっかり父と間違えて見知らぬ男の人と手をつないでしまってからは、いずれ生まれる自分の子どものために人込みの中で父としての目印になるものを残しておこうと思い、手術で取り除くことはまったく考えなくなった。

もう20年も前のことになるが、結婚を約束した人にこれを取り除くことを迫られた。二人して晴れがましい場に立つのだから、取り除くのが当然だというのである。あざへの思いを語ったときには共感してくれたはずの人だったから、その真意をはかりかねたのだが、そのうちにどうやら「穢れ」という意識を強く持っている人のようだと気付いたのだった。

親からもらった身体に何の不足もないと思っていた私は、それを傷つけることへの大きな抵抗を持つようになっていたし、このような人と一緒に暮らしても長くは続かないだろうと直感したこともあって、私は母に相談した。すると、母は意外にも「おまえが取ってあげればすむことなのだろう」とあっさりと言ったのである。

母がそう言うのなら、せっかく始めたことを終わりにするのもどうだろう。取ってもらうことにしようか。ふらりと遊びに出るような顔をして出かけ、夜には右手を包帯でぐるぐるに巻かれて帰って来たのだから家族は驚いた。とりわけ父が表情を険しくしたことを今でもよく覚えている。ある年の暮れ、寒い晩だった。

しかし、この人との生活は長くは続かなかった。当時の私はまだ真宗の教えに触れてはいなかったが、その萌芽のようなものを持っていたのだろうか。この人やその家族の「穢れ」の意識に象徴される考え方や生き方にはどうしても与することができなかったのである。

それから何年が経ったのだろう。父が亡くなる直前のことだ。手術から帰った晩のことを覚えているかと父は急に言い出した。母は自分があんな身体に産みさえしなければ私が悩むこともなかったと言って泣き明かしたというのだ。

取り除いてしまったあざは元に戻らず、取り返しのつかぬ思いだけが私の中に残った。ただひとつ言えることは、これらのことのすべての上に今の私はあり、これらの何が欠けたとしても私のお寺への関わり方は変わっていたということだ。今という瞬間がいくらか違った輝きを見せているようにも思えてくる。

河村和也〈釋和誠〉 (大学講師、47歳)

Index へ戻る ▲