あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

門徒随想

6月下旬に、友人(東京在住)からメールが来ました。「7月に敦煌に行ってこようと思うんだけど、あの辺におもしろい寄り道スポットとかない?」─。

彼の旅の思いつきはいつも唐突です。この「門徒随想」が『あなかしこ』に載る頃にはもう帰ってきていると思いますが、執筆中の今、彼は神戸からの船で上海に上陸した頃です。

彼が敦煌に行くと言い出した理由は察しがつきます。敦煌はいいぞ、莫高窟は人生に一度は見ておくべきだと、私が昔刷り込んでいたためです(たぶん)。メールを見て、私も自分が敦煌に行った時のことを思い返しました。もう18年前のことになります。

敦煌はオアシスの町です。一般的な陸路としては、事実上の鉄道最寄り駅から砂漠の中の道をバスで100キロほど突っ走って行くのです。私の場合は、嘉峪関(長城最西の関)から半日がかりでした。ですから、その友人には「あの辺はずっと砂漠だから、寄り道スポットはないよ」と言っておきました。敦煌には町の近くに空港があり、西安から便があるので、空路を勧めておきました。

莫高窟は、単に仏像や壁画がすばらしいというだけではありません。都の近くではなく、今も昔も辺境であるあんな砂漠の真ん中に、何百年にも渡って600余の洞窟が掘られ、立派な仏像が彫られ壁画が描かれ続けた、ということに唖然とします。当時の人々は何を考えていたのかと。

そして、かつてインドから中国、朝鮮、日本にもたらされた仏教経典が、シルクロードの要衝である敦煌の町を経由してきた、ということにも思いを馳せずにいられません。「浄土三部経」を含め北伝の経典のすべてが、恐らく敦煌を経由しているはずです。もちろん、かの玄奘も立ち寄った記録があります。あの町がなければ、私も仏教に遇えなかったのです。

友人が敦煌からどんな感動を持ち帰ってくるのか、楽しみにしています。18年前、まだ聞法を始める前の私の、自分を忘れた自己実現願望を打ち崩してしまったあの感動を、今改めて友人を通じて味わえるのではないか、と。

谷口 裕   43歳

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