あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

あとがき

最近、妻とささいなことでよく揉める。例えば、家事の中で、私が担当している食器の洗い方に対して、時間がかかり過ぎる、などといったことで▼普段の自分は、仕事や地域における活動の場面では、多少不都合があっても、何とか切り替えて対処できていると思う。しかし家では、ちょっとしたことがきっかけとなって口論となり、腹を立てて、すぐに自分を見失ってしまう。ちゃんとやっているのに、何で認めてくれないのか。あるいは、長いあいだ、一緒に生活してきたのだから、そんなこと分かるだろう、と▼東日本大震災から一年が過ぎた。未曾有の大災害を通じて、つながりの大切さがいわれた▼それを良く分かっているつもりでも、ひとたび縁がもよおせば、大切な人のはずなのに、もう大切にできない。大切なつながりを忘れて、つながりに背いている自分だったと知らされる毎日。まったく「我、他力の救済を忘るる時は、我が世に処するの道閉づ」ことばかりを続けている▼そんな自分だからこそ、ふっとお念仏申すことが、とても有り難いことだと思う。ようやく、妻がそばにいてくれるのが当たり前と思い、妻に対して甘えていることに気付く。それは、当たり前のことではなく、かけがえのないことだった、と知らされる▼それでも、悲しいかな、こんなことは二度と繰り返すまい、つながりを大切にするんだ、と決意しても、きっとまた同じことを繰り返す、ほんとうに愚かな私である。

(草純)

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