あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

未来につなぎたいもの

河村和也(釋和誠) 46歳

宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌を迎える今、心に浮かぶのは次の御遠忌である。いわゆる「寺離れ」が進む状況のもと、50年後も今と同様に親鸞聖人を宗祖とする者の集う寺は存在し、寺と門徒との関係は維持されているのだろうか。

第一生命経済研究所の小谷みどりさんは、同研究所発行の『ライフデザインレポート』(2009年10月号)に「寺院とのかかわり〜寺院の今日的役割とは」と題して独自のアンケート調査に基づく報告を寄せている。一般に言われる「寺離れ」の実態を知りたいとの問題意識からまとめられた調査報告には「要旨」として次のようにある。

(1) 生活者と寺院のかかわりを調査したところ、墓参りや観光以外で寺院を訪れる人は少ないものの、法話や座禅、イベントなどへの参加に関心を寄せる人は少なくなかった。

(2) 将来的にはお墓を継承できず、維持管理できなくなると考える人は多いうえ、寺院との付き合いが希薄になっていくと考える人が多く、意識の上で「寺離れ」が浸透している。

(3) 寺院がすべき活動として、「死者・先祖の供養」以外に「介護や死の看取りなど、老い・病気・死に関わる取り組み」を挙げた人も少なくなかった。

(4) 死に直面したときに、僧侶が心の支えになると考える人は二十五%程度しかおらず、少なかった。

【調査時期】2009年2月1日〜2月15日
【調査対象】40歳から69歳までの全国の男女600名(同研究所生活調査モニターより抽出)

宗門には法統があり、寺には日常的な活動があると言って、これらのことばを縁のないものと切り捨てたい気持ちもあろう。調査対象の範囲や人数を問題にして結果の信憑性に疑問符を付けることもできよう。しかし、ここには真剣に考えるべき問題がいくつも含まれている。

そのうちの一つを、寺に対する「個」の関わり方としてとらえてみたい。つまり、墓の継承や寺との付き合いといった「家」の問題を通して見れば「寺離れ」は加速しているが、その一方で、個人として法話を聞いたり寺の行事に参加したりしたいという人も少なくはないのである。また、寺を「家」としての先祖供養の場を超えた存在と位置付け、自分や大切な人の「生老病死」を見つめる場としたいと考えている個人も少なからず存在するのである。

私たちの寺も檀家制度に支えられているというあり方を、根本から問い直そうとするものではない。「家」との関わりを維持しながら、ひとりひとりが「個」に目覚めるようはたらきかけ、「個」に目覚めたひとりひとりを温かく迎え入れる寺であってもらいたいと願うのだ。それは、これまでも続けられてきた営みだが、これまでにも増して意欲的に推し進めることの必要を痛感する。

ひとりひとりが「個」に目覚め信心のまことに生きることは、私たちのまさに願われていることである。毎日がお待ち受け、毎日が御遠忌との願いをつないできた私たちであればこそ、50年先、100年先を見据え、出遇うこともかなわぬ未来の人々にこの願いをつないでいきたいと思うのだ。

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