あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

あとがき

3月11日の震災前、世間一般での話題に「無縁社会」「直葬」「葬式不要論」があった。経済的な理由は別として、他者とのつながりを面倒がり、ついに死の場面においてさえ効率を追い求めた果てに生じたこれらの風潮は、「何のためにお寺はあるのか?」という問いを社会に投げかけているようにも感じられた。取材先のお寺でも、こうした世相に悩んでおられる住職は少なくなかった。問いは今でも巷で浮遊しているが、震災後、一つの応答かなと思うエピソードを聞いた。埼玉にある浄土真宗のA寺の話だ▼A寺は数年前に開かれた新しいお寺で、30代の住職夫妻を中心に、若い親世代を対象にしたゆるやかなサークル活動を行ってきた▼地震直後、サークルの母親たちがお寺に来て、住職にこんなお願いをしたという。「被災地に届ける支援物資を、お寺を拠点にして集めたい。それから母親として、今後の復興に向けて助け合うことのできる子供を育てる責任がある。住職から子供たちに、ぜひ命について法話をしてほしい」と▼お寺の坊守さんは「お母さん方にとって、お寺を通じて出会う仲間は、単なるサークル仲間ではなく、他人には言いづらいような辛い悩みも安心して話せる場になっていた。その上で、自分の人生に必要だと思うことをやれる場として、お寺があるという共通認識を持たれているのが今回感じられ、とても嬉しかった」と涙ぐんで話された▼「この私が、生きるためのお寺」。そう思う人が増えたら、ちょっとは世のなかも変わるんじゃないかと、お寺雑誌の記者は淡く期待している。

(CHI)

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