あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

彼岸のこころ

『大無量寿経』というお経のなかに、お釈迦様が誕生されたときのことが伺われるお話があります。そのこころによれば、お釈迦様は生まれると七歩歩いて「吾まさに世において無上尊となるべし」(天上天下唯我独尊)と叫ばれたそうです。これを今の言葉で言えば、「誰にもかわることのできない“かけがえのない私”であった」という感動です。このことが、七歩歩くことによってはじめて言えたというわけです。六歩までは、人間の迷いの心を表現した六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の世界を表しています。つまり「思い通りにしたい」という思いがもたらす世界です。私たちは条件的生活に縛られて生きています。つまり、状況が自分の思う通りになれば有頂天になってみたり、そうではないと地獄に落ちたような絶望を味わったりしています。常に状況に流されて生きていて、思い通りにならないときは自分を引き受けられず、自分すらも愛することができなくなってしまうのが私たちの姿です。そういう六道の心では、けっして本当に生きたことにならないということを、お釈迦様の誕生の物語が示唆しています。なぜなら、生きるということは「思い通りにならない」ことのほうが多いからです。よくよく考えてみると“かけがえのない私”ということがまったく感じられなくなってしまったのが現代ではないでしょうか。常に思い通りになっていればいいと望んでしまいますが、それはありえないことです。どんな状況であっても、“かけがえのない私”といえる世界(立脚地)をもつことの大切さを「七歩」という言葉が語りかけているのではないでしょうか。六道という迷いの世界(此岸)に対して、七歩の世界とはさとりの世界(彼岸・浄土)です。「彼岸会」の仏事は、七歩の世界からの呼びかけを聞いて、六道の世界に埋没する自分のあり方を見つめ直す仏法聴聞の期間です。受け入れられない自分を引き受けて立ち上がっていくことは、私たちに呼びかけられている南無阿弥陀仏の念仏のこころを聴聞し、七歩の世界を感じることによっておこるのではないでしょうか。そこに本当の自分(我)が成り立つと教えられるのです。

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