法話のページ

真夏の法話会 & 蓮光寺ビアガーデン '06

とき 2006年8月5日(土)
ところ 蓮光寺
講師 亀井鑛先生 (〓光院門徒、77歳)
* 「〓」は、たまへん(王)に「民」の字。

生活と宗教

皆さん、こんにちは。ご紹介をいただきました名古屋の在家の門徒であります亀井鑛と申します。

昨年11月に東本願寺出版部から『日暮らし正信偈』という本を出していただきました。

「日暮らし」というのは生活のことであります。「正信偈」というのは宗教ということでしょう。私たち現代の生活をしております者にとりまして、ともにすれば宗教は生活から抜きになってしまっている。宗教不在の生活が現代の私たちの生活になってしまっているのではないでしょうか。また一方で、これは仏教ばかりではございません。キリスト教でもあらゆる宗教が、生活を抜きの宗教になり果ててしまっているのではないか。

つまり現代という時代は、宗教抜きの生活と生活抜きの宗教しかないのではないか。これは私たち現代人の生活にとりましても、あるいは宗教にとりましても、大変不健康な状態ではないでしょうか。生活も衰えている、宗教も衰えているというのが、こんにちの私たちの生きている状況ではないかと思いまして、これが何とか一つにならないと、「日暮らし」と「正信偈」、生活と宗教は本来一枚のものでなくてはならないのではないかと思うのです。

私自身の聞法の歩みの中で、そのこと一つをいつも痛感し、私自身の生活の中に宗教がどのように一つになっていくのか。そして現代の宗教が私の生活とどのように一つになっていくのかを求め続け、うなずき続け、確かめ続けてきたという今日までの歩みがあります。

「正信」というのは、正しい信心でございましょう。生活の中の言葉で申しますならば、信心というのは生き方ではないかと思います。私の生き方、それを正しい生き方としていただく。これが正信をいただくということではないでしょうか。正しい信心ということを親鸞聖人は別の表現で「他力の信心」とおっしゃっています。他力をよりどころにして、私たちは自分の生き方を確立していくのが正信。その世界を晴れ晴れと、高らかにうたってくださったのが「正信偈」でないかと思います。

「他力の信心」ということに対して、「他力」という言葉は「自力」という言葉と相対するということを、私たちはお寺で聞法しておりますと聞かされることですね。しかし、「他力の信心」の反対に自力の信心があるということではありません。「信心」といったら「他力」であります。自力の信心ということはありません。それは「自力の執心」です。

仏教は自力を否定するようなことを言うけれども、自分の能力や努力を否定したらどうなるのかね、世の中に生きていけないではないか、ということをよく耳にします。これは「自力」という言葉の間違った受け止め方でございます。「自力」というのは発音のとおり、「自分を力む」のです。それが自力です。だから、努力や能力を否定するのではなく、自分を力むことを否定される。人間が苦しみ争い、迷っていく一番のもとにあるのが自力の執心です。「我執」と言ったらいいでしょうか。とらわれの心です。これが私たちの心の中に根深くあるのです。それを翻し、超えていくところに他力の信心という人間の本当の生き方、つまり法、道理にかなった生き方が開かれてくるということを、私たちは聞法を通して教えられるのです。

「自分を力む」ということはどういうことかというと、自分というものはいつでも正しい、自分は賢い、善人というところに立つことです。自分が善人というところに立てば、反射的に必ず「悪いのはあなただ」ということになりますね。人ばかりを裁いていく他者批判に落ちていきます。これが日常的な私たちの姿ではないでしょうか。人間というものは昔からこういう生き方ばかりしていたということでしょう。

それを仏法に照らされることによって間違いに気づかされて、他力の生き方に帰らせていただくというのが、人間の本来の生き方です。もっと言えば、生きとし生けるものはすべからくそういう生き方をしなくてはならないということが、仏から日常生活をおくる私たちへの呼びかけではないかということを思います。

自力のこころをひるがえして、他力をたのむ

『歎異抄』第3章に、「自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」というお言葉がございますが、必ず「他力をたのめ」という言葉の前に、「自力を捨てて」という言葉が付いております。これを見逃してはいけません。「自力を捨てるということが他力をたのむことである」ということが要です。お聖教を通して、「自力を捨てて」ということを自分の生活の中にいただいていくことが大切なことではないかと思います。

では「他力」とは何でしょうか。「正信偈」のはじめの「帰命無量寿如来 南無不可思議光」、つまり「寿命無量」、「光明無量」という2つの無量の世界によって私たちの世界が成り立っているということです。つまり「無量寿」、「無量光」です。「他力」ということを無量寿、無量光と「正信偈」では表してくださっております。逆にいいますと、無量寿、無量光を一つにくくれば他力ということでしょう。

「無量寿」というのは読んで字のとおり計り知れないいのち、寿命、時間であります。計り知れない時間、歴史と言ってもいいですね。計り知れない歴史の時間的なつながりの中でこの私というものが存在しているということを「無量寿」。

「無量光」というのは光です。空間の広がりであります。計り知れない無量なる空間の広がりの中でこの私は生きている。無量なる空間の広がりを光という言い方で言い表しますけれども、私たちの分かりやすい言葉で申しますと、世界でしょう。これが私という存在であるということを心に刻んで生きていくということが法にかない、道理にかなった生き方であり、それを「自力を捨てて」と仏さまは私たちに呼びかけてくださっている。それが本願の呼びかけでしょう。

「無量寿、無量光によって、この私は生きている」ということを頭で分かっているけれども、それが身に付いていないばっかりに忘れてしまい、自力執心に立ち戻ってしまうものです。私たちはいつでもここにおる。それを折あるごとに、「南無阿弥陀仏」と称えることによってここへ立ち帰らせてもらうのです。「自力の執心でしかない私だった」と、頭が下がる、気づかせてもらうということが称名念仏でしょう。それを他力の信心というのではないでしょうか。

そのことを具体的な生活の中の事実で照らし合わせていきますと、よく分かっていただけると思います。以前、同朋新聞で私が関わらせていただいた「ここに人あり」という欄がございました。私は全国の真宗門徒の方々のお話を聞かせていただきに行きまして、それを記事にして、「同朋新聞」に毎月連載させていただいておりました。『日暮らし正信偈』の中にもそれに関連する方を取り上げております。読みますので聞いてください。227ページです。

岐阜県飛騨高山市の小谷一雄さんという、小学校の校長先生をしていらした方ですが、校長を定年退職されるとすぐ、お寺の世話方を依嘱されました。まあ世間体もいいし、皆の中でいい顔もできるしと、あれこれ役職も仰せつかって、奉仕していました。でも、まだ本気で聞いていたわけではありません。疑いの情が心の底に残ったまま、蓮如上人の言われるような人目仁義ばかりに名聞のこころで、お寺でおつき合いしておられたのでしょう。それが暴露されるときが来ました。

先生の3人娘のうち、同じ高山のうちに住むのは真ん中の娘さんだけ。小谷先生は心ひそかに自分にまさかのことがあったら、この娘が死に水をとってくれる、事実上の跡目相続者だとあてにしていた、その娘さんが38歳の若さで、夫と高校生の息子を残して亡くなられた。がっくり来たお父さん、ショックで寝込んだあげく、気力も萎えてお寺へも顔を出す気が失せ果ててしまった。

「何が仏法や、何が同朋会や。この世に神も仏もあるものか。いくらお寺に行っても、今のこの私にぽっかり空いた心の空洞を、埋めてくれる何もいただけないじゃないか。お寺とおつき合いしていても、何の足しにもならん。もうやめた」と。これが「還来生死輪転家」でしょう。

1年ほどお寺へも足を運ばなかった頃、お寺から呼び出されて重い腰をあげ、聞法の席に顔を出した小谷先生、そこで講師の先生から、「仏法は、業の自覚を授ける教えだが、なかなか理解が難しい。私はこれを“身の歴史”と受けとめている。このわが身とは遠い、また広い歴史の積み重ね(無量寿無量光)から成り立っている。一切の出来事は、身の歴史により成り立ち、運ばれる。それに身をまかせ、従って生きるのが、われわれ人間の、法にかなった生き方です」と聞かされ、はじめて仏法に手応えを覚えたといいます。

「そうか。すべては身の歴史によることだったのか。してみれば、娘が38歳の若さで死ぬのも、娘の身の歴史によること。そしてこの私が、娘を失って悲しむのも、私の身の歴史がしからしめるところ。それならこれからも私が生きる限り、身の歴史はつづく。それなのに、こんなところで今頭を抱えて、うずくまってなどおれんではないか」と、心の見通しがひらかれました。

一つの突破口がビシッと心に穴があきますと、もうそれからはそこを起点にして、どんな話を聞いてもうなずけるようになる。これが聞法のおきまりコースです。小谷先生もそれ以来、お寺の聞法会にはいつも顔を出して聞く。聞けばうなずけるものが獲られるということで、もう疑いの情が晴れた。もともと校長先生をしていた人ですから、筆も立つし弁も立つ。同朋会のハガキ案内から、当時の司会まで何でもこなして、お寺にとってなくてはならぬ、ご住職の協力者として、やがてその役から教区の役まで仰せつかって、壮者をしのぐ元気で、若い人たちの尻をたたいて、旗を振りつづけておられました」。

(『同朋新聞』1990年5月号)

こういうことが、「無量寿」「無量光」という、身の歴史という言い方で表されている、「因縁」、「縁起」、「他力」と言ってもいい世界、人間が本来それをよりどころにして生きていく世界ということをいろいろな方々が受け止めていらっしゃる、その一例でございます。

ある意味では、小学校の子どもでも分かるようなことですけれども、これが大人でもなかなか身に付かないのです。すぐに忘れて元の木阿弥の自力執心に戻ってしまう。他力をたのむ前に自力を捨ててという言葉がどのお聖教にもぬかりなく付けてあります。「雑行を捨てて弥陀をたのむ」のです。そういうお聖教のいのちの通ったところからの胎動を私たちは聞き取っていかなければいけないのではないかと思います。

しかし、自力の執心を取っ払うことは難中の難です。親鸞聖人はそれを「難中之難無過斯(難中の難これに過ぎたるはなし)」と「正信偈」の中でおっしゃっています。自力を持ったままで他力を頼むということはできません。自力を捨てることが他力を頼むことだと言ってもいいでしょう。私たちの心の内面を見据えながら、お聖教と自分とを照らし合わせていくときに、初めて教えはいのちの通ったものとして働いてくださるのではないかと思います。

自力の執心にしか立っていない自分であるということに目を向けること一つが浄土真宗の教え、親鸞聖人の教えの要です。必須条件です。『歎異抄』の第1条に出てくる、「信心を要とす」というのはこれです。必須の要件です。自力を捨てるということです。しかし、捨てると言って捨てることはできない。捨てることはできないけれども、自力を自力という間違いであるということだけは承知できる。「承知できませんとは言わせんぞ」というのが如来さまからの、私たちへのメッセージです。「自力は捨てられませんけれども、この捨てられない自力は間違ったことでありました。法に背いたことでありました」と頭が下がる。それを「南無」というのです。

そういうことを私たちは聞法会の中から実践的、体験的にうなずかせてもらわなければいけないのです。それをしないと、100年お寺に通っても仏法はいただけません。自力を持ったままで弥陀をたのもうとしている、そういう自己矛盾に陥った人が非常に多いということがあるのではないのでしょうか。聞法とは、自力の執心いっぱいの私だったということにくり返し出遇わせてもらうということ、それ一つだと思います。

出会った人の話をもう一つ、新聞の中から紹介させていただきます。これもこの本の中に出ております。

同朋新聞の記事で、そこには親殺しの告白に当たる部分があります。これは86ページです。滋賀県木之本町、いわね書店の岩根ふみ子さんのお話です。

一昨年、実家のお母さんが老人性痴呆症の末、87歳で亡くなった。3年間の介護で、年長の兄一家ばかりか、5人の兄弟が振り回された。交代で泊まり込みの看取りに当たった。正直言って老母の体調が衰え、食が細ると「もうまじか」と眉をひらき、回復して食が進むとしょげたりしながら、「亡くなったお父さん、何してはるやら、早うお迎えに来ればいいのに」と、呆けた母に向かって、口に出していたという。

その葬儀の日、岩根家の手次ぎ寺で、いつも聞法に通っている明楽寺の藤谷住職から長文の弔電が届いた。

「お母さんは老いた身をあげて、せいいっぱい私たちの中にある地獄をえぐり出して見せて、世を去られた仏であると思われませんか? 先に逝かれたお父さんは、『おまえ、ご苦労であった』と迎えられたでしょう。明楽寺住職」。

ふみ子さんは息をのんだ。「私たちの地獄をえぐり出して見せてくださった、老いた母は仏でなかったか」と問われたのだ。自分の胸に去来した「これがいつまで続くか。早く死んでくれれば・・・」の思いが、あらめて照らし出された。ふみ子さんは兄弟そろっているところで、この電文を皆に聞かせた。私の内の地獄──「兄ちゃん姉ちゃん。早う死んでくれたらいいのにと思わへんかった? 私は思った。思わずにいられへんかった」と、自らの“親殺し”五逆の大罪を告白した。全員がうなずいてくれた。みんなの“地獄”をそこでひしと学ばされた。ホッとして肩の荷がおりた思いの葬儀の場が、深い慙愧から、ひいては自我放棄の瞬間にまで転ぜられた。転ぜしめた老母はまさしく仏だった。

「仏法を聞いて、いつもこの私が転ぜられるのです。自分本位の計算ずくの意識が転ぜられていきます。それを明楽寺の聞法会で住職からいつもいただきます。実母の死も大きな機縁でした」。

(『同朋新聞』1992年4月号)

このようなことが同朋新聞に出させていただいた記事の内容でございます。私たちはお寺から何を聞くのかというと、仏法を聞くのですけれども、お念仏のいわれを聞くのです。六字の名号にいわれというのは、ずっとそれを絞り込んでいけば、自分のあり方に気づかされるということです。自力の執心に絡み取られて一歩もそこから逃れることのない私の実態、それに気づかされて頭が下がるのです。「申し訳ない。お恥ずかしい」と頭が下がることを「南無」という。その「南無」という一点をいただくのが、聞法の必須要件、要の一点であります。

そうすると、そこに「阿弥陀仏」という世界が開かれてくるのです。岩根ふみ子さんが、自分たちの生活が元に戻れるというだけの損得そろばんの軽い意味でしか母の死を受け止めておられなかった自分たちのうかつな姿、自己中心的な在り方。そういう生活意識しかもっていない自分に気づかされて、「ああ、とんでもない親不孝な子どもだった。お母さん、こんな子どもを許してください」と改めて母親に向かって心底から頭を下げずにおられないようなお葬式になっていく。本当に心のこもった、真情のこもったお葬式になっていくというのが、「阿弥陀仏」という世界でしょうね。

先ほどの小学校の校長先生をやっていらした高山の小谷先生の例でいうならば「自分の身の歴史を知らされることによって、悲しんで落ち込んでなんかいられない。これからも身の歴史は続く。この身の歴史をより内容あるものにして背負っていかなければいけないと立ち上がっていく生きる力がそこに賜ってくる。これが「南無阿弥陀仏」(無量寿・無量光)という、人間が本当の人間に帰らせていただく展開のはたらきでしょう。そうならずにおらない。それを親鸞聖人は「自然の理」とおっしゃったということでしょう。

コペルニクス的転回

5月末に私は JTB の企画でヨーロッパのポーランド8日間の旅を、妻と2人で行ってきました。アウシュヴィッツの収容所も見学してきました。改めてそこに行ってみますと、当時のすさんだ荒涼たる残虐酸鼻な情景が目に浮かびまして、何とも言えない連帯責任ということをひしひしと感じさせられるような訪問でありました。また、ポーランドへ行き、いろいろなことを思いました。亡くなったバチカンの法王がポーランドの人だったこと。また労働組合員からのし上がってきて、「連帯」というグループの議長をやっていたワレサが大統領にもなりました。労働組合員が大統領になった国というのも面白いと思いました。

トルンという古い町にコペルニクスの生家がありました。今は博物館になっていますけれども、そこを案内してくれました。ポーランドに行ってみて、改めて思わされたのは、ポーランドはコペルニクスが生まれた国だったということです。コペルニクスの生まれた町を訪問することができて、その生家も親しく訪ねていくことができました。

コペルニクスは地動説を唱えた人です。それまで世界中の宇宙観は、われわれが住んでいるこの地球が主人公で、地球を中心にして太陽も月も星もみんな地球の周りを回っているという天動説でした。キリスト教の聖書もそういう宇宙観のもとに書かれていました。ところが、コペルニクスは「太陽が主人公だ。太陽の周りを回っている惑星の一つが地球である。地球も他の星と同じような一粒の星に過ぎない」と、地動説を打ち立てました。その太陽系もまた宇宙の中の一つの組織に過ぎないということがやがて明らかになってくるのです。

私は字引で「コペルニクス」を引きましたら、コペルニクスはキリスト教の神父でした。天文学は趣味でやっていたアマチュアだそうで、面白いと思いました。500年前にコペルニクスによって地動説が主張されたということは、単なる学説ということではなく、人間が生きていくうえでの世界観、人生観が根底からひっくり返されたのです。人間の立っている立場が根本的にひっくり返されていくことを「コペルニクス転回」と言われているということが、字引に出ております。

「俺が一番偉い、俺が一番中心だという思い上がった考え方にともすれば人間はのめり込んでいくけれども、そうでなかった」とひっくり返されていくという人間の心の転回もまさに「コペルニクス的転回」ですね。その転回を親鸞聖人が「自力から他力へ」ということで明らかにされた。コペルニクスよりさらに200年あまりも前に、日本で親鸞聖人がそれをされたのです。親鸞の念仏の教え、「他力の信心」というのはコペルニクスの地動説の原理にもちゃんとつながっていく内容を持ったものだった。

してみれば、南無阿弥陀仏ということは、ポーランドのコペルニクスの話でも説明できるではないかと思いました。「広い世界だ、深い世界だな。本当に融通無碍の世界というのが念仏の世界である」ということを思わされました。自力から他力へ、天動説から地動説へという人間の転回、まさにコペルニクス的転回がそこに開かれていく。これがお念仏の世界である。他力の信心の世界であるということを思い合わされまして、「なるほど。ここへ来てポーランドのコペルニクスに再会することによって、お念仏の世界を改めてうなずかせてもらったな」と、私は思わされたのでございます。

そういうことを私自身の生活の体験の中から一つ、実例でもって申し上げさせていただくとよく分かっていただけると思います。私は名古屋でたばこ屋をやっております。たばこ屋といいましても自動販売機を何百台と持ちまして、愛知県の会社や工場、ホテル、レストランや喫茶店などいろいろなところに自動販売機をずっと置かせていただいております。従業員が1週間に1回、よく売れるところは1日おきに自動販売機を巡回して売り上げを回収して、またたばこを詰めてくる。そういう仕事を10人ぐらいの従業員に、車でやってもらっているというちょっと変わったたばこ屋をやっています。

私はたばこ屋をやっている片手間で、仏法のお仕事でときどき勉強会に出て、別院で3日間ぐらい研修会に行って留守にします。その間、従業員の人たちに全部責任を負わせて、私は会社の仕事から不在になっています。

そんなことが再々と続くものですから、従業員の中でも長年一緒にやってくれていた一番番頭から、「亀井さん、あなたは、今日の仕事を明日に延ばす悪い癖がある。平気でそれをやる。一番遅く会社へ出てきて、一番早く家に帰りたがるのが亀井さんだ。こういう生存競争が激しい世の中で、どこの会社でも従業員の誰よりも一番早く店へ出てきて、最後に帰っていくのが社長さんだ。亀井さんはその逆ばかりやっている。そんなことでこの厳しい競争の世の中で生き残っていけますか。だから亀井さんは嫌々仕事をやっているのが見え見えだ。駄目社長だ。経営者失格だ」ということをずけずけと言われました。

従業員が社長の私に命令書を出すのです。そういう会社の経営の仕方をやっています。言われたとおりのことをやっているから言い返すことはできないけれども、やっぱり従業員から社長の自分に向かってそういうことを言われると、心安からざるものを感じるわけですね。私はとっさに不機嫌になります。「分かっている。昼から忙しいから、もう帰ってこないかもしれないぞ」と言って、会社の中に居づらいものですから、別にどこへ行くという当てもないけれども車に乗って会社を飛び出して町へ出ていくわけです。腹の中は煮えくりかえりながら、当てもなく自動車を飛ばして走り回っているのです。

「従業員の分際で、社長の私に向かって」─。これは言ってみれば天動説ですね。自分が一番偉い、自分が食べさせてやっているというところに足を置いているわけです。自力の骨頂ですよ。それに気がつかないでやっている。

ところが、やはり仏法を聞いておりますと、自力の執心ということに目に向けていけよと繰り返しいただいている仏法からの呼びかけ、如来の本願からの呼びかけがちゃんと出てくるわけですよね。「自分が一番偉いようなつもりになって従業員に向かって不機嫌な顔をしているけれども、従業員が社長のあなたに憎まれてでもこれだけのことは言わないと仕事が回っていかない、会社が運営できない。だから憎まれるのを承知のうえで、あなたに苦言を呈してくれている。その従業員の気持ちに対して、『よく言ってくれた。ありがとう』と受け止めていくのが社長の在り方ではないか」という声が私の耳に聞こえてくる。

そんな呼びかけが聞こえてきても、「でも、あの態度は・・・」とまだやっているのです。まだやっているけれども、繰り返しそういう声が聞こえてくるうちに、だんだん「その通りだ。もし仮に社長が2日も3日も自分の勝手な仕事で飛び出していって仕事をやってくれないなら、従業員も適当に手を抜いてさぼり始めたらどうなるか。そうではなくて、憎まれてでもあれだけのことを言わずにおれないと、会社のためを思えばこそのことだった。だから謹んで受けるではないか」とうなずけていくのです。

そういう気持ちが私の心の中に込み上げてきたときには、こわばったハンドルの握り方がひとりでに力が抜けて柔らかいハンドルの握り方になって、ひとりでに40キロぐらいの穏やかなスピードでゆっくり走る私にひっくり返されておるわけです。これが言ってみれば地動説でしょうね。「出来の悪い社長の下で、それだけのことは言わずにおれんという気持ちでよく言ってくれた。ありがとう」という気持ちになっていくのです。会社から遠ざかろうとしていた車の向きを180度変えて、会社へ帰っていくのです。

ただ、会社の方向へ帰ってきてからも、「君たちの言うとおりだった。不出来な社長だった。すまなかった。」ということは口が裂けても言いません。社長のメンツにかかわりますからそんなことは言いませんけれども、やはり「すまない。よう言ってくれた」という思いがそこにあれば、地動説に立っておれば、従業員にそんなことは口に露骨に出さないけれども、ちゃんと態度に現れてくるのです。何となく雰囲気で相手に分かっていくものです。従業員がいるところに行って、「今日は暑かっただろう。ご苦労さんだったな」と言って、途中で買ってきたアイスクリームをみんなに差し出します。不安な中で仕事をやっていた従業員がほっとしている。胸をなでおろしている。長年一緒に仕事をやっていると、そういう感じが社長の私と従業員の間に以心伝心でうなずき合えるのです。

駄目社長だと言われて、そのとおりと頭が下がったところが、自力の執心の自分に気づかされて、他力の世界に立場を転じさせられた社長の私の姿です。従業員と社長の私は何とも言えない連帯感、信頼感、わかり合う世界が開かれている。これが阿弥陀仏。南無するところに阿弥陀仏という、自分の間違った、自力の執心であったと気づかされたところから相手と一つになっていける平等の世界、一列平等の連帯の世界がそこに開かれています。南無阿弥陀仏とはこういうことだったということを、私は自分の会社の中でしみじみと味わい、反芻しております。親鸞聖人の自力の執心から他力の信心へという人間の在り方の転回をそのまま具体的に表した具体的な実例の一つではないかと思っております。まさに親鸞聖人の教えは「コペルニクス的転回」です。

最後に、日本に緒方貞子さんという女性をご紹介いたします。その方の言葉をこの本に引用させていただいております。140ページです。これは朝日新聞だったと思いますが、世界の各分野での識者から人類が21世紀を迎えるにあたって何を考えねばならないかのコメントを連載しました。その中で日本から女性で一人、緒方さんが選ばれていました。緒方さんは国連の高等弁務官で、世界の難民問題にかかわっていた人ですね。この中で緒方さんはこう言いました。「新世界に向けて、先進諸国の人は、自分たちの価値観だけが正しいのだと一方的に自分たちの考え方を相手に押しつけるようなことは決してしてはならない。それぞれの国、民族にはそれぞれの歴史と文化があり、それによって多様な価値観をみんなが持っている。それを分かり合い、許し合い、妥協し合っていくこころが、二十一世紀には求められる。そこに平和と協調が開かれる」といった意味の発言をされていました。

これが有無の邪見を砕き破ることではないでしょうか。これは「正信偈」の中の「悉能摧破有無見」いう龍樹菩薩のところから引用している言葉なのです。「先進国が自分こそ正しい、進んでいると決めつけるとき」、これが天動説でしょう。これは邪見です。「相手を見下し、遅れていると侮りがち」、これが驕慢であります。「その間違い、邪見、驕慢、悪衆生ということにもういいかげんわれわれは気づかなければならないというのです」と、緒方さんはこう言っています。「それなのに世界じゅうが、自分が正しい、自分は賢い。正義はわれにあり」のところに立ちはだかって、「悪いのはおまえ」、「愚かなのは向こう」、「間違っているのは相手」と胸を張って正義の神の代行者を気取り、60年昔の日本の軍歌みたいに、「天に代わりて、不義を討つ」などとうそぶきます。この迷妄固陋に一刻も早くわれ人とともに、頭を垂れなくてはなりません」。

こういうことをここの中にも書かせていただいております。ポーランドの、500年昔のコペルニクスの天動説から地動説へという大きな人類の発見を押し広げていけば、この緒方さんの発言にもなっていくのではないか。もっと言えば、親鸞聖人の「他力の信心」です。そして21世紀の行き詰まりを打開していく根本的な考え方のよってたつ足がかりがここにあるのではないかと思わされるわけでございます。

時間がまいりましたので、これで今日の話を終わらせていただきたいと思います。大変ご静聴をありがとうございました。