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成人の日法話会 2005

とき 2005年1月10日(月)
ところ 蓮光寺
テーマ 人になるということ ── 仏になるということ
講師 中川皓三郎先生(大谷大学教授、61歳)

人間に生まれたということ

ただいまご紹介いただきました中川でございます。本多さんからテーマをお聞きした時に、成人の日ということが“人に成る日”だとあらためて考えさせられまして、今日は感動をもって寄せていただいたわけです。

私自身が問うていた問題は、一体この世に何を成そうとして生まれてきたのかということです。いつも思うことですが、苦労の多い人生であっても、尊い、得がたい人生を生きることができたと、何かそういう喜びと満足の中で自分の生涯を終わっていきたいということは、どんな人も心の深いところで思っておられることではないかと思うのです。私は長い間、こんなことなら生まれてこないほうがよかったという思いがずっとあったわけです。そういう思いからなかなか離れることのできなかった私が、親鸞聖人の教えに出遇って、ただ人間に生まれるというだけでなく、人間として成さなければならないことがある。そのことを見出し、そしてそのことを成していくということが、実は生きるということだということに気付かされ、学んできたわけです。

宮城教育大学の学長をしておられた林竹二という先生がおられました。先生は「教育という言葉には、教えると共に育てるという要因があります。この『育』が、より根本的なのです。すなわち教育は、幼いあるいは若い人々の成長・自立を助ける仕事なのです。ところが人間としての成長という観点が今日の学校教育の中で完全に忘れられてしまっています。一定のことを教えこみ、それを記憶させて試験に備える。学校にはテストだけあって教育がない状態になっています。私はテスト中心の教育の中で、点数で評価できない一切の価値が追放されてしまって、中学校以後の学校は人間性破壊の工場になってしまったと感じています」とおっしゃっています。林先生は、小学校でも授業を受け持たれたのです。

小学校の「人間について」という授業のなかで、蛙の子は時が来れば自然と親の蛙になっていくわけですが、人間の子は人間かということを子どもたちに問われるのです。子どもたちがいろんな意見を言うわけですけれども、こういうことを問われる中で、林先生は狼に育てられたふたりの女の子、アマラとカマラを紹介されながら、実は人間は人間に育てられなければ人間になれないのだということを気づかせるのですね。私はその文章を読んで、改めて本当に人間に成るということが一体どういうことなのかと思うわけです。

フランクルという人をご存知でしょうか。フランクルはユダヤ人で、第2次世界大戦の中で、いわゆるナチス・ドイツによってアウシュビッツの強制収容所に入れられてしまうのです。いつ何時殺されるかも分からないというような、そういう厳しい状況を生き抜いてこられた人ですけれども、戦争が終わり強制収容所から解放されて、その後にその経験を『夜と霧』という本にまとめられた方ですね。そのフランクルに『苦悩の存在論』という本があるのです。この世の地獄を生き抜いたユダヤ人のフランクルが「この世にはたったふたつの人種しかないんだ」と、こういうことを言っているわけです。それは、「端正な人間より成る人種」、端正なというのは一言で言えばもっとも人間にふさわしい、人間らしい人間と、こういうふうに言っていいと思うですね。それと人間であるけれども人間であることを失った人間と、ふたつの人種が存在し、どちらかの可能性を私たちは持っていると言うのです。どの可能性を自分自身が選ぶか、ある面では私たち一人ひとりの責任、決断であり、そのことによって人に成っていくのだと言っておられるわけです。

現代を生きている私たちは、人間であることに非常に深い絶望を感じているのではないでしょうか。人のことというよりもある面では自分のことでもあるわけですけど、なかなか人のことが思えない、それこそ自分勝手に生きてしまうという状況ですね。もっと言えば、隣に人がいることが見えてこないのです。ひたすら我が身ひとつが大事だというようなところで生きてしまっている姿というものが、ある面ではおそらく自分の中にも、そして多くの人の中に見えているということがあると思うのです。そういう中に生きているわけですから、本当に人間を信用するというか、人間であることを喜ぶということがなかなかできないということがあるように思うのです。そういう中で、本当の人間になっていく責任があるんだということを聞いても「どこにそんな人が居るのか?」と、おそらく反発がくるような感じさえする状況があるわけです。だけども、そういう中あって、人間に生まれたということは、フランクルの言葉を借りて言えば、「ふたつの人間しかないんだ」ということです。人間であるけれども人間であることを失ってしまった人間と、最も人間らしい人間があるんだと。そして、この世に人として生まれたということは最も人間らしい人間になっていかなければならないという課題をひとつ持っているのだと、私たちに語りかけているわけです。私たち自身の深いところに「人間に生まれたということは本当の人間として自分自身を実現していきたい」という願いを持ってこの世に生まれてきたのだと。そのことがお互いにきちんと受け止めることができるかという問題が私たち一人ひとりのところにあるわけです。

今、ここに生きていることが本当に喜べているのかどうか、そして喜べているということなら、それはどうして喜べているのかと。また反対に、喜べていないということならねどうして喜べていないのかと尋ねてほしいわけです。私は、自分の思いを満たすということが生きることだとずっと思って生きてきたわけです。欲望を満たすということが生きることだと。そのためにはお金が必要だし、それこそ力がなければ駄目だと。そしてお金と力を手に入れるのは、才能豊かな、いわゆる“できる者”にならなければならないと、ある面では思って生きてきました。ところが実際には思い通りになりません。ですから、思い通りにならないということが生きることを満足させない、喜べない理由だと思ってきたわけです。ところが、思い通りの人生を生きることができないことが生きることを本当に喜ぶことができない理由なのかと問うたときにどうでしょうか。この世に生まれてきたということは必ず死んでいかなければならないという限界をキチッと持っているわけです。限界のあるところで、どっちが上か下かという話をしているだけであって、みんなそれぞれ絶対のものではないわけです。つまり、絶対に思い通りにはならないわけです。ある面では、人生そのものがはじめから、もうこの世に生まれてくることの無意味さを語っていると言ってもいいかも分かりません。ところが、そのことをそのように見ることが正しいのかと問うたときにどうしてもそうは言えないと。自分の思い通りの人生を思い描くというところに大きな問題があるんではないのかと。つまり、思い通りにならない自分と思い通りにならない人とが共に生きているという中で、思い通りの人生を求めるというそのこと自身が実は間違いではないのかと、こういうことをあらためて思うわけです。

仏になるということ

そういう中で、本当に人間として生きるということは一体どう生きることなのか、もっと言えば、私たち自身が本当に心の深いところで願っているものは一体どういう生き方なのかと問う中で、仏教は私たち自身がこの世に生まれてきたということは、仏になるためだと教えてくださっています。そのことに大事な方向性をあたえてくださるような感じがするのです。

人は仏になるためにこの世に生まれてきたのだと。ですから、日々の生活の中に、私たち自身が仏になる道を見出して生きていく者になると。そのことによって、初めて私たちは、この世に生まれてきてよかった。本当に苦労多い人生であったけれど、尊い、得がたい人生を生きることができたと、そういう喜びと満足の中で自分の生涯を完結していくことができるのではないかとあらためて思うわけです。

では仏になるということは一体どういうことなのか、皆さんと一緒に学びたいと思っているわけです。仏になるということを私たちに端的に教えてくださっているのはお釈迦さまですね。お釈迦さまの生涯がどういう生涯であったのかということを考えればいいと思うのです。ご存知のようにお釈迦さまは29歳のときに老病死を見て世の非常を悟られました。老病死を見たということが道を学ばれるきっかけになっていくわけです。老病死が何を語っているのかというと、私たちの思い通りにならないということを語っているのです。つまり、この世の中に確かなものは何もないということです。世の非常を悟るというのはそういうことなのですね。私たちは、いつかは死ぬということは分かっておりますけど、明日もあると思って生きているわけです。明日、目を覚まさないかもしれないということを心配して眠る人はいないでしょう。けれども、それこそ誰が目を覚ますというようなことは保証したのでしょうか。私たちは、そういういのちを生きているわけです。ですから、世の中に確かなものは何もないのです。しかし、確かなものを持たずに私たちは生きることができないわけです。そういう苦悩の中から、お釈迦さまは明日死ぬということがあっても全くむなしくない、本当に生きていることの確かさを失わない、そういういのちを求められたのです。そして三十五歳のときに菩提樹の下で悟りを開かれたわけです。これを仏陀[ぶっだ]というのです。仏になるということ、仏陀とは「目覚めた人」という意味なのです。お釈迦さまは、縁起の法に目覚めて仏陀になられたのです。では縁起の法とは一体どういうことなのでしょうか。

お釈迦さまはいわゆる苦行を捨てたわけです。苦行を捨てて近くの娘さんが捧げる乳粥を食べるわけです。そしてそれを食べて、菩提樹の下で座るわけですけれども、その出来事を児玉暁洋先生は「自ら立ち上がって丘に上がる力さえなくなってしまった必死のゴータマが、村娘・スジャータの捧げる乳粥を受け取って食べたとき、その牛の乳が次第に胃液から吸収され、やがて血液となって体内を循環し、みるみる体力が回復し、心の働きもまた活発となっていったに違いない。そのときゴータマは、ひと椀の乳粥が血液に転化し、体力が精神作用に転化していくありさまを、その全心身でありありと感覚したに違いない。白い乳が赤い血液となり、その体力が精神作用になる転化の系列を、もうひとつ先まで推し進めて考えるならば、そこに緑の草がある。緑の草は牛に食べられることによって草として死に、乳としてよみがえるのである。そしてその緑の草は黒い土と青い水なしには生育しない。わたくしはかつて牛であり、草であり、大地であった。いまや我々はいかなる形而上学的独断にも、宗教的神話にもよることなく言うことができる。黒い大地も、緑の草も、白い乳も、赤い血潮も、そしてかたちのない精神のはたらきも、皆ひとつの命であり、それは生と死の姿をとって限りもなく展開する。この直感をわたくしは“縁起の感覚”と呼ぶことができると思う。いのちが牛となってモーと鳴いた。だから私は牛の声をなつかしく聞く。朝露に濡れた青草が光を受けてキラリと輝く。だからいのちの我はそれを美しいと感じる」と言われました。非常に文学的な表現ですけれども、縁起の法をこういう言葉で少し教えてくださっているわけですね。つまり、どんないのちも同じひとつのいのちを生きるものだということです。いのちがいろいろな姿をとって展開しているのであって、私たちはそういういのちによって生きているのです。そのことにお釈迦さまは目覚められたということなのです。もっと言えば、世界が私であるという目覚めであると言っていいと思います。そのことによって、本当に死ぬことによってむなしくなってしまうような生ではなしに、死によってむなしくならない、そういう永遠の、それこそ本当に変わることのないいのちに目覚められたのがお釈迦さまの35歳の出来事なのです。ですから、仏陀とは「敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心穏やかに、執着する者どもの間にあって執着しない人」とお釈迦さまは言っておられます。お釈迦さまが80歳でクシナガラで命終していかれるまで、自分自身が目覚めた真理(法)を、言葉をもって説かれ、その身をもって示すという、そういう生活を続けられました。

仏陀になるということは、私自身がいかなる者とも敵対しないという者になっていくということなのですね。現代の日本も、60年近く前に大きな戦争を経験し、もう二度と人が人と殺し合うようなことをしない国にしたいと願って歩んできましたが、現在また少しずつ方向が変わりつつあるような心配さえ致します。そういう中で、そんなことは不可能だという方向で生きるのか、「仏になる」という方向性をいただくのか、現代という時代を通して私たち一人ひとりに今問われているのではないかと思うのです。

往生浄土の道

そうすると仏になるためにはどうしたらいいのかと、これが問題ですね。換言すれば、「我が身ひとつがかわいい」という心をどうしたらなくすことができるのか、これが問題でもあるわけです。

自分に直接損得が関係しない間は非常にいいこと、優しいことが言えます。ところがいざ身近にそういうことが起こってきたら、やはりいつの間にか自分を守るという心がどうしても起こってくる。そういう自分から離れるというか、そういう自分をなくすということは容易ではないわけです。ですから、そのことが無理だということになってしまうわけです。ところがもしも「無理だ」と言ってしまったら、私たちは本当に人間として生きるという道そのものがないという話になります。この場で親鸞聖人の教えを学んでいます。親鸞聖人の教えを聞くならば、教えられた通りに生きるという生き方を私たち自身が自分の中にあきらかにしなかったら、結局生活が二本立てになりますね。お寺から離れて家に帰ったらもう全く仏教と無関係に生活してしまう。そしてお寺へ来ているときは若干お互いにこうして仏教徒らしく「それだ、そうだ」と言っている。その二本立てをどうするのかということです。「我が身ひとつがかわいい」という心からどうしたら離れることができるのか、親鸞聖人はどのようにその心から離れていかれたのか、そして本当にその道が私たちのところで具体的に成り立つのかと、そういうふうに尋ねなければならないと思うのです。そういう中でどういうことが教えられるかといいますと、親鸞聖人が29歳で比叡山を下りたということの意味なのですね。それまでの比叡山での修行というのは、「我が身ひとつがかわいい」という心をなくそうとされたと思います。なんとか努力すれば、自分自身が一生懸命努力すれば、こういうことは実現するのだという自己信頼の中を歩まれてきているわけです。ところが比叡山を下りたということは、親鸞聖人はどれだけ修行をしても「我が身ひとつがかわいい」という心を捨てることができなかったということです。永遠に仏になることのできない自分にぶつかったわけです。ただ、普通はそこで「そんなことは不可能だ」とあきらめるのですが親鸞聖人はそうではなかったのです。ここがものすごく大事なことだと思います。どれだけ自分は「我が身ひとつがかわいい」というその思いを捨てることができなくても満たされてはいないのです。要するに「我が身ひとつがかわいい」という思いを捨てることのできない私のところに本当に仏になっていく道はあるのかということが問いとなられたのです。「我が身ひとつがかわいい」という心を捨てることによって、仏になっていこうとされた歩みではなしに、捨てることのできない凡夫のところに仏になっていく道があるのかということです。親鸞聖人は六角堂参籠そして法然上人に出遇われます。法然上人は親鸞聖人に「ただ念仏して、弥陀にたすけられなさい」とおっしゃったのです。そして、親鸞聖人自身は「ただ念仏して、弥陀に助けられん」と、こういういのちを生きる者になっていかれました。そこにどういう展開があるのかと、仏教の言葉で言えば「大悲」ということですけども、現代の言葉で言えば「愛」ですね。一言で言えば、愛に目覚める道であったと思うのです。

老人介護にかかわっておられる人の本を読んでいたら、「老人が最後に求めるのは母だ」と書かれていました。わたくしは面白いなと思いました。たとえ呆けたとしても、最後にはお母さんを求めるということですね。お母さんを求めるというところに実は私たちの大きな問題があると思うのです。縁起の法についてお話ししましたが、私たちはみんな共に生きているという、その「共に」の場所が私の生きる場所なのですね。だから、共にという世界を見出すことができなかったら、私たちは自分を生きることができないわけです。それが「愛」なわけです。だからお母さんを求めるということは、要するに自分がどういう者であってもこの私を受け止めてくれる、そういうものを私たち自身が求めるということですね。そして、そういう人が見い出すことができたときに、自分が自分として生きていくことができるのですね。そういういのちを生きているわけです。ですから、「共に」という、つまり「愛」というものが私たちを本当に自分らしくさせるわけです。要するにこの自分を本当に無条件に受け止めてくれる人がいることが本当に分かったときに自分を取り戻すことができるのですね。こういういのちを生きているということなのです。だから、「我が身ひとつがかわいい」という我執の心も本当にある意味では溶けていくわけです。

親鸞聖人が「ただ念仏して、弥陀に助けられなさい」と教えられた言葉は、実は阿弥陀如来の「摂取不捨[せっしゅふしゃ]」と言われています。「絶対にあなたを見捨てない。たとえあなたが自分すらも嫌いになっても、私はあなたを見捨てない」と、このことが阿弥陀如来の摂取不捨と言われる「大悲」を語る言葉だったわけです。私自身が信國先生を通して教えていただいた言葉で言えば「いのち、みな生きらるべし」ということです。私たちを生かしているいのちはどんないのちも皆生きることのできるいのちなのだと。そういういのちを今ここで与えられて生きているのです。そのいのちが具体的に「南無阿弥陀仏」と自らを名のっているわけです。だから「ただ念仏して、弥陀に助けられなさい」という法然上人が親鸞聖人に教えてくださったことは、そういういのちを今ここに与えられて、お互いに「私」として生きているのですね。だからそのいのちに目覚めて生きる者になりなさいという呼びかけが「南無阿弥陀仏」という言葉をもって教えられているわけです。そして親鸞聖人は初めて如来の愛というものに目覚めることができたわけです。

『歎異抄』の最後のところに親鸞聖人の言葉として「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」とあります。つまり阿弥陀如来は五劫という長い時間をかけて、この私が本当に目覚めることのできる、そういう業というか、本当に「共に」の生を、仏になっていくことのできる業を私のために苦労を重ねて考えてくださったということですね。そしてこの私に「念仏しなさい。私の名前を称えなさい」と、この私に教えてくださったと、こういうことを言っておられるのです。「我が身ひとつがかわいい」というその思いを離れることができないところに「悪人」ということがあるのです。悪人というと法律を破るとか、何か人によくないことをするという、そういうことが悪人ということだけではなく、私たちがどこまでいっても「我が身ひとつがかわいい」という思いから離れることができないということが「悪人」と言われるのです。「凡夫」といってもいいでしょう。そういう私たちをなんとしてでも「共に」というか「仏になっていく」と、本当にいかなる者とも敵対しない、そういう私たちを私のところに生み出そうと、如来はご苦労され、私のために念仏を選んでくださったのだと、そういうふうに親鸞は受け止めているわけです。「ただ念仏しなさい」という言葉は法然上人の言葉でありますけれども、同時に阿弥陀如来が「私は絶対にあなたを見捨てない」と、いわゆる“摂取不捨”といわれる如来の愛というものを具体的に語る言葉でもあったわけです。だから親鸞聖人はその言葉に教えられて、初めて自分が受け入れられているということに気づくことができたのです。そしてそのことに気づくことによって、初めて「我が身ひとつがかわいい」という、本当に根っこの深い我執の心から解放されるわけです。我執の心がなくなるという意味ではありません。我執の心から離れることができる。その歩みが「往生浄土」という言葉で語られる人生なわけです。つまり、浄土とは、まさに大悲によって開かれた世界です。如来の大悲に目覚めてみたら、自分ひとりだけが如来によって愛されているだけではなしに、あらゆる人たちが如来から愛されているのです。本当に如来の兄弟であると。信國淳先生は「如来の家」と言われましたけれども、如来の家族として、みんな兄弟として生きているという、そういう目覚めを得ることが「浄土が開かれる」ということなのです。「ただ念仏しなさい」と教えられるということを通して、如来の大悲ということに目覚める。そしてその如来の大悲に目覚めるということを通して、すべてのものが兄弟であるという目覚めを獲得する。だからこそ、共に阿弥陀の浄土に生まれていこうという人生が、いわゆる“往生浄土の道”として、仏になっていくという道が私たちのところに開かれてくるわけです。

親鸞聖人は晩年のお手紙に「ともの同朋にもねんごろに」と書かれています。「ともの同朋」として人々と出会っていかれた。「ともの同朋にもねんごろに」ということは、根もからむような深い交わりがそこに開かれていて、確かに浄土が開かれている証拠なのだということですね。相手のことをよく分かり合いながら生きていく人生が私たちのところに、いわゆる仏になっていく道として開かれるわけです。そこに浄土真宗という言葉で親鸞聖人が教えてくださった仏道があるわけです。ですから、私たち自身は、親鸞聖人が比叡山を下りられたとき、仏になれない。どこまでいっても「我が身ひとつがかわいい」という思いを離れることができないということを、どこで気づくかというのが問題ですね。親鸞聖人の「浄土真宗」と言う言葉で教えられる仏道というのは、何か私たちの過程に開かれる仏道ではないのかということを感じるのです。私たちには、往生浄土の道として具体的に教えられているご本尊・阿弥陀如来がまします「お内仏」があるわけです。その生活の中で、親鸞聖人の教えに私たちが学ぶということを通して、初めて如来の大悲というものに私たちが気付いていくと。そしてそのことによって、夫婦が如来の兄弟になっていく、親子が如来の兄弟になっていく、そういう生活が私たちの家庭生活として営まれるのです。それが「浄土真宗」という言葉で親鸞聖人が教えてくださる仏道ではないのかと思っております。

時間がきてしまいましたので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。