門徒随想

ヘマを縁として

長崎に Uターンして1年以上が経った今年の初夏、ご住職から、池田勇諦先生をご講師とする9月上旬の奉仕団のご案内をいただいた。カミさんに OK をもらい、参加をご返事した。そして、同朋の皆さんとの再会を楽しみに、長崎の暑く長い夏を過ごした。

いよいよ前日、夕方に長崎を特急で出発した。新幹線を乗り継ぎ、新大阪に宿泊した。当日の朝、京都駅に着き、本山の門をくぐった。ところが、時間が来ても、同朋会館の前には誰も来ない。会館の Mさんがお持ちになった9月の奉仕団の予定表を見た瞬間、がく然とした。うっかり、1週間前に来てしまったのだ。 Mさんにはとても親切にしていただき、「あなたのような方は、奉仕団ではおそらく前代未聞」と伺った。ご住職には電話で「こうなったら、今日のことを『門徒随想』に是非『ヘマを縁として』というタイトルで書いてくれよ」と、有難いお言葉をいただいた。家にもアウトだったと電話し、夕方まで京都の街をさまよい歩いた。その夜、カミさんから携帯にメールが入った。何と「来週リトライ(再挑戦)してみる?」と書いてある。もう、カミさんが阿弥陀さまのように思えた。

1週間後、再び京都駅に着いた。十余ヶ国の境を越えた、親鸞聖人の弟子達の気分であった。そして、ついに皆さんと再会することができた。奉仕団が始まり、池田先生のご講義では、テーマ「今、いのちがあなたを生きている」のサブテーマとして、「私にとって聞法とは何か」が掲げられた。ご講義は、聞法とは「常識を教えによって問い返す作業」「南無阿弥陀仏の智慧を聞き開き、これを軸足にして、自己と社会を問い続けること」を中心に展開された。ご講義や座談を通じて、自分の聞法の姿勢が、いつの間にか「自己を習う」ことに上滑りして、自己肯定に陥っているのに気づき、身の引き締まる思いがした。また、2日目の朝には阿弥陀堂での帰敬式に参加し、式を受ける方々の後姿から、6年前の帰敬式のことがよみがえった。仕事で無理を重ね、うつ状態に苦しんだあの頃。蓮光寺門徒倶楽部への参加。自分なんかが式を受けていいのかという迷い。御影堂での帰敬式の緊張感と、ご住職のたのもしい念仏の声。スタッフのご尽力による、しみじみとした雰囲気の座談。その中で自分を振り返り、涙が止まらなくなった。恥ずかしさと感動。こうしてヘマもしたが、何よりも久々に皆さんと共に過ごすことができ、大変充実した1泊2日となった。

長崎には、思いがけず暮らすこととなったが、千葉出身の家族には大きな負担をかけた。また、変化の激しい時代にあって、都会とは違った意味で厳しい地方の現実も、少しずつ見え始めた。そんな中、長崎教務所のスタッフや門徒の方々にお世話になり、聞法を続けている。ここには「非核非戦の碑」が建立され、原爆で亡くなった方々から、私達のあり方が静かに問われている。これから、聞法を通して常識を問い直し、家族をはじめ縁のある方々、生活や仕事に向き合いたい。そして今回の奉仕団が一生を貫く1泊2日となるよう、ヘマな佛弟子だけど、日々を新たに精一杯歩もうと思う。

橋口茂 (釋草純) サラリーマン 40歳