法話のページ

真夏の法話会

とき 2004年8月7日(土)
ところ 蓮光寺
テーマ 仏からの立脚地
講師 平松正信先生(新宿区専行寺住職、44歳)

問われ続けてきたこと

どうも皆さんこんにちは。ご紹介いただきました、専行寺の平松と申します。

今、ご住職からお話がございましたが、ご住職とは大学生時代からのおつきあいでございます。初めて会ったのはまだ19か二十歳のころで、さきほど「髪の毛が薄くなった」と言われてしまいましたけれども、ご住職も当時はだいぶすっきりしていたというか、お互い“青年”という表現で呼ばれていたころから今日まで親しくおつきあいさせていただいております。

その後、私はたまたま父が病気したというのが一番の縁なのですが、京都の大谷専修学院に行きまして、色々な方との出会いもありまして、今お寺の住職をさせていただいております。普段こちらのご住職は本当にエネルギッシュといいましょうか、色々な活動をされておられますので、そういう姿に接して、私もいつも励まされている思いをしながらおつきあいをさせていただいております。

今日はレジュメと言いますか、法話の参考資料も用意させていただきましたが「仏からの立脚地」というテーマを掲げさせていただきました。この“立脚地”という言葉ですが、私の中で意識的ではないのですが、なんとなくずっと気になって温めてきた言葉のひとつです。1年間、全寮制の大谷専修学院で学んだのですが、お寺の息子・娘ばかりでなく、一般の方やら、また年齢問わずで、色々な年齢構成の方が一緒に寝食を共にし、食事も自分たちで作るという学校でした。夜、週3回だったと思いますけれどミーティングという座談の時間がありました。そのときの話で「あなたにとっての拠りどころというのは何でしょうか?」というようなテーマだったのですね。色々な方が「自分の拠りどころはこうだ」とお話されたのですけれど、私はなかなかこれだというのがなくて、自分の場合は自分が拠りどころではないかということを申し上げたのです。そのとき児玉暁洋先生が「君は本当に正直だね」と言われたのですね。それは、褒められているのか、「おまえおかしいぞ」と言われているのか、ちょっとよく分からなかったのですが、ただ「自分を拠りどころとしています」と言い切ってしまうようなあり方というのは、どうも仏教では「?」[クエスチョン・マーク]が付いているようだな、という感覚だけがすごく残ったのです。

それから、これは今から12〜13年前だと思うのですが、私はインドの仏跡地にお参りに出かけたことがありました。ご承知の通りインドは2500年前にお釈迦さまが80年のご生涯を送られましたので多くの仏跡地が残っておりまして、特に四大仏跡地、お誕生になられましたルンビニ、正確にはネパールですが、それからお悟りを開かれた成道の地・ブッダガヤ、お釈迦さまが説法をされた(初転法輪)サールナート、そして亡くなられたクシーナガラです。この四大仏跡地には世界各国から多くの方がお参りをされているわけです。私はブッダガヤでお参りいたしました。ブッダガヤというのはインドのビハール州にありますが、地域の中心に50メートルぐらいの高い塔が建てられていて、その周りに色々な国の仏教寺院が建てられているのですけれども、その大きな塔の脇に、お釈迦さまがその場所で悟りを開かれたということで、畳1畳か1畳半ぐらいでしょうか、金剛法座という台座が建てられているのです。私どもはお寺の団体でしたから一緒にお勤めをしまして、このへんをお釈迦さまが歩いておられたということで非常に感激いたしました。また、色々な国から仏教徒の方々がみえていて、それこそ肌の色も違うし目の色も違うし着ている物も違うし、礼拝の作法もみんな違う。五体投地といってネパールの方なんかは全身を投げ出すようなかたちで礼拝をいたしますが、みんなバラバラなのだけれども、そこに加わることができたということが、何か本当にありがたかったなと思っております。

金剛法座という台座の隣には大きな菩提樹の木がしげっております。菩提樹の木の下でお釈迦さまはさとりを開かれたということが伝えられていまして、今植えられている木は当然何回も植え替えられているのでしょうけれども、その菩提樹の木のすぐ脇に仏足跡といって仏さまの足の形を彫った石が置いてあります。初期の仏教徒たちにとってはお釈迦さまのお姿を模して仏像を彫るというようなことは大変畏れ多いことであって、せめて足跡を刻んで、自分のところまでお釈迦さまがご苦労して歩いてきてくださったと、この自分のところまで教えが届いたのだと、何かそういった実感を深めながら手を合わせていたと思うのです。お釈迦さまが亡くなって500年ぐらいは仏像はなかったそうです。今言いました仏足跡とか法輪、この法輪というのは車の車輪のようなもので、仏法の教えが車輪のように大勢の方に伝えられていくということを表す仏さまのシンボルですね。ですから仏像を彫るということではなくて、仏足跡であったり法輪であったり、また菩提樹というものを教えの象徴として手を合わせてきたというのが仏教徒の大切な伝統だったわけです。ネパールのお坊さんだと思うのですが、本当に丁寧に五体投地をして、金剛法座だけでなく、仏足跡に手を合わせておられて、ちょっと見入ってしまったのですね。だんだん見ているうちに、この人はお釈迦さまと対話しているのかなと感じました。最初は、何をやっているんだろう? とこちらは見ていたんですけれども、その人は何も言いませんでしたけれども「あなたこそ何をやっているんだ?」ということを問われてしまったような気がしたのです。要するに、衣着けてお勤めをして、一応かたちの上ではお参りもしましたけれども、完全に観光客気分で行っていましたから、「あなた、わざわざ日本から来てお参りして、お釈迦さまと対話したことあるの?」というようなことをその人から投げかけられた気がしております。そのことがずっと引っかかっていて、日本に戻ってきてからも私自身の中でずっと温められてきたようなことのひとつでございます。

考えてみると、足の裏というのは2本足で立って歩く人間にとっては非常に大事であって、例えば重い物を持ったときとか子どもを背負ったとき「腕が痛くなった」とか「腰が痛い」とか言いますけれども、足の裏というのは重い物を持っている人の体重も含めて全部を支えている場所ですが、文句を言ったことがないですよね。そういう意味では全くごまかしのきかない、言ってみれば私たち人間の生き様というものを一番知っている場所が足の裏とではないかと、そんな気がするのです。人間の生涯の歩みを象徴する場所です。私たちは足の裏なんかあまり見ることもないし、まして感謝なんかなかなかできませんが、私たち仏教徒の先輩方はお釈迦さまの足跡、お釈迦さまが立脚地とされた、お釈迦さまが拠りどころとされて立っておられた大地にずっと手を合わせておられた。何かそこに私たちは大事なことを教えられているのではないかと思います。私たちがどこに立って生きているか、何を一番大事なこととして、どこを向いて生きているか。そういうことを仏さまの目を通して確かめていくということがひとつ大切なことなのかなと思っています。

完全なる立脚地

プリントをちょっと見ていただきます。教えの言葉の1番目ですが、これは清澤満之先生の『精神主義』という書物の中の一番最初のところなのです。「吾人の世に在るや、必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず、若し之なくして、世に処し、事を為さむとするは、恰[あたか]も浮雲の上に立ちて技芸を演ぜむとするものの如く、其[その]転覆を免るること能はざること言を待たざるなり」――精神主義ということですけれど、私たちが確かな立脚地というものを得ていく筋道というものを名付けて清澤先生は「精神主義」とおっしゃいました。私たちは外に何か立脚地というものを探していきますけれども、自分の精神の内にそういう本当の満足をいただいていくと、そういうことをこの『精神主義』の中で語っておられるわけです。宗教とは本当の意味での立脚地をあきらかにしていく歩みだということを清澤先生から教えられます。

今、仏様の立脚地ということを申しましたけれども、普段わたくしたちが何を立脚地にしているのかということをちょっと考えてみたいと思うのです。7月の末に、去年一年間で自殺した人数が34,427人と警察から発表がありました。6年連続で3万人以上を超える数になり、統計が残っている昭和53年から26年間で一番多い数になったということが新聞に出ておりました。ひとりの人間の死ということも本当に悲しいことですが、年間3万人以上も自殺していかれるというこの世の中、特に60歳以上のお年寄りが亡くなる率が一番多いということです。五木寛之さんが「日本の国の中でひとつの戦争が起こっているのと一緒じゃないか」ということを言っておられまして、本当に悲しいことだと思います。それで、自殺の原因、動機というものがずっと表に出ていたのですが、健康問題が44.8%で一番多かったですね。それに続いて、経済や生活の問題、家庭の問題、勤務問題と書いてありました。それから男女問題、恋愛関係ですね。そういう順番で並んでおります。

今何でこんなことを申し上げたかというと、私たちが普段何を拠りどころにして生きているのかということを考えたときに、自殺していかれた方々の動機、まあ動機は複雑で、本人しか分からないことが多いんだと思うのですが、一応統計で出ていた色々な要素、健康であるとか経済の問題であるとか、そういうものが実は私たちが普段何に立脚して生きているのかということがそのまま写っているのではないかと感じました。それで、自殺問題について語る評論家にはなりたくないと思うのであえて申し上げるのですが、今まで“これだけの方が亡くなりました”という数字というものは私にとっては統計の数字でしかなかったのですけれども、昨年の自殺者のうち、お2人がうちのお寺のご門徒でした。ここ7〜8年でしょうか、バブル崩壊後自殺をされてしまった方のご葬儀に伺うことが多くなりました。これは仲間の住職さんなんかにも聞いてみると同じようなことを皆さん言っておられます。ご門徒から「家族が亡くなりました」とご連絡があって「実は自殺だったのです」と、そういうお話をいただくと、わたくしは漠然ですが申し訳ないなということを思うのです。こういうことを言うのはかえって傲慢なことなのかもしれませんが、ほとんどお付き合いがなかった方であっても、申し訳なかったなと思うのです。住職である私がこの方にきちんと仏法を届けることができたならば、もしかしたら自殺するということにはならなかったかもしれないと、何かそんなことを毎回感じてしまうのです。責任を感じると言いましょうか、いつもそんな気持ちになるのです。また、残された家族の問題ということもありますから、私なりにご家族と色々なお話をすることを大切にしているつもりなのです。そしてもうひとつ感じるのは「自殺をしていくような人は弱い人だ」と、何か裁くような評論家になるのではなくて、自分自身も同じ人間として同じ根っこを持って生きているわけですから、私自身もやはり縁があれば自殺していくような、そういうあり方で生きている自殺予備軍なのだと、そういうことも感じるのです。そういうことがないと評論家で終わってしまうし、悲しみというものもどこにもない、ただ自殺の問題を語っているだけのことになってしまうと思うのです。

思い通りにしたい心根

私たちが何に立脚して生きているかの問題ですが、自殺の動機として出ていました健康とか経済、家庭の問題、仕事、恋愛、これがそのままわたくしたちの立脚地になっているのではないでしょうか。それらのものが思い通りになっていて、幸せを感じられるときにはやはり生きる力にもなるし、思い通りにならないときには不幸だと感じ、場合によっては命を絶っていってしまうこともあると、そういうことだと思うのです。その代表的なものは健康とやはり経済と家庭の3つです。いわゆるご利益信仰の言葉で言えば“無病息災”であり“商売繁盛”であり“家内安全”ですか、そういうことだと思います。その願いというものの中身をきちんと見ていくことが大事だと思います。親鸞さまも自分の信の中身をずっと問うてきた方だと思うんです。経済ということで言えば、何を豊かさということの基準にしているかということの問題だと思います。よく「隣に蔵が建つと腹が立つ」でしたか、そんな言葉がありますね。これは、なにか人間の根深い問題を表しているというか、顔を出している言葉だと思うのです。本当に自分に自信のある人というのはそんなことを言わないでしょう。戦時中は周りのみんなが食べられないわけですが、そういうときには私たちはさほど貧しさを感じないというか、苦しみを感じないということがあります。現代の飽食の時代にあって、例えば親戚だとか隣の人がみんないい生活をして、いい物を食べて、いい車に乗って、本当にいい生活をしていると。そういうことの中で自分だけがどうも食うのがやっとだというような状況になると、やはり心は穏やかではないですよね。そうしますと、つまり“貧しい”ということは、人間を困らせるということはあるかもしれないけれども、貧しさそのものは人間を苦しませるものではなくて、むしろ他人と比べて、量っている自分の心が自分を苦しませているということがあると思うのです。それを仏教では「慢心」というわけです。比較していく心を慢心というわけです。「優越感と劣等感はわたしの心の表裏」という相田みつをさんの言葉がありますが、確かにそうだと思うんですね。優越感とは仏教で言えば「増上慢」という慢心、そして劣等感とは人と比べて劣っていると感じる、心というものを卑下していく「卑下慢」、表に出てくるかたちは全く違いますけれども、優越感も劣等感も同じわたしの心の正体ですね。そういうことの問題がひとつあると思います。ですから、人と比較していく心、この慢心というものを基準に豊かさというものを考えているというのが人間のあり方としてひとつ教えられてくるのではないかなと思います。

それから家族の問題ですね。本当に家族の問題というのは厄介だと思います。うちは家族6人で一緒に暮らしていまして、母と私ども夫婦と子ども3人でございます。本当に円満でやっていきたいと思っているわけですが、嫁と姑の問題もうまくいくようにと思って、私なりに気を遣っているつもりなのですね。それで、この前何かの拍子にポロッと「自分のうちなのになんでこんなに気を遣わなきゃならないのだよ」と言ってしまったのです。そうしたら2人から反撃にあいまして「みんな気を遣っているのよ」と。そういう言い方が出てくるのは、やっぱりみんな「思い通りにしたい」というか、「自分がよかれと思ってやっているのに何でそういう意見を言うの」と、そういうところでみんな生きているわけですね。思い通りにしたいということもやっぱり子どもとの関係が一番でしょうね。「自分の子どもであっても別の人格だ」なんていうことは口では言っていますけれども、子どもの意見を聞きながら、尊重しているような顔をしていて、なんとか自分の思う通りにしていこうという‥‥。胸に手をあてると、どうもそういうことをやっているような気がしております。それを私たちは愛情だと思ってやっていますから、本当に厄介だと思うのです。そういう自分の心というものがどこまでも自己中心の心だと、そういうことに光が当たるというか、そういうことがなくて、親が自分の心を知らされるということがなくて子どもと接し、子どものほうもまた自分中心で生きているという、今のところは大丈夫ですが、これは家庭崩壊というか、親殺し・子殺しということにもつながってくる、やっぱりそういう根っこはあるのだと思います。家族の問題というようなことも、やはりわたくしたちの自己中心性といいますか、思い通りに、ということを特に感じるわけです。

社会を見渡してみても、イラクとアメリカの問題でもそうですね。お互い正義を立てているわけです。家庭の中だけではなくて社会全体も同じような根っこを持って動いていると。そういうことを自分自身の問題として見るということがなかなか私たちはできないということがあると思います。それで、こういう私たちの心というのは、いわば沸き起こってくる心だと思うんですね。努力してやめようとしても、そういうわけにいかないですね。

コロコロ変わる自分のものさし

自己中心的な心あるいは人と比べていく心、慢心というものですが、なぜそういうことになってしまうかということなのですが、私たちがものを見ている目というものは、自分というフィルターを通して見ています。みんな自分という色眼鏡を通して見ているわけですから、そのときの自分の思いだとか自分の経験だとか好みだとか立場だとか、そういう自分の都合というものを通して見ているということですね。ですから人の数だけものさしがあるということだと思いますね。あるいは人の数だけ世界があると言いましょうか。今ここに百人ほどの方がいらっしゃいますけれども、同じ世界に生きているのかというとそうではなくて、みんな自分自身が心に描いている世界の中でそれぞれが生きている、ということが仏教のひとつの知見だと思うのです。私たちのものさしの目盛りがそのときの自分の都合で変わりますから、一人ひとりバラバラのものさしを持っていますけれども、同じひとりの人間においてもそのときの都合でものさしの目盛りが変わってくるわけです。その参考にということで詩を読みます。「ある小学生の詩」と書いてあるのですが、「運動場」という詩です。

せまいな、せまいな、と言ってみんな遊んでいる
朝の会のとき、石を拾わされると
広いな、広いな、と言って拾っている

校庭で遊んでいるときは、グランドがせまく感じるのに、朝会のときに「みんな、危ないから石拾いなさい」と言われて拾ってみると広くて困っていると。私たちはコロコロと変わるものさしを握り締めて生きているということを、この小学生はこういうかたちで感じたわけですね。私たちは何か不確かなものさしを一生懸命一人ひとりが磨いているのだと思うのです。そこに痛みを感じるとか、一人ひとりが違うものさしを持っているということ自体にもなかなか気がつきません。そこに光が当たるというか、仏さまの教えを鏡としていただいていくということの大切さがあると思います。人間は生まれて“自分”という自我意識が頭の上にポンと乗りまして、それ以来いつも自分というフィルターを通してしか人の話も聞けない、ものも見れない、そういう構造になってしまっているわけです。これは、いい、悪いではなくて、人間の事実だと思います。そのことをひとつキチッと教えられるということが大事なことではないでしょうか。

それからもうひとつ申しました、なぜ比較していくかということなのですが、私が私だと思っているような、そういう自我というものは本来どこにもないのだけれども、他人と比べるということにおいて居場所を確かめるものだということです。ですから、他人と比較しないと自分が納得しないわけです。人間はそういう構造をしているのです。自己中心の心も、比較する心、慢心も根っこにはそういう自我という人間の根深い問題と関係しているということだと思います。

いのちそのものの願い

私たちの願いは、自我を抱えている私の色眼鏡というものを中心にした願いですから、最後は自分が一番かわいいということしかないわけですね。

浅田正作さんの『骨道[こつみち]を行く』という詩集のなかの「回心」という詩をご紹介します。

回心

自分がかわいい、ただそれだけのことで生きていた
それが深い悲しみとなったとき、違った世界がひらけてきた

これだけの詩ですけれども、有無を言わせないメッセージというか重みというか、そういうものを感じますね。いろんなことがあったであろう自分の人生を、自分がかわいいということだけで生きていたと、そういうふうに言い切らせるものというのは何なのでしょうか。あるいはこの深い悲しみを生み出したものは何なのかと、そういうことを感じるわけです。自己中心的で比較心でしかない私たちの起こす願いというものは今の言葉にありますように、最後は自分ひとりがかわいいということなのですが、実はその私たち一人ひとりの中にいのちそのものの願いというか、生まれつき持ってある願いといいましょうか、そういうものが与えられてあるのだと、仏教で教えてくださっているわけです。いのちそのものの願いというようなものは、ああしたい、こうしたいというかたちで出てくるものではないのだというのですね。不安やむなしさを漠然と感じることがあると思うのですが、そういうかたちでしか出てこないのだというのです。私たちは不安を感じると、それを消していこうというか、ごまかしていこうという方向へすぐ走っていくわけですけれども、消したりごまかしたりするのではなくて、不安に立つというか、その不安を背負っていくというところに実はお念仏との大事な接点があるのだと思います。「人間が不安を持つということが、法性を離れている人間を法性が呼び返そうとする呼びかけに触れているということである」とは安田理深先生のお言葉です。法性ということですから、本当は言葉にも表せない世界でしょうけれど、本来なるもの、永遠なるもの、確かなものということでしょうか。不安というものはそういう確かなものからの呼びかけなのだと、そういうお言葉です。もう少し言えば、不安というものは今のあなたのあり方は本当に確かなものですか? そういうふうに呼びかけられている力なのだと。今のままでいいのですか? と、そういうかたちで促されてくる力なのだと。私たちは自分がかわいいという、ああしたい、こうしたいという自我の意識でそういうものを覆ってしまって、なかなかその願いに気づけないわけですけれども、仏さまの言葉を通してそういういのちの願いというものにあらためて出遇っていく歩みが聞法ということなのだと思うのです。

いのちの一番深い願いというものを、私たちの先輩方は「法蔵」という表現で教えてくださっています。「正信偈」の中に「法蔵菩薩因位時」とありますね。あの法蔵です。お経の中には物語として阿弥陀さまが仏さまになる前に法蔵という菩薩さまとして五劫の間修行されて48願という本願を起こされた。そして本願が成就して仏になった。そういうかたちで物語として説かれていますけれども、実はその法蔵というものは私たち一人ひとりの中に埋まっているのだと。「法蔵魂」という言い方もされるのです。魂というと霊魂とか死んでも死なない命があるように、というようなイメージがありますが、そういうことではなくて、人間の本当に一番深い願いというか、意識よりも深い願い、そういうものを「魂」として表現されるわけです。その私たちの一番深いところの人間の願いというものを「法蔵」という表現で伝えられているわけです。菩提心とか宗教的要求とかそういう言葉で言い換えてもいいと思うのですが、この法蔵の「蔵」という字はクラという文字ですけれど「鉱脈」いう意味だそうです。わたくしたち人間の中に「鉱脈」として深いところに埋め込まれているというか、そういうものです。信國淳先生のお言葉ですが「法蔵菩薩とは私どもの煩悩の底深くに身を埋めて、私どもの目覚めを待ち続けてくださる仏さまであります」と。わたくしたちの命の中でそういうものが動いているのだと。そのかすかな動きと言いましょうか、不安やむなしさがそういうかたちでしか表れないような、意識にものぼらないようないのちの深い叫びというものを呼び覚まし、私たちに自覚させてくださるのが仏さまの言葉だということなのです。

立脚地ということに戻りますが、京都の学校で私は「自分が拠りどころだ」と言いましたけれど、やっぱり自分が拠りどころになっているのだと思うのです。でも思い通りになっているうちはそうですが、思い通りにならない出来事に出遇うといきづまるということがあると思うのです。私たちはそういう不確かなものを立脚地として生きているのです。しかし、そこで感じる不安、むなしさ、そういうかたちで表れてくるいのちそのものの願いとか叫び、つまり法蔵魂・菩提心とか宗教的要求という言葉で表される、そういういのちの本当の深い願い、そういうもの自身が人間の本当の立脚地を求めているのです。そしてそれは仏さまから呼びかけられていて、頷いてみれば私たちの足元に開かれているのですね。

真実の利益

浄土真宗は、お寺をはじめ、ご門徒のご家庭のご内仏のご本尊さまもすべて阿弥陀さま、南無阿弥陀仏ということです。また、お守りとかお札の類を扱っていないというか、そういうものは不要だと言い切るのが浄土真宗のお寺の特徴だと思うのです。やはり、教えというものがそういうかたちで表れていると思うのです。「お守りとかお札は不要です」と言われますと、いけないのかと思ってしまうわけですが、いけないといっても、はいそうですかと言えないものがあります。例えば家族が重い病気になったりしたら願わざるを得ないし、「そういう願いを起こしてはいけません」と言われたら生きていけないというのが現実だと思います。何かあれば祈らざるを得ないと、それが私たちの姿だと思うわけです。ただ、その“何か”に祈っていくということは、やはりその不安を感じているということの姿だと思うのです。私たちはやはり思い通りにしていきたいというところで動いています。そういう私たちが一体どこで救われていくのか、そういうことが真宗門徒の課題というか歩みというか、一人ひとりの宿題だと思います。

曽我量深先生は「仏は、人間の苦を救うのではない。苦悩の人間を救うのである」とおっしゃられました。人間そのもののあり方を大変革していく、いわば立脚地を変換させていくのだと、そういうお言葉だと思うのです。生きるということは必ずしも思い通りにならないし、むしろならないことのほうが多いと思いますが、そういう現実にあってどんな状況になっても救われていくという道を尋ねられたのが親鸞聖人です。そして「どんな状況でもあなたがあなたとして生きよ」と呼びかけてくださるのがお念仏だと思うのです。生老病死していく命の厳粛な事実というものは、私たちの思いを超えて、縁として与えられてくるわけで“業縁存在”ということです。しかし、その私たちは祈らざるを得ないと。しかしながら阿弥陀さまはそういう私たちを切って捨てるのではなくて「一人ひとりに願いはあるだろうけれども、そういう願いを包んで、むしろ仏の願いというものに目を向けなさい」と。浄土真宗の祈りというのは如来さまの、仏さまの祈りであって、その祈りを通して、私たちが一番深いところで願っている本当の祈りを回復していくといいましょうか、私が如来に対して祈りをささげるんではなくて、如来が私たちのために祈ってくださっていると。私たちは既に如来によって祈られている、願われている存在なのだと。迷いや苦しみを大切な縁として、どんな自分であっても捨てることのない、仏様の祈り、願い、そういうものに耳を傾けていくということが「聞法」ということで教えられていることであろうと思います。

池田勇諦先生は「真実の利益とは、この人生をまことに尽くさせていただく、その立脚地があきらかになることである」と言い切られていらっしゃいます。真実の利益というものは状況の変化ではなくて、そういうことを願っている人間の立脚地というものが変化していくことなのですね。私たちがどこに立って生きているかという問題だと思うのです。

その立脚地ということで、ちょっと新聞の投書をひとつご紹介したいと思うんですが。朝日新聞の「声」という投書の欄がございます。ちょっと前なんですが、52歳の男性の投書で“障害ある初孫。祖父母の思い”というテーマです。

数カ月後に出産を控えた娘から電話があった。医師から「胎児に異常が見られる」と告げられ、泣きながら電話をしてきた。1週間ほどして娘が里帰りをした。動揺を見せることなく気丈にふるまう娘は「おなかの子は障害があるから優しい私たちを選んで生まれてくるんだって」と、自身に言い聞かせるようにつぶやいた。そして嫁ぎ先へ帰る前日「お父さんお母さん、初孫が障害を持っていてごめんなさい」と深々と頭を下げた。このことを伝えたくて里帰りをしたとのことであった。私たちは皆で声をあげて泣いた。同時に腹をくくった。7月に帝王切開で男の子を出産した。生まれてすぐ、二分脊椎のため、9時間に及ぶ手術を行った。術後の経過も順調で、体重も増加し、元気に育っている。実は娘から電話を受けたとき、中絶を勧めた。しかし娘は、診察のとき画像に写るわが子の心臓の鼓動を感じていとおしさがこみ上げてきたという。そして「障害があるからといってなぜこの子を産んではいけないのか」と言った。その言葉を聞き、出産をすなおに祝ってやれなかったことを親として恥じた。娘の大変さばかり考えて、命の存在の重さを見失っていた。今、私たちも孫の成長を楽しみにしている。心配は消えないが心は穏やかだ。

こういう投書がありました。悲しいけれど何か明るさを感じるというか‥‥おなかの中の心臓の鼓動を感じて、命というものを本当に実感した娘さんが「障害があるからといって、なんでこの子を産んではいけないの」と言ったと。その言葉というのは娘さんの言葉だけれども、お父さんにとってはいわば仏さまからの呼びかけとして響いてきたのだと思うのですね。この人が仏教徒かどうか、浄土真宗のご門徒かどうか、そんなことは一切分かりませんけれども、この人にとっては真実を伝える言葉として、仏さまの言葉として響いてきたのだと思うのです。そうしてみると自分の娘かわいさにおなかの中の命ということを見失っていた自分の姿に気づかされて、そういう自分を恥じたと。娘さんもすばらしいけれど、お父さんがいいですね。何か、悲しいのだけれど明るさを感じたのは、本当に大変な状況なのだけれど、このご家族は、皆で声をあげて泣いて、同時に腹をくくったと書いてありますから、悲しい大変な現状を受け止めていこうというところに立っておられるのではないかと思うのです。今ある自分の事実というか、あるべきところに立脚しないで「なんで自分だけこんな目にあうのだ」ということになると、愚痴ですよね。人間だからやはり愚痴も出る。この方も、愚痴が出たと思うのですが、そういう私たちに「事実に立つんだぞ」と。「そこから立ち上がって歩めよ」ということを仏さまが呼びかけてくださると。そこに私たちの立脚地があるのではないかと思うのです。浄土真宗は生活の中で仏道を歩ませていただくというわけですが、こういうことだと思います。悲しいけれどもそこに立っていくと。仏さまのそういう呼びかけに頷いたというところに本当の意味での立脚地が開かれる、ここが大事なことなのではないかなと思います。自分の人生そのものを「ありがたい」と受け止められたと、そういうことができたというその頷きのところに本当の意味での私たちの立脚地というものが既に開かれていると。そういうことが昔から“浄土”とか“彼岸”とかそういう言葉で伝えられていることではないかなと思います。

仏からの立脚地

「天命に安んじて人事を尽くす」とは清澤満之先生の有名なお言葉です。普通私たちは「人事を尽くして天命を待つ」という、大体そういう生き方ですね。やるだけやったと、あとは天に任せると言っていますけれど、あまり任せてないですね。「これだけやったんだから」という自分を納得させようというような思いがあったり、「これだけ頑張ったんだから、天は見放すまい」というような希望的観測であったり。そういうところで私たちはウロウロしていると思うのですね。だから、そこに安住できないのですね。「天命に安んじて人事を尽くす」という言葉に明るさを感じるというのは、自分自身に安んずることで本当の意味で自分の人生を尽くすということができるのだという深い頷きがあるからではないかと思うのです。

それから、ラインホルド・ニーバーという神学者が「神よ、願わくば私に変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とを授けたまえ」と言われました。この言葉も自分の分を尽くしていける世界を指し示している言葉として感じられるわけです。

最後に親鸞聖人のお言葉です。『教行信証』の一番最後のところですが、「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀[こうあい]を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し」─。親鸞聖人は、自分の心を仏さまの本願の大地に立てると。立脚地をそこに立てたという表現をされたわけですね。訳しますと「なんと喜ばしいことであろう。今、わたしは心を阿弥陀仏の広大な本願の大地に打ち立てて、思いを人間の思議を超えた真実の教えの海にお任せしている。深く如来の慈悲の広大さを知り、師の教えのご恩の厚さを仰いで、喜びはいよいよ募り、ご恩に報いたい思いはますます重くなるのを覚えるのである」と。こういうお言葉で『教行信証』を結んでおられます。自分の人生そのものを「本当にありがたい」と受け取ることのできる大地を仏さまから呼びかけられる。そういうことがこの「仏からの立脚地」ということだと思うのです。