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成人の日法話会

とき 2004年1月12日(月) 午後2時〜5時
ところ 蓮光寺
テーマ いのちの場と医療 - 希望ある死 -
講師 帯津良一先生(川越市、帯津三敬病院名誉院長、67歳)
対談 帯津良一先生 & 本多雅人住職
司会: 篠崎一朗(蓮光寺門徒)

※ 帯津先生のご講話のエキスは、『ふれあい』第8号に掲載いたしましたので、ここでは、ご講話のあとの、帯津先生と本多雅人住職との対談を掲載いたします。対談を読まれる前に、対談に関係する帯津先生のご講話の一部を掲載いたします。

帯津先生のご講話より

人間とは悲しくて寂しいものです。生きる悲しみと向き合って生きる人が多くなると、絶対にいのちの場のエネルギーが上がります。私たち医療者でも生きる悲しみが全く分かっていない医者がいるのです。生を謳歌しているだけ。こういう医療者が多いと、いのちの場のエネルギーが上がってこないのです。「明るく前向き」ということに溺れることなく、やはり人生は悲しい、生きることは悲しいということを時には思い出しながらやっていくことが大事だと思うのです。

それから、私たちの未来にあることで確かなことは、死ぬことだけです。だから「死」に目を向けることです。それによって希望や生き甲斐が生きてくるのです。死からこちらを見てくると、生がよく見えてくるのです。死から目を背けないことがとても大事になってくるわけです。ですから、私たちが生きるということは、実は病気であろうとなかろうと、こういうことなのだといつも感じています。

《 対談 》
篠崎  それでは、これから帯津先生と本多ご住職との対談をはじめさせていただきます。まず、帯津先生のお話を受けまして、ご住職から感想などをお話しいただきたいと思います。
本多  先生のご講話、ありがたく拝聴させていただきました。まず感じたことは「医学」ということと「医療」ということは全然違うということを改めてはっきりさせていただいたと思います。次元でいえば、医療のほうが一つ上なのでしょうが、一般にはその違いが明確になっていないというか、同じようなものとして受け止められていると思います。
 「生老病死」すべてまるごとを見ていくホリスティックな医療に関するお話のなかで、「場」という言葉をたびたびお使いになっておられました。人間は関係存在ですから、人と人が交わる「場」が人間の生きるいのちの舞台ということになりますね。先生は「場」において、そのエネルギーを高めていくということが非常に大事だと言われました。つまるところ、人間が持っているいのちのエネルギー、ポテンシャルエネルギーを高めていく場の営みこそが医療であると了解させていただきました。
 今日も心の問題を力説されていらっしゃいましたが、希望の問題であるとか、それから死の問題もありましたけれども、病気に関しても生老病死の一つのかたちであるわけですね。病という場においても、あるいは病でなくても行き詰まった出来事があった時にも、私たちを貫いているものはいったい何だろうかということを改めて考えさせられました。そのことは仏教といいますか、親鸞聖人の大きな課題でもありましたが、坊さんとかお医者さまとかではなくて、だれもが死生観といいますか、生きるよりどころをきちんと持つことが人生の要であるという根本的問題が提起されていると感じるのです。
帯津  私が先程お話ししたことは、ほとんど医療の現場で何となく考えてきたことです。自分では現場で考えた、現場の知といいますか、そういうものだと思って話していますが、そのようなことは仏教ではすでにほとんど言っているのですね。すごいことだと思います。
 医療、医学ということになると、癒すこと(医療)と治すこと(医学)ですね。今、いろいろな意味で、「癒し」という言葉は非常に多く使われますね。これは東京工大の上田紀行さんという文化人類学者がいるのですが、彼が「癒し」という言葉を本に書いたのが十年ぐらい前でしょうか。『スリランカの悪魔祓い』という本を書いたのです。その本に「イメージと癒しのコスモロジー」という副題がついていて、本の題名に「癒し」というのが入ったのが、これが一番かどうか分かりませんけれども、早いほうだと思います。ですから上田紀行さんは、「自分は癒しを世の中に広めた仕掛け人の一人だ」と、自認しています。ただ、「癒し」という言葉が氾濫してきたので、上田さんは、「癒しが本来の意味と違って、少し安易に使われすぎている」と嘆いています。私は「癒し」というのは、体・心・いのちでいうと、心といのちのエネルギーを高めるのが「癒し」だと思うのです。体の故障を直すというのは、自転車を直すの「直し」なのです。だから「直し」と「癒し」は分けて考えなければいけないのです。
 「医療」というのはこの2つが渾然一体となって行われなければいけないのです。機械の修理だけすればいいというのは「医学」です。そうではなくて、機械と違ういのちのエネルギーを高めることをまず中心にやっていく、それが「医療」ですね。だから、「医療」という場合には、「癒し」を行うために科学的ではない面もたくさん入ってくるわけですね。科学で、「エビデンス」ということを盛んにいいますけれども、エビデンスは体を直す西洋医学のもので、「医療」では、エビデンスはどうでもいいのではありませんけれども、それを優先しないのです。エビデンスも必要だけれど、とにかく癒すこと、いのちのエネルギーを高めていくことをみんなで考えていくという違いがあります。
 古代ギリシアのヒポクラテスにしても、中国でいえばの扁鵲[へんじゃく]の時代(春秋戦国時代)は、まさに癒しの医学だったわけですね。ところが20世紀に西洋医学が急速に進歩しましたね。これはすごくめざましい進歩です。ただ、あまりにも急激な進歩のために、医学が医療であるという錯覚を起こしてしまったのですね。医学イコール医療となってしまったのです。だから西洋医学の高度先進医療にどっぷりつかるのが医療であるという錯覚を起こしたのです。西洋医学がある程度「直しの医学」として功績は十分ありますが、壁に突き当たってみると、「そうではない。やはり癒しが大事である」ということで、少し方向転換をしだしました。要するに医療だけではないですけれども、body(体)に振り切った振り子が、いのちのほうに向かってブンと戻り始める時期だと思います。
 我々は現場で医療であり、医学だけに振り回されてはいけないのです。戦争のたとえ話はよくないですけれども、医療が最前線であるとすると、医学は兵站部ですね。うしろにいて弾薬や食料が足りなくなったら最前線に届けるという関係にあると思うのです。だから医学を一つのテクニックとして、これを大いに利用するとしても、大事なのは人々がその中でいのちのエネルギーを高めていくことなのです。それは病の中でだけやることではないですね。それは生きとし生けるものがみんなやるわけで、それは若い時でも、死に直面した死の場合でも、その癒し、つまり常に自分のいのちのエネルギーを高めていくことをやっていかなければいけないと思うのです。
 そういうことで考えると、病という特殊な状況の中に限定してものを考えるのではなくて、「生老病死」、おしなべてそういうことになるのではないかと考えています。死という問題もないがしろにしてはいけないのですね。必ず視野の中においておくことが大切です。そんなふうに考えています。
篠崎  帯津三敬病院では金曜日に院長講話というのがありまして、帯津先生はそこで30分ほど患者さんを前に、その1週間のトピックスというか、先生がお感じになったことを題材にお話ししてくださっているのです。患者の会では、その先生のお話をテープにダビングしたりビデオに撮ったりして、患者さんにお配りしています。遠方の方でも、常に先生のお話を聞けるようなシステムを作っているのです。私もそういう恩恵を受けている一人ですが、絶望の淵にいた時に、今日のお話の中で出てきたような、「明るく前向きなばかりが人間じゃない」という先生の言葉が大きな心の灯火となったのです。病気が治ってから、蓮光寺で親鸞聖人の教えをご住職や門徒倶楽部の面々と学んでいくなかで、私としては、親鸞聖人の言葉と先生の言葉に共通性を感じましたが、そこら辺の話を住職からしていただきたいと思います。
本多  普通は悲しみたくないですよね。悲しみや苦しみなどなくて、明るく楽しいほうがいいわけです。しかし生老病死がいのちの厳粛な事実です。その究極は死だと思うのです。ところが、現代は死を抹殺して、明るい方向だけを目指してきたと言ってもいいでしょう。同じように、篠崎さんも明るい方向に向かって治していくというかたちでやってきたなかで、「明るく前向きなばかりが人間じゃない。人間はそもそも悲しいものだ」という言葉が、本当に自分を言い当てた言葉として、そこに大きな転換があたえられたと思うのです。「悲しいもの」ということが生きる意欲をあたえていくという、現代の価値観ではおよびもつかないことだと思います。
 「場」がいのちのエネルギーを高めるということでいえば、私たちが本来の人間のあるべき姿を見失って、明るさを一方的に求めている時には、実はいのちのエネルギーがそがれてしまうというか、上がってこないのかなと思うのです。そういうふうに思いますと、病気は心だというお話もありましたが、病はいのちのエネルギーの低下から起こる。つまり体が壊れて起こるのではなくて、場が崩れるということなのかなと思うのですが、いかがでしょうか。
帯津  その通りですね。もちろん単純に機械が故障する、体の面での故障という病気もありますね。怪我はそうですし、胆石とか腎臓結石などは機械の故障ですね。それを取ればいいのですから、治すのも簡単ですね。しかし、ガンあるいは治りにくいとされている病気、膠原病やエイズ、アトピー性皮膚炎は必ずいのちのエネルギーの場が関係していると思うのです。いのちの場のエネルギーの低下が、結果として体に傷跡を残してくる。そういうふうに考えると、修理する、治すという生理学的な発想だけではなく、癒しの発想が入ってこないといけないと思うのです。東大の先生だった清水博さんという場の研究所の所長さんがいらっしゃいますけれども、「ガンのような病気は場の病気である」ということをはっきり言っています。要するに「ガン細胞は体という場の中にいて、場が悪いと細胞の一つひとつも悪くなる。だから場のエネルギーを高めることをやっていくことを癌治療の中で考えていったほうがいい」と、彼は前から言っています。私もそう思います。
本多  篠崎さんの了解を全部分かっているわけではありませんけれども、親鸞聖人の教えを聞いていく中で、「人事を尽くして天命を待つ」というあり方が、「天命に安んじて人事を尽くす」というふうに、篠崎さんが転換されたということがあったようです。要するに「人事を尽くして天命を待つ」という生き方は人事を尽くしてその通りにならなかったら、常に絶望をしなければいけないという、裏には常に不安を抱えているのです。しかし、すでに「天命に安んじて」いれば、どんな状況であろうとも、「私のまま」に生きていくことができるということですね。そのことは、「人間は悲しくて寂しいものである」という言葉と重なりあっていたのだろうと思うのですが、篠崎さん、いかがですか?
篠崎  闘病中は、妻がかなりバックアップしてくれましたので、私たちでできることは精一杯やろうということで、西洋医学的な治療も抗ガン剤を半年間3クールおこないました。体がボロボロになってしまって、最後の4クール目は癌研の先生に、「もう勘弁してください」とお願いしたぐらいで、これ以上やったら私の体は壊れてしまうという状況まで追いつめられました。
 一方では、途中から帯津先生の病院に通わせていただいて、郭林新気功という、朝5時ごろ起きて歩く気功をしたり、あるいはびわの葉の温灸を体に当てて恒常性を高めることに努力して、とにかく自分たちができることは自分たちができる範囲で精一杯やったつもりでいました。結果的にそれがいい方向にいったので、「人事を尽くして天命を待つ」みたいなことを一番やらなくてはならないと、その時は思っていたのです。そして、自分たちができることをしたら、あとは阿弥陀さんにおまかせするしかないというスタンスでいたのです。しかし、手術後1年たち2年たち、親鸞聖人の教えを聞くに及んで、「いや、そうではない。私が阿弥陀さんにおまかせする以前に阿弥陀さまのほうから『そうじゃないんだよ』というはたらきかけがあったのではないか」ということに気付かせていただいたのです。それが本当の治癒につながったのではないかと最近思っています。
 自分の思うことばかりをあのままやっていて、それがいい方向にいくと、自分がやったからだと思うのですが、それこそ再発した場合に、「やることをやったのに何で駄目だったのか」という絶望にまた追い込まれてしまうのです。そういうところで、ちょっとうまい言葉が見つかりませんが、そもそもはここが浄土だということを教えていただく教え、要するに、もう与えられているということを気付かせていただいた教えにふれたことが、結果的にですが、再発防止にもつながったと感じている次第です。もちろん、再発するかしないかということの問題よりも、闘病生活を縁として、本当の生き方があたえられたことが何よりもありがたいことだと思っています。
本多  篠崎さんの歩みを拝見していますと、仏教では「我執」[がしゅう]といいますか、執着という問題があります。本当に自然治癒力が爆発するのは、どうも執着を離れたところであろうと思います。なかなか執着から離れられないのですけれども、そういうことがひとつあるのではないかと思います。
 先生の病院に講演にいらっしゃったカール・サイモント博士の言葉を思い出すのですが、「病気を治すためには『絶対生き抜くぞ』ということが大事である。ところが、それだけでは執着になるから『いつでも死ねるぞ』ということが大切だ」と、そのようなこと博士は言われたと思います。そこに博士のひとつの死生観を感じるのですが、篠崎さんも我執から解放されて、自然治癒力が爆発したのではないでしょうか。
帯津  サイモントさんはガン治療の世界ではすごく知名度の高い人です。サイモント療法といえば知らない人はいないくらいです。奥さんは心理療法士で、彼は放射線科の医者です。2人でサイモントン・イメージ療法を30年ぐらい前に、あみ出したのです。それはガン細胞が崩れていくイメージをいろいろなかたちで抱いていただくことによって、本当の細胞まで小さくなってくる。30年たって今、日本で年2回ぐらい定期的にセミナーをやるようになりました。彼のイメージ療法は昔のイメージ療法を完全に越えてしまって、いかに死というものを取り込むか、要するに、ご住職さんが言われたように、「いつでも死ねる」という気持ちが大事であるということです。ところが、そうは言っても難しいですね。そう簡単にはできません。できないけれども、そういう気持ちを育てていく。育てていくためには、先程私が申し上げましたように、時々死のほうに目を向けることです。いつも見ていると、何となく自分のイメージが出てくるのです。そうすると、死もそんなに悪いものじゃないということを考えられるようになってくると思います。サイモントさんは、「『生き抜くぞ』という同じ心の中に、『いつでも死ねるぞ』という心を置く。でも、これは難しい。難しいから今できなくてもいい。そういうことを目指していく」ということを言われていますね。
 私は篠崎さんをずっと見ていて、何度も危険な状況がありましたが、見事に乗り切っていかれました。その乗り切っていく過程で、何かやっぱり蓮光寺さんとの関係が役立ったのではないかと思います。それはどういうことか、言葉で言ってしまうと簡単で、何となく嘘くさくなってしまうけれども、でも何かあったと思います。そういうことで、篠崎さんの例は重い患者さんに本当に希望を与えるものなのです。だから私たちから言うと、篠崎さんは宝物なのです。
篠崎  もう2年前になりますが、帯津先生が親鸞仏教センターの「現代と親鸞の研究会」でお話しされたとき、私もごいっしょさせていただきました。そのとき私は「健康体で生きていくための常にニュートラルな心を熟していくのが大切」という先生の言葉について感じたことを語らせていただきましたが、この「ニュートラルな心」ということについて、先生のほうからもう一度お話しいただけたら皆さんにも参考になるかと思うのです。
帯津  「明るく前向きに」はできてはいないけれども、その悲しみの大地から希望の大木を育てていかなければいかないわけですから、そういう気持ちをいつも日常的に持ち続けてもらいたいのです。しかし、これはなかなか難しいですね。不安になるのは当然なので、一回病気をした人が再発の不安に苛まれるというのは当然のことですよね。だから、心でいくら自分のいのちのエネルギーを高めようとしても、非常に難しいわけです。むしろ気功などをやると、いろいろな思いがぐるぐるしていたのでは気功なんかできませんから、気功をやっている15分、あるいは30分の間は、とりあえず不安を忘れますね。忘れた状態はいい状態で、それを私は「ニュートラル」と言ったのです。ニュートラルのある幅の中に心が入っている。もちろん、忘れてやっているのですけれども。うちの病院は別棟の2階に気功をおこなう場があって、終わって皆さんは階段を降りて自分の病室に帰っていきます。階段を降り始めると、また不安がむくむくと出てくる。そういうものだろうと思うのです。それが普通です。ところが気功三昧ということを毎日やっていると、余韻のようなものが出てきて、階段を降りて病室の入り口までは大丈夫。それが少したつと、病室に行ってからも大丈夫。ニュートラルのままです。それが、私は気功などの心に対する効用だと思うのです。これはある時間が必要ですから、一朝一夕でなるものではありませんけれども、そういうことに役立つのではないかと思うのです。
篠崎  私が帯津先生の話と親鸞聖人の話がくっついたというところは『歎異抄』第9章なのですが、ご住職、ちょっとそこだけお話しいただけませんか。
本多  親鸞聖人の真面目なお弟子さんである唯円さんが、「念仏を称えていても、かつてのようにおどり上がるような喜びを感じないし、全然浄土に行きたいという心が起こらないのは、どうしてなのでしょうか」と親鸞聖人にお尋ねするのです。そうすると、親鸞聖人は「私もこのことが疑問でありました。あなたも同じ疑問を持ったのですね? 教えのすじからいえば、非常に喜ばなければならないのですが、喜べないから、弥陀の浄土への往生は間違いないことです。なぜなら喜ぶはずの心が喜ばないのは煩悩のしわざだからです。如来は、このような私たちをお見通しになられて『煩悩具足の凡夫よ』と呼びかけてくださるのだから、本願念仏の教えは、このような凡夫たる私たちのためだと受け止められ、いよいよ頼もしく感じられるのです」とお答えになっています。篠崎さんの9条の領解は篠崎さん自身が話されることで、僕に話してくださいと言われてこまりますが、恐らく、私たちはどうしてもこうでなければならないという感覚をどこかに持っていて、それを根底からひっくり返されるような言葉に出遇うことがすごく大切だということではないかと思います。そのことが帯津三敬病院の場で、蓮光寺の場の中で、篠崎さんはそういう言葉に出遇えたのだと思っています。篠崎さん、それでいいのでしょうか?
篠崎  はい (笑)。
本多  ですから、すべては場と場のつながりですね。先生が「虚空」[こくう]というお言葉をお使いになりますけれども、結局宇宙全体を含めたすべてが場の集合体であり、そのなかに個々の場があると了解しています。そういう意味でいえば、『歎異抄』で思い出しましたけれども、「阿弥陀さんの教えをよくよく聞いてみれば、親鸞一人[いちにん]のためだった」という言葉があります。親鸞一人[ひとり]だけだというのはなくて、共通の大きないのち、このいのちの中の私のいのちという意味で、「親鸞一人[いちにん]」だと。周りの関係性がないところで、「私だけが助かる」という意味ではなくて、そのことでも先生のお話と非常に共通性があると感じました。恐らく、「虚空」という言葉を今日初めて聞いた方もいらっしゃると思います。自分のいのちと虚空との関係を、帯津先生の死生観として捉えられていると思います。その辺をちょっと詳しくお話ししていただけませんでしょうか。
帯津  「虚空」はそれこそお寺さんの専門ですから、私が言うのも変なのですけれども、自分のいのちは何だろうということを何回も考えていました。いのちは体の中に空間があります。いろいろな臓器を含んだ空間ですね。空間ですからそこに電磁場があったり、重力場があったりするわけです。蓮光寺さんのここにも電磁場がある。体の中にだって電磁場がある。体の中にはもっといのちに直結した、何かがある。例えば、中国医学でいう「気」のことはまだ科学が証明していませんけれども、でも証明していなくてもどうも「気」がありそうだと予感をする人が年を追うごとに増えてきていますね。私もいずれ「気」は何らかのかたちで証明されるだろうと思います。体に中に「気」というものがあります。そうすると、気場があるわけですね。電気があるから電場、磁気があるから磁場です。そのいのちの場、まとめて「生命場」と私は呼んだのです。そこには当然エネルギーがあります。そのエネルギーは私のいのちであろうと。そこに空間があって、そこにいろいろ物理的な量があって、それでエネルギーを造り出している。それがいのちであろうと思います。このいのちというのは皮膚を境にして、外界を境(さかい)されて閉じられた状態かというと、そんなことはないですね。皮膚は顕微鏡で見れば穴だらけです。こうやってしゃべったり、ものを食べたりしているということは、外界の場の要素が入ったり出たりしているわけです。そうすると、外界の場に私のいのちは拡散していっています。外界の場の一部と考えてもいいですね。外界の場というのは、突き詰めれば「虚空」になっていくのです。この亀有の場が東京都の場になって、そして日本の場になって、地球の場になって、宇宙の場になって、「虚空」の場になるわけです。いずれにしても空間にある場のエネルギーというのは、時空を超えて「虚空」に広がっているものであろうと思います。これを英語では「スピリット」というのではないかと思います。そのスピリットの一部が私の体の中に入って、私のいのちになっています。そのいのちを「ソウル」というのでしょう。私は死ぬと、入れ物である体が終[つい]えて、中身のソウルだけ残る。これがふるさとであるスピリットの中に帰っていくのではないかと思ったのです。
 「スピリット」と「ソウル」を日本語ではどう言うかというと、河合隼雄さんと梅原猛さんが対談している本を読んでみたら、私が今言った「スピリット」、つまり「虚空」に広がるいのちのことを、彼らは「平仮名で『いのち』と書こう。わたしのいのちを漢字で『生命』と書いて『いのち』と、ふり仮名をつけよう」と話されていました。どちらも「いのち」だけど、「虚空」にあるほうは平仮名、私のいのちは漢字で書こうということなのです。私は何となくいいなと思ったのです。河合隼雄さんに一度会った時に、「ご本の中で先生がおっしゃっている通り、私もそういう区別をしてもいいですか」と聞いたら、「いいですよ」と言っておられました。私自身もそんなふうに考えています。
本多  自分のいのちは有限です。その有限のいのちはどこからつながっているかと考えたら、「虚空」であるということですね。これは計り知れない大きないのちなので、私たちの言葉で言えば「阿弥陀」というのです。「阿弥陀」とは「無量光・無量寿[むりょうこう・むりょうじゅ]」といって、「無量寿」とは「計り知れない無量のいのち」ということです。浄土真宗の子供用のパンフレットなどによく「阿弥陀の子」と書いてあります。「お父さんとお母さんの子じゃないか」というけれども、「阿弥陀の子」だという。どこから生まれたかというと、「阿弥陀の浄土から生まれた」というわけです。具体的に言えば、私が生まれてきたのは両親がいたからですが、その父にも父と母がいて、その父にもまた父と母がいて ── とずっと考えていくと、それこそ先生がおっしゃったように、宇宙の始まりから続いている大きないのちの営みの中に、今こうして肉体として衣をいただいて私がいるのです。本当に有限な小さな自分かもしれないけれども、実は全宇宙の、無限のいのちに支えられて、こうして今ここにいるのです。その人生には、いいこともあるし、悪いこともあるし、病気にもなるし、老いで苦しむこともある。「生死病死」のいのちです。自分の有限ないのちの営みが終わったら、大きな無限のいのちとつながっているから、静かにその無限のいのちの世界(浄土)に帰っていくのだというところに先生のお話と関連があると思います。
 ですから、未来から自分が照らされるということが大切ですね。「死んだら阿弥陀さんが浄土に連れて行ってくれる」という話ではなくて、大きないのちの大地(阿弥陀の浄土)に支えられて、今ここに自分が存在しているということですね。ですから、苦しいことも悲しいこともいのちの場であり、生きている証拠だと。だから人間は悲しいものだということに堂々と立ち上がっていける世界が開けてくるのではないでしょうか。先生がいただいてきたことと全く同じかどうかわかりませんが、やはりしっかりした死生観を確立するということがものすごく大事なことではないかと感じました。
篠崎  まだまだお話が尽きませんが、そろそろ時間となりました。今年の成人の日法話会は、「いのちの場と医療 ―希望ある死―」をテーマに、帯津良一先生にご講演をいただき、多くの示唆をいただきました。また、先生とご住職の対談を通しながら、死生観といいますか、生き方を確立していくことの大切さをより感じさせていただきました。長時間にわたり、ありがとうございました。