死もまた我等なり

昨年12月18日付の朝日新聞の「be on saturday」に葬儀のあり方に関連して清沢満之が特集として掲載された。

論説委員の清水建宇さんは、葬儀場にはいつも清め所が設けられ、会葬御礼の封筒には「清め塩」の小袋が入っていたが、ある葬式で受け取った会葬御礼の封筒には塩の小袋がなく、「私たちは清め塩を使いません」というパンフレットが入っていて、思わず立ち止まり、読み返したという。これは私たち真宗大谷派東京教区が作成した『葬儀を縁として』というパンフレットである。清水さんは「仏教ではけっして死を穢れとして受け止めることはありません。『死もまた我等なり』と受け止め、生死[しょうじ]するいのちを精いっぱい生きていくことこそ人間としての生き方であると示しています」という文章に胸をつかれたそうだ。この「死もまた我等なり」とは清沢満之の言葉であり、そのことから清沢満之の特集が組まれたのである。

葬儀の場で、「浄土真宗は清め塩を使いません。宗派によってちがうのです」という葬儀社の説明がよくなされるが、それは死を穢れとした迷信に惑う葬儀が主流だからであろう。しかし、浄土真宗だから使わないというわけではなかろう。他宗派の僧侶でも清め塩を使わない葬儀をおこなっている話を聞いたこともある。

そもそも民衆が仏教葬儀をおこなうようになったのはいつのことであろうか。日本仏教史、宗教社会史が専門の山形大学教授の松尾剛次氏が「本来葬送というのは、人間の死というきわめて厳粛な事柄を扱う重要な儀式です。それがある時期までは、穢れに関わる行為として畏れられていました。それを鎌倉仏教の祖師たちが、そうした穢れ観を乗り越える論理を生み出して、初めて葬送に組織として取り組める教団ができたわけです。それがいかに革命的な行動だったか、そういう点を認識した上で、丁寧にお葬式をやっていただきたいというのが僕の願いです」とおっしゃっていたことが思い出される。仏教的葬儀は穢れを否定し、「死もまた我等なり」と自覚して、死を受けとめ、有限ないのちを尽くして生きる道を見出していくものだったのである。

よくよく考えてみれば、仏教では亡くなった日を「いのちの日」(命日=めいにち)とよぶのは、死を受け止めてこそ、本当のいのちの事実に立つことができるからではないだろうか。ところが、現代に生きる私たちはなかなかそうは思えないのである。新潟中越地震で教えられたことがある。地震により水道が断水して、ようやく復旧した被災地の人たちが、テレビ局のインタビューに答えて「水が出ることが、こんなにありがたいと思ったことはありません」と異口同音におっしゃっていたことが心に深く残っている。それは水が止まるということを知ったからこそ、水が出ることがかけがえのないことと感じられたのだろう。水が出るのがあたりまえという感覚になっている私には、被災地の方から教えていただかなければ、まったく気づかなかったのである。わかっているようで少しもわかっていなかったのである。真実の声を聞く、呼びかけられるということがあって、はじめてうなずくことができるのであろう。水が出るのが当たり前と思っている人間には、水の価値はわからない。同じように、生だけを求めている人間には、本当の生がわからないのであろう。現代は死を葬り、生ばかりを追求してきた。いやなものは捨て去り、明るみだけを追いかけてきた。その結果、人類史上最も「いのち」を軽んじる時代になってしまった。

我々が将来において百パーセント約束できることは死ぬことだけである。だとするならば、この有限ないのちをどう生きるのかが大切な人生の根本問題となってくる。葬儀は亡き人を偲ぶとともに、亡き人を縁として、自分のいのちのあり方が問われる、死すべきいのちをどう生きるのかと呼びかけられる唯一の時間かもしれないのである。そういう死と向かい合う本来的葬儀の復活が待たれているのである。