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報恩講日中法要
2003年11月3日(月)  於:蓮光寺

講師 稲垣俊夫先生
(台東区・通覚寺前住職、78歳)
テーマ 愚に帰る

南無阿弥陀仏をとなうべし

ただいまご紹介いただきました稲垣でございます。

資料を作ってきましたが、あまりご覧にならなくていいです。私自身がどこまで話したか途中で分からなくなるから、自分のためのメモなのです。あまりこれに捕らわれないで、お気軽にお聞きいただいたらありがたいと思います。

資料に「私より一言」というメッセージが載っております。「『春立つや 愚の上にまた 愚にかえる』という一茶さんの還暦の句があります。南無阿弥陀仏に生きている人に出会うと、おのずから頭[ず]がさがります。その人が尊いのは、仏様の知恵の光に照らされて、本当に愚の身にかえっているからです。報恩講は親鸞様の前に身を据えて、『上がり上がりて落ち場を知らぬ』私の危うさに気付かせていただく大事なチャンスではないでしょうか」こう書かれてありますね。これでもう私のお話は終わりなのです (笑)。あとは別に申し上げることは何もないのです。ですが、1時間という枠を与えられましたので、もう少しお話しいたします。

今もご一緒にお勤めさせていただいた「和讃」の1首目ですが、つくづく思いました。「弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし」これは親鸞聖人のお言葉です。つまり「お念仏のはたらきに本当に頭[ず]が下がった人は、ねてもさめてもへだてなく、南無阿弥陀仏をとなえなさい」ということですね。これは「となえなさい」という、私どもに対するおすすめであると同時に、親鸞聖人自身が「南無阿弥陀仏をとなうべし」という、如来さまの仰せを聞いていらっしゃるお言葉だと思います。

そして「ねてもさめてもへだてなく」というのは、「ねている時も目がさめている時も何も変わりもなくお念仏をとなえなさい」ということです。「そんなことできますか」とおっしゃる方がいらっしゃるけれども、それはとなえない方です。一生懸命となえてみると、寝ごとにでも念仏が出ます。妻がよく言うのです。「タクシーに乗ると困ってしまう。『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』と口癖が出るから、運転手さんが変な顔をする」。それは変な顔をするほうがおかしいのです。「目がさめている時、意識している時にしか南無阿弥陀仏が出ません」というのは嘘です。寝ごとにでも念仏がとなえられるくらい一生懸命打ち込みなさいということです。

五帖目一通の御文には、「ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり」とあります。蓮如上人も南無阿弥陀仏をとなえなさいとおっしゃっています。

それから、この本堂の法名壇のところに掛け軸が4幅かかっていますね。「親鸞聖人伝絵」といって、親鸞一代の伝記を絵であらわしたものです。その一番最後の所に、親鸞聖人が亡くなる場面があります。親鸞聖人は弘長2年(1262年)11月下旬にお加減が悪くなられました。『御伝鈔』には「それよりこのかた、口に世事をまじえず」と書かれています。世事というのは世間ごとです。世間ごとは何もおっしゃらない。「ただ仏恩のふかきことをのぶ」と。仏さまのご恩の深いことだけをおっしゃられた。先程の和讃の最後にありましたね、「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし。師主知識の恩徳も、骨をくだきても謝すべし」[恩徳讃]。そのことひとつをおっしゃっられたのです。

思い出すのですけれども、昭和30年代の中ごろに「樹心会」という会を友だちとやったことがあります。ある時のことですが、報恩講には「恩徳讃」を歌ったり、ご和讃として読むでしょう。昔、ある聞法会の「報恩講」の席上で40ぐらいの方がご質問になりました。「皆さんは、よく平気な顔をして『身を粉にしても』とか『骨をくだきても謝すべし』と、気軽に歌えますね」と。まじめな人なのです。はっと気づきました。私も単なる報恩講の決まり文句として聞き逃していなかったかと。「本当に骨をくだき、身を粉にしてもお礼を言わずにいられない」という気持ちが、「口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず」です。ほかの言葉を何もおっしゃらないのです。「もっぱら称名たゆることなし」と。念仏ひとつをとなえていらっしゃるのです。

「しこうして、同第八日午時、頭北・面西・右脇に臥し給いて」。下旬の第8日だから28日、つまりご命日ですね。本山の報恩講も28日まで勤まる。「午時」は正午、お昼ごろです。頭を北に、顔を西に向けて、右脇を下にして。お釈迦さまがお亡くなりになった時、そういう姿をおとりになったことから、親鸞聖人もそのようにされているのです。

「臥し給いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ」。私たちは最後になると、だれに金を分けてやるとか、そんなことしか考えません。ところが、親鸞聖人は世間ごとはいっさいおっしゃらない。念仏をとなえているうちに、念仏の声が聞こえなくなったと思ったら、お亡くなりになったのです。如来さまのご恩の深いことだけに、本当に「身を粉にしても」「骨をくだきても」というお気持ちを一筋に仰せになるばかりで、ほかのことは何も言われなかったのです。

これが、「ねてもさめてもへだてなく、南無阿弥陀仏をとなうべし」と親鸞聖人がご和讃におっしゃり、また蓮如上人が「ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり」とおっしゃるお心です。

凡夫の自覚

では、親鸞聖人はどういう人かというと、『一念多念文意』に「凡夫というは、無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河[しいかにが]のたとえにあらわれたり」とございます。「凡夫」というのは平凡な人。聖徳太子の『十七条憲法』では、「凡夫[ただびと]」と読ませています。ただの人。つまり向こう三軒両隣にいるような、何でもないただの人のことです。では、その「凡夫」とはいったいどういうものか。『一念多念文意』は親鸞聖人が85歳の時に書いた文章です。「われら」といっても複数ではなく、ご自分のことをいっているのです。「私」ということです。しかも、この「私」は頭だけで思い描いた抽象的な「私」ではない。生身の身体を持った「わが身」です。この「わが身」には無明・煩悩がみちみちていますよ。こう85歳の親鸞聖人は言うのですね。「無明」は「明るさが無い」と書きますね。真っ暗であるということです。「無明」というのは、人間が持っている根本的な愚かさです。

人間は何で生きているかといえば、一つは欲です。欲の皮がつっぱって、「欲しい、欲しい」と言うでしょう。いくらでも際限なく欲しい。欲が深いのです。果てはよその国まで出かけて行って、戦争をやらかすことになる。これを「侵略戦争」と申します。欲の表われです。もう一つは腹立ちです。思うようにならないと、たちまちプッツンしてしまう。そうでしょう? 「この野郎、ただじゃおかないぞ」と言って。人間の姿を端的にいえば、怒り、腹立ちと欲です。欲はどこまでいっても満足しない。そして欲が思う通りにいかなければ、「邪魔者は殺せ」だ。それが煩悩です。

煩悩のもう一つの原動力は何かというと、無明です。要するに愚かなのです。本能的な執着といいますか、そういうものが私の体の内に充ち満ちているのです。これは若い人ではないですよ、85の親鸞聖人です。僕も「年をとると、少しは枯れるだろう」と思っていました。だけど、78歳になってみると、一向枯れませんね。

怒り、腹立ち、そねみ、ねたむ心がたくさんある。そして隙間なく、時間的に絶えず起こっている。一念というのは「一刹那」と言います。つまり息を引き取る刹那までということです。「そういうものは枯れ果ててとまるか、消えるか絶えるかすると思うが、どうしてどうして、あとからあとから呆れるほど出てきますよ」。

これは、今日の一茶さんの俳句にもかかわるのです。『春立つや 愚の上にまた 愚にかえる』これは還暦の句です。一茶さんは、非常に煩悩の深い人です。諸国をうろうろして、50歳ぐらいになってから故郷に帰った。越後に近い柏原という所です。「これがまあ 終[つい]のすみかか 雪五尺」。これがその時の句です。そこに50ぐらいで落ち着いた。非常に親鸞さまを敬い、お念仏一筋になった方です。しかし、決して煩悩はなくならない。煩悩具足です。実に人間の愚かさを身に染みてお念仏によって教えられた人です。「愚の上にまた愚にかえる」と。

親鸞さまの教えをいただいてみると、「本当に自分は愚かなものだ」としみじみ腹の底から感じさせていただいていますが、「煩悩ももうこれで終わりか」と思うと、切りなくあとからあとから新手が出てくるのです。次々に新手の煩悩、欲望ができてきて、腹も立つし、欲もおこる。しかし、どうしようもないというところに愚痴を言っているのではなくて、「その愚かな人間が、本当にただお念仏をさせていただいております」とこういうことです。「愚の上にまた 愚にかえる」。実に深い自覚を表す言葉だと思います。

このことに関連して、群馬県桐生の本然寺の住職さんであった野田明薫師の歌をご紹介します。「小賢し 振る舞いなせそ 我が心 愚かなること 限りなければ」。「なせそ」というのは「するな」という意味です。「小賢しく振る舞うな」ということです。小利口にとかく立ち回る。僕らもそれを持っていますね。それで、わが心に呼びかけている人ですね。「わが心よ、お願いだから小賢しい振る舞いだけはするなよ」と。なぜかというと、「愚かなること限りなければ」。一茶さんと同じで、そろそろ愚かさの棚ざらえがと思ったら、とんでもない。あとからあとから無尽蔵に出てくる。だから「小賢しい振る舞いをするな」。しかし、ではそれで小賢しいふるまいが止[や]まったか。一向に止まない。実にここらが「ただびと」なんですね。小賢しい。実にこれが凡夫です。「愚かしさに限りない」。照らされながら、しかも小賢しさを免れない。

親鸞聖人のご和讃に、「名利に人師をこのむなり」という言葉があります。人の師匠、つまり先生面をするということですね。親鸞聖人ご自身のことです。大慈悲はいうまでもない、「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもうまじ」、本当に私は先生ぶりたい人間である。「名利」の「名」というのは名前。つまり偉い人だとか褒められたいというのは名前の欲でしょう。「利」は利益です。親鸞聖人は、「愚かさがなくならない」ということを苦にしているのではないのです。「本当に愚かな者です。先生ぶりたいような情けないところを持っているわが身でありました」と、お念仏の光に照らされて、本当に知らされているいく方が親鸞聖人なのでしょうね。「そんなのは悪いからどけてしまおう、手術して切開して要らないものは捨ててしまおう」というわけにはいかないのです。

「妄念はもとより凡夫の地体なり」という言葉があります。つまり、妄念、妄想を起こしたりするのが我々の地金である。メッキならばメッキを剥がせばいいけれども、そういうわけにはいかないのです。もう地金そのものです。「妄念は凡夫の地体なり。妄念のほかに別の心もなきにあり」。はっきりしたものですね。

今年7月に亡くなった一人のおばあちゃんがいらっしゃいます。そのおばあちゃんは小山貞子という人です。82歳で亡くなりました。「煩悩、どんと来い」という小山さんのカレンダーがあります。「煩悩」というのは悪いことと思っているけれども、「煩悩、どんと来い」というのは、念仏に生きた人の生きのいい言葉ですね。煩悩が悪いから、「こういう心を起こしてすまない」とびくびくしていないのです。「妄念、妄想、煩悩が凡夫の自体である。そのほかに心はない」と、はっきり見切ったところに親鸞聖人のお念仏があったように思います。

「愚」に帰る

「私の耳は ながねん 人の言うことを おろそかに聞いた耳です」という榎本栄一さんの言葉があります。何の難しいこともないですね。この方も90過ぎて亡くなったようです。お念仏の人です。一人のおじいちゃんがね、この方が奥さんに対して、「申し訳なかった。女房の言う言葉を私は聞けてなかったな」という懺悔の気持ちであろうと思います。というのは、私も妻にいつも言われているのです。「あなたは人の言うことを全然聞かない。やたらに人の言うことを反対し、人の言うことに『うん』と言わない。あなたという人は何という人間だ」と、日夜弾劾を受けております (笑)。思い当たるお父さんたちもいるのではないかと思います。「長年」という一句が重いですね。

さきほどの小山貞子さんは「私の心の病いは、相手を認められない病人である」とおっしゃいます。榎本さんの言葉は柔らかいけれども、このおばあちゃんの言葉はきついですね。まるで、ぎりぎりとメスで切り裂かれるような思いがしますね。「私の心は相手を認められない病人である」。これは全くお念仏にあった人でなければ言えない言葉ですね。

仏教で「天」ということをお聞きになったことございますか。「天」というのは「天人」。羽衣で天を舞っている天人。うちの門徒会である奥さんが「住職さん、救われた世界とは『天の世界』ですか」と言われました。「いや、そうじゃありません」と答えました。なぜかというと、迷いの世界を「六道」と言います。よく「六道輪廻」と言うでしょう。六つの迷いの世界がある。下からいうと、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天」の六つの世界が迷いの世界です。人間はここにいるのです。一番ひどいのは地獄です。どん底からだんだん上がってきて、天が人間の上である。これは全体が迷いの世界なのです。我々が望むところは「天」なんでしょう。先程、「欲望に切りがない」ということを申し上げましたけれども、切りがない欲望が、満足できた世界を「天」というのです。人間が憧れている世界ですね。しかし、これは救いとかさとりとは関係がないのです。天を人間の上に置いてあるのは、人間が憧れる世界だからです。何でも思うようになるからです。

しかし、天人には「五衰」というものがあるのです。5つの衰弱ですね。何かというと、頭に飾ってあった花飾りがたちまち萎む。天人の寿命が尽きてきて、死にそうになると、頭に付いていたきれいな花飾りがくたくたになってくる。そして天人の羽衣が塵や垢に汚れてくる。元気な時は塵や汚れはつきません。さわやかな羽衣が、塵や垢に汚される。3つ目は、腋の下から汗が出る。腋臭が強くなるのでしょう。4番目は、両目が時折眩[くら]むということが起こってくる。そして、5番目が肝心なのです。本居宜長の「本居」という字を書いて「ほんこ」と読みます。「本居を楽しまず」。「本居」というのは、本来の居所です。つまり、今ここにいる自分が今現在に満足できないということです。すべて願いがかなったでしょう。「けっこうだ、けっこうだ」と浮かれていたけれども、はて、衰えが来て死が迫ってくるというと、苦しみになってくるのです。面白いですね。『往生要集』に、「今までみんなちやほやしてくれたのにね。何よ、あれだけ面倒見てやったのに、だれも私に振り向かない。みんなそっぽを向いてしまう」と書かれています。実に人間臭いですね。「よりどころがどこにもない。全くひとりぼっちである。その苦しみは地獄よりも勝る。地獄の16倍の苦しみである」と書いてある。つまり、一番思う通りになった欲望の「願ったり、かなったり」の世界だから、有頂天になったわけです。それから落ちかけてくる。今度は苦しみが地獄よりも重いというのです。

地獄はどういう苦しみかというと、「助けてくれ」と言うけれども助けてくれない。苦しくてたまらない。やっとこれで苦しみも終わるかなと思うと、鬼が「活[かつ]、活」と言う。「活」というのは「生き返れ、生き返れ」というのです。これで死んで拷問が終わりかなと思ったら、「生き返れ、生き返れ」と。そういうふうにすごい苦しみが地獄だといわれます。その16倍もの苦しみです。だから、「天人の五衰」の中心は「自分が今いる場所が喜べない」ということなのです。決して、天の世界は願うべきものではない。本当に天をも超えて、仏さまのお救いの世界を求めなければならないということでしょうね。

天が地獄よりもひどいという落ち目になった時、苦しみを天人が味わう。それがまさに「安達ヶ原の鬼婆」がそうなのです。この上ない、存分に思うようになったという世界が長続きしないで、鬼婆にならざるを得ないという世界です。

似たような話がギリシアにもあります。「プロクルステスの寝台」という話が出てくる。プロクルステスというのは泥棒ですが、旅人を身ぐるみ剥ぐだけでは満足しない。自分の寝台に寝かせる。寝かせるまではいいけれども、背が高いから足がはみ出ると切ってしまう。足りない者は綱を付けて引っ張って、寸法に合わせるというものすごいことをやった。ひどい話ですが、これが我々の本性です。自分のベッドの寸法に合わせて、相手を切り刻むのが人間の本性ではないですか。

だから、野田明薫師が「作り心して『極重悪人』と謙下[けんげ]するまでもなし」と言われるのです。「謙」というのは謙遜ですね。つまり、「罪深い浅ましい人間でございます」というのは、本気に思ってはいないのだけれど、そういうふりをするのです。そんなふりをする必要がない。「『大経』の『三毒段』『五悪段』のご光明に照らさるれば」、つまり『大無量寿経』というお経の『三毒段』『五悪段』は人間の手前勝手さ、ひどさをありありと書いてくださっている部分です。

「『三毒段』『五悪段』のご光明に照らされてみれば、心につねに悪を思い」、思うことと言えば悪ばかりである。「口に常に悪を言い、身に常に悪を行じて、かつて一つの善だになく、もろもろの不善(悪)を具せる泥凡夫、人一倍立ちまさった悪党なり」。わざわざ「罪深い人間でございます」としおらしく謙遜するな。『大経』の教えに照らされてみれば、本当に人一倍立ちまさった悪党ではないか。あとがすごいですよ。「形は殊勝な聴聞衆に見えても、仏のおん眼より見給えば、『人の生首を取ることを何とも思わず、血刀を引っ下げたる悪党のみが、我が説法に集まるなり』と、釈尊、説き置かせ給えり」と続きます。「お釈迦様が、私の説教に集まる者は血刀を引っ下げた悪党ばかりだ。殊勝な弔問衆に化けてはいるが」と。これは決して、「あなたがたは、くだらない人間である」と馬鹿にしていう言葉ではありません。人間の本質を表しているのです。「私の耳は ながねん 人の言うことを おろそかに聞いた耳です」と言い、「私の心の病は、相手を認められない病人である」とおっしゃる、そのことをもう少しどぎつく言えば、安達ヶ原の鬼婆であり、プロクルステスであり、人の生首を取ることを何とも思わず血刀を引っ下げた悪党なのです。そういうことを忘れるなということでしょうね。

ただ、「あなたは本当にどうにも救いのない人間ではないか」という、仏さまあるいは親鸞聖人の血を吐かんばかりの叫びが、ひとこえに聞かれたところが南無阿弥陀仏の世界だと思います。決して「あなた、それでいいんだよ」と頭をなでてくれて、何でもハイ、ハイというような話ではありません。本当に人間の何とも言えない愚かさや、罪深さ、すさまじさというものを骨の髄まで知らせていただくということです。「知らしていただいて、それをやめて優等生になる」ということではありません。「春立つや、愚の上にまた愚にかえる」というのは、そういう世界ではないですか。だから、蓮如さんもおっしゃっていますね。「我が 善き者に 早や、なりて・・・」、いつのまにか自分が善人になりすましている。早業です。あっという間に、無意識のうちに化けている。「その心にて、ご恩ということは打ち忘れて、我が心、本とな」ってしまっています。今日は報恩講ですね。本当にご恩にお礼を申し上げる集まりなのです。われわれは普段、ともするとご恩を忘れて、わが心が本になるわけです。わが心はどういう心かというと、「血刀を引っ下げたる悪党」なのです。だから、どうか正気に帰ってくれと。正気に帰るということは、「愚」に帰るということです。頭がさがるということは、頭を上げてはおられないようになるということです。それを「南無」と申します。

親鸞聖人の88歳のお手紙に「故・法然上人は『浄土宗の人は愚者になりて往生す』と候いしことを確かに承り候いし上に、」とございます。愚に帰って往生するのです。この場合、浄土宗というのは、現在の浄土宗という宗派名ではなくて、親鸞聖人、法然上人のお2人が切り開いてくださった南無阿弥陀仏の道をいうのです。それこそが本当に愚に帰る道であるということです。お師匠さまがおっしゃったことを確かに聞きましたよと言われています。親鸞聖人が29歳で法然上人のお弟子入りし、35歳で別れ別れになって、それ以来会っていないのです。五十何年も昔のことを今日のことのようにおっしゃっているのです。確かに法然上人がそうおっしゃったのを承ったばかりでなく、「ものも覚えぬあさましき人々の参りたるをご覧じては、『往生必定すべし』とて笑[え]ませ給いしを見参らせ候いき」と。訳の分からない理屈を一言も言わないような本当に素朴な人たちがお参りしてきたのを見て、「こういうような方々は往生なさるだろうな」と法然上人がにっこり笑っておっしゃっているのですね。

「おれたちは、だれ一人、正気じゃないんだよ」(ヘミングウェイ)ということは、親鸞聖人の言葉でいうと、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごと・たわごと」ですね。「そらごと」というのは嘘ですね。「たわごと」とは正気を失って口走る言葉です。「まことあることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておわします」。ですから、仏教というものは「正気に帰れ」ということを教えてくださるものだろうと思います。小山貞子さんの菩提寺の前住職である松原現詮師は、「仏法は『そうでない』ということを聞くんである」と言われました。そんなようなことを思うわけでございます。

最後に、岩田カネさんというお念仏の人の歌を引いておしまいにしましょう。「西ひがし知らぬものまで引き寄せて共にとなえん南無阿弥陀仏」。これは、「知っている私が、西も東も知らないみんなを引き寄せる」ということではありません。つまり、仏さまが西も東も知らない私どもを引き寄せて、一緒にお念仏をとなえようじゃないかと言ってくださっているのです。

私どもは西か東を分かっていると思っているのですが、本当は西も東も分からないのです。真っ暗闇となった所に、はじめて南無阿弥陀仏という声が響いてくるのです。

何やら話が脱線してあちらこちら行きましてすみません。時間が来ましたので、この辺でお許しをいただきたいと思います。ありがとうございました。