あとがき

9月のお彼岸お中日ごろから、ようやく暑さがやわらいできました。今年の夏は、例年以上の猛暑でした。東京は年間の約5分の1が真夏日になる計算です。地球温暖化が現実味を帯びてきている感じです。そして、この暑さをさらにヒートアップさせたのがアテネオリンピックでした。16個の金メダル、史上最多となる37個のメダルを獲得した日本選手の活躍に自然と熱くなりました。元気のない日本が少し明るくなったようでもありました。

ところで、アテネオリンピックで世界中が感動したことといえば、男子マラソンで胴メダルを獲得したバンデルレイ・デリマ選手(ブラジル)の走りでした。デリマ選手は36キロ付近まで首位を走っていましたが、乱入者に妨害されました。数秒後レースを再開しましたが、リズムが乱れて、3位でゴールインしました。乱入者がいなかったら、金であったとか、なかったとか、そんなことはどうでもいいのです。ふつうなら、オリンピックを目指して練習してきたにもかかわらず、大切な本番にこんなかたちで邪魔が入ってしまっては悔やんでも悔やみきれないし、乱入者を許すことができないでしょう。ところが、デリマ選手は、最後の直線を飛行機のポーズをとりながら満面の笑みを浮かべて、時折投げキッスをしてゴールインしたのでした。世界中の人々が最後まで諦めないデリマ選手のスポーツマンシップに感動しました。デリマ選手がどうしてあのようにゴールインできたか、真意はデリマ選手しかわからないことでしょう。しかし、「ああいうアクシデントは誰にでも起こりうることです」と語ったデリマ選手の言葉には、仏教の教えに精通するものがあります。仏教はいのちの厳粛な事実を生老病死で押さえます。一言でいうなら、思うとおりにならないことが人生だということです。縁によってはどうにでもころんでいくのが人生だということです。だとするならば、外にどんなことが起きようとも、それを受け入れて自分を輝かすことができるかどうかが、私たちが生きる上での大切な視点ではないでしょうか。思うとおりになるときは誰でも輝けます。しかし、思うとおりにならない時ほど、いかに輝いていけるかが人生の大きな課題だといえるでしょう。乱入者がいたからと落胆して棄権でもしたら、まわりは同情するでしょうが、自分は惨めになっていきます。乱入者がいるということが人生につきものと感じて、その状況のなかでも自分が自分であるならば、それが絶対満足というものでしょう。デリマ選手が本物ならば、心から自分に満足していることでしょう。仏教で「原因は外にあるのではなく、自分のなかにある」と教えられる意味が少しいただけたような気がします。自分が輝けるかどうかは、自分のあり方ひとつです。そして、メダル獲得という「結果」より、そのプロセスのほうがはるかに意味があることも教えられました。結果ばかりにとらわれて、自分を見失っていないかどうか、大きな問いが投げかけられているのだと思います。

(住)