法話のページ 2

「いのちのふれあいゼミナール」の集い
2003年6月28日(土)  於:源信寺

テーマ 「汝、凡夫よ」と呼びかけられて -私の真宗との出遇いとその意味-
講師 橋口茂氏
(蓮光寺門徒、釋草純、39歳)

はじめに

蓮光寺にお世話になっております橋口と申します。私は現在38歳で、葛飾区のお隣の松戸市の馬橋に妻と娘2人の4人で暮らしております。私の職業は、民間の技術コンサルタント会社に勤務する技術者として、公共事業分野の環境保全に関する調査・設計・技術開発等の業務を行っております。今日は、蓮光寺の本多住職より、「君が真宗の教えと出遇ったきっかけや、君にとっての聞法の意味について話してもらえないか」ということで、私のようなものでよければということで、これからお話させていただきたいと思います。つたないお話となり、お聞き苦しいところも多々あろうかと思いますが、よろしくお願いいたします。

真宗と出遇ったきっかけ

●うつ状態になる

私は、蓮光寺の「門徒倶楽部」に参加させていただくようになりましたのは、今からちょうど4年前の6月でございました。

蓮光寺にお世話になる2年近く前の9月のはじめ頃でしたが、私は、いつも通勤で使っております千代田線に乗ったのですが、どうしても会社にいけなくなり、途中の町屋駅で降りて、松戸方面へ戻ってしまいました。その頃、仕事による過労と、仕事での行き詰まり感やいろいろな悩みなどが重なっていました。非常につらかったので、何かおかしいと思いまして、その足で松戸駅前の精神科のクリニックに行きましたところ、軽いうつ状態との診断を受けました。

最初の年は会社を1週間ほど休んで、半年ほどクリニックに通って何とかなったのですが、その後やはり多忙な生活を続けました。その結果、次の年の秋のはじめにうつ状態が再発して、「どうしても出社できません」と会社に連絡して、家族と一緒に逃げるように故郷の長崎に帰りまして、それからも断続的に会社を休んでしまうこととなってしまいました。

うつ状態は、自分でいうのもなんですが、どちらかというとまじめな人がなりやすいそうです。性格的にはいわゆる執着性格に、ストレスが加わると、脳の神経伝達物質が出にくくなって生きていく活力が失われ、憂うつ感や不安感などの精神的な症状と、早朝に目が覚めやすくなり、睡眠が十分取れないなどの身体的な症状が見られるのが特徴とされています。中でも希死念慮というのがあり、いってみれば死を願うわけでして、駅のホームで電車が入ってくるとき、吸い込まれてしまいたいと思ったことが何度もあり、あまり思い出したくないような症状でありました。

うつ状態の治療は、できる限り静養をして、薬の服用と先生によるミニカウンセリングを受けることが基本となります。しかしながら、カウンセリングではいろいろと自分の症状や仕事の状況などを先生に説明して対応を相談するのですが、限られた診療時間の中で先生に自分の全ての状況をわかっていただいて、適切に問題解決を行っていくことには、どうしても限界があるのではないかと感じました。また、うつ状態が再発したため、仮にいったん治ったとしても、執着しやすい自分の性格をどうにかしないと、また再発してしまうに違いないと思いました。

●仏教、そして真宗との出遇い

その頃、私は、休んで家におりますときは、何をする気力もなく、ごろごろしているような感じだったわけですが、たまたま持っていました手塚治虫さんの『ブッダ』を何度も読み返しているうちに、このような病の苦悩に向き合っていくためには、仏教に何か手がかりがあるのではないかと思いました。それからは、仏教の入門書を読みあさるようになり、冬頃には近所のお寺の座禅会に参加したりしました。しかしながら、座禅会は2時間の座禅を行うもので、おそらく普通の人でも大変だと思いますが、活力の乏しくなっていた私には非常に厳しいものがあり、2回通っただけで挫折してしまいました。

そのような中で玉城康四郎先生の書かれた『ブッダの世界』を読んでいるとき、「念仏でも座禅でも唱題でも、自分に縁の深い、親しみのある、しかも毎日行うことのできる方法を選べばよい。日々怠りなく続けていけば、必ず不退転の境地に到達することができる」というような一節に行き当たりました。そのとき、子どもの頃に祖母が仏壇の前で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えていたことを思い出し、もしかしたら、真宗の教えでいいのかもしれないと感じました。自分は真宗のことをほとんど知らないけれども、ぜひ真宗の教えを聞いてみたいと思うようになりました。

この間、うつ状態は一進一退を繰り返したため、妻のすすめもあって、思い切って2月の中旬ごろより会社を1月半ほど休職して自宅療養することとなり、4月から職場復帰いたしました。

その後、5月の連休中にインターネットで蓮光寺の存在を知り、蓮光寺の「門徒倶楽部」に参加させていただくこととなりました。

教えとの出会い

●いのちのふれあいゼミナール

「門徒倶楽部」にお世話になるようになるのと同時に、蓮光寺住職(当時は副住職)のすすめで、宮戸道雄先生(滋賀県・慶照寺住職)がご講師をしておられました、推進員養成講座「いのちのふれあいゼミナール」にも参加させていただくことになりました。確か最初に参加しましたとき、まず「お寺は習う家」であるとのお話を聞いたと思います。何を習うかというと、自分を習うということでございました。その日は「王舎城の悲劇」のお話が始まったと記憶しています。王舎城の阿闍世のことについては、先ほどの手塚治虫の『ブッダ』のクライマックスにも出てまいりましたので、自分にとって入りやすい内容でした。その日は、今思うと不思議なことですが、「我執」について、思うところを書いてみてくださいと宮戸先生から宿題が出たような記憶があります。また、お釈迦さまが韋提希に「汝、凡夫よ」と語りかけるところを繰り返し語られた宮戸先生の声が印象に残りました。

●帰敬式のこと

そういったことを経まして、「いのちのふれあいゼミナール」に参加させていただいた流れで、いろいろと迷いもしましたが、東本願寺の本山研修に参加し、帰敬式を受けさせていただくことを決心いたしました。本山研修は二階堂行邦先生(新宿区・専福寺前住職、当時は住職)がご講師でした。

そういうことで帰敬式となりまして、いよいよ剃刀の儀が始まる時に「合掌して下さい」の声で念珠に手を通そうとしました。その瞬間、大変不思議なことですが、なぜかこの念珠を買った時のことを思い出しました。この念珠は、今から6年半ほど前に、結婚後わずか2か月後に、妻の母がくも膜下出血で倒れ、その1週間後に亡くなった時に買ったのだったと一瞬思い出しました。

この帰敬式を受けました後、各班に分かれて座談で感想を順番に離すこととなり、「門徒倶楽部」の法友である谷口裕さん(当時31)さんが、「自分がここに来るまでに31年かかったんだなぁ、と思いました」としみじみ語りました。そのことを聞いたとき、私も全くそうだと思い、自分も同じように35年間かかりましたというようなことを語ろうとしました。そのとき、帰敬式で思い出した念珠のことから、新婚間もなかった頃、母を失って悲しみのどん底に沈んだ妻を支えることができず、どうすることもできなかった自分の無力さや、その後、仕事で行き詰まり、うつ状態で休職することとなり、絶望的な気持ちになってしまった日々のことなどを思い出し、言葉に詰まってしまい、つい、涙がこぼれ落ちてしまいました。「まずい、しっかり話さなくては」と思ったのですが、なぜか、宮戸先生がゼミナールのご法話の中でおっしゃられていた「汝、凡夫よ」という声を思い出しまして、何か話そうとしても、「汝、凡夫よ」という声が繰り返し甦ってきて、本当に涙が止まらなくなってしまい、何もしゃべれないまま、座談の皆さんに「すみません」というのが精一杯でした。

そのときのことを今、振り返ってみますと、未熟で無力な自分だけども、それでいいのだと、何だか赦されたような、自分で自分を受け入れることができたような、そんな気がいたします。

いのちのふれあいゼミナールと本山研修は、そのようなことで、私にとって大変記憶に残る、ある意味では恥ずかしさでいっぱいの経験となりました。

●凡夫の私

その後、本山研修から半年後の夏ごろだったと思いますが、「門徒倶楽部」で『歎異抄』を拝読しておりますと、後序のところで、「『自身はこれ罪悪生死の凡夫、常に流転し、つねに沈没して、出離の縁なき身であることを知れ』との金言に少しもたがわせおわしまさず」の「金言」の言葉が目に飛び込んできて、はっとしました。金言といいますと、金のように価値のある言葉といわれます。この、「金言」ということから、このところこそ、いのちのふれあいゼミナールをはじめとするご法話で聞いてきた「汝、凡夫よ」ということではないかと思ったのです。

さらには、この言葉の前段に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案じてみれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの縁をもちたりける身を救わんと思し召したてまつる本願のかたじけなさよ」とおっしゃられた親鸞聖人のお言葉がございます。そのような苦悩に満ちたわが身の事実を深く認識できたときに、如来に頭が下がっていって、南無阿弥陀仏と申していく、そこに救いがあるということが、聞法を続けていくうえでの私の課題となってまいりました。

聞法とその意味

●変わらない現実

うつ状態で休職して職場復帰をしてから4年がたちまして、帰敬式で法名をいただいてから、それなりに聞法を続けてまいりました。しかしながら、教えを聞いていくことにより、まず言えることは、自分を取り巻く現実は、何もかわらないということでございます。

具体的に私の日常生活を申しますと、仕事がら、公共事業に関して、国や各地の地方自治体からクライアントから受注した業務を年間で10件程度受け持ちまして、一つ一つ条件やリクエストの異なる業務を行っております。いってみれば、年間に10本の研究論文についていろいろな調査を行ったり検討したりして書くような感じであります。しかも、通常、このような仕事を行っていくためには、個人で行うには限界があり、数名のチームでおこなうことが義務づけられておりまして、若手の技術者にアドバイスしながらやっていくわけですが、コンセンサスを得ながらすすめていくのもなかなか難しいものがあります。さらに、高度情報化、少子高齢化、国際化に加えて、厳しい財政状況を反映して公共事業費が抑制されていく中で、業界自体が厳しい競争下にあります。特に最近では、建築分野の設計コンペのようなものですが、プロポーザルというものがあって、1週間程度の短期間の中で結果を出さねばならないなど、非常に厳しいものがあります。資格要件についても、国家資格を単独でなく複数所有していないと競争に勝てないということで、仕事以外の勉強を通勤時間や休日にせざるを得ないような傾向も年々強まっています。

このような状況下において、持てる力を出し切って、ギリギリの闘いを続けていかなければならない状態が続いています。私が勤めている会社でもついに希望退職者の募集を実施し、この5月に初めて100名弱が退職いたしました。また、勤め続けている社員であっても、それまでやりがい・生きがいを持って、愛情を持って行ってきた仕事が、ニーズが徐々に変化することにより、業績が伸び悩んだり、先行きが不透明になっていくことが避けられなくなってきています。このことは、自分自身が体験しましたが、最もつらいことの一つであると思います。

このような精神的な不安感に過労状態が重なって、うつ状態となり、かつて私がなったよりも重い症状で、入院したり、半年以上も休職したりしている社員を何人も聞いています。一昔前までは、サラリーマンは気楽な仕事で、マイホームパパなどという言葉もありましたが、とてもそんな状態では生き残れず、必ず淘汰されてしまう、本当に厳しい状況になってきたと実感しています。

ひとつだけ言えますことは、このような厳しい環境にあって、聞法を続けることによって、この現実が変わるというような直接的な効果は、全くないのではないかと思います。

●阿弥陀仏に南無したてまつる

そのような厳しい状況の中で、競争に何とか勝って生き残っていくために、浅ましい生き方をせざるを得ない、流転を続けるしかない私でございます。本当におろかな自分、浅はかな自分、精一杯の自分だと思います。そのような人生を送らねばならない私であっても、真宗の教えは、たとえどんな自分であっても、自分が自分なんだと、自分を引き受けさせていただける教え、たとえどんな自分でも、決して見捨てない、そんな教えではないかと思います。

そして、厳しい弱肉強食の非情で、無常な世の中にあって、私たちの人生における様々な出来事も悩みや苦しみも同じように無駄なことは何もないのではないかと意味が与えられてくると感じています。うつ状態になるまでの仕事の過労の状態や様々な苦悩は、本当に苦しいものがありましたし、うつ状態になってつらかったけども、それにより自分は真宗の教えにふれさせていただくこととなりました。何よりも、教えに出遇うまでの自分は、自分の思いにとらわれた生き方によって、完全に行き詰まってしまったのは間違いありません。

その私の無明の闇に、本当に針の穴のような穴が開いて、かすかな光に照らされて、無明に覆われている姿がうっすらと浮き彫りにされてくるのです。そんな私に「汝、凡夫よ、阿弥陀仏に南無せよ」との呼びかけてくださる、それが自分にとってのかすかな、しかし自分の生きる基盤を与えてくれる救いなのだと思います。

「門徒倶楽部」での語り合いを通して、教えに照らされてすべてがパッと明るくなるというよりは、私の無明の闇に小さなろうそくのようなともしびがともっているような感じなのだということがはっきりしました。本当に、厳しい現実は変わりません。しかし、小さなともしびのようですが、間違いなく基盤が与えられるのです。そのことによって厳しい現実に向き合っていく大きな力が与えられていくのです。疲れ切って、真っ暗な夜道を家路に向かいながら、誰にも聞こえないようなかすかな声で念仏を称えながら歩くときなどに、特にそのように感じる次第です。

●ともしびを保つ

「門徒倶楽部」で座談や輪読をしたり、法話会で法話を聞いたりしますと、その時は何となくうなずけたような気がします。しかしながら、毎年の年度後半の繁忙期になりますと、聞法の場に足を運ぶことも、本を読んだりすることもほとんどなくなり、教えからすっかり遠ざかってしまい、元の木阿弥のようになってしまいます。繁忙期の過酷な状態の中で、仏弟子としての自覚もなく、仕事に追われ、その日ぐらしをして、実に悲しいことだと思います。仏弟子として生きていくには、一体どうしたらいいのだろうかと考えてしまいます。教えは確立しており、如来の光は届いているのでしょうが、私にはゆっくりとしか伝わらないのです。しかし、そのような私だからこそ、繰り返し、繰り返し、教えによって自分を見つめさせていただき、ともしびを保って人生を歩んでいきたいと思います。

おわりに

●お釈迦さま以来の教えの継承

真宗が私のようなものにまで届きましたのには、お釈迦さまがいて、七高僧がいて、その中に特に法然上人がいて、そして親鸞聖人がいて、蓮如上人がいて、清沢満之が出て、そんなことで今日まで伝えられてきたのだと思います。

特に、お釈迦さまは赤ん坊の頃にお母さんが亡くなり、内省的な人間形成に大きく影響したといわれています。法然上人は、お父さんが夜襲にあって死の間際に「恨みを持って恨むに報いるなかれ」といわれた言葉を胸に、善導大師に出遇っていかれました。親鸞聖人も幼い頃に両親と別れ、蓮如上人も、6歳の頃にお母さんと別れました。愛する人と別れるのはとてもつらいことです。しかし、死をはじめとする苦しみは、誰も避けることはできません。しかしながら、そのような人生の悲しみの中から、悲しみを縁として、真宗の教えが伝わってきたのだと思います。

真宗は仏教の中でも独特の難しさがあるような気がします。確かに人間というものはやっかいだと思いますが、時々、枝葉に入っているのではないと思うことがあります。一方で、厳しい世の中にあって、苦しんでいる人々が多いのではないかと思います。そのような方々に、大乗仏教の中の核心であろうところの、真実の信心による救いについて、現代を生きる多くの人々にわかりやすく伝えていただければと思います。

最後に、聞法に関しましては、妻からは「寺に行ってもいつも飲んだくれてばっかり」「あなたが寺に行くことは、家庭が機能していないということだ」と手厳しく言われている始末です。

しかしながら、そうではなく、自分のような人間だけれども、自分は自分らしく、自分を受け入れることができて初めて家庭が機能していくのではないかということを少しずつ伝えていきたいと思っています。

そして、これからも、困難な道のりが続くと思いますが、「汝、凡夫よ」という呼びかけに耳を傾け、日常生活の中で自分を見つめ、教えを聞き続け、寝てもさめてもいのちのある限り念仏申して、限りのある人生を歩んでいきたいと思います。

以上、私のつたない話をご静聴いただき、まことにありがとうございました。