門徒随想

思うところがあり、15年間続けた中学・高校の教員を辞め、この4月から大学院に通い始めた。自分の時間が驚くほど増え、本を読んだり考えごとをしたり調べものをしたりする余裕が生まれたのはもちろんだが、そればかりでなく、歩くのが苦でなくなってきたのが不思議でならない。これまでは通勤も車を使っていたし、「明日も早い」とか「体力を温存しなければ」とかいった気持ちから、歩くことをできるだけ避けてきたような気がする。

車を運転しているときには通り過ぎるばかりだった街も、裏道に一歩踏み込めば、そこには心を惹くさまざまのものがたたずんでいる。これまでは目をくれることもなかった説明版の前に立ち止まれば、そこがある学校の創立の地であったことを教えてくれる。ふと気付けば、路地裏には名前も知らない花が命を限りとばかりに咲いていたり、新しい緑が芽をふいていたりする。

今まで、いつだってそこにあったというのに、自分の都合を優先するあまり、その存在に気付くことすらせずに暮らしてきたことがなんとももったいないことのように思えてきた。振り返ってみると、私が聞法の道に踏み出そうと思ったときにもそんな思いが働いていたのだった。

もう7年以上前のことになると思うが、その頃一緒に暮らしていた人のおじいさまが亡くなり、どちらの宗旨かは忘れたがその家の流儀でお葬式を出すのに立ち会うことになった。神棚に白い紙を貼ることから始まり、上着を逆さまに着せたり、紙でできた六文銭をお棺に入れたり、お棺の蓋の釘を石で打ちつけたり、粉をこねてこしらえたお団子を供えてみたりと、いろんなことをさせられたものだ。その時の僕には、何でこんなことをするのだろうと思いながら、お坊さんや葬儀屋さんのことばに従うことしかできなかった。戒名は1文字いくらで院号をつけると何百万円という話を聞いたときも、「仏教とはなんとくだらないものか」と思うばかりだった。

その後5年ほど経った今から2年半前、父を病気で亡くした。僕は、悲しみの中にありながらも、あんな思いをもう一度するのだけはごめんだと思った。父は必ずしも熱心な門徒ではなかったと思うのだが、阿弥陀さまのいらっしゃるお内仏を用意した人ではあったので、父の葬儀にあたって、まずはその願いを大切にしたいと思った。うちの宗旨は真宗大谷派なのだと聞かされて育ったことを思い出し、インターネットを使ってお寺を探し、そして、たまたま蓮光寺とのご縁をいただいたのである。初めてお話をうかがったとき以来、ご住職のことばには驚くことばかりだったし、耳や目から入ってくる真宗の教えはすべてが新鮮だった。この教えは今までずうっとここにあったというのに、その存在に気付くことすらせずに暮らしてきたことがなんとももったいないことのように思え、真宗門徒として名ばかりの状態を改めたいという意気込みで法名をいただき門徒倶楽部の一員にもさせていただいたのだった。

新しい季節とともに与えられたたくさんの時間は、僕に聞法生活のスタートのときを思い出させてくれたようだ。感謝とともに、またその歩みを深めていきたいと思う。

河村和也 〈釋和誠〉 (大学院生・私立学校非常勤講師、38歳)