法話のページ

蓮光寺「報恩講」日中法要
2002年11月3日(日)

テーマ 人生に絶望なし
講師 田口弘師
(「東京坊主バー」オーナー、42歳)

自分の姿が見えているか?

ただいま、ご紹介いただきました田口でございます。

ご住職様から「人生に絶望なし」というテーマを頂戴いたしました。大変重いテーマでありまして、今日お話ができるのかどうか心配しておりましたが、今日こうやって皆さまの前でお話ができるということこそ、「人生に絶望なし」ということなのだ、それが私の実感でございます。

私は新宿区の四谷荒木町で「東京坊主バー」という怪しいバーをやっておりまして、「夜の伝道活動」と言われましたけど、そんな大げさなことではないのですが、浄土真宗に限らず、仏教というのは生きている人のために説かれた教えでございます。お釈迦様は生きていらっしゃる方に、その悩みを解くために教えを説かれた。そして、親鸞聖人ご自身も、この世を生きる身として、その教えによって我が身が救われるということを明らかにされながら、願いをもって仏法を広められた方でございます。ですから、今、私たちが悩み苦しんでいることは仏の教えによって明らかにされ、そして、そこに開かれていくのです。それが本来の仏教の姿であろうと思います。

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お店には、私は目が見えないものですから、お酒を作ったりということができませんので、マスターとバーテンの2人がおります。私は「居候坊さん」ということで黒い衣を着てお店におりまして、「あれ、こんな所にお坊さんがいるの」というところで、皆さんにお酒を飲んでいろいろ語っていただこうということをしているわけです。

店を開けて2年もたちますと、大分お客様から信頼されるようになって、悩みを打ち明けられるようになるのです。「もう、悲しい、つらい」ということは毎日のようにたくさんあります。でも、その悩みを「どうしたらいいでしょうね」と私に問いかけられるんですけれども、答えはひとつなのですね。なぜ悩み苦しむのか、それは今の自分の姿が自分の思い通りになっていないからです。ちょっと言葉を変えて言いますと、今の自分の姿がちゃんと見えていないということなのです。自分の姿に出遇っていないことの苦しみです。そして、どこでもないここに、いつでもない今、こう、今、いのちとしてある私というものが嫌いだ、こんなんじゃないと思うところに苦しみの根源があるわけです。だから、そこで苦しんでいても、現実と自分の中の思いとのギャップで心がずたずたにされていくわけです。とうとう、耐えられなくなって自らいのちを絶っていってしまう方もおられるようです。毎年自殺される方が3万人からいらっしゃる。これは大変な事態です。

もうひとつ申しますと、どうしてそうなっていくのかという、その根本的なところをもっともっと私たちは見つめていかなくてはいけないのではないでしょうか。「いのちを大切にしましょう」とみんな言います。では、いのちを大切にするというのはどういうことなのでしょうか。

挫折への道

私は今、全然目が見えないんです。13年前に両眼とも視力を失いました。子どものころから私は非常に目が弱くて、左目というのはすでに全然見えませんでした。右目はぼんやりと見えておりました。ですが、学校にいっても黒板の字というのが見えたことがないんです。学校に行くまでというのは、片目しか見えない、しかもその片目もぼんやりとしか見えていないんですが、「ものが見えるというのはこういうことなんだろう」と思っていたわけです。だから、自分がそんな状態であっても、そのことで悲しいとか苦しいとか思わなかったのです。

でも、学校に行くということになると、そこで授業を受けていくわけです。先生が黒板にものを書いて、それをみんなで見て、つまり皆でひとつのことをやっていくわけですね。そうすると、そこで皆と同じことができない。学校でも席を前にしてもらったり、ルーペってご存じでしょうか。いわゆる昔言うところの虫眼鏡です。教科書でも物事でも、虫眼鏡をあてて見るわけです。でも、そんな物はだれも使っていないわけです。だれも使っていない物を使わないと自分は学校へ行けないのです。みんなと一緒に勉強もできないのです。まして、こんな牛乳びんの底みたいな厚い眼鏡をかけて。そのころはまだまだ健全な時代だったので、小学生で眼鏡をかけている子なんかいないわけです。やはり子どもというのは非常に純粋であると同時に残酷なものがありまして、自分と違うものというのはなんかちょっかいを出したくなるのですね。からかいたくなる。ということで、常にいじめの対象にはなっていたのです。普通だったら、例えば横に鉛筆と消しゴムを置いておいて、ふっとこうそれを取ったとしたら、「何するんだ」と言えるかもしれないですが、私は左目が見えないですから、取られても分からないんです。分からない中で、後で「ああ、どっかいっちゃった」と言って、机の下に落としたんだろうかと、はい回って捜す。そうすると取ったクラスメートがそれを机の上にまた戻しておいて、私がもうあきらめて顔を上げるとちゃんとそれは机の上にあって‥‥。「だれか取ったんだろう」と言っても分からない。自分が取るところを見ていたわけではないから、だれかを捕まえることもできない。みんなニヤニヤ笑って見ているのです。そんなようなことが毎日のように続きました。

つかみ合いのけんかみたいなこともありましたけれど、やはり目が悪いですから、暴力ということはかなわない。暴力になったらもうかなわないですわね。それは今でも同じですけれども。だから、そこで負けていく。そうすると、自分自身の姿が本当にみじめなものになっていくのですね。でも、子ども心に考えた。「何かあいつらを負かしてやれることないのかな」ということで、私が考えたのは勉強ということだったのです。勉強だったら家でいくらでも補える。参考書も買える。だから、「勉強でやつらをとにかく見返していこう。けんかで負けたり教室でからかわれたり、いたずらされたりしたって、結局のところ、彼らより成績がよければ、自分のほうが偉いんじゃないか。彼らより偉くなっていけば、いずれ将来彼らは自分に頭を下げて謝らなくちゃいけない時が来るだろう。だから、自分は彼らを倒すんだ。暴力では倒せない。いたずらの仕返しもできない。じゃあ何で倒すか、勉強で倒す」ということで、小学校4年ぐらいからなんですけれども、本当に一生懸命、とにかくみんなが遊んでいる時間は勉強をし続けていました。

そんな虫眼鏡で本を読んだりするのですから、人の何倍もかかりますが、小学生のことです。当時の小学生なんていうのは家に帰って1日30分、1時間ぐらいしか勉強しません。だから、毎日3時間4時間それをやっていれば、1番です。でも、本当は遊びたかったのです。みんなと同じように好きなこともしたかった。だけど、「とにかく勝たねばならない。負けてはだめだ」ということで、「勝っていこう、勝っていこう」ということで努力していったのです。

片目でやっていくわけですから、大変なことですけれども、中学生になっても勉強をとにかくやり続けました。中学生になるとみんな体も大きくなります。だから、いじめもますます激しくなったのですけれど、逆に私は元気で、「そんないじめされたってこんな連中、いずれ見返してやる。自分の足元に置いてやるんだ。とにかく、自分はこんなクズみたいな連中より偉くなる。おれは違うんだ」ということを示すためにとにかく一生懸命勉強しました。

中学になると勉強も大分難しくなりますから、なかなか学年で1番とかクラスで1番とかにはなれないけれども、少なくとも自分にいろんなちょっかいを出したり、いたずらをしたり、いすの上に画びょうを置いてみたり、給食の中に髪の毛を入れてみたり、そういうことをするような連中よりはずっと勉強はできたんです。だから、いじめられてもいじめられても、内心では「ざまあみろ、お前ら今のうちだぞ。知らんぞ。そのうち絶対にお前らのことは泣かせてやる。足元にひざまずかせてやる」──そういう思いで私はずっとそのいじめの中で耐えてきました。つまり、暴力とかに対して自分が相手を倒せることを見つけること、そのことが私の10代の時の一番大切なことだったのです。百倍、千倍にしてそいつらに仕返しする方法をずーっと考えていたわけです。

そして、高校に入りました。大体自分が行きたいと思っていた学校に入りました。やはり同じように「自分はそこで人を倒して生きていこう」と思っていました。高校に選ばれて入ってきていますから、みんなもうそこではいじめをしたりするようなことはないわけです。だけど、私の側の意識は全く変わっていなかったのです。

でも、案外と破たんは早く訪れたんです。それから何カ月かして、学校内のテストがあった時に、今まで自分は人の何倍も勉強しているわけですから、「上位に食い込める」と思っていたのですが、下から数えたほうが早いような私の席次でした。今考えてみれば当たり前の話で、それぞれの中学からそこそこの席次の生徒が来るわけですから、その中で自分が下のほうの席次になることなんて、全然不思議なことでもなんでもないんです。そのときに、担任の先生が、私を励ますつもりで言ってくださったんだと思うのですけれども、「でも、田口君、君、片目しか見えないじゃないか。黒板だって見えないだろう。それなのにちゃんとうちの高校のレベルについてこられたんだから、大したもんだよ」と言ってほめてくださったんです。でも、そのことがとにかく人に勝つことしか頭にない自分にとっては、「これがお前の定位置だ。ここで我慢しろ。お前は勝てない人間なんだ」というふうな一種の死刑宣告にしか聞こえなかったのです。

「だれにも勝てない。だとしたらあの小学校、中学校時代、みんなにいじめられて、あのことは一体何だったんだ。あいつらを倒せなかったら自分は生きている意味がないじゃないか。小学校、中学校の時、本当は遊びたかったのに、毎日毎日勉強して、彼らよりいい成績を取ろうということだけに腐心してきた自分の時間は、一体それは何だったんだ」と思った時に、がっくりとそこにひざをついてしまいました。すべてが何をしてよいのか分からなくなって、「学校にだって何のために行くんだ。負けに行くのか。世の中に出てどうするんだ。負けるために世の中に出て働くのか」──そういうことしかもう頭になかったのです。要するに「駄目なんだ。自分という存在は世界の中で駄目な存在なんだ」と思った時に、もう、学校にも行けなくなりましたし、ご飯もほとんど食べられなくなりました。中学の時はとにかく私の学生服に足跡がついていない日は無かったのに、元気いっぱい毎日学校に行っていました。でも、最終的に私がいき着いたのは、自分は片目しか見えないんだから、結局何をやっても勝てないということ。そして、勝てない自分なら生きていても意味がないということ。だから、死んでしまおうということですね。生きていて意味のない者は死んだほうがいいということでした。

長川一雄先生との出遇い

私の人生の転機となったのは、私の恩師であるご僧侶の長川一雄先生との出遇いでした。

私は長川先生に、「自分が学校の成績が振るわないということは、単にそれだけの問題ではないのです。自分が今まで生きてきた意味がそこでなくなってしまうかもしれないのです。そのぐらいに大変なことなのです」と話しました。先生は「あなたが今入った高校で成績が振るわなくても、何か困るのですか。あなたは昔いじめられた連中に復讐する手段として、学校の成績というものがなくなってしまうから困るんであって、別にあなたがあんまり成績が振るわなくても、それ自体で、あなた自身、困ることはないんではないかな」と先生はおっしゃいました。そこで私は「いや、困ります。その復讐の問題はさておいて、学校の成績が悪かったら将来ろくな会社に就職できないし、大した給料ももらえない」と言いました。先生は「お金があればいい生活できるんですか。それだったら3億円事件の犯人は一番いい生活してますね」と。さらに続けて先生は「要は、あなたがなぜつらい、死にたいと言っておられるのか分かりました。それは、あなたが自分の思い通りにならない、自分の思いと今の自分の姿とが離れていることがいやだということでしょう。あなたが片目が見えないことは、ご苦労でしょう。だけど、そのことのどこが悪いことなのですか。それよりも大切なことは、あなたが本当にそこでやりたいことをしているのか。あなたは勉強したいのですか。勉強好きなのですか」とおっしゃいました。私は「本当を言うと好きじゃありません。ただ、自分にとって人を倒す武器はそれしかないと思ったから勉強をしていたのです」と正直に答えました。すると先生は「寂しい人生を送ってらっしゃいましたね、あなたは。それは死にたくもなるでしょう。でもね、それが本当に人生っていうことなのでしょうかねえ。あなたの人生って何でしょうか。いつでもない今、どこでもないここにいるあなたがあなたでしょう。学校の成績が振るわないのがあなたなのです。振るわないことのどこがいけないのですか。あなたの価値観と合わないだけの話でしょう。あなたがどんな姿でも、自分にとっていやであっても、そのことが都合悪くても、あなたを摂め取って浄土へ迎えたいと願われるのが仏様の願いです。それが本願、本当の願いということです」とおっしゃって、『歎異抄』をくださったのです。

私はまた反論して、「『歎異抄』には罪悪深重な人(悪人)が救われると書いてあります。私をいじめた連中は悪人です。とんでもないです。あいつらが救われるなんていうのは納得できないです」とまくし立てました。先生は「でも、その納得できないような連中をなんとか打ち負かして、やっつけようとしたあなたは善人なんでしょうか。私は、あなたも同じぐらい立派な悪人ですから、ちゃんと阿弥陀如来がご心配してあなたを救ってくださると思って、安心していますけれどもね」と、先生に言われ、ハッとさせられました。

つまり、私たちが善・悪ということをいつも自分の尺度でしか決めていかないのです。如来、仏さまの物差しというのは目盛りがないんですね。思い通りにならない我が身ということを受け入れるということは、あきらめではないのです。あきらめもまた、思いですから。私たちのいのちの姿というのは、ここにある姿です。自分にとっていやかもしれないけれど、大変なこともたくさんあるけれども、そこが自分の居場所なのです。なぜそれが言い切れるかというと、摂取不捨の世界にふれさせていただいたからです。どんな姿であっても、如来(仏)はけっして見捨てることはありません。摂め取って捨てない国が極楽浄土なのです。その国に皆生まれよと願っておられるのが阿弥陀如来の願いですね。

その阿弥陀って何でしょう。どこかに如来(仏)というものがあって、そこで皆を取り仕切っている、そういうことではないのです。私たちの心の中、いのちの中にこそ如来があるのです。阿弥陀がある、阿弥陀のいのちを私たちが生きているのです。その私たちがいのちを生きる存在であること、すなわち阿弥陀ということなのです。つながり、いのちのつながりです。

曽我量深先生は「如来、我が内にあり。されど、我は如来にあらず」というお話をされます。私の中に如来があるのですね。だけど、我が身は如来にあらずです。私たちの本質というのは罪悪深重です。それは警察に捕まったとか、そういう次元の話ではないのです。つまり、何が罪悪か、これは如来の願いに私たちが反しているということなのです。如来の誓願、弥陀の誓願、「浄土に皆生まれてくれ」と願われていることに、私たちがやっていることというのは正反対のことをやっているということなのです。長川先生との出遇いは、私にとって人生の一大転機になりました。

人生に絶望なし

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『仏説阿弥陀経』の中に「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」とございます。青色青光、青い色は青く光る。黄色黄光、黄色い色は黄色く光る。赤色赤光、赤い色は赤く光る。白色白光、白い色は白く光る。みんな、それぞれの色で光っていくんです。片目の見えないものは、片目が見えないままに輝きなのです。年を取ることは輝きなのです。体が思うようにならないことが輝きなのです。このことは、世間一般の道徳とか倫理とかではわかりません。なぜなら、そこには人間のつけた物差しの目盛りがあるからです。

如来(仏)のいのちは私の中にあります。それに目覚めた時に、自分がここに生きる意味、つまり絶望ということはなくなるのですが、では自らの姿は仏さまかというとそうではありません。やっぱり地獄を生きる者なのです。だからこそ仏法が必要なのです。

自分の都合で物事を考えている限りにおいては、どこまでも絶望します。自分の思うようにならなかったら絶望します。「私は駄目な人間です」と言った人の、どうでしょう、失礼な言い方をすれば9割までが「そんなことありませんよ」という返事を期待してるんじゃないでしょうか。「私は駄目な人間です」。「本当にそうですね、あなたは」と言われたら、怒るでしょう。ですから、やっぱりお寺で親鸞聖人の教えを聞くということは案外つらいことなんです。自分自身の思いがそこで、ことごとく切られていくからです。でも逆に言いますと、私たちを苦しめているのは自分たちの思いです。これを「自我」というのですが、この自我の世界の中で私たちは毎日毎日苦しんでいくわけです。

みんな自分の思うようにならなかったら、絶望的な気持ちになる。だけど、その絶望的な気持ちというのが、あまりにも自分本位すぎないか。もっと言えば、本当の自分をいじめることによって、それが絶望的な気持ちになるのです。自分は13年前に両目が見えなくなってしまった。でもへっちゃらなのは、罪悪深重の私を摂取不捨、収め取って捨てない、「あなた、浄土に行こう」と如来が願ってくださるからです。

親鸞聖人はそれをご自身の身を通して明らかにしてくださったのです。目が見えないままに生きている、青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光。そのことが明らかになる世界が極楽浄土なのです。今、目が見えないと大変なことはいっぱいあります。だけど、その時に私が本当にありがたいなと思うのは、「目さえ見えれば、こんなにひどい目に遭わない」ということを一度も考えたことがないのです。「おれは、いじめられてた。だから復讐するんだ」という生き方では自分は生きられない。そのことがわかったのです。そうでしょう、皆さん。目が見えたら見えたで、大変なことがいっぱいあるでしょう。同じです。

北海道のほうにちょっと伺った時に、下半身まひの若い女性がいらっしゃった。やっぱり、すごく一生懸命に努力して、養護学校ではなくて、普通の女子高校から国立大学に入って、学校もいい成績で出たけれども、やっぱり残念ながら両足が不自由ということで就職できませんでした。今お年ごろなんですけど、恋人もできません。その女性から「私みたいな者でも生きてる価値ってあるんですかね」と聞かれました。私は「あなたが、もし恋人ができたり、いいところへ就職できたり、そういうふうになることがすばらしいことであり、幸せなことだというふうに、これからもずっと考えていかれるのだとしたら、あなたは生きている意味はないと思います。そんなことじゃない。あなたの両足が動かなかろうが、頭が悪かろうが、彼氏にふられようが、会社に就職できなかろうが、そんなこと関係なくあなたを摂めとってくださる。同じです、生きるいのちとして同じです。摂めとってくださる如来の願いということに気づいた時、初めてあなたは生きる意味があるのではないでしょうか」とお答えしました。

ちゃんと生きている、すごいことです。その姿のままで生きていけるということに、すごさを感じるのです。そこに人が生きているということの意味があるのではないでしょうか。生きていて当たり前だと思ったら、生きている意味などないのです。

「あしたがあるさ」という歌がはやりましたけど、明日は本当にあるんですか、どうでしょう、皆さん。明日の朝冷たくなっているかもしれません。だとしたら、きのう寝て、きょう起きたことはすごいことなわけです。蓮光寺様の報恩講の朝、私がそのまま冷たくなっていたとしたら、「きょう予定していた田口弘さんは残念ながら朝亡くなられましたので、私がお話しいたします」と住職様はお話しされるかもしれない。そういうことだってあるのです。全然あっておかしくないのです。あんなに元気だった方が、という話はいくらでもあるじゃないですか。でも、あんなに元気だった隣の方については思うけど、自分自身がそうなるなんてことは思わないですね。でも、現実になるのです。

その現実になるということのなかで、今そうならないで、ここにみんないます。だったら何をしていけばいいか、ということがわかってくるのではないでしょうか。目が見えなくなったら、どうしたらいいか。点字を覚えてステッキで歩けるようにして、だんだん自分の好きな所に行けるようにしてやっていけばいいのだということがわかるわけです。できることをちゃんとやっていけるようになる。自分が、あれもできない、これもできない、そのできないということを認めれば、逆にできることはちゃんとやっていけるようになるんです。

蓮光寺様にもご縁のある宮戸道雄先生がよくおっしゃいます。「できないこと、どうにもならんことを、なんとかしようとしてる人に限って、どうにかなることをしようとしない」と。ですから、これはできないんだということが、わからない人が絶望していくのです。自分は何でもできると思っている、こういう思いが人を苦しめているのです。自我が人を苦しめているのです。自分は罪悪深重ではないということが、自分を苦しめていくのです。「お前だってそうだよ。同じだよ。罪悪深重だよ」と言う声が聞こえている人は絶望しないのです。これは教えによってしか聞くことはできません。

親鸞聖人の明らかにしてくださった教えとはそういうことなのです。自らを明らかにしていくことによって、自分が今一番何をしなくてはいけないのかということが明らかになってくるのです。そしたら歩いていけるのです。仏の光によって私たちが照らされている姿、それは私たちのいのちの姿です。私たちのいのちが教えを聞いていくのです。自我に覆われている私たち自身は、そんなもの聞いていけない身です。だけど、なんかおかしいぞと感じるのは私の中の内なる仏、内なる阿弥陀、内なる如来です。我が内なる仏が応えていくのです。そこで初めて、南無阿弥陀仏ということが出てくるのです。

摂取不捨、摂めとって捨てない世界です。たとえ世界中の人に見捨てられても、如来は摂めとって捨てません。

見捨てられることが一番つらいことです。よくお年寄りとお話しして聞くことですけど、家族から話しかけてもらえないのが一番つらい。会社でもそうです。いじめられるというのは、その人の所だけ仕事が回してもらえない、ということは一番つらい。

でも、そこで見捨てられていたとしても、娑婆で見捨てられていても、浄土の世界では見捨てられていない。「極楽浄土で往生せよ」と願われている弥陀の誓願に、見捨てられていない我が身であることに気がついていった時に初めて、そこに南無阿弥陀仏ということがあり、報恩、報恩謝徳ということがあるのです。初めて頭が下がるのです。手を合わせていく、手が合わさっていくのです。お寺にお参りして、仏さまに手が合わさっていく、お念仏が出る、そういうことなのです。どんなに自分がつらい、悲しい惨めなことであっても、それは自分の思いなのです。私のいのちはちゃんと願われているのです。浄土に生まれよと願われているのです。その浄土に生まようという願いを踏みにじるところに、自分の苦しみがあるのです。

報恩講というのは、本当にここに、我が身を明らかにする、身の事実を明らかにすることです。明らかになった姿として救われていくのです。そのことが喜べるかどうかということが、今私たちが報恩講というお勤めの場で問われているわけでございます。

仏の光によって照らし出された自分自身に出遇っていくことが、人生の絶望なしということではないでしょうか。出遇って、そこにすべてのものと同じように、救われていく我が身を見た時に、絶望からは解放されていくのです。その勝縁としての報恩講、だから、そこに報恩に報いるということが生まれてくるわけでございます。