門徒随想

ベトナム仏教と日本真宗仏教の
架け橋になりたい

グェンティユウ
(ベトナム尼僧、25歳)

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左から、ユウさん、蓮光寺住職、ユウさんのお寺・慶隆寺の住職 =ホーチミンの慶隆寺で

2年前に、ホームスティをしている福岡さんの法事ではじめて蓮光寺に行きました。その法事のなかで、親鸞聖人の教えについて住職から法話をいただいたのが、私と浄土真宗の出遇いでした。それから門徒倶楽部や色々な聞法会に参加させていただき、多くの門徒さんと仲良くお付き合いをしながら、真宗の信心が人間の実存の問題に関わることだということを実感でき、本当によかったと思います。住職をはじめ、門徒の皆さんには深く感謝いたします。

そして今回、住職が所属している教学館の研修で、本多弘之先生をはじめとした16名の僧侶の方々をベトナムに案内・通訳することができたことは、とてもよい思い出になりました。皆さまも楽しかったでしょうか? 「百聞は一見にしかず」という諺があります。自分の眼で観察、あるいは経験すれば、そのうちに現像や事物の真相が見えてくると思います。皆さまとベトナムでごいっしょさせていただいたのは5日間と短かったけれども、その時の楽しさ、幸せを今もしみじみ感じ大切にしております。ベトナム仏教と日本真宗仏教が互いに理解しあい、交流を深められたことはこの上ないすばらしいことだったと思います。一生忘れないでしょう。

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右から、本多弘之先生、釋智廣仏教会長、蓮光寺住職、因速寺住職 =ホーチミンの華厳寺で

真宗の皆さまの暖かい気持ちに甘えてしまいましたが、何か自然と真宗の光明にささえられているように感じました。やはり自分自身は、人間とは何かということを明らかにすることが大切だと思います。仏教から見ると、人間というのは色々な概念がありますが、やはり最終的には信心の問題ということですね。信心をいただくということは、ベトナム人であろうと、日本人であろうと、国籍を問わずに、差別なくつながっていけるということだと思います。

真宗の皆さまと旅して様々なことを感じました。自分で自分の道を開くといいますが、やはり他力ということをいただければ、何か新しい道が開けてくるのではないでしょうか。そういうことを感じられた喜びというのは、言葉では言い尽くせません。そして、この喜びを多くの人にも伝えたいので、より一層学んでいきたいと思います。しかし、学べば学ぶほど、人間存在の複雑さに困惑もしています。また、国際間の平和のもつ重たさについても考えさせられました。生きている人の平和のため、衆生安楽のためには、もっともっと大きな視野をもっていきたいと思います。

日本の宗教家である新渡戸稲造は、アメリカと日本の友好を深めるため、太平洋の架け橋になりたいと言ったそうです。今回、とてもすばらしい旅のおかげで、真宗仏教をより理解できましたので、私はこれからもベトナム仏教と日本真宗仏教の架け橋になっていきたいと思います。


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ベトナムの仏教専門誌にも、交流の模様が特集記事になりました。