法話のページ

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癌とともに生きる
蓮光寺報恩講逮夜

2002年11月2日 会場: 蓮光寺
講師: 篠崎一朗さん(44)
[会社員/蓮光寺門徒]

癌の宣告と絶望の日々

こんにちは、ただいまご紹介いただきました篠崎一朗と申します。ご住職や明日お話しされる田口さんのように、真宗の言葉でお話しすることができませんが、私が末期癌で余命一年の宣告を受けた5〜6年前のことをお話しさせていただいて、皆さんに何か感じていただければとありがたく思うことです。いろいろ今までやったことを忘れないうちに書き留めておこうと思って取りまとめた資料がございまして、それを引っ張り出してきて、お話させていただきたいと思います。

今から6年前になります。平成8年の11月の今ごろです。残業で12時ごろ帰ってくる日々の中で、非常に背中が痛くなりました。そのうちに、いつもの痛みと違うような痛みを電車の中で感じました。それで病院へ行き、胃カメラを撮りました。そうしたら「何か変なものがあるから、検査結果が出るまでは薬を飲んで待っていてくれ」というような話で受けたのですけれども、1週間も経たないうちに、もうどうしようもないほど痛くなりました。それで家内が慌てて、こんなことでは困るからということで、また病院に行ったのです。そこで入院となり、医者から出た言葉が、「ひょっとしたら悪いものがあるかもしれないから、検査をちゃんとしましょう」と。検査というかその痛みを止めるようなことは自宅ではできないでしょうから、入院してもらえばそういう痛みはコントロールすることができますと。そんなことを2〜3日しているうちに、「癌かもしれないから早く切った方がいい、胃を手術した方がいい」というような話をされまして、こちらもそんなことは一切頭になかったものですから、もう頭がパニックになってしまいました。

でも、癌だったら切ってもいいけれども、癌かもしれない状態で、何でお腹を切らなくてはならないのかなと、不思議に思いまして、そういう医者はちょっと不信感が募ってきました。それで親戚の医者に相談をしまして、その病院に通ってそこでも診てもらったら、「やっぱり癌だ」とはっきり言われました。ただ年末の12月の上旬ですから手術ができるかどうかという状況でしたが、素人からすれば、癌ならば早く切ってもらった方がいいと思うのですが、なかなか簡単に手術の日程がとれませんでした。

そうこうしているうちに、癌だったら専門の大きな病院がいっぱいあるわけですから、そこで切ってもらった方がいいのではないかと思うようになりました。結局、知り合いのつてで大病院を紹介してもらって、年末の押し迫った日に診てもらうことができました。結局そこでも28日が仕事納めですから、とても1週間以内にはできません。普通の患者でも1カ月半ぐらい待たされるような状況です。医者から言えば、「癌だからといってすべて手術しなくても、2〜3カ月じっくり状況を見て手術した方がいい場合もあるのだ」ということを聞いたのです。だから、素人の私たちはすぐにやらなければいけないというように思うのですが、医者の立場からすれば「ちゃんと調べてから手術した方がいい」というようなことだそうです。それで、入院したわけなのですけれども、その時は癌でも初期の段階だろうと思って、95%は手術すれば治るよというような、軽い気持ちでいたわけです。

そこでさらに検査しますと、「手術できない」と言われました。要するに痛みがあったのは、遠隔転移といって一番遠いところまで転移してしまっている癌だから、とても手術で取りきれるものではないので、外科的な治療では無理だと言われました。それはどういうことなのかと尋ねると、一番末期の段階で、通常でいえば、内科医の正確な言葉で言うと、「悪い方から50%の人は、もう10カ月以内に亡くなっている状況」だったのです。それを聞いて顔から血が引いて、頭が真白になりました。何で37歳のわたしが、あと1年足らずで死を迎えなければならないのか、そして2人の子供はまだ小学生です。とても受け入れられることではありませんでした。

話はそれますが、私の母が、16年前にやはりC型肝炎から肝臓癌に発展しまして、その母を看病しましたので、癌の病気は大体分かっていました。だから、もし癌ならば、はっきり言ってくれということを医者に伝えてあったものですから、医者も正確に伝えてくれたのです。とは言っても、そんな状況ですから、絶望の淵に落とされたわけです。これは年が明けた1月20日のことです。医者が西洋医学的にあと何ができるかと言ったら、抗癌、免疫療法とかもあるのですが、その病院では抗癌剤を使っていませんでした。当時は慶應の近藤誠先生の『癌と闘うな』というような本がベストセラーになって一世を風靡していたというか、そういう時代ですから、私自身も抗癌剤の治療なんてとんでもないというような考えを伝えました。抗癌剤をやったって、そういう段階の癌ならば、5年も生きられるとは到底思えません。それなのに何でそんなつらい治療をしなければならないのかというようなことだったと思います。本当に抗癌剤にたけた治療ができる医者というのは、日本の中でまだ20人ぐらいしかおらず、その治療も効果は半々だったのです。効果があっても2〜3年以上生きられるのは数パーセントというようなことでありました。しかし、絶望状況の中ではそれにかけるしかなかったのです。抗癌剤といってもいろいろな療法がございまして、6年前にその先生がやったのは、術前多剤併用療法といって幾つかの抗癌剤を組み合わせて強力に叩くという治療で、始まった矢先でした。まだそれは研究的な治療だったものですから、一般的な病院ではそういうことはやってもらえなかったのです。それにかけてみようということで始まったのですけれども、たまたま結果的にはうまくいったということです。

帯津良一先生との出遇い

一方ではそういう化学治療法をやりながら、家内が友だちからいろいろな癌治療法の情報を必死になって集めてくれました。そのような中で「人間まるごと見よう」というホリスティック医学の帯津良一先生との出会いが始まったわけです。家内の友だちの妹さんがやはり癌で、金沢から川越の帯津先生の病院まで来てらっしゃったのです。それで私も東京にいますから、「では一度診てもらおう」ということになったのです。そこでいろいろな話をしたわけですけれども、そこでは患者のやりたいという治療に取り組んでくれるのです。ただそれだけではなくて、その病院の横に道場がございまして、気功や太極拳だとかそういうことをやるのですが、帯津先生は「それはあくまで形であって、要は心を入れ変えていくのです」と言われていました。初め何を言っているのか分からなかったのですが、先生の話だけではなくて、患者の会というのがございまして、患者同士で意見交換をしたり、情報交換したりして、色々なことがはっきりしてきました。そこで知り合った患者同士の話を総合していきますと、やはり癌になるというのはウィルスが入ってくるエイズなどとは違って、自分の体の中の細胞が異常増殖するわけです。増殖というのが免疫の機能が壊れてしまっているからということなのだそうです。なぜ免疫の機能が壊れてしまったのか。やはり心や体のストレスから、そういう免疫の機能が悪くなるのです。であるならば、やはりそこのところから変えていかないと、いくら外科的な療法で悪いところを取っても、部分的に診ても治らないというわけです。これが帯津先生の考察したことだったのです。だから心を変えていかなければならないのです。

帯津先生は以前、都立駒込病院の外科医長をやられて、食道癌の手術を相当なされていたわけです。いくら取りきった癌であっても、必ず患者が戻ってくる。何でそうやって一生懸命やって取ったのに、また患者が戻ってきてしまうのか。それは西洋医学だけでは、やはり癌は治せないのではないかということです。ではどうしたらいいのかということで、体全体という形で、中国の昔からある東洋医学の考えを取り入れたのです。人間丸ごとの医療を取り入れていかないと癌には立ち向かっていけないのではないかという考えで、自分の病院をつくられたそうです。そういうこともありまして、わたしも帯津先生の治療を抗癌剤の治療の合間に、受けさせていただきました。

抗癌剤の治療というのは、1回点滴で投与しますと1日近くかかってしまうのです。それでいい細胞も悪い細胞も、全部やっつけられてしまいます。それが、いい細胞が戻ってくるまで4週間ぐらいかかるわけです。その間に白血球の上昇とかをみて、その治り具合、戻り具合を見て次のまた攻撃をするというのが抗癌剤の治療です。それは6回投与するのです。ですから6カ月かかります。その合間を見て、帯津先生の治療を受けることができました。そこで2週間ずつ短期入院を繰り返しました。

1週間のプログラムというのが、すごいのです。午前中はビタミンCを点滴し、普通だったら1グラムぐらいしか飲まないけれども、点滴で20グラムのビタミンCを入れて、あとはビワの葉の温熱療法です。それから朝の食事のあとの太極拳、続いて昼の太極拳、それから午後にはいろいろな気功、といっても実際は4000種類くらいあるそうです。その中には大きく分けて静功と動功、動く気功と動かない静かな気功がございまして、太極拳というのは動く気功の中の一つだそうです。そのほかに静かな気功のほうのプログラムがありまして、そういうものも学びました。先生は、「自分の家に帰っても日々それを取り入れて、自分である程度の活性化、自然治癒力を増すようなことを身につけてもらえばいいのだ」とおっしゃられていました。それと同時に、心の問題も切り変えていただきたいというようなお話でした。

ちょっと元に戻りますが、患者の会で癌になった人たちの昔話を聞いたのです。そうすると、やはり5年前、10年前に自分のストレスが非常に強まるような体験を、皆さんなされているということが分かりました。例えば離婚だったり、子供さんを亡くされたり、旦那さんを亡くされたり、他の家族を亡くされたり、皆さん普通であれば言いたくないことばかりですが、同じ患者同士ということもありましてだんだん心が打ち解けて話し合うことができるのですが、やはりすごいストレスがたまるというか、そういうことがわかりました。私も、西洋医学的な治療だけやっていては、これは癌には到底立ち向かえないなということを強く感じました。その時にふと思いましたのが、母を10年前に亡くした時に出会った話です。亡くなった後に、自分としては非常にストレスがたまったわけです。いくら自分が努力して、丸山ワクチンだなんだかんだと母のために集めてきても、結果的には母は亡くなってしまったわけですから、功を奏しなかったわけです。いくら自分が何か一生懸命やっても、報われないことがあるのだなと思いました。自分の思いと行動と言いますか、思いと事実というのは一致しないというようなことを、蓮光寺の前住職さんの法話のなかで聞いたことを思い出したのです。その後自分なりに『歎異抄』を読んだり、真宗の本を読ませていただきました。ただ、それは今から思うと、本というのは自分なりの解釈をしてしまうということですね。ただ、自分なりの解釈ではありましたが、親鸞聖人の教えをほんの少しでもかじったものですから、そこで帯津先生の心の問題と合致してきたというか、ここでやはり自分の心の持ちようを変えていかないと、癌には立ち向かっていけないなと強く思ったわけです。

そうこうしているうちに、太極拳による気功を取り入れた心の展開と、それから実際抗癌剤による局所的な攻撃により、癌をほぼ治癒することができました。うまく相乗効果をしていったのではないかと思います。血液検査の結果を見ても、非常に腫瘍マーカーの値が下がったのです。実際に痛みもとれてきたりして、CTの検査の結果を見ても、癌が縮小しているのがわかったので、医者の方から「篠崎さん、だいぶ良くなっているけど、このまま抗癌剤をやっていても、もうどうなるかわからないから、やはりこれは悪いところは取ってしまったほうがいい」と言われました。これは内科医だけではなくて外科医もそう言っていました。ただ、取ったところで一端全身に散らばったそういう末期の癌が、一体本当に治せるのだろうかと。取ったところで手術の後の後遺症というのは、やはりそれなりのものがありますから、私としては取ったところで3年ぐらいしかもたないのであれば、痛い思いして手術はせずに、今のいい状態を保って生を全うしようかなと、そういうことも思ったのです。

それでいろいろな先生に話を聞いたり、患者さん同士で話を集めまして、最終的に行き着いたのは帯津先生に相談したところ、外科医が取りきれると言うのであれば、手術するのもいいのではないかと。

もし手術しないのであれば、それこそ半年に1回CT検査なり、胃カメラを飲んだりして、その都度検査をする。点検をしていかないと、健康な状況を保っていくことはできないよと言われました。それもまたストレスだよねという話もございまして、そこは家族の健康状態も考えて、家族だってストレスがたまりますからね。やはり切った方がいいかなと思うようになりました。その外科医も知り合いと言いますか、知り合いの知り合いで、どのくらい生きるかわからないけれど手術を決心しお願いしました。13時間の長時間に渡る手術でございました。

それが平成9年の7月25日でしたけれども、それが終わって、1カ月入院して2カ月自宅療養して、ちょうど3カ月たってから会社に復帰しました。会社の方でも多少はウォーミングアップで軽く仕事すればいいということで行ったのですけれども、これがもう1年たち2年たつと、通常の人以上に仕事をさせられるという状況でございます。そこまで回復できたということは、本当に感謝しなくてはいけないことだと思います。

癌によって見えてきた世界

抗癌剤の治療をやった時もすごく副作用が強かったんです。抑制剤は打っていただいたのですけれども、今はどうかわかりませんけれども、1回抗癌剤を入れますと、食事が1週間のどを通らない。その間どうやって栄養を取るかというと、左胸に中心静脈栄養と言いまして、点滴の太い針を入れたままで2000キロカロリーの輸液、栄養剤を入れて体力を維持するわけです。その状態でいるときは、もうご飯のにおいをかぐだけで、吐き気をもよおしました。体がだるくてだるくて何にも動かない。ベットに横になったきりで、体を拭くのもおっくうだという状況になりました。こんな思いなら本当に死んでしまいたいなと思うような状況だったのです。ですけど、子どもがまだ小さいですし、家内をはじめ、周りに励ましてくれる人もいっぱいいましたので、なんとか頑張れました。

当初予定してきたことを全然話さずに、自分の思いを次々と話してしまっているのですが、患者同士の交わりの中で出会った人で、ちょっとご紹介したい人がおります。同じ年ぐらいで独身の福島から出て来た男性がいらっしゃいまして、家族はお父さんとお姉さんだけです。私と同じような治療を受けていたのですね。私の場合はそうやって周りに支えてくれる家族がいたものですから、何とかそういうつらい治療も頑張れたのかなと思っています。やはりこれが一人の方ですと、なぜ私はこんなにつらい治療をしなくてはならないのか、仮に治ったところでどうなんだということを訴えられたのです。私も返す言葉がありませんでした。医者にも訴えていました。医者は何と言っていたかというと「医者の立場とすれば、社会復帰させることが我々の使命だと。少しでも良くなって、元の社会生活ができるようになって欲しいんだと。そのためにもつらい治療と戦って欲しい」というようなことを言っていたようです。彼はその言葉を聞いて頑張れたかどうかはわかりません。でも、私は私で「きっと今つらいかもしれないけれども、生きていればきっといいことがある」というようなことを言ったような記憶があります。残念ながらその方は、抗癌剤の治療で一時は良くなったんですけれども、やはり一時でありまして、短期間で亡くなられてしまいました。そういうことで、人は死んでいく時はやはり一人なんだなと、その時はその人の死を見ながら思ったのです。

また別の方で、これは8歳年上の画家さんがいました。その方は私と同じような家族状況で、ただ小学生の女の子がいるということでした。その画家さんは、人生とか生とか、そういうものを常に考えて、自分の創作活動を取り組まれていらっしゃったようです。ですから、私が帯津病院で心の持ちようを変えるような体験をしてきたことを彼に伝えたのですけれども、自分は自分でこういう考えがあるから、というようなことをおっしゃられて、やはり芯が一本通っているかなと逆に感心させられてしまいました。それでも自分なりに漢方薬とかプロポリスとかを求められて、やはり西洋医学以外のものも手を出されたようです。その方はリンパ腺腫の癌でしたけれど、そういう癌では放射線の治療しか自分には合わないだろうということで、主治医と二人三脚で治療を進めていらしたようです。その方も、そういう治療が一時はやっぱり功を奏して良くなりまして、自分の最後の個展を開くまでに回復されて、大きな最後の作品を完成されてました。そういうものがあったから、また頑張れたのではないかなと思うのです。その方が言うには「篠崎さん、やはり生きていくということは、冨でも名誉でも地位でもないんだよね。そういうものを捨てれば、本当の生のありがたさがわかるよね。我々はこういう癌になったけれども、そういうものがわかることができたということは、良かったよね」と、そういう話をしていました。だから頑張ろうと言い合ったのです。そういうことを語り合える人がいたということ──すみません、ちょっと思い出して‥‥(涙)。非常に病気に対しても、それが逆に自分の人生に、その病気に会わなければわからなかったことといいますか、癌を縁として、大切なことが見えつつありました。それは、どんな状況であろうとも、今ここに生きている自分、そのいのちのありがたさを感じていくことです。つまりどんな自分でも受け入れていくことです。このことはふつうの経済生活のなかからは見えてこなかったことです。今から思うと、親鸞聖人もそんなようなことをおっしゃっていたのではないかなと思います。

凡夫に立ち返る

初期の段階の癌患者だったら、そこを切ったり手術したりすれば良くなってしまう。それでよしとするでしょうけれども、癌が進行した場合というのは、簡単に一つの治療で治るわけではない。だからそういう、今だったらメシマコブだ、冬虫夏草だとかアガリスクだとか、いろいろ手を出される方も多いですけれども。西洋医学的な代替療法ということでもいいものが出てきたので、それはそれでよろしいかと思うんですけれども、結果的には心の持ち方を変えなければ、そういうものにお金をいくらつぎ込んでも、私は結果的にはどうなのかなという気がしております。先ほど言った心の持ち方ということであれば、今おかげさまで5年過ごすことができましたけれども、いつ再発するかわからない状況でございます。でも、今はもし仮にそういう状況に戻ったとしても、慌てないで浄土に還れるのかなというようなニュートラルな心の持ち方を持っていようと心がけています。

『歎異抄』の9章のところに、唯円が親鸞に「念仏をしていても、おどりあがるような喜びの心がわいてこないし、浄土に往生したいという心もおこってこないのは、どうしてなのでしょうか」と尋ねているところがございますよね。それに対して親鸞聖人は「唯円、あなたもそうであったか。親鸞も同じであるぞ」というようなことを書いてあったかと思います。私も同様に、自分にとっての浄土というか、阿弥陀さまが真ん中にいて、死んだ母や祖父母や仲のよかった癌患者が周りにいるのかなと、そういうイメージを描いてしまうのですけれども、そういうところにいつ行ってもいいやというような気持ちも、半分ございます。だけれども、すぐに行きたいとは思わないというか、それが普通ですよね。けれども、そういうことで、ニュートラルな心を常に持っていきたいなというのを思っている次第でございます。私もやはりこういう席で話させていただくのは初めてなものですから、なかなかご住職のようにうまくは話せませんが、親鸞聖人との関わりということで、日々の生活の中で、親鸞聖人的な考え方に常に頭の中が回転してしまうような状況になりつつあるわけです。でも、日々やっていること全く俗人と言いますか、罪悪深重なこの身でございます。ただ、ちょっと後ろを振り返ったり上を見上げると、そこに親鸞聖人の言葉がいつも思い起こされて、慌てない心ができつつあるのかなというような今の状況でございます。

それで最後に一つ話しておきたかったことがあるのですが、先ほども言いましたように、そういうことがあったということで、私にとっては癌という病気が今や悪い病気ではなくて、自分自身に出遇えることができた良かった病気だというふうに思えることが、最近はできるようになりました。末期癌の宣告を受けてもう6年近くたちますけれども、仮に2〜3年で再発して死に至らしめられたとしても、その2〜3年間は私にとっては自分の人生を見つめることができた貴重な時間が得られたのではないかなと思います。言葉を換えて言うならば、この6年間は、自分の人生、自分を知ることができたというか、知るという方法論を学ぶことができたということは良かったのではないかなと感じています。なおかつ、そういう方法論と言いますか、道程ができたのは、退院後に蓮光寺の聞法会に通い、聞法活動を続けてからだと思っています。

先ほども言いましたように、本を読んでいるだけではやはり自分勝手な解釈、考えに陥りやすいのです。そこでやはり月に一回なり聞法をすることによって、自分なりの解釈ではないいただきかた、人の話を聞くということが非常に教えられることが多いのです。欲にまみれた自分を反省させられるということがおきて、今は心の平静を保つことができているのではないかということでございます。つまり凡夫に立ち返ることだと思います。苦しみの根源は自分の心の有り様です。そのあり方を翻すような教えに出遇うことです。ですから、私が生きている限りは、やはりこの聞法生活というのは決しておろそかにしてはいけないなということを自分に戒めていますし、今後ともそういうことで、常にそういう心がけでやっていきたいと思っております。今は医者の方から、5年もたったので胃がんの方はおそらく大丈夫だろうと言われておりますが、ただ一端体全体に散らばった癌細胞がありますから、多重癌と言うらしいのですが、それがどういう形でまた別の形の癌で出てくるかはわからないのです。それはそうだと思います。ただ、この胃がんが最初に発生した時の心のストレスは、今は回避できるのではないかなというような気がしております。

そんなことで、つたない話でございましたけれども、要は「人生に絶望なし」というテーマに戻れば、絶望は一回しなければならないのです。その絶望の淵から立ち上がっていけるものが親鸞聖人の教えの中から学ぶことができます。どんな状況にあっても私は私であるというニュートラルな心を保つことができる教えだと思います。また、帯津先生の気功とかそういういうものを通じた、人間丸ごとのホリスティック医療という中でも、そういうものを見い出していけるのではないかなと思います。ですから、これから病気になられる方、皆さんもいろいろな病気になられると思いますけれども、西洋医学的な治療だけでよしとするのではなくて、たとえ癌ではなくても、それ以外の病気でも、やはり人間のホメオスタシス、自然治癒力が弱まっているからそういう病気にかかってしまうわけですから、やはりそこのところから見つめられて生活されていったらいいのではないかと、そういうふうに私は思っております。

ということで、ちょっと時間をオーバーしてしまいましたけれども、これでお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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