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仏弟子として生きてみませんか
真夏の法話会

2002年8月3日(土) 会場: 蓮光寺
講師: 大内真先生(41)
[茨城県・聖徳寺副住職]

何を願いとして生きているのか?

ただいまご紹介いただきました大内でございます。茨城県筑波郡の聖徳寺の副住職をしております。私どものところは、まわりが田んぼばかりのところで純農村地帯です。お寺のご門徒も、大体8割方がお寺から近いところに住んでいらっしゃいまして、私はそういう環境のなかで育ちました。結婚して10年ほどたちまして、蓮光寺さんと同じで娘が3人おります。私の三女は産まれたばかりなので、後を継いでもらえる男の子になるかどっちになるかを楽しみにしていたのですが、蓮光寺のご住職からも「女の子に間違いないだろうから、あんまり期待しないように」と言われていまして、やはりその通りになりました(笑)。何と言いますか、お寺に生を受けると、後継ぎということを抱えて育っていくということがありまして、私も子どもの時から、弟と私は同じように育てられているのでしょうけど、ちょっと違うのではないかなということを非常に感じておりました。皆さん方にしましても、やはり家業を継いでくれる子どもに期待をかけるのは、ごく当たり前のことではないかと思うのです。ただお寺の場合は、仏弟子として生きるということがなかったら、生きるということが地獄になるという感じを、私自身受けるのですけれども、皆さん方にはどういうような思いでこの講題をご覧いただいたのでしょうか。先程ご住職からお話をお聞きしたのですが、こちらにいらっしゃっている方は帰敬式を受けられて法名を名のられている方が結構いらっしゃるということを聞いております。私よりも先に仏弟子になられたご先輩方もいらっしゃることだと思いますので、私の方から「こういうふうにするのが仏弟子です」といったことはとても申し上げられません。私自身、自分が今まで仏弟子として法名を名のっていたのですけれども、そのことが本当に仏弟子として生きているのかどうかを確かめたいという思いがございます。今回このようなご縁をいただいて、自分がこれまでに真宗の教えを聞いてきたことを確かめさせていただこうと、仏弟子として生きよと願われていることを確かめようということで、本日お話をさせていただきたいと思っているわけです。

私は、お葬儀や法事の時にお話をさせていただく機会が多いのですけれども、終わった後にお斎の席などで、「普段考えてもいないことを聞かされてありがたい」ということを言ってくださる方もおられます。何を申し上げているのかというと、一人一人自分の意志でこの世に生まれたわけではないけれども、やはり身とか能力とかあるいは生きる場というものを限定されて生きざるを得ない。そのことが自分だけではなくて、まわりの人も皆そうなのだということが、なかなかはっきりわからないで生きているということを申し上げたいのです。例えば、サラリーマンならサラリーマンとして自分の仕事をまっとうしていくために努力していくわけです。しかし、渦の中に巻き込まれてしまっていると言うのでしょうかね、それは何のためにしているのかがよくわからない、生きることが何のためなのか、何を喜びとして自分は生きているのかがわからなくなってしまっているということがあると思うのです。自分は自分の意志で生まれたわけでもないのに、ここでこういう生活をしていると。もし女性だったら、あるいは戦争中に生まれていたらどうだったのだろうか。あるいは日本でなくてアフガニスタンに生まれていたらどうだったのだろうか。今自分が生きるといういろいろな条件があるのでしょうけれども、それはすべて自分の意志を超えて与えられてくるものだと。そうした中で自分は何を願って生きておるのか、何を願われているのかを全く考えたこともない。まして誰かに願われているとか、そんな発想は全然ないということをよくお聞きするのです。お酒を飲んだような時ですと、わりと口が軽くなるということもあるのでしょうね、「自分はこういうことで悩んでいるんですよ」とか、「こういうことが現実の問題として苦しいんです」というようなことを、全部はお話になりませんが、少し教えてくださることがあるのです。葬儀や法事の場に、皆さんそれぞれ思いを抱えながら座っておられるわけですが、親戚の方が集まっても、やはり自分が本当に悩んでいるということをあまり知られたくないというのが本音のようです。例えば、自分の息子や娘がそろそろ適齢期なのに独身でいると「そろそろどうなの?」と言われるのが非常につらい。私自身も、30ちょっと過ぎた頃に結婚しましたので、まわりから「どう考えているの?」というようなことは、だいぶ遠回しに言われていたのです。あるいは結婚して何年かたっているのに赤ちゃんが産まれていないと「そろそろ赤ちゃんはどうなの?」と聞かれる。聞く方は「楽しみでしょう」ということで聞かれるんでしょうが、産まれていないご夫婦にとっては非常につらいことであったりですね、何かこう一人一人の人間の中に抱えている悩み、そのことが仏法を通して自分がどういうことで悩んでおるのかを考えさせていただく場が法事であるということを、私も心がけようとしているのですけれども、そういうことがなかなかできないのでおります。たまにそのことの意味を考えることが「大切なことだ」と思ってくださる方々と話をすることを通して、仏弟子として生きることを考えることの大切さというのは、これはお寺に住んでいるものだけの問題ではなくて、人として生きるということに関連してですね、やはりどうしても考えなくてはならないことなんだろうと思うのです。

最初に「お寺に生活しながら仏弟子であるということを自分で選ばないということであればそれは地獄だ」と申し上げたのですが、それは人として生まれて何を願いとして生きているのか、どうすることが一番自分にとって幸せなのか、そのことがわからないで生きるということが本当につらいことなんだと。それは実はお寺だけではなくて、ここに座っておられるお一人お一人がきっとそういうことを抱えておられるのだと思うのです。

私は子どもの時にお寺の長男として生まれたものですから、「お寺の長男として生きなさいよ」ということを自然に教えられていったのではないかと思うんです。それであるべき自分というものを思い描いて、それにかみ合わないと自分で自分を裁いてしまうというのですかね、そういうところで苦しんでいたところがありました。これは坊さんの子どもだけじゃなくて、真面目な子どもはみんなそうなのかもしれないですよね。学校で宿題が出て、それをちゃんとやっていかないと先生に叱られるというだけでなくて、私の中で自分を許せないということが多分あるのだと思います。そこに私は非常に苦しんだ思いがありまして、いろいろな課題を出されてもできなかったり、そうすると劣等感を感じるわけですよね。寺の息子であるのにできないという自分が許せないというんですか、何かそういうものをずっと抱えていたのです。でもその劣等感というのは、今にして思えば結構うぬぼれなのですね。できるのが当たり前だと思っているから、できない自分を許せない。優越感を持ちたいという裏返しなんじゃないかと思います。そうした中で大学を選ぶときに、お坊さんになるために京都の大谷大学というところを両親に勧められて行くように言われました。その時も、お寺の子として後を継ぐということであれば、そこに行くのが一番であろうと思い、能力が伴っているかどうかはともかくとして、そこを受験してみようと思ったのです。ただ自分は本当にお坊さんになりたいのかと思ったら、決してそうとも言い切れないのです。もしかしたらもっと別なことが自分に向いているのではないかという思いがあったのですけれども、その時に私の父が一生懸命、自分が感動した『歎異抄』の話をしてくれました。私は普段から父に対してあまり反抗的ではなかったのですが、その時私は初めて「お寺でやっていることというのは、どうもあまり胸を張って人に言えるようなことには思えないから、とても私はお坊さんになる自信はありません」と言ったのです。そうしたら父は、「自分の姿を見て、お寺を継ぐのは非常に抵抗があるかもしれないけれども・・・」と言って、『歎異抄』の13章の宿業の段のところを読んで聞かせてくれまして、「人間は自分の意志を超えて縁によって生かされておるということを学んで来て欲しい」ということを話してくれました。その時私は高校生ですから、なかなかその言葉の意味がよくわからなかったのですが、自分はあまりお坊さんにはなりたくないけれども、父親のために、あるいは門徒さんのために、世話人さん方が「頑張って受験してくれよ!」と言ってくれたものですから、そういう思いで大学に行くことになったのです。

ところが大学に行っても、お坊さんになりたいとは思えなかったのです。私はすごく英語が苦手でして、リーディングも駄目だし、意味を取るのもあまり上手でなくて、きっと何とか大谷大学に入ったような成績だったのでしょう。一生懸命自分なりに予習をやっていくのですけど、発表のときにみんなに笑われるのではないかと思うとおなかが痛くなってですね、学校に行けなくなってしまうのです。それで授業が終わる頃になるとおなかは元に戻っているのですよね。お医者さんに行けば、自律神経失調症とかいう症例に当たると思いますけれども、私はそんなことで1年生を3回やりました。そして何とか2年生に上がることができました。その時「自分は一体何でこうなのか?」と。まわりの人たちは、授業に出席しておけば試験の成績がわるくても単位をもらえて上の学年にいけるのに、自分は人前でできない自分をさらけ出すのが本当にこわいというか、こわいというよりも情けないのですね。自分が存在する意味が、「そんな自分では生きている意味がない」というような思いがあったのではないかと思うのです。皆さん方は「2年間を棒にふるようなことをしなければいいのに」と思われるかもしれませんが、その時は、自分のそういう現実の生身の私を見せつけられる場が本当につらかったのです。たまたま2年生に上がって、それから卒業するまで何のことはなく上がっていけたのですが、そのことがやはり私の中でずっと問題になっておりまして、「本当の自分というものを見せつけられた時にそれを受け入れられないというのは一体何なのだろう?」と。劣等感とか優越感ということが、私の一つの大きな課題になっていたのではないかと思うのです。

その後、私が大学を何とか卒業した後、京都の専修学院というところに1年行きました。それは1年間全寮制で、真宗の教えを学び、僧侶の資格を取っていくということで、若い学生もいましたが、60代、80代の一般の門徒さんもいらっしゃいました。大学時代はアパートで暮らしておりましたが、同じ部屋で他人と暮らすというのは経験しておりませんでしたので、今まで自分が隠していた、本当に見たくない部分を初めて同室の友人から非常に厳しく突かれてしまいました。しかしそのことが私にとっては、やっと本当の自分に立って生きられるというきっかけになったのです。自分がお寺のために、あるいは父親のために、お坊さんになるため大谷大学へ行ったのですが、人のために生きていたのでは駄目なのだと。やはり自分が望んだことを生きていかなければ駄目なのだと。しかも自分が望むといってもですね、自分のエゴを丸出しで生きておることで人が離れていくということを、同じ部屋で生活することによって教えていただいたわけです。大谷大学でお坊さんの資格を取っておりましたが、京都の専修学院に入った時にはまわりの方々はみんな資格を取るために授業も一生懸命出なくてはいけないわけです。ところが「大内は資格を持っているのに、どうして専修学院に来たんだ? 別に授業に出なくてもいいじゃないか。お前は呑気な奴だなあ」という感じで、私はまわりからはだいぶ羨ましがられたのですが、私の心の中ではお坊さんとして生きるということもそうですが、私がこれからどうやって生きたらいいのか、劣等感というものを引きずりながらお寺に帰ることが非常にこわかったのです。それを何とか自分の中で決着をつけたいというのがありまして、それで専修学院という場で学ばさせていただきました。その時に「あなたは一体何ものとして生きるのですか? 仏弟子として生きるのですか? あなたはお寺の後継ぎで、この学院に来ているのかもしれない。資格は取っているのかもしれないけど、何か理由があってここに1年間いるのですか。それは寺に入るのがいやだからいるのかもしれないし、何か目的があっているのかもしれないけれども、そのことをはっきりとさせるのがこの1年間です」と学院の先生から教えていただいたというか、一つの課題を与えられました。

3つの髻[もとどり]を断ち切る

先程「三帰依文」を唱和いたしました。仏・法・僧の三宝に帰依していく歩みが願われている。それが仏弟子なのでしょうけど、それは理屈としてはわかるのですが、実際の自分の中では自分の都合に振り回されているというのですかね、そういう生活の中でしかなかったというのが、学院の中での私だったと思うのです。だからこそ同室の友人から非常に厳しく私のありようが問われたと思うのです。

そうした中で、専修学院を卒業するときに、竹中智秀先生が「3つの髻[もとどり]」というお話をしてくださいました。これは覚如上人[かくにょしょうにん]という方がお書きになった『口伝鈔』[くでんしょう]の中に出てくる話です。京都でも「智恵第一の法然坊」と言われていた法然上人のもとに、九州は鎮西[ちんぜい]というところから聖光坊[しょうこうぼう]というお坊さんが他流試合みたいなことをしにやってきたのだそうです。そうしたら法然上人に負けてしまって、それでお弟子にさせていただいた。そしてお弟子として3年間、法然上人のお話を聞いてそろそろ地元に帰ろうという時になって、法然上人が聖光坊に「あなたには3つの髻がある。勝他[しょうた]・利養[りよう]・名聞[みょうもん]の3つの髻をちゃんと切っていきなさいよ」と言われたそうです。法然上人のもとで3年間、聖光坊は教えを聞かれてたくさんの書物を集められて、またノートをつけられたのでしょうね。それを地元の鎮西へ持って帰って、たくさんの方々にそのお話をして、たくさんの檀家さんからお布施をいただくことを願いとしてもし帰るのであれば、それは仏弟子として帰っていくのではないでしょうと。だから「あなた、3つの髻を切っていきなさい」と法然上人がおっしゃったと言うのです。私どもにとって聖光坊の姿は他人事ではないわけですよね。私が大学で資格を取ってから専修学院へもう1年行かせてもらったというのは、もしかしたらそれなりに自分の中で自信をもって教えを説けるように、あるいはそのことによって檀家さんに誉めていただいたり、お布施をもらうことに後ろめたさを感じないために行っていたのではないかと。聖光坊を批判するのではなくて、このような形で私たち真宗門徒として生きる者に常にそのことを問うているのでしょう。

名聞といういうのは、名声ですよね。人に誉められるような、有名人になるようなことでしょう。それから利養というのは、財産欲を満たすようなことなのでしょう。そして勝他というのは、他の人と比較して自分の幸せをはかる。しかもそれは、優越感が持てるような、そういう思いをもって生きるということだと思うのです。「そのことから、あなたは自由になっていますか?」と。私たちはこれから皆、お寺に帰りますけど、その時に大切なことは「この3つの心に翻弄されずに生きていくことではないでしょうか」と教えていただいたのです。そのことは私たちがお坊さんになるということが、「教化」という言葉があるのですが、そうじゃなくて「勧化」[かんげ]ということなのだということを教えていただきました。「自分が立派で皆さんに法を説くのではなくて、私が先生から聞いてきたことや感動したことを皆さんにお伝えしてお勧めする、勧化者になっていくのです」と。そのことと合わせてお話を聞かせていただいたのですね。私自身、劣等感が強かったですから、その時の先生の言葉がまさに私一人にお話してくださっているような思いで、非常に冷や汗を流しながら聞いた覚えがあります。今にして思うと、優越感や劣等感が、私の感覚によって「よかったなあ」と思ったり「むなしいなあ」と思ったりと、勝他という心によって翻弄されているのではないかと思うのです。私どもはお剃刀[おかみそり]を受けますが、3回髪にあてるんですよね。その3回には3つのことがあるのだということを聞いておりますが、他の人と自分をはかるというんですか、そのことのむなしさを知らないということが、どれだけ自分を苦しめていくか。そのことがわかるということが、私たちが仏法を聞いていく、仏弟子になっていくということが本当に願われているということなんだと思うんです。

業縁を生きる

私たちはこうありたいとかこうなったらいいと思って生きています。しかし、そう思ってもそうならないということがあるわけですよね。やはり私たちは業縁(ごうえん)を生きている存在であると。そのことがはっきりしているかどうかということ、常にそこに立ち返って下さいと。それが仏弟子として生きるということ、「三帰依文」をいただいていくことの意味のような気がするのです。私は妻と結婚しまして、子どもが3人できてそれが3人とも女の子であったと。仮に男の子ができても、縁次第ではお寺を継ぐとは限らないわけです。ただ私たちの思いの中で「男であればこうなるだろう」と。「こうでなければならない」と。そういう思いの中で私たちは暮らしているのではないかと思うのです。それで仏弟子になるというのは、ある意味で一人一人これからどういうことが起こるかわからない、何を縁として私たちはこれから喜びを感じ、あるいは悲しむことになるかはわからない、その業縁を生きることでしょう。「これが私の生きる道なのだ」ということがはっきりするのが、「仏弟子として生きよ」という願いを受け取ることではないかと思うのです。

だいぶ前に見たテレビですが、高橋尚子という女子マラソンのランナーがいますね。彼女は2000年のシドニーのオリンピックで日本人の女子では最初に陸上の金メダリストになったわけですが、スタジアムに帰ってきたときに小出監督を探してまわっていました。その時のことをNHKの「トップランナー」という番組の中でインタビューを受けていたのですが、最後の方でそこに来ていた視聴者からの質問で「高橋さんは何であんなに小出監督のことが信頼できるのですか?」という質問があったのです。それに対して、「監督という、選手から見れば上の方なのにもかかわらず、目線を下げてくださって、自分のところで、嬉しいときに一緒に喜んでくれて、悲しいときは一緒に悲しんでくれる。悔しい時に一緒に悔やんだり、自分と同じ思いに立って話をきいてくれる。ある時は父親のように、彼氏のように、友人のように話を聞いてくれる」とおっしゃっていました。人が本当の意味で「生きていてよかったなあ」と思えるのは、そんな人と出会った時なのではないかと思うのです。小出監督と高橋選手の関係が一生続くかはわかりませんけれども、私たちも先程申し上げましたように、業縁を生きているのですよね。「ずっと友だちでいたい」と思う人がいても、縁によっては別れざるを得ないし、子どもでも3人娘がいれば「3人のうちの誰かと一緒に寺をやりたい」と思ってもそういうわけにはいかないということもあるでしょう。すべて縁によって与えられてくるものだと思うのですけれども、その時に私たちがそういう人に出会っているかどうかがすごく大きなことだと思うのです。選手が選手として苦しんでいる苦しさと監督がその苦しさを受け取るのはちょっと違うとは思うのですが、でも選手が苦しんでいるということはよく聞いてくださるのでしょう。その聞いてくださるというのは、きっと「わからない」というところに立って聞いてくださるのだと思うのです。選手の苦しみを「私はわかったぞ」と聞いてくれるのではなくて、「お前が本当に苦しんでいるのはわかる。何に苦しんでいるかはわからないけども、苦しんでいることは何なのだ?」ということを聞いてくれるのだと思うのです。

私たちも人生の中で苦しい思いがあった時に、相談したりいろいろ話をしたりする時に「あんたの苦しみはこうだろう」と言われるよりも、黙って聞いてくれる人が欲しいですね。大切なのは苦しみの内容を変わってもらいたいわけでも、変えてもらいたいわけでもないですね。「自分は苦しんでいるのだ」と、そのことがわかって欲しいわけなのでしょう。私たちが人として生まれて、一生を終えていくわけですが、その時に私が苦しいときに「苦しいのだなあ」と、隣でわかって聞いてくれる人ですね。わかってというのは、苦しみの内容ではなくて、苦しんでいるということが何なのかを聞こうとしてくれる人、あるいは自分が一生懸命努力してきたことを達成して喜んでいる時に一緒になって喜んでくれる人。それはなかなかその方の喜びと同じにはならないだろうけど、「ああ、本当に頑張ったんだなあ。自分の中で一つの結果が出て喜んでいるんだなあ」ということがわかってくれると言うのですかね。私たちはどうしても人が失敗すると「ざまあ見ろ!」と思うし、「失敗してあの人も少しは腰が低くなるんじゃないか」という、そんな物の見方とか、あるいは成功してもねたみの心があったりね。先程ちょっと申しましたが、男の子がお寺に産まれるということが、非常に嬉しいことなのですけれども、心の中で妬んでいるんじゃないかと思う時があるのです。そういう思いを超えていくというのですかね。それは私の中からではなくて、やはり常に仏弟子として生きようとするところに、「そういうことに気づいていきなさいよ」と。そういう世界が開かれてくるのではないかなあと思うのです。苦しい時にその苦しみを一緒に聞いてくれる。悲しい時にその悲しみを一緒に聞いて悲しんでくれる。それはある意味で仏さまでないとできないようなことだと思うんですよね。私たちは仏さまにはなれないけれども、仏さまのはたらきによって一緒にその悲しみを共有できるというか、そういう世界はあると思うのです。私たちが「あなたは悲しんでいるのだから一緒に悲しんであげないといけない」というのでは、それは同情です。自分には起こり得ないだろうと思うから、同情することができるということなのでしょう。これが自分にも起こり得ることだと同情では済まないと思うのです。先程業縁ということを申し上げましたけど、「私の身に起こるかもしれない」ということを受け取って生きていくというのですかね。自分には起こり得ないようなことがあって、人が悲しんでおると。その時に「悲しいことですね。こうであったらよかったのにね。」と安易に言えるというのは「自分でなくてよかったなあ」ということがあるからかもしれません。もしかしたらこれは自分に起こり得ることかもしれないと。そうであるならば、簡単に同情ということはできないと思うのです。だからこそ、悲しんでいる人の話を聞いていけるということがあるのではないかと思うのですけれども。

「私がなぜこのような身やこの場を生きねばならないのか?」という一番大事なことをわかっていないのが自分自身かもしれません、というようなことをご案内で書かせていただきましたが、きっとわからないのが人生なのですね。私どもは業縁を生きていると。業というのは行為ということだと聞いております。自分が為した行いですね。あるいは自分だけでなくて、この日本という国に生きておれば、日本という国が何十年か前、あるいは何百年か前にやった行為を引きずっているということなのだと思うのです。そのことが縁となって、私の人生をいろいろな方向へ導いてくる。そういうものが業縁ということなのでしょう。親鸞聖人が『歎異抄』の中で「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」ということをおっしゃっておりますけど、私の心がよくてそうしているのではなくて、たまたま縁に引かれてそういうふうな人生を歩んでおると。それが私たちなのですと。ところが「私はこうあるべきだ」という思いが前提にあって、私たちの本当に見据えなければならない私の思いや意志を超えて起こってくることを引き受けられずに苦しんでいると。そのことが私たちを明るく生きさせないと言うのですかね。仏弟子として生きるというのは、私たちに起こってくるあらゆることが、すべてそれは私が引き受けなければならないこととして、「ならない」というのは「べき」ではなくて、そこに私たちが生きるのだと。「現実に立って生きましょう」ということが帰依三宝というか、仏様に帰依し、法に帰依し、僧(僧伽[さんが]ということでこれは坊さんの集まりではなくて教えを聞いていく場ということ。朋・同行)に帰依することなのだと思います。仏はお釈迦さまですね。法はお釈迦さまがお勧めになっている南無阿弥陀仏の念仏のいわれをいただいていくということなのでしょう。そして僧伽というのは、念仏の教えに集う方々、あるいは同じ場所にいなくても、その願いをよりどころにして生きている方々です。その朋や同行といわれる関係が、先程申し上げましたように、悲しみを悲しみとしていっしょに悲しめる。悲しみと言っても先程言ったように悲しんでいる当人と同じ悲しみではありませんが、本当にいっしょに悲しんだり喜べる。それがなぜでき得るのかと言ったら、私たちが業縁存在であるからで、もし私に縁がもよおせば、そういう身になる、そういう悲しみを持たざるを得ない。そういうところを生きているんだと。だからこそ「本当に思い通りにならない人生で、自分の願いがかなってよかったね」というふうに妬むことなく、喜べると言うのですかね。あるいは自分が苦しい中で「ざまあ見ろ!」と言う必要がないというか、「ああ、それは他人事ではないよ。それはもしかしたら私に起こることかもしれません」というような関係を持って生きるということが、業縁存在としての自分に気づくということだと思うのです。それでこの「朋」というのは同朋奉讃の「同朋」ですが、これは「師を同じくする朋」ということなのですよね。私たちは師を仏さまとして同じくする関係なのでしょう。隣同士で仲良くするのではなくて、一人一人が仏の教えを信順して生きていく。その中において朋と言える関係が成り立つのだと思うのです。仏の教えというのは、業縁存在だと。自分の思いがあって、その思いを成就していくのではなくて、どこまでも業縁によってもたらされている現実を引き受けて生きていく。そういう関係の中において、朋ということが成り立つのではないかと思うのです。

仏弟子として生きてみませんか?

与えられた現場が私なのです。しかもその与えられた現場で、常にそういう自分の思いに捕らわれているものから自由にさせていただくと。道理に触れて、自由に生きさせていただくと。自由というか、現実に立って生きさせていただくと。「こうであったらよかったのになあ」という思いに捕らわれることなく、「今、目の前にある現実が私の生きる場所です」と。そこに立って生きられるということが、仏弟子として生きることであり、特に仏様の教えをよりどころとする朋と一緒に歩んでいける。そのことが仏弟子として生きていける楽しみということなのではないかと思うのです。私がこうやって申し上げるのは、ご住職に厳しいところを教えていただいているからで、もちろんご住職だけでなくて今日いらっしゃっている皆様方からもまたお教えいただくということが成り立つ世界を生きられるというのですかね。どんな時でも自分を繕うことなく、私が大学の時に英語の訳をやって恥ずかしい思いをしてアパートに閉じこもっている私が、「それが私ですよ」と。ここで法話をするのも本当に私は恥ずかしいのですけど、でも「これが私なのです」と。それしかないのですね。そこに立って生きさせていただくというしかない。何かそういうことが、私がここで立ってお話をさせていただいてる根拠と言ったら変ですけれども、おなかも痛くならずにここにこうやって立っておれるというのは、「仏弟子として生きなさいよ。業縁に従って生きなさいよ」と教えられているからなのだということを感じます。

色々とお話いたしましたが、私の中で仏弟子として生きるというのは、縁を生きる身であることを教えられていくということなのだと思っています。私が常に「こうありたい」とか「こうあるべきだ」という思いの中で、自分の苦しみをつくり、深めていったということがあって、そのことがある意味でそこから解き放たれるということが私の救いの内容であったと感じさせていただきました。そのことが仏弟子として願われていることであり、「仏弟子として生きてみませんか」と、いつも仏さまから念じられていることなのです。

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