「素材」を生かす

「ご家庭にある食材で、十分に一流レストランと変らぬ料理を作ることができます。食材にこだわるより、今ある食材のなかで、心をこめてご家庭の味を表現しましょう」

これは、ある料理番組での会話です。これはまさしく仏の言葉だと思います。なぜなら、料理というものを通して、実に人間が生きる上での真実を語っているからです。

私たちは生まれてきてからこれまで、ずーと食材、つまり素材集めに奔走してきたのではないでしょうか。学歴という素材、社会的地位という素材、健康という素材、容姿・スタイルといった素材、etc.

なぜ、素材集めに奔走するのでしょうか。そこには他人との比較の心がはたらいているように思います。悲しいことですが、自分の幸せを他人との比較においてしかはなれないのが現代を生きる私たちのあり様ではないでしょうか。「あの人よりは、いい会社に就職しているから、よしとしなきゃ」とか「あの人は、ちょっとスタイルがいいからってちやほやされて、こっちはみじめになってしまう。もっとダイエットしなくっちゃ」とか、いつも他人をものさしにして、それにふりまわされている自分がいるように感じます。

素材集めとは条件を整えるということでしょう。私たちが生きていくためには、条件などどうでもいいとは言いきれないかも知れません。しかし、条件が他人より優れていることで自分の幸せをはかったとしても、それはあくまでの条件を整えたに過ぎず、本当に生きるという内容にはならないのではないでしょうか。例えば学歴のある人が本当に幸せと言えるでしょうか? 学歴があって一流企業に入社したとしても、そこでどんな苦悩があるかわからないのが生きる事実だと思うのです。かりに学歴がなかったとしても自分のやりたい仕事を地道にやって生きている人もいるわけで、どちらが幸せとは言えないのではないでしょうか。

本来、幸せなど他と比較してはかるものではないのに、そのことに目を奪われてしまっているのではないでしょうか。条件の善し悪しで、劣等感をもったり優越感をもったりして、生きているだけではないではないでしょうか。

仏教は成仏する道を説きます。「人と比較して、自分になるのではない。だれにもまねできない、自分そのものになりきることなのです」──これが、「成仏」という言葉がわたしたちに示している内容だと思います。どんな条件が与えられていたとしても、そのなかで自分を尽くして生きることが願われているのではないでしょうか。本当に今の自分でいいのかという心の奥底からのかすかなささやきに耳を傾けてみましょう。

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