あとがき
「百々海先生を憶う」

1月1日、念仏和尚こと、了善寺の百々海怜[どどみ・さとし]先生が浄土へ還っていった。心筋梗塞で倒れた12月29日も、我々僧侶仲間と教えの会で学び語り合っていた。まさしく疾風怒涛の69年間の人生を仏法聴聞ひとつに賭けた偉大な真宗僧侶であった。「最後まで皆さんと学び、特に若い人たちと語り合えて、本当に幸せな住職でした。1日の3時12分に浄土に還っていきました。ありがとうごさいました」─。これは百々海先生の坊守さんの言葉。この言葉にも百々海先生の生きざまが集約されている。

人間はあっけないものだと思う気持ちもあるし、若い人の理解者が亡くなってしまったという深い悲しみもある。しかし、百々海先生は実に先生らしい、先生そのものの見事な最後だった。ある意味うらやましい気持ちにもなった。

百々海先生のご遺体が安置された本堂はまさに聞法道場だった。ご遺体のすぐ横にある黒板には、百々海先生の字で「仏法には、明日と申す事、あるまじく候う」と書かれてあった。すごい説得力だった。すでに還相回向がはたらいていた。仏法の事は、本当にいそげ、いそげ、そう思った。しかし1月1日が命日とは、どこまでも百々海先生らしい。新しい年を迎えるたびに「お前の信心はどうなっているんだ」という百々海先生の声が聞こえてくるだろう。先生は亡くなったが、法性は消えることはない。

「パパ、みんなに花で奇麗にしてもらってよかったね。どうもありがとう、パパ」─。これは出棺前の娘さんの言葉。ここに百々海先生の家庭が、娑婆の一面があらわれていた。パパと呼ばれる光景をはじめて見た。当たり前のことだが、ふつうのおっさんだった。

了善寺に両立する道場性と家庭性…これこそ浄土真宗だと思った。

(住)

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