若葉の風の匂う頃、蓮光寺のご住職から中国旅行のお話をいただいたのですが、直前まで半ば冗談めいた返事をしていました。
私は今年の3月までご本山の京都・東本願寺で出版の仕事に携わっており、そのなかでご住職と知り合うご縁をいただきました。現在は門徒倶楽部にも参加させていただいています。私が携わった『同朋新聞』の連載では、今回訪れた玄中寺や親鸞聖人が七高僧と仰がれた玄中寺にゆかりのある曇鸞[どんらん]大師、道綽[どうしゃく]禅師、善導[ぜんどう]大師に触れる機会を得ました。玄中寺の名は知っていても中国の遥か山深くにそびえたつお寺です。その頃は、まさか自分の足でその地を踏むとは思ってもみませんでした。実際目にした玄中寺は、私が想像していたような物寂しさを感じさせず、今も悠々と中国浄土教の歴史を湛えていたのでした。
私は学校の歴史授業が好きになれないまま学生時代終えました。そういえば、ご住職は以前歴史の先生でいらっしゃったとか。しかし、この中国の旅で「過去の事実の積み重ね」を知識として詰め込む歴史という認識は翻り、人生を問い直す契機を与える大地としてある歴史に思いを馳せました。その思いが、私の上に起こるすべての偶然の尊さを「南無阿弥陀仏」として受けとめていくことにつながっていくのではないかと感じています。
真木優子(釋尼妙悠、26歳、フリーター)