「推進員養成講座」いのちのふれあいゼミナール
宮戸道雄師・法話実況中継
「仏に遇うということ」
ダイジェスト版

第5回目 9月4日(土) 会場: 林光寺

先回までを振り返って
─自分を習う─

今回が最終回ということでございます。はじめは5回もつかなと思っておりました。もつかということは、私の体はもつのかということと、皆さんも続けてきていただけるのかと、色々な意味で心配をしておりましたが、皆さんのご協力で何とか最終回を迎えることができました。その間には、若いスタッフの方々の大変なご努力があったことを忘れてはならないと感謝いたしております。

振り返ってみますと、第1回目によせていただいた時には、お寺というのはどういうものかという話からはじめたと思います。「お寺は習う家だ」と親鸞聖人はおっしゃっています。特別なお寺は別として、「自分を習う」という一点が欠落していたものが、今までの真宗のお寺の現状であったと思うのです。例えば、前にも申しましたが、三遊亭円歌という落語の先生がお坊さんになって、どこかのお寺におりますね。それがあの人のネタになっているのですね。ネタになるということがおもしろいではありませんか。たいていの人間は病院からお寺に送られるのに、お寺から病院へ行ったのはわしだけだぞと。これが爆笑をよんでいるのです。このことがネタになり爆笑をよぶほど、お寺というものが生きた人間の習う場所になっていなかったということなのでしょう。司祭所になっているのでしょう。司祭所ということは、先祖の祭りをするところということだけに留まっていたということでございますね。これに対して親鸞聖人は「お寺は習う家」だとおっしゃっているということを手がかりに話がはじまったのでございます。

それで前回までは一貫して「習う」ということをテーマにしていたわけでございます。何を習うのかといえば「自分を習う」のです。「自分が」ではなく「自分を」です。自分が習うということになったら、この頃生涯教育といってたくさん習うことはあります。私の寺では、永代経などを勤めるときには、老人会の都合を聞かなければ日程が決まりません。それほど老人会は忙しいのです。それはみんな習っているのですが、自分が習っているのです。しかし、お寺で習うということは「自分を習う」のです。色々なことを学んでいる自分自身を習うところはお寺しかないでしょうね。このへんが一字のちがいでございますが、天と地ほどのちがいがございましょうね。色々なことを習うのは結構でございます。結構でございますが、それは皆ドーナツでしょう。ことを知っているけれども、知っている自分は空っぽということでしょう。

こうして「自分を習う」という展開をやってきたのですが、『観経』の悲劇の背景というものには、人間の抜きがたい罪福の心というものがあったのだということを手がかりにして、私自身のなかの罪福の心というものを問題にしました。罪福の心というのは災いを除いて幸せを招こうと、そのことしか考えられない自分自身の無明性というものを問題にしました。このように展開しながら、前回は阿闍世という人がいたということを手がかりにして、人間のなかにある「阿闍世性」を問題にしました。指が折れているという事実と自分の宿業に対する怨みということ、つまり「事実と思い」がいつも離れているという問題です。事実というものは思いではどうすることもできない、これを宿業というのですが、身はすでに受けているのです。身はすでに受けているのにもかかわらず、人間の思いだけが疎開をしてくる。

私は昔、同朋会館が建つ前に教導として奉仕団の仕事を一人でしておりました。ずいぶん忙しい暮らしをしておりましたときに、夏の暑さと疲れで腹下しをしまして5日ほど寝たことがあるのです。そのときの部長で西本文英というおもしろい方がおりまして、「仏を見たいなら、この西本を見よ」とこれを言わないと話が終わらない方でした。なんと薄汚ない仏さんがあるものだと思いますが、西本部長はお見舞いに来てくださいました。そのときはほぼ完治しておりましたので、部長は「それなら全快祝いに飲みに行こう」と言うのです。サントリー・ビールが売り出しの時でございまして、八坂神社の近くで舞妓さんがお酌をしてくれて無料で飲ませてくれる会があるというので、こんな機会はめったにないと思い、そこに行ったわけです。治りかけですので飲んだらいけないと思っていたのですが、行ってしまったのです。生ビールを飲んで、帰ってきたら腹下しのやり直しでした。西本部長は「また寝込んでいるのか」と言うので、「治りかけの私にビールを飲ますからだ」と私は言い返しました。そうしたら部長は「私があなたの口を無理やりこじ開けてビールを飲ませたのですか。あなたが自らすすんでうれしそうに飲んでいたのではないですか」と言われたのです。事実は腹下しで、身は受けているのです。ところが「あなたが飲ませた」と言って事実が受け止められないのが私の有様でありました。

思いを破って
身の事実に立っていくことを
真宗という

それから藤原鉄乗という方が金沢におりました。そこのご門徒さんで早くにご主人に死に別れて、残された息子さんを一人で育てた方がおりました。そして息子さんも結婚し、孫も2人でき、ご門徒さんはホッとされました。ところが息子さんが胃癌にかかっていることがわかりました。看病している奥さんも調子が悪く胃癌とわかりました。やれやれと思っていたご門徒さんは、もう一辺所帯のやり直しをしなければならなくなりました。そこで藤原先生のところへ行って「私はなぜこんなに苦しまなければならないのでしょうか」と愚痴をこぼされました。藤原先生は「おばあさん、それはあなたが娑婆に出てきたからですよ」と言ったそうです。えげつない言い方をしますね。そうしたらご門徒のおばあさんは「そんなこと、あなたに言われなくてもわかっています。こういうときに優しい言葉をかけてもらいたいから、月に一回でも大根を持って来ているのです。もうこんな住職さんのところへは来ません」と言って腹を立てて帰ったそうです。ところが1週間ほどたって、またそのお婆さんが来て「ご住職さん、絵をかいていただけでした」と言われたのです。絵をかいていただけと言って終わるのではなく、そのお婆さんはリヤカーに野菜を積んで歩いたそうです。私は理屈を言っているのではありません。思いでしかなかったと破れたら、そこからその事実を受けて立ち上がっていくのです。思いを破って身の事実を受けて立っていく、こういうことが真宗というのでしょう。

『大無量寿経』の48願の第26願に、「たとい我、仏を得んに、国の中の菩薩、金剛那羅延[こんごうならえん]の身を得ずんば、正覚を取らじ」(もし私が仏になるとき、国の中のお念仏をいただいている者が金剛那羅延の身を得ることができないならば、私はけっして仏になりません)と書いてございます。「金剛那羅延」というのは、「金剛」とは固いということで、「那羅延」というのはインドの神様の名前で「サーラーヤナ」といって、どんな力にでも崩されない強固な体をもった人になると書いてございますね。何が来ても負けない、そういう強力なものになるのだというと相撲とりだと思いますが、そういうことではありません。何が来ても砕かれない人というのは「地獄一定」とわかった人です。「地獄に落ちるぞ」と言われても「そんなのはじめから決まっている」と受け入れられるのです。

いつでしたか若いときに法事に行きましたら、親戚の方が私に「ご院守さんいくつや?」と訊くので「42です」と答えたら、「厄年か。42は男の大厄といわれていて大変ひどい目にあう」と言われるのです。私は「それなら大したことありません。はじめから地獄行きと決まっていますから」と申しました。厄などということに驚きも恐れも致しません。思いを破って身の事実に立っていくことについて、「お寺は習う家」ということから展開させていただきました。

悲劇は結果ではなく
「縁」であるという智慧をいただく

それから、皆さんに資料がいっていると思います。親鸞聖人が『観経』によってお作りになった和讃が9首掲載されております。特に第2首から第8首に『観経』序文の問題がすべて出てくるのです。その9首のあとに『観経』の登場人物が書かれております。これが「正信偈」のなかにある「凡聖逆謗斉回入」[ぼんしょうぎゃくほうさいえにゅう](凡夫も聖者も、逆らう人も謗る人も、ひとたび心をひるがえせば、皆ひとしく救われる)の内容であります。例えば、釈迦如来とか富楼那尊者とか阿難尊者は聖者ですし、頻婆娑羅王とか韋提希夫人とかは凡夫です。また、阿闍世とかは逆らう人、提婆尊者は仏教を謗る人でしょう。ここで注意しておかなければならないのは、提婆のところに尊者とつけてあることです。我々は提婆というと、お釈迦さまを殺そうとした、『観経』の悲劇を起こした張本人だというわけですが、親鸞聖人は提婆に尊者という称号をあたえておられるのです。さあ、これからが本論でございます。韋提希夫人という方は、良妻賢母で最善の努力をしたわけです。その最善の努力をしたことが逆にあだになって、阿闍世によって牢獄に閉じ込められることになった。それが「禁母縁」[ごんぼえん](母を禁ずる縁)となってくる。そこで大事なことは、ここに「縁」という言葉が出てくる、それです。

『現代の聖典』というものを見ていただきますと、「禁父縁」[ごんぶえん](父を禁ずる縁)とあり、また「禁母縁」とあります。さらには「厭苦縁」[えんくえん]と続き、全部に「縁」という字がついています。ここが大事なところなのです。今日の話はそれがポイントです。我々人間の発想というものはどうなっているかといいますと、「縁」とすることではなしに「果」(結果)になっています。母親が牢獄に閉じ込められたということが結果になっています。なぜこんな悲劇の結果になったのかと、結果で終わっているでしょう。

結果で考えますと、あの提婆(提婆が野心をもって阿闍世に出生の秘密を話したので、阿闍世が父母を牢獄に閉じ込めることになった)という奴が悪いんだ、提婆が因(原因)なのだということになります。提婆の野心というものがあったおかげで、私はこういう結果を受けなければならないのだということですね。さらに登場人物には雨行大臣がおりますが、この大臣は提婆が阿闍世に言った内容の証人となりました。守門者(門番)とは名もなき者です。この守門者が、頻婆娑羅大王がまだ生きているのは韋提希夫人が食事を運んでいるからだと阿闍世に話しました。そうすると、我々人間の発想というものは、こういう悲劇という結果に終わったのは、提婆が悪い、阿闍世が悪い、雨行大臣が悪い、守門者が悪いと、こうなるのです。言っていること全体がすべて愚痴になります。そこに善導大師は「この悲劇というものは結果ではなく、縁なのだ」と言われたのです。皆さん、ここがポイントなのです。真宗の救いというものは、悲劇という結果としかとらえられなかった私たちに、それが「縁」だったと見直されていく智慧を開くということなのです。

人生を往生浄土の御縁として生きる

私は先日、「人生に結論を求めず、人生を往生浄土(人間として成長していく)の御縁として生きる。これを浄土真宗という」という言葉に出遇いました。なるほどと私自身もうなずかせていただきました。結果としていたものが「縁」となってくる。結果にするということになると、人生に結果を求めることになります。我々は自分の人生を自分で評価していますね。どうでしょうか。お年を召されると、いよいよ自分の人生を自分で評価します。何のために苦労してきたのだろうか、とね。もう駄目だと自分の人生をドブに捨てています。人生に結論を求めています。そうではないでしょう。人生を往生浄土(人間として成長していく)の御縁として生きるのです。

先日、門徒さんが山陰へ行ってきたおみやげを持ってきてくださったときの話です。門徒さんは「大山の山の頂上に雪が残っていてよかったです。その大山が峠を越えるとコロリと表情を変えて本当によかったです」と言われました。それを聞いて私は「なぜ同じ山の大山がコロコロ変わるのですか?」と尋ねました。門徒さんは「それは私がバスに乗って走っているからですよ」と言うので、私は「そうでしょう、あなたが変わったからでしょう。つまりあなたが深まっているからでしょう。見る方向がちがっているからでしょう」と答えながら、「大山が表情を変えてくるということを見て、あなたは何を思いますか? 大山が表情をコロリコロリと変えてくるのが楽しいと言っているあなたは、30年も同じ景色を見ているのではないですか?」と問い返しました。30年同じ景色を見ているならば、一歩も成長せずに同じところにいるということになるのです。「どういうことですか?」と門徒さんが尋ねるので、「あなたは、30年愚痴ばかりを言っているのではありませんか? 嫁に来て20年間は姑の悪口を言い、その後の10年は息子の嫁の悪口ばかり言っているではありませんか。同じ景色を30年見ていて一歩もすすんでいないではありませんか。大山がコロコロと表情を変えるということは、あなたはいつまでもそこにジッとしているのかと大山が叫んでいるのではないでしょうか」と申しました。分かりますか、皆さん?

もう亡くなりましたが、林武次という人が「現代の子どもの不幸は、親自身が変わらずに子どもにだけ変わることを要求するというところにあるのではないか」と言っていました。往生浄土ということは、死んでいくということではありません。「人生に結論を求めず、人生を往生浄土(人間として成長していく)の御縁として生きる。これを浄土真宗という」のです。結果としてしかものを見ないので、愚痴のなかでのたうちまわることになるのです。それを「縁」として見ていくのです。

提婆に尊者をつける意味

福井の米沢英雄先生が書かれている本のなかに、「縁」になった話がございます。中学3年生の子どもの作文です。

僕は今年の3月、担任の先生に勧められてA君と二人で■■高校を受験した。■■高校は私立であるが、全国の優等生が集まっている、いわゆる有名高校である。担任の先生から君たち二人なら絶対大丈夫だと強く勧められた。僕は得意であった。父も母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと僕は猛烈に勉強した。ところがその入学試験で、A君は期待通りパスしたが、僕は落ちてしまった。得意の絶頂から奈落の底に落ちてしまった。何回かの実力テストでは、僕がいつも1番で、A君がそれに続いていた。それなのに、その僕のほうが落ちて、A君のほうが通ったのだ。誰の顔も見たくない惨めな思い。父や母が部屋に閉じこもっている僕のために僕のすきなものを運んでくれても、優しい言葉をかけてくれても、それが余計にしゃくにさわった。何もかもたたき壊して引きちぎってやりたい怒りに震えながら、ふとんの上に横たわっていると、母が入ってきた。「Aさんが来てくださったよ」と言う。僕は言ってやった、「母さん、僕は誰の顔も見たくない。特に世界じゅうで一番見たくない顔がある。誰の顔か言わなくてもわかっているだろう。帰ってもらってくれ」「せっかくわざわざ来てくださっているのに、お母さんにはそんなこと言えん。あなたら友達の関係てそんな薄情なの。ちょつ間違えたら敵味方になってしまうようなそんな薄っぺらいものなの。お母さんにはAさんを追い帰すことなどできん。いやならいやでそっぽを向いていなさい。そうすれば帰られるでしょう」と言って母は出ていった。入学試験に落ちた惨めさを、僕を追い越したことがない者に見下される。こんな屈辱ってあるか。僕は気が狂いそうだ。2階に上がってくる足音が聞こえる。ふとんをかぶって寝ている惨めな姿なんか見せられるかい。胸を張っている姿を見すえてやれと起き上がった。戸が開いた。中学校の3年間、いつものくたびれた服を着て、涙をいっぱいにためてくしゃくしゃの顔のA君が、「●●君、僕だけが通ってしまってごめんね」とやっとそれだけ言って、両手で顔を覆い駈けおりるように階段を降りていった。僕は恥ずかしさでいっぱいになってしまった。思い上がっていた僕、いつもA君なんかに負けないぞとA君を見下していた僕。この僕が合格してA君が落ちたとして、僕はA君を訪ねて「僕だけが通ってしまってごめんね」と泣いて慰めに行ったであろうか。ざまあみろと余計に思い上がったにちがいない。こんな僕なんか落ちるのが当然だと気がついた。彼とは人間の出来がちがうと気がついた。通っていたら、どんなに恐ろしい一人よがりの思い上がった人間になっていただろうか。落ちるのが当然だ。落ちてよかった。本当の人間にするために僕を落としてくれたのだと思うと、悲しいけれどもこの悲しみを大切にして出直そうと決意みたいなものが湧いてきた。僕は今まで思うようになることだけが幸せだと考えていたが、A君のおかげで思うようにならないことのほうが人生にとってもっと大事なことなんだと知った。昔の人は15才で元服したという。僕も入学試験に落ちたおかげで、元服できたような気がする。

という内容です。どうですか? 「縁」にすることです。果(結果)で終わっていたものが「縁」になるのです。そうすると何ができてくるのか。自分に気がついていくのです。気がついてくるとどうなるか、憎たらしいA君が「おかげさま」と言えるように変わっていくのです。これが真宗でいう救いというものです。救いというのはこういうことをいうのです。

まず一番大事なことは「縁」ということです。悲劇というものを結果として終わりにせずに、それを「縁」に転じていく。それによって自分自身が育てられていくということです。そうしたら豈に図らんや、今まで逃げていた、私を苦しめていたはずの悲劇の内容が全部、私を育ててくださるものに変わってくるのです。だから親鸞聖人は、提婆に提婆尊者とつけているのです。提婆という者がいなかったら、韋提希夫人はお念仏をいただけなかっただろう。韋提希夫人がお念仏をいただけなかったら、私[親鸞聖人]のところに念仏がこなかったであろう。だから提婆という者は尊者なのです。こういう一点が「縁」にするというところによって展開されてくるのでありましょう。韋提希夫人のお話を通して、今回は「縁」についてのお話をさせていただきました。ありがとうございました。